第38話


 長いこと活躍の場を得られずフラストレーションを感じていたであろう混沌迷宮の魔物達。


 彼らが満足の行く戦いができたとは言いがたいが、それでもキルゴア伯爵の私兵相手に鬱憤を晴らすことぐらいならできただろう。

 彼らを蹂躙してから、早い者で既に一週間の月日が流れていた。


「ミツル様、粗茶です」


「ああ、助かる」


 出されたカップを手に取り、中に入っている茶を口に含む。

 俺がDPで出したものではない、この世界でたしなまれている茶葉を使った一品だ。


「……苦いな」


「こっちのクッキーも……ぼそぼそですっ!」


 思わず眉をしかめてしまうと、すぐ近くで飛び回っているラビリスも似たような感想を抱いたらしい。


 苦みの中にえぐみがあり、正直なところ、洗練されているとは言い難い。

 前世のファミレスのドリンクバーで飲めたティーパックのお茶の方が、よほどおいしいと言えるだろう。


 頭に乗ったクッキーのカスをハンカチで取りながら、テーブルに置かれているパウンドケーキを手に取る。

 もそもそとした食感は小麦粉の塊を食べているようだが、こちらは案外悪い味ではなかった。


 中に入っているフルーツとナッツのおかげで、多少食感と味がいまいちでもなんとかなっているのだ。

 この世界では、魔力を含むことで独自の進化を遂げている果物や魔物がいる。

 そのため食材のレベルだけなら、地球のそれに引けを取らないのだ。


「悪くない」


「あ、ありがとうございますっ!」


 そういってぺこぺこと頭を下げている彼女の名はフェルト。

 笹穂の耳を持つ特徴はエルフのそれだが、彼女はこの混沌迷宮で生を受けた存在ではない。


 彼女は以前ガブリエルが倒した伯爵認定勇者ブラッドが連れてきていた奴隷のうちの一人だ。

 ブラッドの連れてきた無法者達は全員処理させたが、ただ連れてこさせられ無体を働かされていた彼女達に非はない。


 というわけで彼女達五人は全員俺が個人敵的に保護し、迷宮内での雑用などをさせている。


 ベルナデットに聞いてみたところ彼女は魔法適正がありそうということだったので、エルフ魔術師部隊の見習いとして育ててみるのもありという話だったな。


「さて、今日はたしか……リンドバーグ子爵との話し合いだったか」


「はい、この後十五時にマサラダの街の『薫風』にてお待ち合わせとなっております。ラインザッツ侯爵本人もご同席するとのことです」


 キルゴア伯爵軍は壊滅し、当主であるキルゴア伯爵と戦場に同行していた嫡男も既にこの世にない。


 外の世界ではそのせいで色々とごたごたがあったようだが、そういった細かい後処理は全てバリスとリンドバーグ子爵に任せさせてもらった。


 伯爵領を北に進んだ先にあるというラインザッツ侯爵家も同席するということは、既に談合は終わっているのだろう。

 考えられるのは侯爵が傀儡に使えそうな伯爵家の子息を立てたり……といったところだろうか。


 めぼしい強敵がいないこともありラインザッツ家周りには大して諜報網を回していないので、細かい話は現地で聞かせてもらうことになるだろう。


 正直なところ、俺は人間の陣取りゲームにはあまり興味がない。

 別にラテラント王国の領地を切り取って領地経営がしたいわけじゃないからな。


 死にたくないという気持ちと、強敵をこの混沌迷宮へ迎え入れたいという気持ち。

 俺の中では今も常に、この相反する気持ちがせめぎ合っている。


 ダンジョンマスターとしての俺と小市民な俺。どちらも俺で、それ故に悩む。

 一体どちらに身を任せるのが正解なのか……。


(まあ、考えても仕方がないな)


 こないだの一件で、既に賽は投げられている。

 それなら俺にできるのは、盤上で手を打ち続けることだけだ。


 ちなみに、情報収集の方は順調だ。

 魔物へ変じさせることで嘘のように従順になったブラッドからはおおよその国内の事情は聞くことができたし、リンドバーグ子爵から聞いた話で補完をすればこの世界の一般常識はおおよそ網羅できたといっていいだろう。


 残るのはやはり、強者の情報。

 公爵認定勇者と勇爵持ちの勇者の末裔、それと聖女にSランク冒険者は集めたいところだな。


 あ、それとこの世界にいるAランク上位の長命な個体もあったか。あのオークエンペラーの子供は成長しきる前だったから、強さ的にはAランク上位に届いている微妙だったし。


「それなら少し早いけど、行くか」


「私も行きますっ!」


 ラビリスが頭にぴとっとひっついてきた。

 最近かまってやっていなかったせいか、今日は積極的だ。

 威厳はなくなるかもしれないが、相棒がやりたいようだから、好きにさせることにしよう。


「今日の茶は悪くなかった。俺はもう少し薄めが好みだがな」


「は、ははっ!」


 フェルトが傅きながら、ゆっくりと片膝を立てる。

 プライドが高いと噂のエルフなら俺に仕えることに抵抗があるのるかと思ったが、彼女はこちらが驚くほど俺に対して従順だった。


 礼も込めて菓子パンを渡すと、彼女の顔が綻ぶ。

 混沌迷宮で暮らす者達はお金を使う機会がほとんどないため、こうして現物を出される方が喜ぶのである。


 フェルトもプラスチックの包装に包まれたジャムパンを、嬉しそうに両手で抱えていた。


 俺は頭にラビリスを抱えながら、混沌迷宮を後にする。

 後ろには護衛のベルナデットと、今日はなぜか強烈についてくると主張してきたガブリエルを連れて。


 足取りは軽く、そして淀みない。

 ダンジョンマスターとしての俺の一日は、来た当初とは形を変えながらも、今日も続いてゆく……。

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