鬼灯の祠 第4話

 店舗の奥にある、木造二階建ての住宅。表札には『秋永』と書かれている。

 そこの一階にある仏間に通される。畳敷きで、無地の襖に囲まれた部屋だった。南向きに障子を隔てて縁側があり、開いているそこから小さな庭が見える。床の間には、満開の桜の木の描かれた掛け軸と、大小の模造刀が飾られていた。仏壇にはりんごやオレンジが供えられている。よく手入れされているようだった。

「とりあえず今日はここに泊まれ」

 その一言で強制的にここまで連れてこられた聡は、ため息を吐いた。なぜこうなる?

 そして、おれもお泊まり会する〜! と翔人までもが居座ることとなった。

 おかげで狭い。

 夜になり、男三人で川の字になるように布団を並べる。むさ苦しいだろう。なぜこのような苦行を。ただでさえ寝不足ゆえの疲労で、目眩がするというのに。

 そろそろ十一時になる。

 掛時計を確認していると、最後に風呂に入っていた桐央が戻ってきた。スポーツメーカーのジャージの上から、臙脂色の羽織を着ている。それを留める紐には、勾玉のような形の飾りがぶら下がっていた。違和感しかない格好である。そして、その手には、ペンと紙、黒い箱、加えて何故か小さな熊のぬいぐるみが握られていた。

「うそっ、桐ちゃんってば、テディベアがないと寝られないタイプ⁉️ ギャップかわいーっ」

 翔人が爆笑しながら、桐央のぬいぐるみをひったくった。

「おいコラ、クズ梨、勝手言ってんじゃねーぞ。これは姉貴の部屋からくすねてきたモンだ。あとで燃やす」

「も、燃やす⁉️ お姉さんの物を、勝手に? そんなごムタイな……」

 桐央から遠ざけるように、翔人はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。なにがしたいんだお前は、と聡は思わずツッコみそうになった。それを奪い返すと、桐央は聡の正面に座った。

「とりあえずクズ梨はほっといて。この紙に名前を書け。丁寧にな。これペンと下敷き」

 渡されたものは、黒いサインペンと人間のようなシルエットに切り抜かれた和紙だった。

「なんだこれは。形代か?」

 それをつまみ上げつつ、聡は思いついた言葉をつぶやく。

「……よく知ってんな」

「カタシロ?」

 聞き慣れない言葉にひっかかったのか、翔人がそれは何かと尋ねる。

「身代わりみたいなモンだ」

「神社とかでこれに自身の厄を移して川に流す、というのをニュースでやっているだろう」

 桐央の説明に、聡が補足をする。

「え〜そんなの知らない。地域のニュースまで見ないもん。というか、そういうのマジで作るんだ……本格的な除霊っぽくってちょっと引いた」

 翔人は顔を少し青くさせた。ここまで来ておいて何を言うか、と聡は翔人をにらみつける。

「正しくは除霊じゃねえけどな」

「書けたぞ」

 名前を書き終えた形代を桐央に渡す。桐央はそれを一瞥すると、黒い箱の蓋を開ける。その蓋には蝶の模様があしらわれていて、その翅は真珠の表面のような質感をしていた。中を覗き込むと、『秋永桐央』と汚い字で書かれた形代がすでに入っている。桐央はその横に、そっと聡の形代とぬいぐるみを置いた。そして、ゆっくりと蓋を閉める。

「それは何だ? 螺鈿のようだが」

「らでん? オレは『夢見箱』って呼んでる」

「『夢見箱』……?」

「説明すんのめんどくせえ。早いけど寝るぞ」

 桐央は聡からの問いを一蹴すると、仏壇の明かりを消すために電灯から垂れ下がった紐に手を伸ばす。

「ええっ! 夜は始まったばかり! 三人で朝まで語り明かそうぜ?」

 翔人はさっきの顔色の悪さはどこへやら、突然テンション高く桐央に抱きつく。

「うるせえ。趣旨と違うだろーが」

 桐央が翔人の脳天にチョップをした。翔人はそれで撃沈した。いまいち緊張感に欠ける二人に、聡は深いため息を吐く。電灯の紐を握った桐央が「あ」と、声を上げる。どうした、と聡が問うと、

