11

 今日も学校があって、私はまた古刀を、仕事であるかのように見つめていた。

 未だにあのレトロゲーム部に入っていないのだから、そこまで本気を出して手伝う理由もないし、采女の役に立つのなんてシャクだし、実際あのソフトの経緯や顛末なんてどうだって良かった。

 ただ、古刀が気になった。それだけだった。気になる理由さえ、よくわからなかったが、調べなければならないという意識が、私の中にあった。

 勉強の能力。前に見た通り、ほとんど出来ない問題児。

 友達付き合い。ない。借金を催促して来る友人も、あれ以来見かけていない。

 休み時間。勉強をすれど、飽きて眠っている。

 性格。暗い。何を言っているのかわからない。

 家庭環境。問題はない。

 そして、機会があれば、秋光をじっと見ている。

 それ以上のことを知りたい時は、どうすれば良いのか。あのカセットのことで口を割らせるには、どうすれば良いのか。尋問する以外で、私には見当もつかない。

 中学時代のことを知っている人にでも話を聞く、というのが最も手近な解決法だろう。また部長に探して貰えば、そういう人も出て来るかもしれないし、采女の友人に一人くらいはいるんじゃないのかと思う。古刀も秋光も、采女もみんな私と同じ中学に通っていた。私は、友人なんてみんな私から離れてしまったから、そういう方面の聞き込みには期待できない。

 休み時間だった。また私は眠ろうと机に伏している古刀を眺めていた。その呼吸のリズムや、眠りの深さまで調べるつもりだった。そうしたことからパーソナルがわかれば、何かあのカセットの名前に繋がる要素が出て来るんじゃないかと、本気で考えたからだった。

 しかしながら、その日の古刀は様子が違った。

 伏していたかと思うと、顔を上げて、ため息をひとつ吐き、それからピンと鋭く削られた鉛筆を片手に立ち上がって、

 やがて私の机の前に立つ。

「何のつもり?」

 古刀は、歯軋りを立てるような勢いで、震える声を絞り出した。

 私は頬杖をついたまま、目線だけで古刀を見上げた。

 怒り。

「なにって、別に」私は答える。「窓の外を見てただけ。良い天気ね。雲が空を覆い尽くしてて」

 古刀は鉛筆を振り上げ、

 そして思い切り、私の机に突き刺した。

 潰れる音。大きい。その異変に、周りの生徒が雑談をやめて、私たちに注目し始める。

「……学校の備品よ、これ。どうすんの?」

 私は古刀の鉛筆を見た。どれだけ磨いたって、硬い机の表面に突き刺さるわけはない。古刀が片手に掴んでいた鉛筆は、机の上でバキバキに折れ、破片は古刀の右手にも刺さっていて、薄く赤黒い血が、私の机の上に流れていた。

「いい加減にして!」古刀が叫ぶ。「あんた、私のこと着け回してる! なにがしたいわけ!」

「誰が好き好んで着け回すの。窓の方見てたって言ったでしょ。ここから、窓を見ると、あんたの席がちょうど真ん中に来るでしょ? 座って確かめる?」

「言い訳するな!」

 古刀はさらに、鉛筆を粉々にした。破片が、パラパラと彼女の右手から、机や床に血と一緒に滴っていった。

「こんなこと、もうやめて。お願いだから……。気になる。辛いんだよ。気になって気になって……ノイローゼだと思う。ずっと気分が落ちてるんだよ」

 周囲が、私たちを狂った人間でも見るかのように、噂を始める。

 私は、その状態が気に入らなかった。

 なんでお前が、私に鬱憤をぶつけるんだ。巻き込まれているのは、こっちだっていうのに。

「だから、好きであんたなんか見てないって言ってるでしょ」私は言い返した。「采女と里内先輩が、あんたのこと気にしてんのよ。それだけよ。あんたが、あのカセットについて、何も言わないのが悪いんじゃないの。あんたは、私を巻き込んでいるのよ。あんただけが、被害者じゃないの。いえ、あんたは、加害者。人に不利益を与えるカスよ」

「人を追い込んでおいて、お前がそんな事を言うな!」

 古刀が掴みかかってくるので、私は立ち上がって古刀の制服の肩の部分を掴んだ。

 古刀は私の髪の毛を掴んでいた。痛いけど、どうでもいいから表情には出さなかった。

 このカスみたいな女に、そんな弱みを見せたくなんかなかった。

 どうしようか。中学の時、男子同士の喧嘩を見たことがある。ひたすら胸ぐらを掴んだり、ヘッドロックをかけたり、それだけだった。殴ったり蹴ったり、ましてや投げたりなんて漫画みたいな喧嘩は行われてなかった。だというのに女子同士の喧嘩なんて、聞いたこともない。女生徒同士は直接の喧嘩なんかしないで、陰湿ないじめに帰結するんだと、私は経験則からそういう結論を出していた。

