第44話


 第一階層から第十階層までを初心者向けとして作り上げたことで、一度軍団長達は自分達が担当する各階層の見直しを図ることになった。

 彼らは自分の担当する区画を二つに分けた。

 一つ目は外向けのための、殺意が低めのやってくる冒険者達を鍛えるための階層。

 そして二つ目は混沌迷宮を本気で攻略しに来た者達を容赦なく殺すための階層。

 第五十六階層は、どうやら後者に分類されているらしい。


 階層としては既に過半を過ぎたあたりから、他の軍団長も一切の容赦をしなくなる。

 この第五十六階層も、殺意は極めて高かった。


(煙で前が見えんな……)


 階層にやってきたまず感じたのは、視界を埋め尽くすようにたゆたっている毒の煙だ。

 紫色の煙の範囲はエリア全体に及んでおり、ほとんど前が見えない状態だ。

 ダンジョンマスターの権能で階層内の把握ができなければ、俺も間違いなく迷子になっていただろう。


 歩いていると感じるのは、先ほどまでいた場所とは比べものにならないほどに強烈な臭気だ。

 少し嗅いだだけで致命的なものだとわかるほどに、なんというか意識が遠くなりそうな香りが漂っている。


 ただ実はこの毒の煙は、一種の罠になっている。

 煙を嗅がぬよう急いでしゃがみ込むと、更に強烈な無色の毒の霧を食らうよう設計されているのだ。


 ちなみに上の毒の煙自体、たとえガスマスクを使っても肌から吸い込んだ微量の毒だけで致死に至るような、そんな猛毒だったりする。


 常に状態異常を無効化できるようなスキルか、極めて高いレベルで浄化の光魔法か毒を吹き飛ばす風魔法を使いこなせない限り、そもそも探索を始めた瞬間にゲームオーバーになるという仕様だ。


