掌編三題囃:練習用
人が生きるためには:朽ち木・紫・塩による3段囃
人が生きるためには何がいるのだろう?
生きるためには塩がいる。少なくとも私はそう思う。
ここは閑散とした浜辺。この塩田に手を加えるのは私一人で、朝でも夜でもお構いなしに、ただただ働いている。
生きていくには塩がいる。だからここには人が来る。
ここに店を構えれば、近くの村から人は来る。それは生きるためのことに過ぎなくて、生きる以外の目的にはきっと来ていない。
人が幸せを得るには金が要る。金を取るには物がいる。
きっと金さえあれば幸せに倒れることが出来るだろう。
すり切れるまで世界の歯車でいるのだと、本当に思っていたのに。
それは雲が紫に染まったある日の事で、私が作った塩田を波が浚って、打ち上げられた朽ち木が嫌がらせのように荒して回った。
なんてこと無い、また直せばいい。ただそれだけなのに私を包んでいたのは虚しさだった。
生きていくには塩がいる。まだ貯蓄はあるけれど、塩田を作り直さないともうすぐ尽きてしまうだろう。
幸せを得るには金が要る。金を得るには物がいる。
あんな単調な仕事が私のものだと思っていたのに、もう一度あの様になりたがらない私がいた。
知らず知らずのうちに、私が持った社会の歯車としての爪はもう欠けていたんだ。
「今は、売っていないんです」
それはあの大雨から数日のこと。いつもの如く塩を買いに来たのだろうか、あなたは塩を求めてやってきた。
けれどもあれから塩田はほったらかしで、もう売るための分の塩すら残っていない。
どうしてなんて聞かれたけれど、馬鹿正直に言うことなんて到底できなくて。
無言な時間が辛かった、今まではなんてことないと思っていたというのに、今はことても居心地が悪い。
この空気を破るように、気を遣うように、あなたは口を開いた。
「この前の大雨のせいですか」
いいえ、それをきっかけにした私のせいです。客と店、そこに人情はない、そうだろう? けれどもだとしたら何なんだ。この悶々としたもどかしさは、この同情ともとれるあなたの眼差しは。
「お手伝い、しましょうか」
それは的外れでいて、救いとも呼べる言葉だった。でも、どうしてそんなことを? あなたは知らないのですか、私がどうしてここにいるのかを。
「好きなんですよ、この味が。じゃないとこんなところ、買いに来ませんよ」
あなたの純粋無垢な言葉が痛い。無機質な社会の歯車にはもったいなすぎる言葉だろう。ただ、どこまでもあなたは分かっていない。
「お客さん」
こんな呼び方をするのはいつぶりか、もしかしたらはじめてかもしれない。
私の事を想ってくれた人は数少ない。だからこそあなたには、失望してもらわなければならないんだ。
「私は、鬼ですよ。弱くて惨めで、人を殺すことに嫌気がさした鬼。」
あなたとは関係を築けない。ヒトのまがい物の私には、到底。
どすんとあなたは尻もちをついた。腰を抜かしたのか、絶望したのか、一向に顔を上げそうにもない。
のどが引きつる音がする。けれど、もう店じまい、そんな気分。
「だから……なんだって言うんですか」
そう言って顔を上げたあなたは泣いていた。その眼は恐怖に染まって、私の事を直視できていない。なのに、涙を流しながら、頭をゆるゆると振りながらもあなたは話すのをやめない。
「貴方は、もうやめたんでしょう、それで良いじゃないですか」
どこまでもその言葉は暖かくて。そこでようやく、あなたはあなたなりの正義に縋ろうとしていることに気がついた。
よろよろとあなたは立ち上がる。
「貴方は人のために塩を作っている、そうなんでしょう? なら、いいじゃないですか」
「……違います」
違いますよ。これはただの自己満足です。人間を真似れば幸せが手に入る、人間の辛さを味わえば清らかに生きられる、そう思っただけで。
「言ったでしょう、私は貴方の塩が欲しいんです。だから、立ち直って貰わなきゃ困りますよ」
いつの間にかあなたの目から涙は消えていた。その目は決意の目。美しいと思ったその目だ。
あなたはもうあの恐れが嘘のように私に接してくれた。そして、大丈夫、と。
「村の人たちからも、評判ですよ」
あなたは去り際に笑ってすらいた。次に店頭に並ぶのが楽しみですね。とも。
崇めつる神もいないというのに、唐突にそこで分かった。あぁ、人は強い。道を選んで歩み寄ること、私には出来なかったことを目の前でやってみせるほどに。
人を真似た繊細な手業も、容姿も、きっと的外れだったんだ。
そうか、
人が生きるためには何がいるのだろう。
そんなことを考えていたけれど、答えは一つな訳がない。
人が生きるためには縋る正義がいる。
決意がいる、意思がいる。
そして何より、味方がいる。
幸せになるためには何がいる。
強がりでも心のゆとりを持つことか
安心することか。
編み目のように広がった、それこそが人の力。それこそが人の幸せのもと。
社会の歪んだ歯車としてのこのままでは幸福を手に入れられない。もっと踏み込んで、リスクを負った先で幸せになれるんだ。
海辺を見渡すと未だ荒れた塩田がある。今は無性に目的が欲しかったんだ。社会の歯車としてではなくて、幸せであるための。
やってやる。私はヒトとしての幸せを知ってやるんだ。
短編集という名の書き溜め。 三門兵装 @WGS所属 @sanmon-3
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