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古刀佳子は、秋光つぐみに対して、憧れや尊敬や、時に羨ましさなどを一緒にした好意的な感情を、チョコレートでも作るみたいに固めて胸の内に抱えていた。
幼馴染だ。小学校に上がる前から、古刀と秋光は友人だった。育った環境に、それほど違いはない。家庭環境はもちろん多少の差はあるが、別に古刀も秋光も、自分の家に対して不満を抱えていなかったし、他人と比べても、自分の家はごく一般的な家庭なんだとの疑いはなかった。
だというのに、秋光は頭が良かった。そして明るい人間で、性格も優れている。古刀の主観から見れば、悪いところが一つも見つからない完璧な人間だった。古刀は、自分の頭の悪さと、暗い性格と、どうしようもない性格を嘆くと同時に、こんな自分と友人でいてくれる秋光を、ほとんど神格化して扱っていた。
神格化だ。その言葉が、彼女に対する古刀の扱いとして、最も正確に表していることを、辞書を引くたびに思い出した。
そう、古刀は秋光を、崇めている。そんな人間が持ち合わせる、古刀のような人間に向ける慈悲が、脳幹が痺れるくらいに気持ちが良かった。
秋光のためになることのみをやりたい。古刀の生きる目的は、秋光の役に立つことに決まったのは、異常な考えでも、歪んだ愛情でもなかった。自然とそうなっていった、と古刀は認識していた。
好意を伝えていた。秋光がひとりぼっちにならないように。(私だけのものになるように)
ずっと、友達でいて欲しかった。(私の手の届く範囲にいて欲しい)
自分のことを、気にかけて欲しかった。(信仰対象が必要だから)
そこまでしたっていうのに、秋光は大人になることをやめなかった。
古刀は、そんな秋光を見て、いつしか置いて行かれるような妄想に取り憑かれていた。秋光が遠くに行ってしまう。秋光がいなくなってしまう。彼女の変わりようは、そういった強迫にも似た妄想を古刀に抱かせるのに十分だった。
化粧が変わった。態度が変わった。趣向が変わった。話し方すら、変わってしまった。秋光の、そのひとつひとつの変化が、古刀にとって何より恐ろしいものだった。
古刀の喜びは、秋光のために尽くすこと。それだというのに置いて行かれては、その人生の目標ともいうべき快楽が、失われてしまう。他の目標なんて、冗談ではなくひとつも存在しなかった。古刀は、彼女をサポートすることのみで、将来のルートを決定してしまっているような女だった。
だから、古刀はいつも考えている。自分に勉強なんかいらない。そんなのは、大人が普通の生徒に対して、なにか達成感を与えるように仕組んだカリキュラムでしかない。自分に、そういうものは、頭からケツまで、必要なんて無かった。
宿題なんて、真面目にやりたくない。忘れていけば、教師は私を注意し、蔑む。けれど、もう、根本的に勉強という行為に興味がなかった。ただ退学にならない程度に、進級できる程度に、問題なく勉強はできるというアピールさえ出来れば、それで良かった。その勉学で何が出来るかだとか、何の役に立つかだとか、そんな物は考えないで、ひたすら機械的に勉強を処理した。
ある時だった。秋光が、最近変なものにハマり始めたことを知った。スーパーファミコンという古いゲーム機の、よくわからないソフトを夜通しやっていると言った。友達付き合いの薄い古刀は、この時、彼女の同級生たちの間で、一過性のレトロゲームブームが起こっていたことさえ知らなかった。秋光のその変貌は、古刀にとって唐突に写った。
古刀の妄想は加速した。置いていかれる、一人になってしまう、生きる意味が、自分には何も無くなってしまう。自分の知らない秋光が居てはいけない。自分の知らないところで、自分の知らない物を楽しんでいる秋光なんて、絶対に居てほしくなかった。
