鬼灯の祠 第2話

「……で、それがこの呪われた簪?」

「呪われたとは何だ」

「だって捨てても捨てても戻ってくるんでしょ〜? こわーい」

 聡の向かいに座る高梨(たかなし)翔人(しょうと)はふざけてその身を抱いてくねくねしている。その動きのせいで、ふわふわとした茶髪が揺れる。女子がやるならまだしも、相手は成人も近い男子大学生である。気持ち悪い以外の感想はない。

 講義が一通り終わり、大学のカフェにいる二人は、テーブルを囲んでまじまじと件の簪を眺めていた。翔人はそれを指で転がしたり、細工を光に透かすようにして観察していたが、とくに何の変哲もないと判断したのか、弄るのをやめてそっと机の上に置いた。

「にしても、ホントに? この蕾みたいなやつがキレイだなーくらいにしか思わないけど」

「蕾ではなく、鬼灯(ほおずき)らしいな。毎年七月に浅草寺で市が出るだろう」

「調べたの?」

「持ち主を探すにあたって特徴を伝えないといけないからな」

 あのあと困ったのは、この簪をどうするかだった。

 細やかな手仕事が伺えるそれは、いかにも高価そうだった。もしあの少女が悪戯かなにかで家のものを持ち出したのだとしたら。

 それを聡に渡す意味はまったくわからないが、返すべきだろう。

 しかし、佳帆の母親に聞いても、その少女の保護者はわからなかった。少なくとも、今回の参列者にそのような年齢の子供はいないという。


「結局、簪は俺が預かることになった。それから、あの夢を見るようになった」

 そう、あの法事から帰ってからだった。

 夢にあの少女が出るのだ。

 ふと気づくと、聡は森の奥にいる。幼いころによく遊んだあの森だ。記憶の薄暗さよりさらに暗いそこは、夜だからだろうか。

 声が聞こえる。

 おいで。

 それを聞いて、どこか懐かしい気持ちになる。その声がする方を見ると、あの祠があるのだ。

 その後ろに、あの少女が立っている。彼女は真っ赤なワンピースを着ていて、簪を渡してきたときのような悪戯っぽい笑みを浮かべている。

 少女は聡に目を合わせると、ひらひら、と。こっちにおいで、と手招きをするのだ。

 真っ白なその肌は、赤いワンピースと暗い森の中で浮き上がるように見えた。

 それにつられるように、祠に近づいていくと、だんだん彼女の顔がはっきりと見えてくる。肩の辺りで切りそろえられた髪が揺れる。

 おいでよ、聡。

 薄い色素の唇が動く。

 なぜその声に懐かしさを感じたのか。

 その少女の顔は、法事で見た遺影と同じ──佳帆の顔だった。

 その夢から覚めたあと、ひどく気分が悪くなった。思い違いではないかと、法事で出会った少女の顔を細かく思い出そうとした。やはり、あれは佳帆そっくりだ。記憶のままと言っていい。法事に故人が現れる。それがただの聡の幻覚であったならば良かったが、聡の枕元にはあの簪があった。

 それは、玄関の小物入れに入れていたはずなのに。

 結局、その夢を今日まで毎日見ている。

 そのたびに、他の場所に置いていたはずの簪が枕元にあるのだ。思い切って簪を捨てても、それは帰ってきた。それが三週間も続いたため、さすがに寝不足になる。その聡の顔色を見て翔人が問い詰めた、というのが現在の状況だった。


「絶対なんか祟られてるでしょ、それ。簪に取り憑いた幼馴染の幽霊が、聡の魂を森の奥まで引きずり込もうとしてるとしか考えられないんだけど」

 翔人は顔を若干青くしながら、おそるおそる口に出す。

「ざっくりまとめるとそういうシナリオだろうな」

 聡は無表情なまま、それを肯定した。

「なんで冷静⁉️ もしかして、実際に心霊現象とか体験しても信じない派だったり?」

「そうだな、それもあるが……。死んだ者がどう思っているかなんて、そもそも考えることが馬鹿らしいだろう」

 死者はなにも言わないし、なにも感じないからこそ、死んでいるのだから。化けて出たとしても、それは生きた人間が自身で見せる幻影だろう、というのが彼の意見だった。

「俺の無意識下での感情や考えたことが、こういう夢を見せていると解釈した方が筋が通らないか?」

「そりゃあそうだけどさあ。寂しさとか、後ろめたさとか? オマエがそんなもの持ち合わせているのかね〜」

 翔人は納得しきれない様子で、飲みかけのアイスティーのストローをかき回しながら、聡に尋ねる。「でも実際、簪は手元にあるんでしょ? もしホンモノだったらどうするの?」

 口元は微笑んでいる。だが、目は笑っていなかった。

 コイツはたまにこういう目をするな、と思いながら、聡はそれに返事をする。

「仮に幻影でなかったとして。なにか俺に伝えたいことがあるとしても。それを聞いてやる義理はないな。他人のためになにかリソースを割くなど無駄なことだ」

「オマエ、生きてる人間に対しても薄情だもんな……噂になってるけど? 元カノのサキちゃんが大騒ぎしてたけど」

「知ってる。そもそも恋人じゃないが」

「大雨のところ雨宿りに尋ねて来た彼女を『床が汚れる』で一蹴したって、マジ?」

「向こうの捉え方だろう。付き合ってもない、自宅も教えていない相手にいきなり乗り込まれてもな」

「思わせぶりなことはしてたんでしょうが」

「その方が休んでいた間のレジュメを手に入れやすかった」

「この冷血人間」

「言ってろ。それを利用しているお前もお前だ」

 それを鼻で笑いながら、聡は言葉を返す。

「ダヨネ〜。だって、イケメンの完璧人間にたかっといて損はないし。ってことで今日のノートとレジュメ見せて」

 それをいつものように受け流し、翔人は両手を広げて催促をする。

「……アイスコーヒー一杯」

「へいへい。トールのブラックね」

 翔人は立ち上がって、コーヒーを買いに行こうとし、そして何かを思いついたかのように、「あ」と声をあげて、振り返る。

「そうだ。賭けしない?」

 突然の提案だった。

「お前、連敗中だろうが」

「連敗どころか全敗なの忘れたの? 今回の件、解決してくれそうな奴を紹介してあげる。もしそれで心霊現象じゃなかったらおれの負け。今度焼き肉を奢ってやろうじゃないか」

「……なんだそれは?」

 聡は訝しげに聞き返した。

「もしマジモンの心霊現象だったら、解決できるかもしれないよ。もしそうじゃなかったとしても、それが証明できて安心じゃない? 聡にとってはなかなかお得な賭けだと思うけど、どう?」

 聡は少し驚く。彼の提案はつまり、今回の件が心霊現象かどうかを確実に判断でき、解決にまで導ける人物を知っている、ということ。しかも紹介までしてくれるらしい。全敗中の彼が自分から提案する、賭け。自信があるに違いない。……さて。

「俺が負けたら?」

「前期分のノートとレジュメ、全部タダで見せてよ。あと代返も」

すかさず翔人は報酬を口にする。ギブ&テイク。こういうところは嫌いではない。

「……いいだろう、乗った」

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