第9話 人と人

 神倉別邸に戻ると、屋敷の玄関前には黒山の人だかりが出来ていた。

「わ……」

 驚いて思わず声が漏れる。

「はあ……」

 宗十郎が小さくため息をついた。ちらりと顔を窺うと、ちょっと険しい目つきで人だかりを睨んでいた。

「……文乃さん、一人で立てそうか?」

「は、はい。もう大丈夫です」

「うん」

 宗十郎が文乃から離れ、一歩前に出た。

「いつまでそうしている!」

 大きな声だった。宗十郎の背中側にいる文乃すら震えるほどの大声だ。

 文乃の肩はぴょんと飛び跳ねた。

 しかし人だかりはどこか笑いさざめきながら、こちらを見た。

「あ、隊長お帰りなさい」

「奥方さまはそちらですか」

 口々にそう言う彼らをよく見ると宗十郎と同じような軍服を着ていた。『隊長』。宗十郎が率いているという鬼神対策部隊の人々なのだと、文乃にも察しがついた。

 その数ざっと八人。

「用が済んだなら、戻れ。だいたいなんだこんなにぞろぞろと。畳二枚入れるだけだぞ」

「ソファとテーブルもどけましたよ」

「あれ重かったっすよ」

「だいたいこれでも厳選したんですよ」

「…………」

 宗十郎が言葉を失う。

 怒っているのが背中からでもわかる。

「だって気になるじゃないですか」

「俺たち、奥方さまが気を失ってるのを見たきりですよ」

「元気なお顔を拝見したいです」

 ひょうひょうと口にする隊員達に、宗十郎が絞り出すような怒気をはらんだ声で言った。

「……文乃さんは、見世物ではない」

「あ、私のことですか?」

 合点がいってそう呟いた文乃を、宗十郎が勢いよく振り返った。

「え」

 珍しくぽかんとした顔をしていた。

「あ、いや、あの……奥方さまって誰のことかなって思いまして……」

「……君のことだ。いや、まだ婚姻の手続きを済ませたわけではないから、正式には違うがこいつらが言っているのは君のことだ」

「はい……」

 宗十郎の隊員達への怒りは少々冷めたようだが、なんだか別のことに感情が行ってしまった顔をしている。

 具体的に言うとちょっとがっくりきている。

「えっと……ごめんなさい……?」

「いや……。うん……。謝るようなことでは……」

 ずいぶんと歯切れが悪い。

「あ、そちらですか」

「よかった、お元気そうですね」

「神倉別邸には慣れましたか?」

 宗十郎が文乃の方を向いたことで、隊員達の目も文乃に向く。

 口々の問いかけを処理しきれず、文乃は宗十郎を見る。

 宗十郎は切り替えたのか、表情をいつもの淡々とした顔で隊員達に向き直った。

「もう見ただろう。十分だろう。帰れ、戻れ。俺も所用を済ませたら、昼食までにはそちらに戻る」

「はい」

「失礼します」

「奥方さま、また今度」

「今度はない」

 宗十郎は釘を刺したが、聞いているのかいないのか、彼らはわいわいと玄関からどき、門の方へと消えていった。


「……賑やかな方々でしたね」

「たるんでいる」

 宗十郎が苦々しげにそう言った。

「……皆さん、私のことご存じなんですか?」

 たしか宗十郎は立場を使って文乃のことを調べたと言っていた。それならば、宗十郎の部下達も、文乃のことを知っていても不思議はない。

 ただ『気を失っているのを見たきり』とも言っていた。それはつまり宗十郎が塵塚家に来た日の文乃のことになる。

「ああ。あの日は部隊とともに塵塚家を訪ねた」

「え……ぶ、部隊の方々って、ええと、何人くらいで……?」

 今いたのが八人。部隊の中から、選んだと言っていたから、もっと多いはずだ。

「塵塚家に行ったのは十二人だ」

 文乃が気を失っている間に、ずいぶんと大勢が塵塚家に集まっていたらしい。

「そ、そんな大勢でお迎えいただいたにもかかわらず、荷物が長持一つで申し訳ありません……」

「ん? ああ、いや、彼らは荷物運びだけに呼んだわけではないから、気にしなくていい。まあ、そちらも杞憂に終わったが……」

「そちら?」

「うん。君をあの結界から連れ出したとき、霊鬼神魔がどれほど暴れるか予想がつかなかったので、その対策だ」

