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 部室に行くと、すでに采女がイデアの日をプレイしていた。

 カセットは当然秋光の物だったが、秋光がいらないと言った以上、所有権は部にあるということらしい。

 里内先輩は、采女の後ろでそのプレイを見ており、洗平先輩はまた部室で勉強をやっていた。

「津倉さん」采女がコントローラーを持ちながら言う。「RPGとか得意でしょ。部長に、RTA動画を作ってるって聞いたけど」

 まったく口の軽い部長だ、と私は呆れる。

「別に、ゲームの動画なんて珍しい趣味じゃないでしょ」

「そうだけど、同級生にいるのが嬉しくて」采女は、そして自慢げに笑う。「私もね、ゲーム配信をやってるから、そういうのには興味があって」

「あんたが?」配信でもこういう探偵ぶったキャラなんだろうかと想像すると、その異常な面白さがじんわりと込み上げて来た。「へえ……人って来るの?」

「いや、あんまり。友達数人ぐらい」

 きっとその友人っていうのも、私が今想像した通りのおかしさを求めに見に行ってるなんてことは、火を見るより明らかというものだった。

 采女は、またそれからゲームに戻った。まだ始めたばかりだった。古刀の名を持つデータなのかはわからないが、あれだって、進度で言えばこれと大差ないからだ。

 しばらく采女は部長と二人でゲームを進めていたが、レベルを上げる段階になって、暇になったのか、私に尋ねて来る。

「ねえ、津倉さん」画面からは目を離さない采女。「津倉さんは、イデアの日をクリアしたことあるんだっけ。自分のを持ってるって言ってたけど」

「え? まあ……そりゃ」私は椅子に座ってぼーっとしていたから、急に話しかけられると面食らった。「やったのは、五年くらい前だったから、あんまり覚えてないけど」

 画面内では、ギャグみたいなモンスターと、ギャグみたいな格好をさせられた主人公たちが戦っていた。システム的なもので言えば、九四年発売のゲームらしいオーソドックスなRPGと言えるが、このゲームの真価は、ギャグのような要素と辛ささえあるシリアスで良質なメインストーリーが同居している点にある、と私は思っていた。この戦闘画面だけを見ていれば、真面目さなんて欠片も感じないゲームだけれど、主人公は冒頭から悲惨な目に遭う。それらが同じゲーム内での出来事だったことは、今でも信じられなくなるくらいだった。

「私、摩訶摩訶はやったんだけど」と采女が言う。「これは、存在は知ってたんだけどあんまり手に入らなくて、プレイ出来てなかったんだよね」

 摩訶摩訶とは語るまでもない、ゲームの歴史に残るような酷いゲームだった。イデアの日とキャラクターデザイン等のスタッフが共通しているが、その完成度は比べるのが失礼なくらい差がある。

「あんたその言い方、今は、じゃあ古刀のこと調べてるんじゃなくて、普通にゲームを楽しんでるってこと?」

「それは違うよ。彼女がどこでこのゲームを辞めたのか調べようと思って」

「何かあるかと思って」部長が口を挟んだ。「私がね、提案したの。真希ちゃんも詳しいと思うから、彼女にも訊いた方が良いわねって」

 あんたの仕業で、私は巻き込まれているのか。

 私は観念して、とりあえず記憶の範囲で攻略方法を教えた。RTA動画を撮ろうと思って、チャートを組んだが、先駆者の動画を見る限り、かなり長そうなのでやめたことまで伝えた。

 その教えた攻略がRTA用だったせいもあるのかもしれないが、采女はそれでも難しいと唸りながらプレイしていた。私は見るに耐えなくなって来た。配信でゲームをやるなら、このくらいの粗いプレイの方が受けるだろうかなんて、配信業界に対して訝ってしまうくらいだった。

 イデアの日が、やや珍妙な難易度を持っているゲームというのも理由にはあるのかもしれないが、私は呆れてしまう。

「あんたってもしかして、RPG、苦手?」

「いやあ、摩訶摩訶も苦労したんだよね」采女は頭を掻く。「普段はノベルゲームばっかりやっててさ、こうやってその場その場で状況判断するの、あんまり慣れてないんだよ」

「まったく、これがカビちゃんなら、こんなことには……」

「……カビちゃん? 誰それ?」

「え? あ、いや、めちゃくちゃゲームの上手かった古い友人だけど……」慌てて、私はスマートフォンで攻略チャートを呼び出した。「うーん、向き不向きって本当にあるのね。もっと噛み砕いた攻略にするわ」

「なんか意外。津倉さんにも、そんな友達っていたんだ」

「まあ……、子供の頃の話よ。つい無意識に名前を出しちゃったわ」カビちゃんを思い出すとノスタルジアに押し潰されそうになるので、私は首を振って切り替えた。「ほら、イデアの日を調べるんでしょ。さっさとやりましょう」

 それから部活動の時間の間は、ずっとイデアの日をプレイしていた。全体から見れば、進み具合は大したことは無かったが、ようやくまともなゲームプレイに対して、采女も部長も嬉しそうな表情を浮かべていた。

