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 朝一番から采女は「今日はアルバイトがあるから」と前置きをして、私にあのソフトの調査を全て押し付けたので、私は登校から憂鬱さに苛まれていた。

 それにしても、采女みたいなのがアルバイトをしていることは意外だった。どこでアルバイトをしているのかと聞くと、近くのゲームショップだという。そう明かされてしまえば、意外でもなんでもなかったし、適所だとも感じた。ガラスケースにはギミック(ファミコン、プレミアゲーム)とかエリミネートダウン(メガドライブ プレミアゲーム)とかプレイディア(マイナーゲーム機)とか飾ってあるから見においでよと言われたが、私は断った。理由は、面倒なので、メールには書かなかった。

 どうすればいいんだと、私は悩みながら、黙ってその日の授業を受けた。まだ五月ということもあって、二年に上がったばかりのクラスメイト連中は、未だ慣れないメンバーに対してギクシャクしているような居心地の悪さを覚えているのか、一年の頃に比べると静かで空気が重たかった。

 授業中は暇で、私は今度やるRTA動画のためのチャートをノートにまとめていた。成績なんて、そしてテストなんて、授業なんてどうでも良かった。私にとってずっと大切なのは、このチャートの方だった。

 思案していると、聞き覚えのある名前が耳に響いてくる。

「じゃあ、これは、古刀に答えてもらおうか」

「ああ、はい……」

 教師と生徒の、ごく一般的なやり取り。

 けれど、つい昨日、その名前が別の意味を持って、私の中に刻まれていたことを、忘れたわけではなかった。

 古刀。イデアの日にセーブデータが残っていた「ことう」。まさか、同じクラスのこの女なんじゃないだろうか。珍しい名字だし、何も知らない人が人名として主人公に適当につけるような名前でもないだろう。

 私は、顔を上げる。

 古刀。下の名前は忘れたが、この女のことは、前からその存在を知らないというわけではなかった。里内先輩のような有名人、というわけではない。ただ少し、ガサツというか、落ち着きがなく、暗くて、ずっと迷惑そうな表情を浮かべている、かなりネガティブな女だったから、周囲からは孤立していた。私は好きで独りでいるのだから、私とは違う意味での孤立だ。

 髪型は、やや適当で長めのボブカット。なんだか、私にも近い髪型だが、美容院が同じなんだろうか。その他に、古刀を表す特徴は見当たらない。

 放課後になると、私は真っ先に古刀に話しかけた。古刀の方も、学校のことなんて、まるで無かったかのように、急いで家に帰ろうという勢いだったから、止めるのに苦労した。

 私に話しかけられると、椅子に座ったままの古刀は、隠そうともしないで眉をひそめた。

「…………なに? 津倉さん」古刀は舌打ちすらも漏らす。視線を私から逸らせて、廊下を見た。「話しかけないでよ……」

「なによ、その態度」私は、机に右の手のひらをピッタリとつけた。「ねえ、話があるんだけど。カツアゲとかじゃないから安心しなさい」

「……嫌だよ。安心できない」

「里内先輩が、あんたに会いたがってる。これで断れる?」

 部長の名前を出すと同時に、古刀は便意を催したような顔を浮かべてから、こくりと頷いた。

 じゃあ行きましょう、と私は古刀を、部室まで手を引っ張って連れて行った。昨日も通った道だ。部室棟へは、そう遠くない。

 そして部室。既に部員は揃っていて、古刀を四人で取り囲むという構図に、図らずともなった。古刀は、椅子に座らされて小さくなって、その正面には部長、左右に采女、洗平先輩、そして背後には私。机の上には、例のイデアの日が、今度は立てて置いてあった。モノリスみたいだった。

 采女は、私以外の同級生が部室に現れて、少し嬉しそうにしていた。というか、アルバイトがあるんじゃないのか。どうして部活にいるのか、後で問いただしたくなった。

 部長はにこりと笑って、イデアの日を目で示しながら、古刀に質問をした。

「古刀……佳子よしこさんだったっけ?」

「はい……。覚えていて、くれたんですか」古刀は、それでも部長の目を見ないで返事をした。イデアの日からも、意識を逸らせているように見える。今、古刀は寄る辺をなくしたように、洗平先輩の方を見ていた。

「中学時代のテスト期間前に、図書室で一緒に勉強をしたわね。そんなことが、二週間ほどあったわよね。テストはどうだったの? って、訊くまでもないか。こうやって高校に入学できてるわけだし」

「はい、おかげさまで」古刀はつぶやくように言う。背中を叩いてやろうかとも思った。「あの……何の用ですか」

「このゲームソフトだけど」部長は、真顔になる。「私に渡したの、あなただっけ?」

 古刀は、何も言わなくなった。沈黙こそがその答えだと言えたが、しばらくしてから古刀の口から出てきた言葉は、想像とは少し違った。

「いえ……知りません。なんですか、この……物体」

「……スーパーファミコンっていう古いゲーム機のカセット。つまり、ゲームよ。知ってる?」

「知りません……」

 明らかに嘘をついている。そのことは、なんとなく私にもわかるのだけれど、証拠もなく証明もできない。

「この中に」采女が割って入る。「『ことう』って名前のデータがあったんだけど、あなただよね? 他に、そんな名前の人、他にいないと思うんだけど」

「知らないって……誰かが、勝手に私の名前を使ったんじゃないの……?」古刀が憤りを見せる。「そんなこと訊いて、どうするんだよ……」

「カセットの上部を見て」采女が指示した。「そこの名前、見覚えない?」

「ない……」

「秋光さんは知ってる?」

「知らない……」

「私に」部長が言う。「このゲームを、秋光さんに返すように私に頼んだのは、あなただったんじゃない? 私も、さっきまで……っていうか、いろいろあったから、三年間忘れてたから、あまり強くは言えないけれど……でも、あなただったって、はっきりと思い出したわ」

「…………そんなこと、覚えてませんよ。私は地味な女だから、誰かと見間違えてるんです。だから、三年も忘れていたんです。とにかく、私は知りません」

「じゃあ……」采女が名前を見せるように、カセットを手に持った。「この筆跡に見覚えはない? 秋光さん、この名前は自分が書いたもんじゃないって言って、それから何も言ってくれないんだよね」

「…………知らない。見覚えない。気の所為じゃないの」

 古刀はそれから、何を尋ねても口を効かなくなった。

 私達としても、古刀が本当に何も知らないということに対して、何か突っ込んだり掘り返したり出来るほど、彼女たちを理解しているわけではなかった。

 この日は古刀を開放し、古刀を欠いた部室で、私達は途方に暮れた。

「やっかいねえ……」と部長が呟く。

 古刀が実在していると知ったときは、胸が躍ったものだが、何も成果が得られないと、私としても気が滅入ってくるのは否定できなかった。

 采女が時計を見て、アルバイトに行く、と言うので、私もそれに便乗して部室を後にした。

 遅刻しそうだというのに、采女は決して走ったりはしなかったので、私は途中でさっさと独りで帰路についた。

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