第36話
ラテラント王国において国教の位置を占めている聖教。
この宗教がこれほど幅を利かせることになった原因は、魔王を討伐した勇者コタローパーティーの中に、当初は未だ弱小宗教でしかなかった聖教のメンバーが含まれていたことが大きかった。
コタローを死の淵から何度も回復させ、魔王との戦いの際には死んだ彼を蘇生させたとも言われる、聖女メグラント。
彼女が確立した僧侶の育成法により、聖教は多数の回復のエキスパートを生み出す教育機関へと変わった。
その事実上のトップである教皇は、メグラントが創始し、初代教皇として務めたことでも有名だ。
聖教会は今もなお、王国各地へと強い影響力を持っている。
経典には幅広く解釈できる余地があるが、その中には当然、死後聖女として列されることになったメグラントが戦いを繰り広げた、魔王に関する記述も含まれている――。
聖教の総本山であるカウヴァティヌス大聖堂。
その礼拝堂において、一人の人物がやってきた信徒達の質問に答えている。
「教皇様、なぜカロスは文の中で、主を馬鹿にするような記述をしたのでしょうか」
「聖マハロの書、第十二節第二章――『隣人を貶めるなかれ』。カロスは主を貶(けな)した後、報いを受ける形で大洪水の被害で家族をなくしています。誰かを馬鹿にすることがあってはならない、ということです」
「なるほど……ありがとうございます、教皇様!」
真っ白のひげを蓄えている彼は、酸いも甘いも知り尽くした人物の持つ、機知を感じさせる小じわを持った老人だった。
身に纏っている青の僧衣は金糸の刺繍が慎ましやかに施されており、決して下品には感じさせない高貴さがある。
被っている帽子はかなり高く、壇上に立っていることもありその存在は普通の人間とは違う聖性を感じさせるものだった。
信徒達の質問に答える彼は、第三十六代目教皇であるコンドミヌス八世である。
「皆さん、主はおっしゃられました……『備えよ、常に』。我らは戦いのための準備を進めなければなりません」
常に人好きのする柔和な笑みを浮かべている彼の朗々たる答弁を見て、信徒達はその目を輝かせる。
信仰に熱する彼らは、教皇が自分達を見下ろす目の中にわずかな嘲りが混じっていることに、最後まで気付くことはなかった。
「ふぅ……馬鹿を相手にするのは疲れますね」
「心中お察し致します、教皇猊下」
信徒達への定期講談を終え、コンドミヌス八世はゆっくりとワイバーンの皮革を使って作られた、高級ソファーへと腰かける。
先ほどまで優しく細められていた目は大きく見開かれ、柔らかい口調にもかかわらずその心中にある棘を隠そうともしない。
彼の態度は、先ほどまで信徒達を相手にしていた時とは大きく様変わりしていた。
また、違うのは態度だけではない。
着込んでいるのはファルシャ製の絹糸を使ったガウン、そして手にしているのはガラス製のグラス。その中に入るのはヴォルド製の五十年物のワインで、ボトルを冷やすために製氷の魔道具がおかれている。
その脇にあるのはたっぷりと胡椒を使ったバイオレンスカウのジャーキーに、南方から取り寄せたよく熟れたマンゴーや桃……そのどれもが市民はついぞ口に入れることもないような、超のつく高級食材である。
「はぐっ、はぐっ、はぐっ!」
コンドミヌス八世はそれらをバクバクと節操なく口に含んでいく。
食べている間に調理されていた料理が並べられていく。
ステーキにハンバーグに肉のフライ……清貧をモットーとするはずの聖職者にあるまじき食事内容だが、当然それを指摘する者はここにはいない。
そんなことをする人間は翌日川で魚の餌になることを、誰もが理解していたからだ。
彼は甘い人間ではない。
彼が表の顔に見合わず今までのどんな教皇より残忍で強欲であることは、教会内部では周知の事実であった。
「ぶふぅ~……」
一通り食べ終えると満足したのか、彼は舐めるようにワインを飲み始める。
口の周りに肉汁や果汁が飛び散りすごいことになっているが、それも自分ではなく側仕えの僧侶に拭かせていた。
彼はグラスの中に入っているワインをくゆらせてその香りを楽しみながら、ゆっくりとため息を吐く。