 周囲がどよめいていた。私達が、今にも殴り合いそうな雰囲気を出していたからだ。

 先生を呼びに誰かが走る。

 私は古刀を睨む。

 古刀は、私を掴んだは良いが、どうアクションすれば私が傷つくのか、わかりあぐねていた。どこまでやって良いのか、どこまでやれば軽い注意で済むのか、そういう算段を立てているようにも見えた。

 古刀の手を見る。私を掴んでいる方じゃない手は、血が流れている。これを私のせいにされるのは嫌だったが、どうせそういう方向に持っていかれるのなら、ここで殴っておくのが得をするというものだろうか。

 殴るか。それもグーで殴ろう。頭頂部をハンマーみたいに殴れば、変に痕もつかない。

「待って!」

 やろうとした私達の間に、入ってきたのは秋光だった。

「…………つぐみ?」と古刀が声を漏らした。失禁でもした時に、こういう声が出るんじゃないかって思った。

 秋光は、私達の眼の前に広げた手のひらを見せた。つまりは、目隠しをした。視界には、肌色のカーテンしか見えなかった。

「どういう状況?」秋光が訊いた。私に。

「……私達、いつもこういう形のハグをするのよね、古刀」私はごまかす。「昨日もしたじゃない。きっと、明日もするでしょう。ね、古刀」

「バカみたいな言い訳はやめてよ」秋光が舌打ちを漏らした。古刀ほどではないが、怒っているし、一方で古刀はナメクジみたいに大人しくなった。「たまたま、人に貸したノートを返してもらいに来たら、私が思うところのある二人が掴み合ってるなんてね」

「私達の仲が良すぎて嫉妬したわけ?」

「軽口を叩くなって言ってんの」秋光はそうして両手を離した。私の視界に、秋光と古刀が戻ってくる。「誰かが先生を呼びに行ったから、面倒になる前にその鉛筆とか、どうにかしなさいよ。あと、私の名前なんか、絶対出さないで。私は関係ない。良い?」

「善処するわ」

 そう言って、秋光は去っていくが、古刀の方を一度として見ていなかった。

 これは深刻だ、と私は思いながら、秋光の背中を追った。

 失意の底みたいな顔をしていた古刀の方に、自慢げに一瞥をくれてから。

 廊下に出て、秋光に声をかける。てっきり拒否されるかと思ったが、秋光は私の顔を見ると、意外でもなんでも無いというふうな顔を見せてから、返事をした。

「津倉、まだ古刀のこと追いかけてたの?」

 廊下の窓を開けて、中庭を見下ろしながら秋光は、私を馬鹿にでもしたいのか、そう切り出した。

 中庭には、木が葉っぱを付けていた。別に冬以外のいつの季節だって、こういう光景しか見られない。面白みもなにもないような、そんな中庭だった。木と、芝と、花壇と、ゴミ捨て場への道しか見えなかった。

 それでも、窓から入ってくる風は心地よかった。なんだか、さっき感じた緊張と怒りと若干の殺意めいたものを、外に投げ捨てているように、私は落ち着いていく。

「里内先輩と、采女があのイデアの日に勝手に書かれたあんたの名前について、本気で調べてるのよ」私は説明した。「あんたも、なにか知ってるなら教えなさいよ」

「知ってたら言ってるわよ」秋光は言う。「まあ……古刀との関係をはぐらかしたのは、事実だけど。さっき仲裁したのも、津倉を助けたかったからじゃないわ。古刀が嫌いだから、邪魔したかったの」

「歪んだ愛情表現ね。私が好きなら好きって言えばいいのに」はは、と私は笑ったが、秋光は完全に無視をした。「で、古刀とは何があったの?」

「絶縁した。きっかけは、無い。普段からその態度が嫌だった。それが積み重なって、ある日、ふと無理になったの。それからは、もう私の中では、居ないものと扱ってる。話しかけもしない。見もしない。それほどまでに、私の怒りは深いのよ」

