第34話
キルゴア伯爵ベルク。
彼は欲深く、そして自分が一番でなければ許せないタイプの人間だった。
ここ数ヶ月の間、彼は頭を悩ませることが多くなっていた。
その頭痛の原因は、自分よりも下だと思っていたリンドバーグ子爵の治めるマサラダの街だ。
「ええいっ、忌々しい混沌迷宮め!」
何もなかったはずのマサラダの街の近くに混沌迷宮というダンジョンが誕生した。
それに伴ってマサラダの街が突如として活気づき始めたのである。
格下の貴族相手にデカい顔をされるなどということは、王国貴族として決して許されることではなかった。
故にベルクは何度も妨害工作を行った。
勇者を派遣して混沌迷宮の利益を独占しようとしたこともあれば、息のかかった商会を派遣することでマサラダの商圏を乗っ取ってしまおうとしたこともある。
けれどその試みは、全て失敗に終わっていた。
何をやっても上手くいかないその事実が、ベルクを更にいらだたせる。
マサラダの街が栄えそこに人が流れるということは、それだけドルジの街から人が流出するということでもある。
人が減ればそれだけ経済も落ち込む。
ドルジの街の商人の中に、息が上がり始めている人間が増え始めていた。
その筆頭は、かつて勇者ブラッドの派遣を要請したバルジボア商会だ。
彼らのように商品の独占販売で財を成していた者達は、よりよい物品が混沌迷宮から産出するようになったことでその優位性を失い、危機に立たされるようになっていた。
その中にはキルゴア伯爵が懇意にしており、献金という名の賄賂を払っていた者達も多い。
このままではベルクへ入る金が減り、生活が維持できなくなるのは明らかだった。
そんなことになってはたまらないベルクがマサラダの街への進軍を決めるまでに、時間はかからなかった。
「そうだ……ダンジョンそのものを奪ってしまえばそれで済む話ではないか! そうすれば悩みの種だった混沌迷宮は――金の卵を生み出すガチョウに変わる!」
問題になっているのは混沌迷宮の存在だけなのだ。
それならば話は簡単だ。
金のなる木である混沌迷宮を、リンドバーグ子爵から奪ってしまえばいい。
リンドバーグ子爵の戦力は把握している。
そもそも認定勇者制度すら利用しておらず、常備軍の数も伯爵軍と比べれば数分の一程度しかなかったはずだ。
今まで子爵には何度も言うことを聞かせてきた。
だから今回も上手くいくだろう。
そう確信し、脅しのために軍を進めたベルクだったが……返ってきた答えは彼の想像とは違っていた。
子爵は徹底抗戦の構えを見せたのだ。
「子爵風情がこの俺に文句をつけるなど、到底許しがたい!」
怒りに任せ、彼は進軍を再開する。
脅して言うことを聞かせたら混沌迷宮とマサラダの街だけで済ませるつもりだったが、こうも反抗的ならもはや躊躇することもない。
リンドバーグ子爵領から全てを奪う覚悟を決め、彼は軍を進めた。
今回の進軍には、伯爵認定勇者に騎士達、そして彼らが率いる農民兵を加えた領軍三百に加え、大量の冒険者達もついてきている。
その理由は、軍を率いる勇者達にあった。
先日一人が行方不明になったものの、未だキルゴア伯爵には五人の伯爵認定勇者が存在している。
その五人全員が参加を表明したため、おこぼれに預かろうとした冒険者達が大量にやってきたのである。
少し数は多かったが、戦力としては使えないこともない。
自身の懐が痛まないということもあり、伯爵は彼らを連れて行くことにした。
そう、どれだけ兵数が増えようと伯爵の懐は痛まない。
なぜなら糧食に関してはマサラダの街への進軍にあたって、ドルジを根城にする複数の大商人達が、自ら提供を申し出てくれていたからだ。
マサラダの街に、というより混沌迷宮に煮え湯を飲まされた者は多い。
彼らの中には、軍についてくる形で子爵領まで直接足を運んでいる者も多かった。
なぜそんなことをするかと言えば、当然儲けのためだ。
略奪の際、兵士はあまりかさばるものを持ち帰ることができない。
そんな彼らが奪ってきたものを金貨や銀貨で買い付け、馬車に乗せて帰還する。
そしてそれらの物品を高値で捌くためだ。
遠征軍についていくことには危険も多いが、それ故に成功した場合の実入りも大きいのである。
今までの損失を埋め合わせるため、この遠征には数多くの商会が参加していた。
その中には当然、バルジボア商会の姿もあった。
「ふっふっふ……見えてきたぞ、マサラダの街が!」
キルゴア伯爵の計画は順調だった。
平野へ辿り着き子爵軍と直接相対する段になっても、まったく危機感を感じることはなかった。
だがそれがおかしくなり始めたのは、戦の前口上を言いに謎の男が出てきてからだった。
漆黒の軍服を着込むその人間は、どこか浮世じみていて、物語の中の人物のようだった。
自らをダンジョンマスターと名乗り、とてつもない美人のエルフ達を侍らせている。
中でも彼の脇に控えている女は極上だった。
