第41話
転職屋――それはマサラダの街にしか存在しない特殊な店である。
人をジョブに就けるという行為は聖教が独占しており、通常であれば転職は聖教が持つ転職神殿によって行われる。
けれど現在混沌迷宮とその主であるミツルは神敵扱いを受けており、マサラダの街には聖職者がほとんど存在していない。
そのため祈りやお布施などもなく、ただ転職をさせるだけの店が生まれたのだ。
転職神殿に行っていた時は今の自分の状態を聞くだけでも布施が必要だったし、諸々の手続きも煩雑だった。
対して転職屋は転職の時にしか金を取ることはないし、その値段も神殿と比べれば極めて良心的だ。
手続きにかかる時間が少ないこともあり、フレディのように転職神殿よりこちらの方を気に入っている冒険者は多かった。
「すみませーん」
マサラダの街の転職屋は、ギルドの右側に団子になって三つ並んでいるテントの中だ。 ぺらりと幕をめくって中に入れば、そこにはこちらに向けて微笑を称えているエルフの美女の姿があった。
「あらフレディさん、いらっしゃいませ」
フレディが中に入ると、そこにはローブを着ているエルフの姿がいる。
転職は聖教が独占している技術のはずだが、彼女達は皆転職の秘技を使うことができる。
それがどうしてなのかは、考えるだけ野暮というものである。
マサラダの街は稼げるし強くもなれる最高の場所だが、ブラックボックスも多い。
ここで安全に過ごすための一番の秘訣は、ヤバそうと思ったら首を突っ込まないことである。
転職屋のエルフが水晶球に手をかざす。
彼女はその魔道具を通じて、フレディの人間としての現在位置を知ることができるのだ。
「あら、おめでとうございます。どうやら剣豪のジョブレベルが最大まで上がったみたいですよ」
「おお、マジですか!」
「はい、次に就くことができるジョブは魔法剣士・剣客・ライダーの三つですね」
この世界で、就くことができるジョブの数に制限はない。
一つのジョブのレベルを最大まで上げ、自身も新たなジョブに就けるだけのレベルに到達をすれば、転職をすることができるというシステムになっている。
「むむむ、悩むな……」
長年憧れていた剣豪という上位ジョブについていたこともあり、どうせならば次のジョブも上位ジョブにしたいと思うフレディ。
この中では魔法剣士とライダーが上位ジョブであり、剣客は通常ジョブであった。
ジョブとは今の自分の現在地から前に進むための手助け。
自分が向かいたい方向を決めるための指針のようなものだ。
長い冒険者生活で魔法を使えれば……と何度も考えたことのあるフレディの気持ちが、魔法剣士の方に傾く。
じっくり悩んだ末に彼が出した結論は……
「剣客でお願いします」
剣豪より落ちる通常ジョブである剣客であった。
魔法剣士はよく言えば万能で、悪く言えば器用貧乏だ。
魔法は純粋な魔法職と比べれば劣るし、近接特化の近接職と比べるとかかる補正も少ない。
フレディは今まで剣一本で生きてきた。
それなら今まで歩んできたその道を信じ、極めるべきだろう。
「はい、剣客ですね」
水晶玉が強く光ると、その光がフレディの体内に取り込まれていく。
光が収まれば、これだけで転職は完了だ。
代金の銀貨二枚を渡し、フレディは今度こそギルドを後にする。
マサラダの街は日々拡張が続いている。
城壁なんていうものがないのをいいことに野放図に広がっており、一番外側にはバラックのような物まで立ち並び始めている。
一体この街はどこまで大きくなるのか、ただの冒険者であるフレディにはまったく創造もつかない。
「お兄さんいい身体してるね、一晩銀貨二枚でどうだい? あ、宿代は別だよ!」
「ミニリザードの腿肉の串焼き! たしかに値段はちと高いが、食べれば納得この旨さ!」
あちこちから聞こえてくる呼び込みの声。
汗を流して不足した塩分を露店の味の濃い料理で補給し、少し奮発してガラスに入ったワインをボトルごと買ってラッパ飲みする。
かつては苦痛だったはずの同業者との会話も、今では楽しいものに変わっていた。
金がなくて飲んでいた安酒は、今ではノニムの街ではお貴族様しか飲めなかったようなワインに変わっていた。
この街に、混沌迷宮にやってきて、フレディの人生は大きく変わった。
ベテラン冒険者として何度もダンジョンに潜ったことのある彼の経験が活き、ハック&スラッシュで強力な魔物を倒すようになったことで、彼の才能は見事に花開いた。
このまま行けばBランク冒険者になる日もそう遠くない。
もしかするとかつて自分が羨んだ、Aランクにだって……。
フレディは手を伸ばす。
その先にあるのはやわらかな光を届けてくれる月だった。
かつてはただぼうっと、見上げることしかできなかった月も、今なら頑張れば手が届くような気さえする。
環境が変われば行動が変わり、行動が変われば考えも変わる。
フレディは今とても充実していて、彼の目には全てが輝いて見えていた。
マサラダの街は今日も混沌としている。
露天ではガラクタ同然の物を売りつけようとしている物売りもいるし、裏路地では怪しい取引を持ちかけてくる大男もいる。
けれど彼らがここで商いをしているということは、本当の意味で違法の品を売っているわけではないのだろう。
マサラダの街は混沌としているが、無秩序ではない。
「……ったく、聖教会も馬鹿だよな。こんな街を作れるダンジョンマスターに勝てるはずないってのに」
彼のつぶやきは、闇夜に溶けてゆく。
このマサラダで暮らす者達ほぼ全てが、彼と同じ感想を抱いている。
彼らにとって、ダンジョンマスターミツルへの信頼は絶対的であった。
全てをもたらしてくれたミツルへ大恩を感じ、聖戦に参加しようとする人間も多い。
もちろんフレディも、その面子のうちの一人だった。
「うしっ、つまみでも買って、家で晩酌でもするかな!」
統制された無秩序の中で、今日もフレディは生きていく。
まっとうに努力をして暮らす人間にとって、これほど素晴らしい環境はない。
彼は己の身に起きた幸運を噛み締めながら、明日に備えて英気を養うのだった――。
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