 宗十郎は淡々とそう言った。

「えっ、暴れるんですか……?」

「集まっては来たが、振り切った。被害が出るほどのことはなかった」

「集まってたんですか……」

 知らなかった。なんだか自分の知らないところでたいそうなことが起きていたらしい。

「大丈夫」

 宗十郎はそう言った。

「次来ても、斬るだけだ」

「…………」

 それは大丈夫と言っていいのだろうか。

 文乃のせいで悪いものが来ているのに、その対処をすべて宗十郎に任せてしまうのは、よくない気がした。

「中に入ろう、文乃さん」

「はい……」

 宗十郎に促され神倉別邸に戻る。玄関に足を踏み入れる。

 少し名残惜しくて、後ろを振り返る。どこまでも続く景色。青い空。

 目に焼き付けるように見つめる。

 宗十郎はただ黙って待っていてくれた。

「……お待たせしました」

 文乃は外の景色を振り切って、館の中に戻った。明日また出られるのだから。

 玄関の扉が閉じると、明るいと思っていた館の中が、一気に暗く感じられた。

 あの座敷と比べたら、格段に明るいのに。

 このままでは贅沢になってしまう。

「中山に監督してもらったから、問題は無いと思うが、部屋を確認しようか」

「は、はい」


 部屋の中の模様替えは済んでいた。ソファとテーブルのあった場所に畳が敷かれ、その上には文机と座布団、ランプも置かれていた。

「うん、どうだろう。よければ掛けてみてくれ」

「失礼します」

 スリッパを脱いで畳に上がる。

 いかにも高級そうな、それも新品らしき座布団にやや気後れしながら、そこに腰掛ける。

「は、はい。大丈夫だと思います」

「よかった」

 畳の横に立ちながら、宗十郎が満足げにうなずいた。

「あの、ランプもありがとうございます」

「うん。明かりはあるが、あるに越したことはないと思ってな。ここは都からは離れているから、停電もままあるし」

「都……あの、すみません、ここってその、都でないのなら、どこらへんなんでしょうか……?」

 宗十郎の言葉に、そもそも神倉別邸がどこにあるのか知らなかった自分に気付く。

「帝都の西側をずっと行った……ほぼ山の中だ。どこかに出かけるのなら車を出すから、言ってくれ」

「あ、ありがとうございます」

 塵塚家は一応帝都のはしっこに建っていた。塵塚家から神倉別邸までも、文乃が寝ている間に車で移動したのだろう。

「えっと、こちらが別邸と言うことは、神倉家の本家は、帝都ですか?」

「うん。真ん中の方だ。俺はここで生まれ育って、あちらには学生時分に少し暮らしたぐらいだから、正直あまりなじみはない。父と母が今はそちらに住んでいる。……興味があるなら、今度連れて行く」

「そうですね、いつか……」

 結婚するのなら、いずれ挨拶はすることになるだろう。それを考えると気が早いが緊張してしまう。

 しかし本家の話になっても、宗十郎のきょうだいの話が出てこない。

「……あの」

 宗十郎の顔を見上げる。

「うん」

 うなずいた顔は凪いでいる。

「宗十郎さんの昨日おっしゃっていたごきょうだいはどちらに……?」

「ん……」

 宗十郎の表情が微妙な変化をした。

 苦悩と思案。どう説明したらいいのか、それを悩んでいる顔だ。

「いや、あの、話しづらいことでしたら、結構です」

「いいや、家族の話だ。聞きたいと言われて断る理由はない。……ただ少し複雑なんだ」

 宗十郎がそう言った。

「……ここいいか」

 宗十郎が文机の向かいを示した。

「もちろんです。どうぞ」

 宗十郎が靴を脱いだ。

 そういえば、この人が靴を脱ぐところを初めて見た。


 宗十郎が畳に正座をする。文乃と向き合う。同じく正座をしている文乃より、少し高いところに宗十郎の目がある。毎回文乃はこの人を少し見上げている。

「俺にはきょうだいがひとりいる。神倉冬一ふゆいちという兄がいる。兄は今、帝都の大学に所属している。大学では文学について研究していると聞いている。兄は現在、大学の寮で一人暮らしをしている」

