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 朝から私はパソコンを使って、出入りしているRTAコミュニティの人間と、インターネット上の簡素な会話ルームでメッセージのやり取りをしていた。

 私は「おせっかい」という名前でこの中では通っていて、会話の相手は「臨終」というよくわからない名前の人間だった。いや、人間だと証明されたことはないが、この臨終もRTA走者だった。ファミコンのギミックをやっているのを見かけたことがあった。

 ゲームに詳しくて、話していて面白い。私はこの臨終のことを、勝手にカビちゃんだと思い込んでいた。もちろんそんな証拠は一つもないし、性別や年齢だって何も知らない。

 学校に行こうと会話を切り上げると、スマートフォンが鳴る。相手は決まっている。采女だ。案の定、今日も部活に来いという命令だった。従う他はない。

 放課後、嫌に慣れた足取りで部室に行くと、采女がまたイデアの日をやっていた。部長も洗平先輩もまだ来ていない。上級生より早く来るなんて。これでは私が熱心だと思われそうで嫌だった。

 ゲーム画面には、変な冒険家の男が登場している。私は彼のことを、実は主人公の父親ということを知っているが、采女は知っているのだろうか。プレイはしたことがないと言っても、その変な知識量から察するに、暇な時間はずっとゲームのことを調べているのかもしれない。まあ、知らない可能性の方が強いから、私は何も言わないで飲み込んだ。

「古刀さんは?」突然、采女が私に尋ねる。今、ゲームは、ひたすらレベルを上げているところだった。「どうだった?」

「どうも何もないわよ。進展なし。むしろ、私を避けてる気がする」

 私は、律儀に今日も古刀を観察していたが、昨日に比べても様子は何も変わらなかった。むしろ、私と目が合った時には、露骨に視線を逸らせたくらいだった。

「そっちこそ、秋光は?」私は訊き返した。

「こっちも変わらないよ。私を嫌ってるとか、そういうのは無いけど、こんなゲームなんか無かったみたいに、ものすごくいつも通りに振る舞ってて、なんだか欠片も気にして無いみたい」

「まあ、彼女は何も知らないでしょうし……古刀との間に何があったのかは気になるけど、絶対話してくれないでしょうね」

「そうそう、部長が、秋光と古刀のことを知ってるっていう知り合いに当たってくれてるみたいだから、そっちで何か出れば良いけど」

 采女はお菓子を食べた。部長が時々コンビニで買って来るものだった。勝手に食べても良いと部長は普段から言っているらしい。

「ねえ、津倉さんはどうしてRTAを?」

「どういう流れでその質問?」

「気になったから。部長に、その話を聞いた時から」

 答えになってない、と私は唇を噛む。

 この前から、いやそれよりもずっと前からだろう。采女はずっと、私のことが気になっているらしい。

 暇があれば、こうして私のことを訊いてくるっていうのは、鬱陶しいという言葉が最も適切だった。

「大した理由じゃ無いわ。ただ、漫然と、暇潰し目的のみでゲームをやっているのが、虚しくなったから、記録に残ることをしようと思って。別に、それだけよ。他に……趣味みたいなもんも無いし」

「三年前もそうだった?」

「…………」

 答えに窮する。あの頃は、理由だとか目的だとか、虚しさだとかは抱えていなかった気がする。それを、純粋と呼ぶのか馬鹿と呼ぶのかは、人によって分かれるだろう。

「じゃあさ」采女は少しだけ話題を変えた。「今までRTAをどれだけ走ったの?」

「さあ……動画自体は五、六本投稿してるけど、ボツのものも入れたり、チャートを組んだだけのものも入れると二十を超えると思うけど」

 一本一本、ゲームのタイトルを思い出していくと、思い出というよりも、ただ時間を費やして何も得られなかった回数を数えているみたいで、気が滅入った。

 采女にも、そのタイトルを教えてやるが、ゲームに詳しいと采女というわりには、私が走ったゲームの中で、彼女もプレイ済みのタイトルは、せいぜい一部の有名シリーズ作くらいだった。まあ私のチョイスが、世界記録を狙うために、走者が少ないマイナーな物を選んでいるというのが、大きな理由だろう。それで、肝心の世界記録を達成できたことなんて、一度だって無いのだけれど。