古刀の家の押し入れには、古いゲーム機があった。スーパーファミコン。親が若い頃に遊んでいたものだが、壊れることもなく、かといってもはや大事にされることもなく、子供の玩具と同じように、押し入れに押し込まれていた。そのことを、古刀は親から聞いて知っていた。
使い方は、インターネットで調べればわかった。メンテナンスの方法も書いてある。これならきっと、自分にだって使える。そういう確信を得てからの行動は早かった。
それから数日後、古刀は秋光からゲームを借りた。普段から、ノートや、急用のときにはお金を借りることもあったが、それと同じように秋光に言い出した。別に、ノートやお金が必要だったわけではなく、自分と秋光を、そうやってつなぎとめる方法しか、彼女には思いつかなかった。
その繋がりを一つ増やすつもりで、ゲームを借りた。話題を共有すれば、もうひとつ繋がりが増え、さらに同じものを楽しんだという事実が生まれれば、さらに繋がりが増えるというのが古刀の算段だった。
秋光の家に行き、借りるゲームを選んだ。秋光は、古刀に狩りたいゲームを選ばせながら、さっさと自分のしたいゲームを始めた。古刀と話している時間すら惜しいようだった。古刀には、そういった没頭できる趣味がないから羨ましいと思った。
ソフトなんて、何だって良かった。古刀はタイトルも確認しないで、適当に選んで秋光に「これ、面白い?」と尋ねてみた。
面白い、と秋光は答えた。古刀が何を掴んでいたのかを、確認もしないで。それほどまでに、テレビゲームという趣味は、面白くてしょうがない物なんだろうなと古刀は思う。
借りたソフトを、帰り道で確認する。「あきみつ つぐみ」と彼女の名前が、天面に記されていた。
正面にタイトル。イデアの目? そう書いてあった。どんなゲームなのか、全くわからない。不安と高揚に苛まれる。これが秋光と同じ趣味。でも、これを楽しめなかったらどうすれば良いんだろう。
イデアの目かと思ったら、よく見ればイデアの日だったゲームを、家に持ち帰って古刀は、早速予行練習をした通りに、ゲーム機に突き刺して起動させた。その儀式めいた手順のひとつひとつに、緊張を覚えた。
動く。BGMが鳴り、タイトルが表示される。コンポジット端子の写りは悪かった。ビデオテープなども、こういう画質だったのだろうか。よくこんな物を、昔の人は必死になって眺めていたものだ、と古刀は呆れると同時に、妙なほどに、歴史の一部をつまみ食いしているような気分になった
それからゲームを進める。衝撃的な展開と、気の抜けるような敵、そのノリ。今までに感じたことのない感覚に、古刀は包まれる。
ああ、秋光。これが趣味なんだね。
これが、私を忘れて、人生の片足を突っ込めるほど魅力的な趣味なんだね。
古刀は、ひたすらにイデアの日を進めた。楽しんでいたが、それ以上に彼女にとって、秋光と同じ物を好きでいるという感触が、麻薬のような気持ちの良さに思えた。
内容なんて、言ってしまえばどうでも良い。
興味深さや、爽快感や、シナリオの顛末だとかは、気にはなるけど、根本的にはどうでも良い。
それでも、クリアまで漕ぎ着けた。ネット上の攻略サイトも見た。寝る間も惜しんだ。一週間後には、このゲームの終わりに辿り着いていた。
これで、秋光に並べるんだ。
同じ段階。同じステージ。
大切な友人。
これからもずっと一緒なんだ。間違いない。同じ道を、これからも歩んでいけるんだ。きっと。
スタッフロールを眺めながら、古刀が考えるのはそのことばかりだった。ゲームシナリオに対する感動なんて消し飛んでしまって、彼女の頭の中は、もうバケツにみっちりと詰めたような、秋光への感情でいっぱいだった。
冷静になってみれば、たかが同じゲームをクリアしたくらいで、どうしてそこまで思い込めるのかわかりそうなものだが、今の古刀に、そんな思慮の深さはなかった。
秋光と違って、頭が悪いと自負していることだけはあった。
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