7

 里内先輩と別れて、私は家に戻る。

 大した家ではない。一軒家ではあったが、もう古臭くて、きっと大きめの地震がくれば倒壊して私は死んでしまうんだろうと、毎晩寝る前に考えている。

 表を見る限りは、家の中は電気が点いていなかった。まだ母は帰っていない。誰ともあまり顔を合わせたくなかった私は、玄関の扉をこっそりと開けて、素早く中に入った。

 足音を鳴らさないように、二階の自室へ向かおうとすると、最も会いたくない人物に呼び止められた。

「ちょっと。真希、挨拶は?」

 しわがれたその声が、私にストレスを与えた。

 長くもない廊下。階段に片足をかけたまま、私は首を向けないで返事をする。

「ただいま」

「ただいまじゃないわよ」

 彼女は、私の祖母だった。とにかく人に文句を言わなければ気がすまないような、クソみたいな性格をしている。早く死んでほしいと願っているのに、その願いは未だ通じていない。

「最近帰りが遅いようだけど、なにしてるの?」

「部活」そこまでの嘘ではない。

「ゲームばかりしてるあなたが? 部活? そんな話、聞いてないんだけど。なら、ゲームなんか、早く捨てなさいって。それに勉強は? 成績が悪いって聞いてるけど」

「捨てないって」会話したくないので適当にしか答えない。「やってるわよ、勉強」

「やってたら、あんたのお母さんがため息なんかつかないでしょ。それでも、あんたのお母さんもなんにも言わないんだから、こうして言ってあげてるんじゃないの。いい? テストがいつなのか知らないけど、ゲームなんかやってたら、いい点数なんか取れないでしょ。成績が悪くなったらどうするの。先生や、あんたのお母さんに迷惑かけるでしょ」

「はいはい。するから」

「何よその返事。バカにしてる? 年寄りだと思って、高校生のこと、なんにもわかってないって思ってる? バカにされる謂れなんか無いわ。あんたよりちゃんと家のこともやってるんだから。あんたも、家のこと、やったらどうなの。あんたのお母さんも、疲れてるのよ。手伝ってあげたって良いんじゃないの? そういう気持ちは起こらない?」

 いつも、決まったことしか言わない文句。

 それでも、今日はしつこいと思った。このババアの虫の居所が悪いらしい。

 腹立たしい。

 積年のものを思い出す。子供の頃から、私のことを馬鹿だと言って決めつけたこと。私の好きだったぬいぐるみを捨てたこと。私の部屋に、無理やり必要のない勉強机を置いたこと。私の部屋に勝手に入ること。私が頼んでもいないのに、起こしに来ること。自分だけが、洗濯が出来ると思いこんでいること。自分の料理を、私とお母さんが感謝して食べていると思っていること。趣味もクソもないのに、人の楽しみにケチを付けること。口先で適当を言うこと。くだらない言いがかりをつけて、人より有利に立たないと気がすまないこと。

 その全てを、

 今の一瞬で思い出した。

 私の腕は、考えるよりも早く、目の前の老婆を突き飛ばしていた。

 醜いな、倒れ方まで品がないと私は思った。その行動に対する後悔は、私の中には持ち合わせていなかった。

 祖母は倒れ込んで、腰を強打した。

 痛がるよりも先に、私に叫んだ。

「何をする! この不良娘! 言いつけるわ! いい加減にしろこのバカガキ!」

 知るか。

 私は、廊下に倒れ込んだ人間のことなんて、記憶から綺麗に消去して、自分の部屋に戻る。

 よし。私の今日の予定は、RTA動画を撮ることだ。他のことについては、なにも考える必要がない。チャートが完成したんだから、まずは試走をしたいと考えるのは、真っ当な欲求だろう。

 私の部屋。やや古いパソコンが机にある。それとテレビ台に液晶テレビ。いくつかの、古いゲーム機。それぞれを繋ぐコードが、もうどこに突き刺さっているのか、よくわからないことになっている。ベッドは散らかっていて、眠るとき以外は触らない。学校の鞄は、入り口辺りに捨て置いた。その他には、ゲームソフトを入れている棚と、衣類を入れている押入れ以外に、特に何もない。窓から見えるのは、隣の家の窓だけだった。

 そうしてしばらく、私はゲームに没頭していた。部屋の扉の外のことなんて、もう知らない。私の世界はここだけあれば良くて、実生活だとかそんなものは、人生と人生の合間にあるノイズだと思った。

 ずっとそうしていたかったのに、扉がノックされて、私は戻りたくもない現実に引き戻される。

 舌打ちを漏らしながら、私はパソコンに表示している、プレイタイムを計測している時計を止め、ゲーム画面の録画を止め、そしてようやくコントローラーを置いて、自分の部屋の出入り口のドアに向かった。

 顔を見せると、母親だった。

「あんた……おばあちゃんになにやったの?」

「勝手に倒れた」

「嘘をつかないでよ……」母親は頭を抱える。こういうときに味方になってくれないっていうか、不機嫌になるだけで、うまい具合にかばってくれないところが、私は嫌いだった。本当は好きでいたいとは思っているのに、本人の行動が、なんだか解せない。「あんたに突き飛ばされたって言ってるんだけど。やめてよ、あの人からうるさく言われるの、わかってるでしょ」

「知らない」

「いい加減にしてよ。おばあちゃんもう歳だってわかってるでしょ? ほら、謝りに行かないと……」

 母親は、あのババアに言いなりになっているだけ。自我なんて無い。暑いとか寒いとかも、あいつに合わせてエアコンを触っているにすぎないんじゃないかって、思う時がある。

 ひとしきり、私は説教なのか愚痴なのかわからないものを受けた。酷くストレスが溜まった。私が悪いって言うなら、否定はしないけれど、向こうにだって問題があるし、そもそも母親は私が悪いから謝らせようとしているんじゃない。あの老婆の顔色をうかがっているだけだった。

 私は話なんか聞かないで、里内部長のことを思い出した。

 部活動。別に、古刀の件が終わればあの部に関わるつもりはないが、それでもしばらくは部活動に付き合って帰りが遅くなる。母親には、入部したと説明したほうがスムーズだろうか。ゲームばかりしている部活のことを、どう説明するのかは、考えるだけで胃が痛くなってくるような気がした。

 ひょっとすれば、あの部に参加すれば、こんな家でせこせこゲームなんてしなくて良いのかも、と考え至る。

 部長がそこまで見越しているっていうなら、あの女は策士だろう。

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