鬼灯の祠 第3話

 翌日の昼過ぎのこと。

 聡と翔人はとある飲食店に来ていた。聡はただ翔人についてきただけなのだが。大学を出て、歩いて五分ほどのところにある繁華街。アーケードの続くその下をしばらく歩いていると、翔人がとある店の前で立ち止まった。看板には『グリルあきなが』とあった。喫茶店、と言っても差し支えないかもしれないが、書いてある通りなら、レストランと呼ぶべきか。木製の、しかし重厚そうな扉の取手を翔人が引いた。

 カランコロン。吊り下げられているドアベルを鳴らしつつ、中へ入る。

 白い壁に木材を基調とした内装だった。カウンター席が十席、ボックス席もそれなりにある。意外に広い、と聡は感じた。木製のテーブルや椅子は使い古されているように見えたが、それで嫌な感じはしない。まさに『レトロ』という言葉が似合う店だった。だが、それ以上の印象なく、特に変わったところは見受けられない。

「やっほ〜、せんぱ〜い」

 翔人は店内に入るなり、店員らしき青年に話しかけた。

「いらっしゃ……って、なんだ翔人か。おっと、後ろのイケメンさんは友達?」

 その二十代半ばくらいの青年は、気さくに声をかけてきた。灰色のシャツに、黒いパンツ。シャツの上のボタンは止められていない。そこに、腰下だけの茶色いエプロンをしている。ウェイターにしてはラフな格好ではあるものの、その短く切りそろえられた黒髪の印象からか、清潔感は損なわれていない。

 ごくごく普通の店員であると聡は結論付けた。

「ここは……」

「ただの庶民的な洋食屋さんだよ。二人でお願いします」

 聡の疑問を遮るように翔人が答える。そういうことを言っているんじゃないのだが、と思いながら聡は翔人を睨む。翔人には、それを気にした風はない。

「二名様ね。奥の席座って」

 そこそこ混み合う店内の、一番奥の空いているボックス席に腰掛けると、翔人はメニューを広げだした。

「普通に食事に来たのか? まあ別にかまわないが」

 ここで、例の心霊現象に詳しい奴を紹介されると思っていた聡は、正直拍子抜けしていた。翔人が待ち合わせをしている様子はないし、この店自体も、この店員もそういった感じはしない。

「それもあるんだけど……佑哉(ゆうや)先輩、弟くんいる?」

 翔人は、おしぼりとお冷を持ってきた例の店員に声をかける。彼は少し目を見開くと、ため息をつく。

「また女の子の生霊でも引っ付けてきたのか?」

「……は?」

 こいつは今なにを言った? 生霊? 聡の思考が一瞬停止する。固まった聡の様子を見て、店員――佑哉は少し狼狽えた。

「えっ、友達に説明してないのか。まるでオレが頭おかしい奴みたいになるじゃないか」

「ちょうど今説明するトコ。というか、今回、面倒事を連れてきたのはコイツなんだよね」

「おい、一体どういう」

 からんがらんころん。

 聡が説明を求めかけたところで、入り口に吊り下げられていたベルが大きく鳴る。

「お、ちょうど帰ってきたな。桐(きり)、こっち来てくれ」

 キリ、と呼ばれた少年は、佑哉の声に反応し、こちらを向いた。そして、にこやかに手を振る翔人の顔を見るなり、「げっ」と声を出した。

 前を開けた学ランに、学生鞄。高校生だろう。その真っ黒い髪はボサボサとあちこちにはねている。その乱れた長い前髪からのぞくのが、黄色い瞳。逆光であるというのに、その瞳は爛々と、そして鋭く光っているように見える。まるでネコ科の獣のような印象を聡は受けた。だが、それだけだ。この高校生がなんだと言うのか。

「桐、こっちこっち。今日も補習? ごくろうさま〜」

 翔人がその高校生に手招きする。彼は砂を噛んだような顔をしながら、聡たちの座っているボックス席にまで近づいてきた。そして、

「テメーこの野郎、また女の生霊引っさげて来やがったのか? 女たらしもいい加減にしやがれこのクズ」

 いきなり翔人を罵倒した。

「今回は違う違う。まずコイツ見てくれない?」

 翔人は慣れた様子でそれを受け流し、聡を指さした。突然話の輪の中に入れられた聡は少し目を見張る。だが、それより驚いたのは、その高校生が聡を見るなり、うっげぇ、とさっきとは比にならない、蛙を轢き潰したような声を出したことと、

「……オマエ、なんてモンに憑かれてんだよ。その赤い服の女の子は何だ?」

 己に降り掛かっている厄介事の一端を、即座に言い当てられたことだった。

 背筋に悪寒のようなものが走る。

 コイツは何を知っている?

