鬼灯の祠 第5話

 気がつくと、あの石の祠の前に立っていた。

 祠のすぐ後ろには、赤いワンピースを着た佳帆が立っている。佳帆は聡と目が合った瞬間、にこりと微笑んだ。

「おいで、聡」

 彼女はするりと聡の横までやってくると、彼の右手をぎゅっと握った。それを引っ張って、石の祠の向こう、暗い森の奥に向かって駆け出す。聡はそれに従って、一歩、また一歩と足を進める。

『おい』

 どこからか、若い男の声がした。その声はぼんやりとしていて、ガラス越しに話しかけられているように聡には思えた。佳帆がぐいぐいと右手を引っ張ってくる。

『よく見ろ』

 その声は続けた。聡は立ち止まった。聞いたことのある声だと思った。

『彼女はそんな顔だったか?』

 問われて、ハッとする。

 佳帆が、「どうしたの?」と、不思議そうにこちらを見た。

 その佳帆の顔をまじまじと見る。


 肩口で切りそろえられた黒髪。

 真っ白い肌と短い眉が目立つ、広い額。

 垂れ下がっている優しそうな目元に添えられる、茶色がかった瞳の色。

 そして、母親譲りの色素の薄い唇。

 確かに、佳帆の顔に見える。

『本当にそんな顔だったか?』

 再度、声は問うてきた。

 この顔のはずだ。たしかに、この形をしていたはずだ。

 しかし、顔に乗っているパーツの形と位置は正しいはずなのに、なにかが『違う』。

 白い肌は、こんなにも青白かっただろうか。

 短い眉は、こんなにもつり上がっていただろうか。

 瞳の色は、こんなにも黒く濁っていただろうか。

 色素の薄い唇は、こんなにも歪んだ笑みを浮かべていたか?

「佳帆は、いつも俺を気遣ってくれた。自分の気持ちより他人を優先するような奴だった」

 倉庫の事件も、どれだけ怖くても、それ以上に聡を助けないとと行動した。

「同じ顔をしていても、同じ声でも、」

 そうだ。例えこの佳帆のようなモノが聡の後ろめたさから出来上がった怪物だったとしても。

「祠の向こうで自分が死んだのに、同じような目に俺が遭うことを望むなんて、おかしい」

 聡は佳帆の手を振り払っていた。そして、佳帆から距離を取るように後ずさる。

 佳帆の顔から笑みが消えた。すべての感情が削ぎ落とされたような表情になって、彼女は言った。

「そっか。気づいちゃったのね、残念」


 ぐぱ、と。

 彼女の顔が、まるで花が開くように、中心から裂けた。

 その大きく裂けた口が、聡に向けられた。

 ああ、喰われる、と思った瞬間だった。


「諦めてんじゃねえよ、タコ!」

 その瞬間、ガラス越しに聞こえていた声が、すぐ近くから聞こえた。ぐい、と後ろに引っ張られる。後方に倒れこんだ聡は、視界の端に声の主を見た。

 桐央だ。

 あの深い紅の羽織を着て、佳帆だったモノと向き合っている。手には短刀が握られていた。

 佳帆だったモノ──怪物の頭部には、巨大で赤い蕾のようなものが蠢いている。ドクドクと脈打つそれは、まるで臓器の表面のようにも見える。赤いワンピースはいつのまにか、同じ色の着物へと変わっていた。