 その顔を見ていると、良いことをしたんじゃないかと言う気分が湧いて来る。

 そんな充足感で誤魔化されるほど、私は単純な人間ではないのだけれど。

 最後に古刀のデータを調べてみると、ほとんど進んでいないことがわかった。一番はじめのセーブポイントで記録をしただけの、何の面白みもないデータだった。



 下校中だった。

 田舎だと言い切れるほどでもなく、かと言って都会への憧れを、捨て切れるほど満たされてもいない我が街の、飽きるほど通った帰り道は、もう薄暗いくらいだった。

 私と部長は肩を並べて歩いていた。采女や洗平先輩は、家の方向が学校を出た瞬間から逆方向だった。部長とも、同じ方向というだけで、近所というわけでは無かった。

 夜に差し掛かっている空が、いまだに天気の悪さを露呈していた。暗いっていうのに、曇り空を見て面倒な気分になってしまう。

 景色を見たって、不感症なんじゃないかってくらいに、何も感じない住宅街。

 気がつくと、いつもよりも随分ゆっくりと歩いていた。私が里内先輩の歩調に合わせているのか、二人とも、なんとなくそうなってしまっているのかは、わからなかった。なんだか、誰かと家に帰るっていうのも、久しぶりだった。そんな感傷を抱える程度には、久しぶりに違いはなかった。

「ねえ真希ちゃん」部長が話しかける。さっきまで一方的に九十年代への愛を語っていたのに、仕切り直すみたいだった。「そう言えば、古刀さんのこと調べてくれたのよね」

「まあ、頼まれたことですから……先輩に」采女のためにしている、と思われるのが嫌だったので、ちゃんとそう付け加えた。

 私は古刀を観察して得られたことと、教師から聞いた古刀の話を部長にする。采女に教えたものと、全く同じだった。

「あの日に見た彼女が」聞き終えた部長は、すぐに感想を口にした。「なんだか後ろめたい物を抱えているように見えたけど、なんだか納得がいった。よく怒られたり嫌われたり……でもそんな自分をやめられないっていうか、そういう人に見えるわね」

「あのカセット……一体何なんでしょう」私は理由もなくマンホールを踏まないように歩きながら、そう訊いた。「あの女、何を隠してるんでしょう。隠してるにしても、本人が口を割らないと、わかりっこないですよね。だったら尋問するしか無いと思いますけど」

「そんな、絶対に謎の答えがわからないと、世界が滅びるってわけじゃないんだから、尋問とか拷問は、ちょっとね……」部長は私の言い草が面白かったのか、笑った。「でも、気持ち悪いわよね。ただそれだけのことよ。こういう明らかにならない謎が、ずっと解けないまま月日が経って……それで大人になったときに、不意に思い出したとして、でもその時って絶対手遅れなのよ。気持ち悪さだけが残るの。解決できなかったっていう気持ち悪さが」

「…………」

「そういうのって、なるべく無い方が良いじゃない?」

「そんなもんですかね」

「そういうものよ。人なんて、些細なことをずっと気にして、届かない部分の痒みみたいに感じるのよ。その気持ちの悪さが、一生続くの。シューティングでいうと、どうしても倒せないボスがいて、そいつを倒すパターンが、どれだけやっても見つからないから辞めちゃった。でも、ある時ふと思い出す。あのボスは、どうやって倒すんだろう。試そうにも、ゲームセンターにももう無い。コンシューマーに移植もされていないから、再挑戦も出来ない状態ってこと。今度こそ行けそうな気がするのに、それをスッキリさせる機会がないの。ねえ、地獄だと思わない? そういうのって」

 シューティングに喩えられたほうが意味がわからなかったが、たった年齢がひとつ上だけだっていうのに、変に達観してる女だ、と私は感嘆でも忌避でも尊敬でもない感情を抱く。

「采女が好奇心を向けてるのって、そういう理由なんですか」

「違うわ」語っていたのに、部長はきっぱりと言う。そろそろ、私の家が近いからか、周りを気にしていた。「あの子は、ただ探偵になりたいだけよ。その礎にするのに、こういう謎って、ぴったりだと思わない? 私はそう思ったから、涼香ちゃんを積極的に関わらせているの」

「あいつって、やっぱり探偵なんて本気で目指してるんですか?」

「そうよ」

 じっと、私を見つめる部長。その瞳から、采女の意志を代弁するような熱さを、無理やり浴びせられたような気がした。

「でもあの子って、案外適当な所あるから……ハードボイルドなんて、向いてないと思うんだけど、本人の夢だから、やめろとも言えないでしょ。結構聞き込みとか、そういうのも得意じゃないし、物事を組み立てるっていう推理力はあるみたいだけどね。あ、ところで真希ちゃん、入部は考えてくれた?」

 その流れで言われると、部長は私を、采女の助手か何かにしたいと思っているんじゃないかと勘ぐってしまう。入部自体にもさほど興味はないが、あいつの助手なんて、なんだか気乗りしない話だ。名探偵だって言うんなら、自分で全部なんとかしろよ、と本人に言ってやった方が、本人のためになるのかもしれない。

「……まだ保留で」

「そう……」残念ね、と部長は呟く。「でもね、私は確信してるの」

「私が入ることをですか?」めでたい女だ、と私は心の中で言う。

「いえ。涼香ちゃんが、名探偵になることをよ」

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