 秋光は、拳を握って語った。その中に、古刀という名の虫がいて、それを自分の手のひらに爪を食い込ませるような勢いで、握り潰しているんじゃないかと私は思った。

「あのイデアの日は、あんたのなの?」

「ええ……多分。古刀に貸したのは、間違いないから、古刀のデータが有るってことは、私のソフトよ」

「秋光は、クリアしたの?」

「クリアはしたわ。知ってる? あの冒険家、主人公のお父さんなのよ、実は」

「私が既プレイで良かったわね。あんた、殺されてたわよ」

「クリアしたのは、あの頃よ。三年前、あんたがレトロゲームをやれと周囲に迫っていた時期。私も、友人たちもそれに乗せられて、家の押し入れに突っ込んであった親のスーパーファミコンを起動させる羽目になったの」

「どう? 楽しかった?」私は好奇心で訊いた。

「ええ……その時は楽しかったわ。ストーリーが気になって仕方がなかった。同級生とも、いろいろと話もした。あの頃の思い出は、イデアの日を筆頭に、その時代のRPGに支配されているのかもしれないって思うほどよ。今じゃ考えられないけど」

「今、ゲームはしないわけ?」

「昔ハマったってだけのものよ。どのゲームも、一度しかクリアしてない。セーブデータひとつ作って、クリアして、それで満足して、終わりよ。そんな……音楽とか、楽器とか、あとは絵とか俳句とか? そんな一生に使える趣味にはならなかった。私は今、毎週のドラマを観てて、それなりに楽しみにしてて、人と話題も共有するんだけど、でも、これも同じ。今だけの、単なる暇つぶしよ。一生の趣味じゃない」

 私にはその感覚が理解できない。ゲームを一生の趣味に出来ないことじゃなくて、趣味を暇つぶしだと割り切ることがだった。

 この女とは、相容れないなと私は確信する。

「それに、レトロゲームブームは明確な終焉があったでしょ、津倉」

 秋光は私を見た。風が、私の頬を撫でる。殴るみたいに。

「三年前。元凶だったあんたがあんなことになったから、みんなゲームに対して冷めちゃったの。あんたなんかと、同じ目で見られたくないってね」

「本人を前にしてよく言うわ。どうせ、あんたも私をいじめてたんじゃないの?」

「私が嫌いなのは古刀。嫌いのキャパシティは、そんなに多くないわ。一人を嫌うので精一杯」秋光は冤罪だ、とでも言いたげに首を振った。「古刀にイデアの日を貸したのは、別に、あいつが借りたいって言ったから。適当に貸して、早く帰ってもらいたかったの。あのゲームのことも、貸していたことも、絶縁と一緒に忘れちゃってたし」

「古刀の、なにが嫌だったの?」

「自分のだらしなさを直さないで、私に甘えてきて、それを自分の個性だと思ってるところ」

 何度も反芻して、整頓させたような慣れで、秋光はそう口にした。

「幼馴染じゃないの?」

「幼馴染だからって仲良くしろって言われるの、死ぬほど嫌いなのよ」はあ、と秋光はため息を漏らす。

 予鈴が鳴った。そろそろ戻らなければならない。古刀のいるあの教室に戻るのは、なんだか嫌な気分だった。

 窓から離れて、秋光は私に告げる。

「今日、私と喋ったこと、もう忘れて」

「なんで?」私は意味がわからなくて尋ねる。「ボイスレコーダーを回してるって言ったらどうする?」

「じゃあ消しなさい」秋光は短く言う。「私、なるべくもうこの学校で友人なんて作りたくないの。死ぬ前の猫みたいに、一人になりたいの」

 別に、あんたと友人になった覚えなんかない、と私は言いそうになる。

「私、遠くの大学に行くのよ。里内先輩ほどとはいかないけど、そのくらい勉強を頑張って、それで都会に出るの。もうこの辺りの、田舎くさい連中なんかとは、手を切りたいって思ってる。私は古刀は嫌ったけど、あの子だけじゃなくて、もう下らない話題で盛り上がるこんな奴らなんかと、関わりたくないの」

 だから孤立していたのか、と合点がいく。

「……私は?」

 気になって、訊いた。

「私は、そんな下らない連中と同じに見えるわけ?」

「見えるわ」

 キッパリと、彼女はそう口にした。

「なんでそう思うの、あんた。どうして遠くの大学に?」

「わからない。ただ、嫌になった」秋光は俯く。「深い理由なんてない。古刀と一緒よ。蓄積」

「蓄積……」

「積み重なって、耐えきれなくなってる。だから、リセットしたいって思ってるの。高校生って、そう言う時に楽よね、二、三年我慢すれば卒業して、遠くの地に行くのに大学っていう大義名分があるんだから」

 そんなことを言い残して、彼女は去る。

「じゃあね、津倉。まだ一、二年くらい残り時間はあるけれど、あんたはなるべく、卒業までもう私に関わろうなんてしないでね」

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