「まったく教皇という仕事も楽ではない……」
教皇はあくまでも民に寄り添う存在でなければならない。
初代教皇である聖女がそんな文言を残してしまったせいで、彼はやりたくもない説法を定期的に開かなければならないのだ。
無知で、蒙昧で、者を知らぬ愚民。
自分達聖職者にせっせと金を恵んでいればそれでいいというのに……無駄に篤い信仰心を出そうとするのだから、彼らにも困ったものだ。
「こんな仕事、役得がなければやっていられんよ」
教皇は対外的な代表者であり、それ故に表向きの行動には品格が求められる。
それ故彼を含めて、歴代の教皇は外で我慢をした分だけ、そのストレスを教会内で発散させることが多かった。
コンドミヌス八世もまた、混沌迷宮が世界各地で流したあの映像は目にしている。
教皇という立場を持つ彼は、ダンジョンマスターのミツルの存在を許容するわけにはいかない。
故に彼はミツルを神敵である魔王として認定し、聖戦を呼びかけた。
そしてつい先日開いた聖教の事実上の意志決定機関である枢機卿会議において、聖戦の発動を他の者達に認めさせることに成功したのである。
「あの混沌迷宮が手に入れば、我ら聖教は大きく潤うだろう……あの子爵領を教会領としてもらうことも考えるべきかもしれんな、ふふふ……」
巨大な組織である聖教会は、各地からの喜捨によって莫大な金銭を手に入れている(ちなみに聖職者は免税特権を持っているため、彼らはどれだけ稼いでも税金を払うことはない)。
聖教会に入らないものなどはほとんど存在せず、混沌迷宮産のポーションも教皇本人が何度も使用してその効果のほどを実感していた。
混沌迷宮産のポーションを使うようになってからというもの、彼の体調はすこぶる良くなっている。
「ダンジョンマスターであれば、ダンジョンの内部を自由に弄ることもできるようになるだろう。一体何が出てくるか……」
今代の教皇である彼は俗物的な人間であり、ダンジョン制度そのものも容認している。
彼はダンジョンマスターのミツルを屈服させ、その力を使って意のままにダンジョンから出る産物の全てを聖教会に供出させる腹づもりであった。
聖なる力を使って調伏したとでもいえば、なんとかすることはできるはずだ。
彼が無謀にも思える聖戦を決行することに決めたのには、理由がある。
古今東西権力者が患う病――死への恐怖が、彼を駆り立てたのだ。
「あのポーションがあれば……私はまだまだ、生きることができる」
暴飲暴食がたたり身体にガタがきはじめているコンドミヌス八世。
彼の体調はポーションを取り始めてから明らかに上向きになっていた。
浅層からですらそれほどのものが取れるのだ。
それなら更に深くまで潜っていけば、より効果の高い薬品類が出るに違いない。
その中に若返りの薬でもあれば、自分は寿命という呪縛すら克服できる、歴史上初めての教皇になることができる。
そんなあまりにも自分勝手な理由から、彼は聖戦を発動させた。
教皇に次ぐ権力者である枢機卿達がそれを容認したのも、当然彼と同じような下心あってのことだ。
上の命令は絶対だ。
そして何時だってそのしわ寄せをすることになるのはそれより下の人間である。
「聖女キアラへ指令書を出せ。彼女には聖騎士部隊を率いて、混沌迷宮を攻略してもらう」
「……かしこまりました」
控えていた僧侶の女性は、決して反抗することはない。
泣きぼくろが特徴的な彼女は言われたとおりに文をしたためると、他の者へ託す。
そのまま片付けに入ろうとすると、教皇に肩を強く掴まれた。
「……わかるな?」
「……はい」
彼女は何も言わず、教皇と共に部屋を後にする。
その瞳からは一粒の雫が、キラリとこぼれ落ちた。
国教である聖教は、長い期間をかけて腐敗していた。
欲にまみれた彼らではあるが、持っている権力と戦力は本物だ。
清貧とはほど遠い彼らの私利私欲によって、王国内の数多くの戦力は動かされてゆくことになる――。
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