 思わず翔人の方へ視線を向ける。翔人は首と両手を左右に振りつつ、

「おれはまだなんにも説明してないよ」と、聡が抱いた疑問を正しく理解し、答えた。

 なら、なぜ? 聡は思わず眉間に皺を寄せた。

「ね、不思議でしょ? こういう厄介事は、桐とおねーさんの得意分野なんだよね。また頼まれてくれない?」

 翔人は高校生の方を振り向き、にこ、とうっすら笑う。彼の甘いマスクでこれをされると、女ならイチコロなのだろうが、相手は男である。

「オレは拝み屋じゃねえ!」

 翔人の頼みを叫びで一蹴すると、高校生は唸り声を上げながら店の奥へと引っ込んだ。

「あーあ、フラれちゃったかなあ」

 翔人は机に突っ伏すが、その顔を見てもショックを受けている様子はない。

「まあ大丈夫だろ。アイツなんだかんだでやってくれるから」

 佑哉はそういうと、他の客に呼ばれて注文を取りに行ってしまった。

「どういう……?」

 置いてけぼりになっている聡は、疑問を翔人にぶつける。

「ああ、アイツ――桐央(きりお)っていうんだけど、こういう『怪奇現象』を解決してくれるの。桐のお姉さんの佐綾(さあや)さんもそう。おれはしょっちゅう世話になってる」

「……本当に? そんなことがありうるのか。確かにオマエはあちこちから恨みを買いそうはあるが」

「何気にヒドイよね。でも、さっきの聞いたでしょ? なんでも言い当てられちゃうんだよねえ」

 翔人がそう言っているうちに、桐央が戻ってきた。荷物がないので、置いてきたのか。そして翔人の横にドカッと座り、テーブルに広げてあったメニューの上に勢いよく右手を置き、一言。

「とりあえず注文しろ。で、経緯は」

 聡と翔人は思わず目を合わせ、どうやら相談に乗ってくれるらしいぞ、と桐央の方へ向き直った。


 軽く自己紹介を済ませ、注文したオムライスを頬張りつつ、聡はこれまでの出来事をかいつまんで話した。

「賭けのダシにされたんか俺は」と、桐央は深くため息を吐いた。店はピークを過ぎたのか、客は少なくなっている。

「まあそう言わずに。実際、聡は困ってる訳だし、マジモンだったらそれなりに対処できるでしょ」

 ナポリタンを食べ終えた翔人が取り成すが、桐央はぐるる、と頭をガシガシと掻きながら唸る。

「オレは専門家じゃねんだよ。そういうのに遭いやすいから対処法を知ってるってだけ。詳しくは姉貴に聞いて欲しいトコだが……あいにく今は新潟に泊まりだしな」

 『怪異現象を解決してくれる』。……この高校生が?

 その翔人の言葉を俄には信じられない聡は、疑わしげに桐央を見やっている。

「ま、いいだろ。時間もないみたいだし」

 桐央はその視線を気に留めた風もなく、話を続けた。

「時間?」

 訝しげに、聡が聞き返す。

「明日、明後日の晩あたり。お前、ほっといたらその怪異に喰われるぞ」

 ぴ、と聡の方に指を差しながら、桐央は断言する。

「……喰われるとは?」

 なんとなく意味はわかっている。だが、聡は一応聞いてみる。

「死ぬ、か、良くて意識不明」

 桐央はそれに、平坦な声で答えた。まるで、当然そうだろう、と言わんばかりに。翔人は思ったより大事になって怖くなったのか、少しすくみあがった様子で、ひえ、と声を上げる。

「本当に? 翔人と二人で俺をだまくらかしているんじゃないだろうな」

 そんな翔人をにらみつつ、聡は桐央に食って掛かった。

「信じる信じないはお前次第だ。まあでも賭けに乗ったんだろ? なら、とりあえず信じた体でオレの指示には従ってもらうぜ」

 桐央の特徴的な瞳と視線がかち合う。その眼差しは真剣そのものに見えた。

「……わかった」

 しばらくの沈黙ののち聡は桐央の言葉に小さく頷く。納得はいっていないが。

「そんなにやることはないから面倒くさいってことはないだろ。……で、その簪は? 持ってんだろ?」

 桐央は右手を聡の方に差し出す。よこせということか。コイツ年下のくせに偉そうだなと思いながら、

「筆箱の中にしまってるから、今出す」

 と、聡は鞄を探ろうとするが、それを桐央が止めた。

「違う。右ポケットの中」

「は?」

「いいから。探ってみろ」

 言われるがまま、ジャケットの右ポケットを探る。すると、細長くて硬いものが指に当たった。

「……聡、場所変えたっけ。おれはハンカチに包んでから筆箱にしまうのを見たのが最後なんだけど」

 翔人が引きつった笑みを浮かべる。聡も、自分の顔がゆがむのが分かった。

 取り出すと、それは確かに例の簪だった。

 怪異が、近づいてきている。……のだろうか。

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