第042話 変わらないものを変えたくて

莉里りりが作ってくれたハチミツレモンを食べてテンションの上がった俺は、この後の地獄を知らなかった。


糸式いとしき先輩の下へ向かうといつの間にか人が増えている。

獅子頭ししがしら先輩と駒場こまばに、竜田たつたまでいるようだ。

揃いも揃って何事だと思ったら、糸式先輩が俺の存在に気付いたらしい。

あの人、どこにでも目が付いてるのではないだろうか。


それにしても見るからに、気が立っているな。

バレたとは言え、このままあっちへ向かえば怒られるのは確定だ。

目を逸らして、気付かなかった振りをしよう。

そうすれば1%の確率で、この理不尽なイベントを回避出来るはず。


「シカトか?良い度胸してんじゃねーか。俺はただでさえ、面倒事に巻き込まれそうでイラついてんだぞ!」

「知らない知らないですから!そもそも、イラついてなかったとしても俺にキレてるじゃないですか!頭、頭割れる!」


この先輩、平気で人の頭にアイアンクローをかまして来た。

人に暴力を振るうことに躊躇いとか無いのか?

コンプライアンスに反しているから、バイオレンスな表現の方でR指定のゲームになるでしょうが。

絶対この人に姉さん紹介するのやめとこ。


「さて、戯れはここまでにしてと」

「どこの村出身だとこれが戯れになるんですか?」

「もう1回喰らわせてやろうか?」

「いえ、何でもありません」


冗談だったとしても遠慮したい。

ギリギリ耐えられそうな力加減なのが1番嫌なんだよ。

こんな何の糧にもならない力加減が出来るなんて、常習犯以外の何者でも無いだろ。


「僕がみんなに頼み事があって、相談に来たんだ」


後藤先輩の次は、獅子頭先輩も悩み事か。

最近は2年生と交流する機会も増えて来たが、悩んでいる人が多い。

糸式先輩も少しくらい苦悩してくれた方が良いのに。


「その、僕、人と話すのが得意じゃなくてね。特に女子は全然ダメで。マネージャーとも普通には話せないんだ。このままだと部活や私生活で支障が出そうだから治したくて」

「それで?そこのおまけ2人はなんだ?」


おまけ2人というのは駒場と竜田のことだろう。


「彼等は偶々練習している所を見掛けて、克服の第一歩として声を掛けてみたんだ」

「あれは声掛けたというか・・・」

「独り言だと思いました。マウンドでは強いんですから、もっと自信持ってください獅子頭先輩!」


駒場の言う通りだ。

彼が人と話すのが苦手な理由は自信の無さだろう。

だけど、彼は誇れる物がある。

だから、胸を張って堂々としていれば良い。

きっとそれは本人も分かっているだろう。

頭で分かっていても行動に移せない事は幾つもある。

彼とってはその1つなのかも知れない。


どうすれば改善出来るか考えたけど、一向に答えは出てこない。

常に球を持たせて興奮状態にさせる方法も思い付いたがやめておこう。

あの状態を使い過ぎた結果、試合中に効果を発揮しなくなったら困る。


「ったく、しょうがねー。ちょっと待ってろ」


何かを思い付いた様子の糸式先輩。

俺達にも何を始めるか教えず、1人でどこかへ行ってしまった。

獅子頭先輩が困惑していて可哀想だった。

いくら先輩と言えど、あまり話した事のない1年と一緒に待機させられるとは。

内心では早く帰って来てくれと思っているのが伝わってくる。


「獅子頭先輩って投げてる時の記憶はあるんですか?」


間を繋ぐ為に竜田が質問を投げ掛ける。

これがちょっとしたきっかけとなって、会話が弾めば良いという気遣いだ。


「・・・ある。だから、すごい困る。試合後には毎回自己嫌悪に陥るから」


短文を途切れ途切れに話す。

それが今の獅子頭先輩の限界。

でも、スタートラインが分かるだけでも十分だ。


しかし、記憶はやっぱりあったのか。

無いのも不安になるが、あったらあったで辛い。


「でも、いつからなんですか?生まれた頃からこれって訳では無いと思うんですけど」

「ごめん、それは答えられないかな」

「あぁー、全然大丈夫ですよ。俺も失礼な質問をしてしまいました」


駒場も後に続いて質問してみたが、失敗に終わってしまった。

こればかりは仕方ない。

獅子頭先輩もダイヤモンドベースボールの中では屈指の過去が暗いキャラだ。

抱えている傷の深さはフィクションの世界だからこそ設定出来たものであり、いざその世界に入り込むと残酷という言葉では済まない。


駒場の質問が断られると空気は重くなる。

迂闊には質問出来なくなったからな。

もっとライトな質問をすれば良いのは分かっているが、きっと興味がないのはバレバレだろう。


早く糸式先輩が戻って来る事をみんなで祈る。

普段は恐ろしい先輩だけど、今回ばかりは彼がいないと間がもたない。


「待たせたな。連れて来たぞ」


待ちに待った糸式先輩。

その後ろにはマネージャー達が5人もいた。

西谷にしたに、莉里、青屋あおやは勿論の事、3年の百地ももち鈴乃すずの先輩、俺の姉である大杉おおすぎ真奈まなもいる。

普段は学校などで話さないようにしているので、ここで会うのは少し気まずい。

別に喧嘩している訳では無いから良いけど。


それにしても女子マネを全員集合させたとなると、今から荒療治が始まるのは目に見えている。

獅子頭先輩とマネージャーを直接会話させる事で、解決しようとしているらしい。

でも、それが上手くいくとは思えない。


俺が何か完璧な解答を持っている訳でも無いので、大人しく手伝うしかないけど。


「で?何を始めるんですか?」

「そんなの決まってんだろ。女子と会話させる」

「いや、それは見れば分かりますけど、それにどんな効果が?」

おもいのコミュニケーション能力が上がれば、人と接する機会も増える。人と接する機会が増えれば、緊張する事も少なくなる」


うーん、なんか理由が甘い気もするが、とりあえず見てみるか。

最悪、何も起こらなかったとしても提案者である糸式先輩のミスだ。

きっと責任を取って、他の案を考えてくれるだろう。

勿論、その時は俺も一緒になって考える。


「さて、最初に喋る人は?」


マネージャー陣は周りを見て譲り合う。

何を話したら良いのかも分からないのだから当然だ。

加えて、人が見ているこの状況では余計に気を遣う。


「も、もうやめようよつむぐくん。マネージャーさん達も困ってるから」

「待って、私から行くわ」


挙手したのは姉である真奈だった。

同学年であるという事もあっただろうけど、1番は諦めようとしていた獅子頭先輩を見て許せなかったのだろう。

彼女はそういう性格をしている。


春休みに俺が野球をするのかと聞いた事があった。

あれも途中で諦めると思っていたから、それならば最初から挑戦させない為に敢えて嫌な物言いをしたのだ。


そして今、獅子頭先輩が変わりたいと願った。

それならば、1度決めた事を曲げるのは許さない。


「まぁ、同じクラスだし、気軽に話そうよ」


初めは優しく話し掛ける姉。

しかし、獅子頭先輩は緊張のあまり言葉が出ていない。

これは大分長い道のりになりそうだ。

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