第036話 1度覚えたら忘れない

練習試合が終わった次の日であっても普通に授業はある。

後3回学校へ来ればゴールデンウィークだけど、その3回が長い。

今は、肉体的にも精神的にも重い足をなんとか動かして登校していた。


環成東たまなりひがしはゴールデンウィークであっても大体の部活動が活動している為、常に学校は開いている。

俺達野球部もオフの日は2日しかないので、あまり普段と変わらないだろう。


だけど、俺にとっては悪い話では無い。

練習はすればする程、糧になる。

そして、俺は他の人と違ってその成長を視認出来る。

これは大きなアドバンテージだ。

モチベーションは勿論の事、計画的な育成に勤しむ事が出来るからな。


「おっはよー!ねね、昨日の試合どうだった?」


朝から元気な挨拶をしてくるのは小鳥遊たかなしだった。

小鳥遊は陸上部なので勿論昨日の試合を見てはいない。

だから、俺が活躍したなんて言ったら驚くのでは無いだろうか。

いや、どちらかと言えば、駒場こまばの活躍の方が気になっているかもな。


「結果は10対1で俺達の圧勝だよ。それに俺も登板の機会があったし、大満足かな」

「おぉー!どのくらい投げたの?」

「5回投げて、無失点。これはかなり好成績だよ」


少し自慢げに話してみせる。

小鳥遊にどれだけ凄さが伝わっているか分からないが、俺の表情を見ればある程度察してくれるはずだ。


「これはアタシも負けてられないね。練習頑張らないと!」


グッと握り拳を胸の前に作り、気合いを入れた小鳥遊。

今も頑張っているはずなのに、これ以上頑張ったらそれこそ全国なんて夢では無いだろうな。

そんな話も程々にそれぞれの教室へと分かれた。


教室の中へ入ると青屋以外知った顔はいなかった。

練習試合の次の日は疲れが出るのは当たり前だが、頼むから遅刻だけはしないで欲しい。

この学校が部活に力を入れている分、教師達も生徒をクラスでは無く部活単位で認識している。

野球部が問題を起こせば、活動の幅が狭まるのは言うまでも無い。


5月には強化合宿なども特別に用意されているけれど、あれも学校側が配慮して授業のスケジュールを調整してくれている。

もしも、評判を下げるような事があれば、問答無用で強化合宿は中止だろうな。

そうなれば、あのイベントは発生しない。

となると俺の最強化計画は全て水の泡だ。


「おはようございます大杉おおすぎさん」

「おはよう青屋。他の奴らはまだ来てないみたいだね」

「そうなんですよ。失礼ながら御手洗みたらいくんなら遅刻はあり得そうかなって思うんですけど、竜田たつたくんや橋渡はしわたりくんまで遅刻しそうなんて珍しいですよね」


青屋の言う通りだ。

野球部の3人共遅刻しそうなのは珍しい。

今日は朝練が無かったので、俺だけが間違ったスケジュールで動いている訳でもない。

そこへ欠伸をしながら登場したのは、D組野球部三人衆では無く、1年生マネージャーの小城こじょうだった。


「おっはよー!青屋ちゃん、二郎じろう!」

「おはようございます!」

「おはよう。そうだ、小城。3人見なかったか?」

「あぁ、アイツらなら、そろそろ来るんじゃない?」


その予言は見事に的中する事となる。

ドタバタと廊下を走る3人。

その慌て様は珍しかった。

何があったのか事情を聞こうと思ったが、それよりも先に3人が答える。


「あ、明日!転校生が来るってよ!」


俺はピンと来なかった。

転校生ってこんなタイミングで来るものではないだろ。

もっと、中盤から終盤に掛けて、諦め始めの対策としてテコ入れされるものだ。

こんな序盤も序盤ではあり得ない。

そもそも現実性もない。


知らないイベントに戸惑いながらも、彼等が言葉を続けるのを待った。


「しかも、しかも!その子、野球をやってるっぽいんだよね!先生達が職員室で話をしてるのを聞いたんだ!」


教室へ来るのが遅かったのはそれが原因か。

確かに生徒にとっては気になる話題の1つだ。

ギリギリまで情報を聞こうとしていたのも頷ける。


それにしても野球をしている奴なのか。

もしも、有名なキャラがイレギュラーで転校する事になったのであれば、より甲子園出場は固い物となるだろう。


ただ、優秀な投手であれば話は別だ。

俺、駒場、糸式いとしき先輩、獅子頭ししがしら先輩。

優秀な投手が多い中で削られるとしたら。

考えるだけで恐ろしい。


「何騒いでんだお前らー!席付け!」


話しているタイミングで担任が登場。

怒り出す前に席に着く。

話は切り上げてしまったが、後で詳しく聞きたい所だ。


昼になると彼等に聞きたい事も多いが、とりあえず飲み物を買いに自販機へ。

自販機からの帰り道、1人の少女がスーツ姿の女性と一緒に歩いていた。

見た事の無い制服だ。

脳裏に転校生というワードが過ぎるけれど、アイツらの情報とは当てはまらない。

何か別の用事があって来ただけだろう。


通り過ぎる瞬間に、チラッと見えた顔に見覚えがある。

あれは確か・・・


「・・・宇佐美うさみ凛子りんこ


しまった。

つい、口から言葉が漏れた。

忘れるはずの無い顔だったから思わず。


「今、何とおっしゃいましたか?」


スーツを着た女性が俺に詰め寄る。

これは流石の俺でもビビる。


「いやー、何も」


口を尖らせて吹かない口笛を鳴らして誤魔化す。

しかし、相手はそれに乗ってはくれないようだ。


「ふん、私を知ってる奴なんて多いわよ」

「しかしですね。あくまでも目立たない様に学園生活を送る為にこの学園をですね」

「どうせ変わらないわ。また、ドラマ撮影が忙しくなれば、この学校にも在籍しているだけなんだから。それよりも転校は今回で終わりにしなさい。手続きの方が大変よ」


野球をやってたというのも強ち嘘では無い様だ。

だけど、それは映画の役で野球をしただけ。

本人は野球のやの字だって知りはしないだろ。


宇佐美凛子は巷で一世を風靡している女優だ。

本編では、駒場のデートで見た映画や堀枝ほりえだの一推しの女優として何回か登場する。

しかし、こうやって本人が登場するなんて事は1度も無かったはず。


「そうだ、忘れてた。そこの貴方、今あったことは全て忘れなさい。変に転校の噂が流れても面倒だから」


時既に遅しとはまさにこの事。

今も教室ではどんな奴が転校してくるかの話で持ち切りだろう。 

それにしても、彼女の言い方も厳しいものがあるな。

登場機会が映像だけの彼女についての情報は少ない。

だから、プレイヤーの脳で勝手に補完されていた。


「何ぼーっとしてんのよ。気持ち悪い」


俺もこんな性格だと知っていたら、可愛い女優だとは思わなかった。   

てか、そもそも顔を覚えようとも思わなかったはずだ。


「次のドラマの主演が決まらなかったからって、俺に当たって来られても」


少しムカついた俺は皮肉を言ってやった。

堀枝が確かそんな事を嘆いていたはず。

業界の人もこんな性格の奴を使いたくは無いのだろう。


「・・・貴方の顔、覚えたから」


それだけ言い残して去っていった。

この言葉の意味が良い意味でない事くらいは俺にでも分かった。

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