 一人暮らし。大学や神倉本家がどこにあるか知らないが、どちらも帝都にあるというのなら、神倉本家から通ってもよさそうなものだが。

 いや、そもそも兄がいるのに、次期当主が宗十郎なのは何故だろう。

 文乃の疑問の答えはすぐにもたらされた。

「……兄は父の愛人の子だ」

「…………」

 宗十郎の声に感情は交じっていない。淡々としている。

「愛人の子、つまり異母兄にあたる。俺が十歳の頃に兄の存在は発覚した。つまり兄のことを俺の母は十年以上、知らなかったわけだ」

 宗十郎の兄なのだから、年齢差はわからないが、そういうことになるのだろう。

「一応、父の擁護をしておくと、父自身も途中まで知らなかったらしい。愛人から別れを切り出され、受け入れたその後に生まれた子が兄だったらしい。愛人が何を思ってそうしたかは今となっては不明だ」

 複雑だ。もう文乃の理解の範囲を越えている。

 そもそもそれは擁護になるのだろうか。愛人の時点でもうだいぶわからない。愛人がいる時点で擁護はできないのではないか。

 宗十郎はどう思っているのだろう。宗十郎にとって、愛人がいるのは『普通』なのだろうか。

『普通って、なんでしょうね』

 ハナの言葉が不意に脳裏をよぎった。

「兄の存在が発覚したとき、兄の生母は亡くなっていた。人道的に考えれば、嫡子としないにしても、兄を神倉家に引き取るべきではあったが、そうするには一つ問題があった。……わかるだろうか」

 わからない。

 そう答えようとして、止まる。

 宗十郎がわざわざ聞いてくるのだ。ならば文乃にだってわかることのはずだ。わかるだけの材料が文乃にはあると宗十郎が考えているということだ。世間知らずの書物ばかりから知識を得ていた文乃でも、知っていると宗十郎が確信できること。

 もしかしたら、昨日今日の会話の中に、その理由はあるのではないか?

 しばらく考える。

 文乃が知ったこと。文車家、神倉家、祓井、典堂、霊鬼神魔、呪い、文乃の能力、それぞれの家にふりかかる呪い。そうだ。呪いだ。

「神倉家の呪い……?」

「そうだ。兄は神倉の籍に入っていなかったがために、呪いにむしばまれていなかった。それを呪われた家の一員にしてしまうのはいかがなものか、という問題だ」

 呪いのことだけを考えれば、引き取るべきではないだろう。母を守るためなら、離縁すら選択肢に浮かぶ宗十郎からしたら、なおさらだろう。

 だからといってただ放っておくわけにもいかない。

「他の親戚に引き取ってもらうという案も出た。だが、最終的に兄は神倉家で引き取ることになった。兄は呪いを受けても、神倉家の一員として受け入れてもらえるのなら、嬉しいとそう言った。兄自身がそう言うのならと母が強く押したので、父も負い目から逆らえず、兄は神倉家に加わった」

 文乃にはわからない。愛人の子を受け入れられる宗十郎の母の気持ちがわからない。

 文乃なら、どうだろう。宗十郎に愛人がいたとしたら? いたとしたら、受け入れるしかない。だって、文乃が宗十郎に与えられるのは文車家の力しか無いのだ。文乃はこんなにも宗十郎の世話になっているのに。そんな自分が、宗十郎にとってのたった一人であることを望むだなんて、贅沢だ。

「それらがだいたい十年ほど前のことだ」

 十年。文乃が母を亡くし、あの座敷に住み始めた頃、神倉家も大変なことになっていたようだ。

 宗十郎が十歳の時に兄の存在が発覚し、その後兄が神倉家に加わったのが、十年前。つまり、と文乃は頭の中で足し算をする。

「では、宗十郎さんは二十歳はたちくらいですか?」

「……言っていなかったか。先日二十一になった」

 宗十郎が少しばつが悪そうな顔をした。下の名前を聞いたときと似た反応だった。意外と宗十郎は抜けているところがあるのかもしれない。あるいは自分のことを話すのに慣れていないのだろうか。