 ダンジョンを探索するゲームなら間違いなくクソ仕様だが、ダンジョン側からするとかなり効率的なギミックと言える。

 魔物を使わず殺せるなら、その方がコスパがいいからな。


「スクロール、ジェットウィンド」


 煙がうっとうしかったので、スクロールを使ってとりあえず視界を確保しながら歩いていく。

 ちなみに俺はダンジョンマスターなので、ダンジョン内のギミックでダメージを受けることはない。


 毒の沼地を迂回するため、遠回りをしながら歩いていると、遠くから頭上の方から、翼をはばたかせる音が聞こえてきた。

 顔を上げればそこには屍となった竜――ドラゴンゾンビの姿があった。


 翼を動かす度にその翼膜にしたたる腐液がぐじゅぐじゅと音を出しながら落ち、地面に小さな染みを作っている。

 髄液に似た黄色い液体は強い酸性のようで、落ちた先にあった岩石は煙を出しながら溶け、ドーナツ型に穴を空けていた。


 ドラゴンゾンビは目の前に飛び降りると。

 腐肉をその身に宿し、本来であれば理知的な色を宿していたはずの瞳は黄みがかった白に白濁している。

 見た目は完全にアンデッドだが、ドラゴンゾンビの知性は高い。

 その証拠に飛び降りてきたドラゴンゾンビは、そのまま背中をこちらに向けてみせた


『王よ、我らの主はあちらにおります。もしよろしければ私がお送り致します』


「ああ、頼んだ」


 ドラゴンゾンビが生息する関係上、この第五十六階層はエリア自体の大きさがかなり広い。

 歩いてズモゴロフのところへ向かうのは手間だったので、お言葉に甘えることにした。

 飛び上がるドラゴンゾンビの背に乗ると、目的地につくのはあっという間だった。


『おお、ミツル様。よくぞおいでくださいましたな』


 ドラゴンゾンビから降り立つと、そこには一体の骸骨がいた。

 その見た目は、一見すると他のスケルトン達と何一つ変わらない。


 リッチと比べてもはるかに貧相に見える、見習い魔術師がつけるようなすり切れたローブ。


 手にしているのは栄養の足りていない樹木の根をそのまま掘り起こしたかのような、黒ずんだ粗末な杖。

 けれどその眼窩の奥に光る妖しい光は、彼がただのスケルトンでない何よりの証拠だった。

 第九軍団軍団長、『究極』のズモゴロフ。

 アンデッド達を統べる彼の前には複数のアンデッド達が横並びになりながら頭を垂れていた。


 ドラゴンゾンビと並んでこのエリアを担当している魔物であるエルフレブナント達だ。

 エルフレブナントの見た目は完全にエルフそのもので、彼らもエルフ同様高い魔法を持っている。

 ちなみに彼らはエルフの死骸がアンデッド化した個体ではなく、この混沌迷宮でゼロイチで作られた個体である。


「作業をしながらでも構わないぞ。そちらの手を煩わせるつもりはない」


『それは……ありがとうございます、すぐに終わらせますので』


 そう言うとズモゴロフは、手に持つ杖を掲げた。

 すると杖の上に、複雑な幾何学模様の描かれた紫色の魔法陣が現れる。

 その魔法陣の数が五を超え、十を超え、そして二十を超えた。


 魔法陣からはどす黒いオーラが漏れ出しており、いかにも邪教じみている。

 エルフレブナント達がズモゴロフに傅いていることもあり、邪教のサバトか何かのようだ。

『ジョブチェンジ』


 魔法陣の発する黒い光が強くなり、エルフレブナント達へ取り込まれていく。

 暗黒魔法ジョブチェンジ。


 ベルナデットが解析した結果、転職は特殊なスキルの類いではなく魔法によって成されることがわかった。

 神聖魔法によってなされていたジョブの変更を暗黒魔法によって再現したのが、このジョブチェンジの魔法である。


 エルフや獣人などの亜人達は神聖魔法のジョブチェンジをそのまま流用できたのだが、それ以外のほとんどの魔物達はこの暗黒魔法版ジョブチェンジを使う必要があった。


 ちなみに暗黒魔法というのは、より強力な闇魔法だ。

 光魔法の上位互換である神聖魔法の闇属性バージョンと思ってくれればいい。


『ふむ……上位ジョブになれる者はまだ五人だけか……より効率的な鍛錬を施す必要がありそうですな……』


「魔導師系か?」


『いえ、精霊魔導師という上位ジョブが一人、後は火魔導師が一人と魔法弓士が三人ですな』


 エルフレブナントはアンデッドの中でも知性が高いため、ズモゴロフが与えた命令を忠実にこなすことができる。

 対照実験のために色々な行動をさせた結果、やはり通常の転職と同様、魔法を使えば使うほど上位ジョブへの転職の可能性が上がるようだ。

 ただ弓と魔法を同じくらい使わせると、魔法弓士のジョブが生えてきたらしい。


「人間同様、魔物も転職先のジョブは己の行動が反映されるのは間違いなさそうだな」


『はい。威力を試してみてからになりますが、とりあえずこの階層の者達は全員魔法系の上位ジョブに就かせてみせようと思います。ドラゴンゾンビの背に乗らせて砲台として使いつつ、毒煙の中でゲリラ戦をさせれば人間達を多いに消耗させることができるかと』


「ああ、よろしく頼んだぞ……といっても、ここまで来れるかもわからないんだがな」


 この世界における一般的に人外と呼ばれるようになるBランク冒険者クラスの者達のレベルは、およそ60前後。

 これが魔物だとどうなるかというと、Aランクになると魔物のレベルは100を超えるようになる。


 Aランクの上位にもなると更にとんでもないレベルになる。

 上と下の個体差がありすぎるが、Aランク上位の中でも強力な個体のレベルは青天井と言っていい。


 エルフレブナントはAランク下位の魔物で、そのレベルは100前後。

 ドラゴンゾンビはAランク中位の魔物であり、そのレベルは150前後だ。


 エルフレブナントだけでもブラッドなら殺せるくらいの実力があるわけが、これにジョブとこのフィールド、そして共に出てくるドラゴンゾンビとの連携を覚えさせれば凶悪極まりないエリアができるだろう。


 これより上の階層にエリア自体が凶悪な箇所はさほどないので、隠密スキルを駆使すれば逃げながらここまで来ることはできるかもしれないが、そういった実力を伴わない挑戦者達はここで無残な骸を晒すことになるだろう。


 その光景を想像し胸を弾ませているうちに、ズモゴロフがやっていたジョブチェンジは終わっていた。


 ちなみにジョブに就くことができるのは、何も人型に限らない。

 どうやらジョブのレベルを上げるのに必要な経験値は種族ごとに違うらしいが、ドラゴンだろうがグリフォンだろうがジョブに就くことができるのだ。


 ただ人間と魔物とでは就けるジョブも違うことが判明しており、既に魔物だけが持つオリジナルジョブもいくつか見つけられている。


 あの俺を乗せたドラゴンゾンビは、グラップラーというジョブについているらしい。

 肉体に補正がかかったことで、ドラゴンゾンビなのに普通のドラゴンよりも機敏に動くことができるんだとか。


 ズモゴロフから混沌迷宮の魔物達のジョブに関する話を聞いておく。

 暗黒魔法のジョブチェンジが使えるのはまだ彼とその配下に限られているため、一番多くの情報を持っているのが彼だからだ。


 どうやら混沌迷宮の魔物達の中でも、最低限の実力……Bランク中位以上の個体にはジョブを与え終えたらしい。


 それより下の個体となると数も増えるしジョブを使いこなすことができない知性のモンスターも多いと言うことなので、それ以上は数を増やさず、以後は質を高める方向で繰り返し転職をさせているということだった。


「そうだズモゴロフ、報告にあったオリジナルジョブについてなんだが」


 オリジナルジョブは、結構当たり外れが大きいらしい。

 ただ基本的には強力な個体が手に入れたオリジナルジョブほど、強力なものになりやすいようだ。

 となるとズモゴロフが手に入れたジョブも……


『いえミツル様、その後の調べでわかったのですが、どうやら私が就いたジョブはオリジナルジョブではないようなのです』


 なんだそうなのかと口にする俺を見て、ズモゴロフはカタカタと歯を鳴らした。

 念話を使いこちらにそう告げるズモゴロフは、しかしまったく残念そうな顔をしていなかった。


 どうやら何かあるらしい。

 一体どんなもの出てくるのかと身構えていた俺の予想を……しかしズモゴロフは、軽々と超えていった。


『私が就いたジョブはその名を呪導王と言いまして……どうやらこれは既に取得方法が失伝した、世界でただ一人しか就くことのできぬジョブ――超級ジョブの一つのようです』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る