「じゃあ、今度一緒に動画でも撮ろうよ」采女が突拍子もなく言う。「単にプレイするだけより、RTAの配信の方が面白いじゃん。喋ってる余裕ないのが問題だけど」

「……やめときなさいよ、私そういうのも向いてないんだから。カビちゃんと違って」

「その人って、そういうのも向いてたの?」

「いや、知らないけど……そんな感じする」

 私が気を抜くと、つい口に出してしまう友達の名前がカビちゃんだった。

 今はどこで何をしているのか、全く知らない。小学校時代に知り合った、私の古い友人だ。そして彼女は、私をこんな道に連れ込んだ張本人だった。本名だってもう忘れてしまって、今はカビちゃんというあだ名だけが、私の中で神格化されているに過ぎなかった。ちなみにあだ名の由来は「星のカービィ」。

「へえ。どんな人? 部員にスカウトして来てよ」

「何処に行ったか知らないって」私は、椅子にもたれながら答えた。「家にめちゃくちゃゲームがあって……ファミコンはもちろんだけど、メガドライブとか、バーチャルボーイとか、3DOとか、プレイディアとか、最近のプレステまで……なんか色々見たことないゲーム機もいっぱいあって……多分、お金持ちだったんだと思う」

 家が広かった思い出もあった。まあ、そんなに彼女の家に頻繁に行ったというわけではないのだけれど、私の家なんかに比べれば、豪邸みたいなもんだ。

 私はそこで、悪い友人からタバコを教えられるのに近い流れで、レトロゲームというものに興味を持たされた。

 それ以前の私は、本当になにもないつまらない人間だった。

「プレイディアかー、珍しいね」采女がついにコントローラーを置いて、私に向き直った。「うちの店にも一機だけ仕入れてるんだけど、ガラスケースに入って、プレミアゲームと一緒に厳重に保管されてるよ。管理は悪いけど」

「そんなとこに飾ってたら、観光客が、物珍しさに見にくるだけよ」

「でもさ、店長なんか、ゲーム機だと思ってないみたいでさ、ガラスケースに入れてあるけど値札もつけないで、邪魔だから置いてるだけみたいな扱いなんだよね」采女が思い出しながら、微笑む。バイトは楽しいらしい。「ねえ、カビちゃんって人、まだゲームをやってるのかな。案外、うちに売ったのが、そのカビちゃんだったりして」

「どうだろ。中学進学か、もしかしたら小学校の途中からいなくなったと思うから、私は知らないわ」私は、言う。「気づいたら、周りにいなかったの。挨拶も、何もなかったわ」

 カビちゃんはきっと、もうゲームなんかからは卒業しているんじゃないかって、頭の何処かで私は考えている。インターネット上でそれらしい人間を見つけて、勝手にカビちゃんだと思いこむのも、そうなっていたら悲しいから、という保身でしか無かった。

 チャイムが鳴った。もう下校をしろ、という意味のものだった。今日は部長も洗平も来なかったが、まあ、そういう日も当然ある、と采女は言う。

「じゃあ帰ろうか」采女はゲームの電源を落として背伸びをした。「あ、津倉さん、そこの鞄取って」

「これ?」私は近くにあったそれらしい鞄を片手で掴んで、采女に投げる。

「あ! ちょっと、丁寧に扱ってよ」采女が、慌てて受け取りながら文句を言った。「この中には、私のお守りが入ってるんだから」

「探偵の便利道具でも入ってるわけ?」そういえば、鞄からは妙な重さを感じた。

「違うよ。ゲームだよ。何より大切なゲーム」

「あんたらしいわ。タイトルは?」

「わからないならいいよ」

 なんて、理不尽なことを言いながら、采女は帰り支度を始めた。

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