「簪は枕元に始めから置いておけよ。どうせお前はタゲられてるんだから」と、気味の悪いことを言った。

「あとは、そうだな……出会った人の顔くらい覚えようとしたら良いんじゃねえの。そうすれば、今日の夢でなにかが変わるかもしれない」

 さらに、どこか警告めいたことを言う桐央に、聡は眉をひそめる。

「それは、なにか、……翔人から聞いたのか?」

「いいや? オレの勘」

 なにも知らないはずなのに、薄気味悪いことを言う奴だ、と聡は思った。


 左側を桐央、右側を翔人に挟まれた聡は、なかなか寝付けずにいた。

 むさ苦しい、ということもあったが、あの夢をまた見るだろうという予感、そして、桐央に言われた言葉。それらが頭の中でぐるぐると回り、寝返りを何度もうつ。自分はこんなに弱かっただろうか。

 聡は、たしかに他人の顔を覚える気がない。なんなら、今回の件が終わったら、桐央の顔も忘れてしまうだろうと思っている。別に、他人の顔を覚えるのが苦手というわけでもない。

 聡は努力しなくてもだいたいなんでもできる子供だった。勉強も、スポーツも。名門と呼ばれる大学にこれといった苦労もなくストレートで合格して現在に至る。

 これで社交性があればスクールカーストの上位に君臨していただろう。ただ、人を寄せ付けない雰囲気がある、らしい。

 それでもその能力の高さから、おべっかを使う取り巻きが常に居る状態だった。彼の周りを囲む女子はその典型。もしくは、自分を利用しようとする者。翔人はそのタイプだ。前者と付き合うよりは後者と付き合う方が楽だからと、翔人とはよく大学内でつるんでいる。もし、聡が誰かと仲良くしたくてそういう風に振る舞っていれば、それなりに友人ができていただろう。だが、そうしたいと思ったことは一度もなかった。他人に興味がなかったからだ。

 だから、心の底から友人と呼べるものは、ほとんどいない。思い返す限りでは、それこそ佳帆くらいだった気がする。顔を覚えているということは利用できる人間であり、それ以外は覚える必要はない。

 だが、そのことを知らないはずの桐央にそれを言い当てられたのは、薄気味悪かった。


 右側からはすでにすうすうと気持ちの良さそうな翔人の寝息が聞こえて来ており、その図太過ぎる神経に苛立ちを覚える。まあ、それでも心配してついて来てくれたのだろうということは知っている。コイツは俺に情が移りかけている。だが、そのうち離れていくだろう、と聡は考えている。

 頭上には、黒い箱、そして例の簪が置かれている。そして、桐央は羽織を着たまま寝てしまった。なにかの意味があるのだろうか。というか、皺にならないのか?

 そもそも、こんなよくわからないことをして、どうにかなるものなのか? やはり、二人して俺を騙しているのではなかろうか? だが、それで二人に何の得が……と、今日何度目になるかどうかわからない疑問を思い浮かべていると、桐央が身じろいで聡の方を向いた。

「寝れてねえな。ま、当然か」

 彼は、若干かすれた小さな声で、聡に話かけてきた。そして、

「まあ、そのうち寝れるだろ」

 そのまま、もそもそと薄い掛け布団にくるまろうとする。

「お前は」

 それを止めるように、聡は彼に話しかけた。

「なんでも見透かしたように物を言うな。気味悪がられたりしないのか」

 単刀直入に、思ったことをそのまま口に出した。それで彼が傷つくかもしれない、などとは考えない。

「するぞ。なんだいきなり」

 聡の予想に反し、返事はすぐに返ってきた。そしてその質問に不快感を示す様子はなく、むしろ微笑みながら、桐央は逆に尋ねてくる。なぜそれを問うのかと。

「いや……。お前に言い当てられないことがあるのかと思ってな」

「そんな風に思ったのか? エスパーじゃあるまいし」

 なにがおかしいのか、くくっと彼は小さく笑う。

「そうだな。だが、それくらい、なにか本質を見通すような目をしている」

 第一印象の、ネコ科の獣のような瞳と、鋭い眼光。それはこの性質を表しているように思った。そのことを言葉にしてみて、聡は一人納得する。

「そっか」

 それに対して、桐央は短く応える。そして、聡の方を見やった。

「じゃあ、ついでにオレが未来を言い当ててやる。『明日の朝にはなにもかも終わってる。だから、安心してお前は眠れる』」

 視線が合う。まさに、見透かされているような、深い深い瞳の奥。黄色だと思っていたそれは、金色のようにも見える。その中に吸い込まれそうになった。

 聡は、意識がだんだんと遠ざかっていくのを感じた。

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