「そうなんですね。では、お兄様もそのくらいの……?」

「ああ、二十二だそうだ」

 あまり年の差はない。

「兄が引き取られた頃、父は仕事の関係でここ神倉別邸から、神倉本家に移った。兄もそちらで暮らしたから、神倉別邸には住んでいたことがない。俺も学生時分に本家で暮らしていた頃を除くと、神倉別邸か軍の隊舎にいたから、兄とともに過ごす時間はほとんどなかった」

 淡々としている。けれども、少し寂しそうにも見える。

 異母兄。十歳の時に突然出来た兄。それでも宗十郎にとっては大切な家族なのだろう。その命を助けたいと思うほどに。そばにいれなかったことを寂しいと思うほどに。

 文乃には、やっぱりわからないことだった。それでもわかりたいと思った。

 嫁ぐ人とその家族のことなのだから。

「……そうして兄は神倉家に加わり、神倉家の呪いを受けた。母が現在弱っているのは、兄が予定外に家族に加わったためだ」

「え……?」

「母もまた霊鬼神魔にまつわる浄化を得意とする家から神倉家に嫁いだ。兄が加わる前の神倉家の人数であれば、俺が結婚するまで母ひとりで手が足りるはずだった。しかし、兄が増えたことで、母への負担は増え、浄化が追いつかなくなった」

「……そんな。あの、お兄様を神倉家に受け入れる前から、お母様はそのことをご承知だったのですか……?」

「うん」

 宗十郎は、笑った。寂しそうな笑顔だった。

「承知の上で母は兄を家族に迎え入れた。俺はそんな母を誇りに思うが……俺はそんな家に君を招こうとしている。だから、よく考えてくれ。ひとまず今は体の回復だが、この家が、この俺が、怖ろしくおぞましいというのなら、君はいつでもここから出られる。君が望むのならば、主治医の典堂が諸々手配してくれることになっている。典堂は顔が広いし、文車家も君を受け入れる用意はあると言っていた」

「……はい」

 宗十郎の真剣な調子に思わずうなずいたが、文乃には神倉家を出るという考えは元からなかった。示されて尚なかった。

 自分に出来るかはまだわからないけれど、自信はないけれど、宗十郎の力になれるのなら、そこから離れたくはなかった。

 ただどうしても気になることはある。

「……あの、そんなことになっているのに、どうして宗十郎さんと元婚約者の方は、破談になってしまったのでしょう。宗十郎さんが今、二十一ということは、結婚されてもおかしくない年齢ですよね。文車家の人間と結婚することで、神倉家の呪いを軽減する。そのための婚約だったのに、何故破談に……」

 破談になってから文乃を探しだすまでどれほどかかったかはわからない。けれどもその間にも宗十郎の母親は呪いにむしばまれていたはずだ。

 元婚約者との縁談が復活したって、おかしくはなかったのではないだろうか。

「振られたんだ」

 さらりと宗十郎が言った。

「一年ほど前だ。俺は今、二十一、当時二十歳だったが、相手はまだ十五だった。結婚はもう少し待とうというときに、振られた」

「ふ、振られた……?」

 振られた。一般的には恋愛関係が破綻したりすることだと思う。それもどちらかというと、一方的に。愛想を尽かされるとか、そういうことのはずだ。

 今まで聞いてきた深刻な事情に対して、どこか軽い言葉に文乃は戸惑う。

 宗十郎の表情はやっぱり淡々としている。悔しさやさみしさも、怒りも悲しみもない。ただその事実を受け入れている。そういう風に見えた。

「そ、それで、よかったんですか……?」

 いや、受け入れた以上、よしとしたのだろうし、宗十郎のこれまでの言動を聞いていれば、相手の女性に振られたら、無理強いをするような人間でもないとわかっているが、文乃は戸惑う。

「いい」

 宗十郎は、優しく微笑んだ。

「彼女の告げた理由を俺は承服した。……母に神倉家との離縁を提案したのはその頃だったが、昨日言ったように却下された。だから、君を探すことになった」

「私を……」

 結果的に文乃にとってはそれは幸運だった。でも、宗十郎やその家族にとってはどうなのだろう。

「大丈夫。人生万事塞翁が馬だ」

「……はい」

 文乃は無理矢理うなずいた。

 宗十郎自身が納得している以上、文乃にはそれ以上何も言えなかった。

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