第046話 払い過ぎな前払い

イルカショーが始まった。

だけど、俺の頭には何も入って来ない。

さっきの光景が何回も頭の中でフラッシュバックする。

観客の声もただの雑音でしか無い。

今は隣にいる彼女のことで頭が一杯だ。


「はーい!じゃあー!今日来られているお客様の中でイルカと遊んでみたい人いますかー!」

「はいはいー!」


色々な子供が手を挙げる中、負けじと莉里りりも手を挙げる。

冷やかしで手を挙げているというよりは真剣にイルカと戯れたいというのが伝わってくる。

莉里らしいと思って、少し笑ってしまった。


「じゃあ、1番前の列の帽子を被った男の子!前へどうぞー!お母様、ご一緒に前へ」


結局、指名されたのは小さなお子様だった。

見た目からして4〜5歳くらいか。

子供には目一杯楽しんでもらいたいので、あの子が当てられて良かった。

まぁ、横のギャルは残念そうに肩を落としているけど。


「残念だったね」

「良いの良いの。指名してもらえるまで何回だって来てやるんだから。だから、二郎じろう。それまでは何回だって付き合ってもらうからね」

「出来れば早めに終わって欲しいな」

「あ〜、嫌とは言わないんだ」


ニヤニヤとしながら俺の方を見つめる。

困った反応をしているのを見るのが好きなのかも知れない。


イルカショーはその後も小さなお子様をメインに触合いの時間が設けられた。

実際に俺達が触れた訳では無いけど、子供達が嬉しいそうにしているのを見ると心が温まり癒される。


「今からイルカと写真撮影出来るって!早く列に並ぼうよ!」


観覧した人はショーが終わった後に写真撮影が出来る。

大半はお子様連れの家族が並び、長蛇の列になるので他の人は写真を撮らない。

だけど、俺達は待ち時間も嫌いでは無いので早めに並んだ。

10分もしないぐらいで俺達の番が回って来る。


遠くから眺めていたイルカも可愛かったけれど、この距離で見るのも中々に可愛い。

自分で育てられる様な生き物ではないからこそ、こう言う特別な機会に出会えるレア感もある。


写真を撮るスタッフの方に案の定カップルだと間違われながらも写真を撮る。

ここの写真撮影で驚いたのは現像の早さだ。

撮り終わった人用の列に並んで3分もしないうちに現像された写真が手渡された。

写真の縁が水族館仕様で海の生き物達が散りばめられていて可愛いな。


「可愛い!!!これ絶対家に飾っとこう!」

「確かに可愛いよな」

「えっ!?それはアタシに?それともイルカに?」


片方だけを答えても失礼な気がして、どっちもと答えそうになるが、それはそれで気持ち悪いのではないかという葛藤が生まれて返事に困る。


「ど、っちも?」

「何で疑問形なの!まぁ、でも可愛いって言ってくれたし、進歩なのかな?」


許して欲しい。

俺の歩みが遅いのは、そこがまだ俺の知らない世界だから。

独身のままこちらの世界へ来てしまった俺は恋を知らない。

だから、1歩を踏み込むのが他人よりもゆっくりで、それが彼女を傷付ける事もあるだろう。


最後にお土産コーナーへ立ち寄った。

思い出の形を残せる様にお菓子からぬいぐるみまで多種多様に取り扱っている。


「どれが良い?あ、これとかどうかな?」


見せて来たのはチョウチンアンコウのキーホルダー。

見た目はお世辞にも可愛いとは思えない。

口をあんぐりと開けたその姿は正直に言うと気味が悪い。


「それは微妙じゃないかな?」

「あはは!アタシもそう思った!」


これは違ったんかい。

危ねぇー。

ここで何も考えずに肯定していたら、変な空気になっていたかも知れない。

どこに罠が設置されているか分からないな。


「これとかどうかな?」


俺が手に取ったのはイルカのミニパペット。

さっきまで見ていたと言うのもあるし、無難に可愛いと思う。


「えっ!?めっちゃ可愛い!二郎、センスあるね!」

「センスがあるかは分からないけど、良いなと思って」

「じゃあさ、これお揃いで買おうよ!」


値段も学生でも手が付けやすいお手頃価格になっているので買うことにした。

他にはお菓子などをお土産に買って、水族館を後にする。


「楽しかったね〜」

「普段はこういう場所に来れないから、特別な感じがして良いね」

「クラゲとかも幻想的だったし、ペンギンも可愛かった!おかげで写真が今日だけでも50枚は増えた!」


俺は写真を撮る派では無いけど、気持ちは十分に理解出来る。

何回も見返す訳では無いけれど、ふとした何でもない日に思い返すのが良いと思う。

俺は撮らないけど。


「最後に行きたい場所、行っても良い?」

「今更許可も要らないよ。今日はとことん楽しもうよ」

「ありがとう!」


どこへ連れて行かれるのだろうと思いながらも付いて行った。

最後と言っていたけど、どうしても行きたかった場所なのだろうか?


ゴールデンウィークでいつもより人が多い道を歩いていると、思っていた以上に早く目的地へ辿り着いたみたいだ。


「本屋?」

「そう!本屋!」


何を買いに来たのか分からないけど、とりあえず店の中へ。

莉里は足を止める事なく目的の場所へ一直線に進んでいく。


「これこれ!これが欲しかったんだよね!」


手に取ったのは小学生でも分かる野球ルールブック。

そういえば、莉里は野球のルールは詳しくないらしい。


「マネージャーすることにしたから勉強するのか?」

「そうなんだよ!野球ってルール分かった方がより面白いでしょ?それにマネージャーなんだから、基本的なルールくらいは分かっておきたいし」


根が真面目なのが伝わって来る。


「あともう1冊買いたいのがあるんだよね」


何が欲しいのだろうか。

勉強の為の本とかでは明らかに無さそうだし、漫画も普段から読んでいるタイプには見えない。

だとすると残されているのはファッション雑誌とかだろうか。

今は読者モデルはやめてしまったらしいけど、本当はやりたい気持ちがあるのかも知れない。


「どれにしようかなー!」


どうやらファッション雑誌を探していた訳では無さそうだ。

莉里が手に取ったのは料理本。

オシャレなお弁当の作り方が載っている本と、お手軽だけど美味しいお弁当が載っている本の2つを持っている。


「どっちが良い?」

「自分で食べたいのが載っている方が良いんじゃないかな?」

「分かってる癖にー。二郎に作るやつを選んでるの」

「お、俺に?」


手作りの弁当を食べる機会がまた訪れるかも知れない。

そんな嬉しい話があって良いのだろうか。

俺は両方に軽く目を通した後、後者を選んだ。


「今日はそろそろ解散だねー。ありがとう!めっちゃ楽しかった!」

「俺が何かしてあげられた訳じゃないけどね」


本屋を出ると目的地も無いままとりあえず歩いた。


「いやいや、アタシにとっては二郎がいること自体に意味があるんだから」


目を見て真っ直ぐに伝える。

嬉しい反面、恥ずかしい。

俺は彼女の想いにどうやって向き合えば良いのか。

それはまだ分からないけど、これから考えていこう。

そうやって人は成長していくのだから。


「今日のお礼は、水族館のキスで前払いしておいたから大事に思い出として残しておいてね!それじゃあ、また明日!」


最後は俺に顔を見せる事なく走り去ってしまった。

言われなくても今日あった事を何度も思い出すことになるだろう。

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