「さっさと立て!」

 桐央に言われて、聡はなんとか身体を起こした。

「なんで、お前がここに」

「説明してる余裕あると思ってんのかクソ!」

 そう言うなり、桐央は怪物に向かって駆けていく。桐央はダン、と地面を強く踏み込むと、高く飛んだ。それに向かって、蕾が口を開けようとする。

 ザシュッ。蕾が開き切る前に、怪物が袈裟斬りにされた。怪物の動きが止まる。

 桐央は素早く怪物から距離を取り、聡のそばまでやって来る。

「……やったのか?」

「まだだ」

 切り裂かれた蕾の先から、赤い葉のようなものが吐き出される。それを数十枚と吐き出した蕾は、形を保てなくなるほどに萎れて地面に倒れ込む。

 宙を舞った葉が、ぶくぶくと泡立ったかのように膨れ上がり、ぱちんと弾けたかと思うと、人間のような形に変わる。三つ四つぐらいの子どもの大きさだ。

 鬼灯だ、と聡は思った。

 実の生った鬼灯を剥いたときの姿を、子供に例えることがある。実が頭で、皮の部分が身体。

 その頭はのっぺらぼうのようにつるりとしていて、赤い。首から下の部分には赤から橙、黄色から緑へ緑の色が移り変わる不思議な色をした花弁のようなものが複数枚生えている。その花弁には網目模様が張り巡らされ、どくどくと脈打っている。

 ぱちん、ぱちん。

 あちこちで花弁が弾けて、形を変えていく。

 意思を持っているかのように、花弁は手足のように動き、空を駆け回る。

──俺は、あの子どもたちを知っている。聡は、背筋に嫌な汗が伝うのを感じた。


 決して祠の向こうには行ってはいけない。その奥に棲むもののけが悪さをして、子供の魂を喰らうからと。

 言いつけなど、馬鹿らしい。

 常々、聡はそう思っていた。だから、ひとりで祠の向こう側へと足を踏み入れた。

 そこで、赤い着物の子どもたちと出逢ったのだ。

 森の奥で遊ぶ彼らのことを不気味だとも怖いとも思わなかったのは、聡が幼く無知だったからだ。だから、彼らと一緒に遊んだ。

 その子どもたちは古い遊びをよく知っていた。古ぼけた独楽や竹とんぼをどこからか出してきた。それが聡にとっては物珍しく、興味を惹かれた。

『大人にも、ほかの子にも、秘密だよ』

 子どもたちにそう言われて、聡は少しわくわくした。自分だけの秘密を持つということが、こんなにも心が踊るとは、思わなかった。ふらふらと、聡は祠の向こうに出かけるようになった。


 ある日、またこっそりと祠の向こうに行って、子どもたちと遊んでいたときだった。

「帰るよ、聡」

 佳帆にバレたのだ。彼女は聡を追いかけて、森の奥までやって来た。

 佳帆は聡のところまで駆け寄ると、彼の手を取って、子どもたちから引き離す。ひどく汗ばんだ手だった。彼女の膝は、倉庫の事件のときのように震えている。

「あの子たちと遊んだら、絶対にだめ」

 佳帆は聡をぐいぐいと引っ張って、聡を連れ出そうとする。

「どうして? あの子たち、いっぱい遊びを教えてくれた。いいやつらなんだ。佳帆も遊ぼう」

 それに納得がいかなくて、聡はその場に残ろうとした。

「よく見て。あの子たちの服はどうして着物なの? どうしてこんな森の奥にいるの? 絶対におかしい。あれが、きっと『もののけ』なんだ」

「おばけなんかじゃない!」

 聡が大声を上げた。せっかくできた友だちを否定された気がしたのだ。佳帆は目を見開いた。それは、珍しく自分が駄々をこねるようなことをしたからだと思った。

 実際には、佳帆の視線は聡の後ろ、子どもたちの方に釘付けだった。

『なーんだ、バレちゃった』

 ひゅ、と佳帆が息を飲むのが聞こえた。

 聡は後ろを振り向いた。

 子どもたちが笑っている。

『バレちゃったね』『どうする?』『どうする?』

 そうささやき合う。その皮膚の表面にぶくぶくと泡が浮かび上がる。あぶくの弾けるような、ぱちん、という音とともに、子どもたちは赤い鬼灯の化け物に姿を変えていく。

 佳帆は聡を連れて駆け出した。子どもたちがふわふわと浮きながら追いかけてくる。

『逃げられない』『逃げられないよ』『お母さんからは』

 捕まったら、なにかとてつもなく嫌なことが起こるということを直感で理解していた。

 走って、走って、あの石の祠が見えたときだった。

『じゃあ、うちの子にしてしまいましょう』

 女の声がした。子どもたちと同じ色の着物の、頭に鬼灯を生やした化け物。その頭に据えられた鬼灯が大きく開いた。佳帆が、祠の手前に向かって聡の背中を押した。

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