第006話 春の始まり 前編

あの後で連絡先を交換した堀枝ほりえだを何度も練習に呼び出した。

今では、環成東たまなりひがしの2年生投手陣と良い勝負が出来るレベルまでに仕上がっている。

本人は全く持ってその自覚が無いようだけど、今は練習に参加してくれるだけで良い。


春休み最終日まで練習をしている俺も、前にステータスを確認した時と比べる現在のステータスは格段に上がっていた。


球速・97キロ→115キロ

制球・21→25

持久・20→30

変化球・NEW フォーク 1 (10段階)


これでも駒場に勝てるかと言われたら怪しいけどな。

しかし、ここから残り1日で球速を磨くとしても焼石に水。

なら、変化球はどうだろうかと思うかも知れない。

確かに変化球としてフォークは覚えたが、切れ味が無いし変化量も微々たるものだ。

だから、フォークを極めるという手もあるがどうしても時間が足りない。

それにフォークは球速が早い方が奪三振率は高い。

ならば、最後の日にする事は変化球を新たに覚える事ぐらいだろう。


候補はいくつかある。

パームやチェンジアップ等の遅い球。

変化量が少なくても相手が打ち損ねる事でアウトを取りやすくするカットボールやツーシーム。


だけど、俺が選ぶのはナックルだ。

ナックルボールこそ、変化量が無いとただの遅い球だけど、今から本気で1日取り組めば3段階まで習得する事が可能だと思う。

あくまでも可能だろうという段階だけど。

本人の球速の遅い、早いに左右されない決め球なのでどうしても覚えたい。


今日の目標が決まれば、早速練習へ向かおう。

ナックルを覚える為にはとにかく時間が必要だ。


玄関でいつもの様にシューズを履き、道具を背負って出掛けようとする。

すると、俺の姉の大杉おおすぎ真奈まなが後ろから声を掛けて来た。

普段は家にこそ一緒にいるが、俺が動揺して話をしない事が多い。

だから、まさか声を掛けられるなんて思わなかった。


二郎じろう、本当に野球部へ入部するつもりなの?最近、ずっと練習しているみたいだけど。」

「えっ?あぁ・・・そうだよ、姉さん。俺は甲子園でマウンドに立つんだ。」

「私が姉だからこそ忠告するわ。野球は止めなさい。」


何を言い出すと思ったらそんな事か。

真奈は野球部のマネージャーとして一年間先輩達の姿を見て来た。

だから、その雲泥の差に無理だと悟ったのだろう。


「いつの俺を見て、そんな事を言い出したのか知らないけど、俺は成長しているよ。」


それも1歩2歩なんてゆっくりとした歩みでは無い。

階段を一段飛ばしで駆け上がる様に早い成長だと自負している。


「あのね、環成東のスタメンに入るのさえ難しいのよ?それなのに甲子園のマウンドなんて無理よ。大体、今のエース投手ピッチャーが誰か知ってるの?」


俺が知らないはずない。

印象に残っている可哀想なキャラである。


藤森ふじもり白也はくやさんだろ。プロ注目の3年生。多彩な変化球を主軸とした投球で多くの打者バッターを惑わす。」

「え、えぇ、そうよ。分かっているなら尚更諦めてた方が。」

「姉さん。俺は相手が誰であろうと譲りたく無いんだよ。それに藤森さんは今肩を痛めている。直に限界が来て投げれなくなる。」


彼の悲劇はそれだ。

2年の後半から掴み取ったエースとしての座。

しかし、3年目にして直ぐに肩に爆弾を持つ事になった。

医者曰く、連投と無理な練習が負担になっていたと言っていた様だが実際は違う。


主人公との入れ替えをする為に適当な理由を差し込んだだけ。

制作者としては1年目から駒場をマウンドに立たせないとゲームとして成り立たない。

だから、怪我という理由でフェードアウトさせたのだ。


「藤森さんが肩を痛める?それどこで聞いたのよ。嘘でもそんなこと言ったらダメでしょ。」

「嘘じゃないよ。俺は本気で甲子園目指しているから練習に行くね。」


これだけ言って家を後にした。

もっと俺から聞きたい事はあったかも知れない。

それでも、俺は練習する時間の方が大事だ。

入学してすぐにあのイベントが発生する。

その前にアウトを取れる様な投手にならなければ。


公園に着くと先客がいたみたいだ。

いつもの様に熱心な姿で練習をしている涼花すずか

声を掛けるか迷ったけど、敢えて練習の邪魔をする必要も無いと思い、公園の端で俺も準備を進めた。


「おーい!二郎!来てたなら声掛けてよ!」


意外にも涼花の方から近寄って来る。

まさか、声を掛けてくれるとは思ってもいなかったので、反応がしどろもどろに。


「何でそんなに動揺してるの。春休みの間に結構会ったじゃん。」

「それは・・・」


一瞬、可愛い子と喋ると緊張するんだと伝え様と思ったが、俺の口からそんな事を言うと気持ち悪いと思い、別の言葉に置き換える。


「普段は女子と喋る機会が無いからな。」

「へぇー、アタシのこと女として見てんだー。いやらしー。」


どうやら、どう答えたとして失敗の様だ。

恥ずかしいので、このまま道具をまとめて帰ってしまいたい気分になる。


「冗談だよー。今日はさ、春休み最終日だから練習にも気合い入るよね。」

「本当だな。俺も結構成長して来たけど、駒場には遠く及ばない。」

「すごいでしょ!隼人は結構強いからね!」


まるで自分が褒められた様に嬉しがる涼花。

これは悔しいな。

目の前で仲良くなった女の子が他の男の話で盛り上がるとは。

それもゲームのストーリーとして設定された情報なので仕方ないのだけど。

しかし、あの男がモテモテの人生を歩むのだと思うとやはり腹立たしい。


「明日から学校始まっちゃうのかー。」


少し嫌そうな顔をしている彼女の横顔。

理由は知っているが、そこで言い当ててしまうのも気味が悪い。

ここは敢えて知らない振りをして、質問を投げる。


「学校始まるのが嫌なの?部活の為にかなり練習していたみたいだけど。」

「練習していたのは部活で良い記録を残したいのが半分。」

「じゃあ、もう半分は?」

「もう半分は理由なんて無いの。走るしかない。アタシに出来る事はそれ以外ないから、何も考えずに走るしかない。」

「小鳥遊は何も無い訳じゃないと思う。知らないだけなんだよ。」


彼女はきっと知らない。


「どう言う意味?」

「世界は思っている以上に広くてさ、探し回れば何十何百万人もの味方がいるんだよ。それで、みんなが熱狂的に小鳥遊のことを応援してるんだ。結果が例え良く無くてもそう思うと元気が出て来ない?」

「あははは!それは言い過ぎだよ!・・・だけどさ、ちょっとだけ前向きになれたかも。ありがとう。」


これは決して大袈裟では無い。

彼女の持つ特性を表すなら努力と不憫だ。

どちらも人が応援したくなる性質がある。

だから、ダイヤモンドベースボールのヒロイン人気ランキング3位に入っている。

そんな事は本人が知る由も無いけれど、それでも頑張る気持ちを作れたら良い。


「・・・あはは。なんか暑くなって来たね、まだ春先なのに。あ、そうだ。アタシ、練習に戻らないと!じゃ、じゃあね!」


物凄い勢いで走り去っていった。

個人的には熱く応援したつもりだったけど、あまり響かなかったのだろうか。

でも、公式のデータベースにはポジティブな言葉が好きって書いてあったけどな。


1人になってしまったので、変化球の事に集中する。

長い長い最後の1日が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る