「うっひょおっ! こいつはすげぇ!」
勇者の中の一人――『剛槍』のランビエルが、エルフ達を見て歓声を上げていた。
エルフはめったに人里に出てくることはない。
奴隷として連れ帰ることができれば、とてつもない値段がつくだろうからだろうか。
あるいは、自分で楽しむつもりかもしれない。
エルフとそういうことができる機会など、今後やってくるかもわからないのだから。
キルゴア伯爵は上機嫌だった。
混沌迷宮に加えて大量のエルフまで手に入る。
遠征におつりが来るなどというレベルではない。
とてつもない黒字だ。
ベルクには明るい未来しか見えてはいなかった。
それ故に彼は気付かなかった。
冒険者達の中に見知った顔を見つけて驚いている者がいることにも。
そして相手の力量を知り、青白いを通り越し顔が土気色になっている勇者がいることにも。
「「「ディメンジョンゲート!」」」
「なっ、なんだっ!?」
エルフ達によって使われた謎の魔法。
すわ攻撃されたのかと急ぎ下がる伯爵。
けれどどうやらそうではなかったらしい。
突如として現れたのは、黒い渦だった。
見ているだけで不安を煽ってくるような、心をささくれだたせるような、不思議な魔法だ。
「行くぞ、キルゴア伯爵軍! 身の程を弁えぬ馬鹿達に、天誅を下すのだ!」
けれどあちら側から魔法が放たれたということは、つまりは開戦の合図であった。
勇者を戦闘にした縦列を組んでいた伯爵軍は雄叫びを上げながら突撃をしようとして……その動きを止めた。
先頭だけが止まり、つっかえてしまったのではない。
前にいる人間も、後ろにいる人間も、その全てが等しく歩みを止めていた。
ズズズ……と渦から音が鳴らす。
それがキルゴア伯爵には、世界が上げた悲鳴のように聞こえた。
「な、なんだっ!?」
次の瞬間伯爵の鼓膜を震わせたのは、今までに聞いたことがないほどに多種多様の音だった。
地響きを伴う足音。
熱を伴う呼吸音。
聞いたことがないほどに邪悪な笑い声。
「何が起こっているのだ!?」
音に遅れて続くのは、色の暴力。
物語の中でしか見たことがないような百鬼夜行が、ベルクの視界いっぱいに広がってゆく。
渦の向こう側からやってくる、見たことも聞いたこともないような魔物達。
止めどない水流のように大量の魔物ばかりが出てくることにも驚きだが、更に驚くべきはその組み合わせであった。
本来であれば不倶戴天のはずの天使と悪魔が横に並びながら、歩いている。
天を衝くほどの巨人達が、小人にしか見えぬ妖精達と会話している。
一体なぜ多種多様な魔物達が、喧嘩をすることもなく、同じ場所で同じ方向へ向いているのか。
なぜ彼らは――こちらへ揃って、進軍しようとしているのか。
「何が……一体何が起こっているのだ!?」
かわいらしいマスコットにしか見えぬような魔物も、感情を持つはずのないゴーレムも。
一つ目の異形も、火を噴くドラゴンも、皆が戦意をたぎらせながら、ギラついた笑みを浮かべながらこちらへと駆けてくる。
モンスター達は皆、笑っていた。
顔がついていない魔物達も多いのだが、なぜか伯爵には、彼らが笑っているのがわかってしまった。
ベルクには理解ができなかった。
あまりに理解の埒外の出来事が連続して起こりすぎたせいで、彼の頭は完全にショートし始めていた。
「「「蹂躙せよ!! 蹂躙せよ!!」」」
全ては順調なはずだった。
混沌迷宮を手に入れ、そのダンジョンから生み出される莫大な財によって私腹を肥やし、より贅沢な暮らしを満喫するはずだった。
戦力差は圧倒的で、こちら側が一方的に子爵達を蹂躙するはずだった。
「「「蹂躙せよ!! 蹂躙せよ!!」」」
勇者達がいる、騎士達がいる、冒険者達がいる。
万に一つも負けはないはずだった。
全ての歯車が狂った理由は何か。
決まっている――あのダンジョンマスターを名乗る男のせいだ。
彼は本当に、ダンジョンマスターだったのだ。
ダンジョンを統べる、魔物達の王――。
「閣下、お逃げください!」
「ここは我々が!」
配下達は自分のことを逃がそうとしている。
けれど今この場でそんなことをするのに、なんの意味があるというのか。
ベルクが視線を下げる。
わずかに坂になっている平野の先では、先頭を行く勇者達が魔物達と戦っていた。
だが彼は、それを戦いと呼んでいいのかわからなかった。
「クフフッ、こんな簡単に狂ってしまっては、面白くありませんね」
「ア、アハ……アハハハハハハハハッ」
悪魔が笑い、相対していた勇者は狂ったように笑い始めた。
踊りながら、意味もない奇声を発しながら、自分の仲間であるはずの兵士達へ斬りかかっている。
「ふむ……剣の錆びにするには、いささか物足りんな」
先ほどあれほど気炎を上げていた『剛槍』のランビエルは、その槍ごと真っ二つに叩き切られていた。
相対しているのは、緑色の甲冑を着込んだモンスターだ。
着込んでいるそれは甲冑と呼ぶにはあまりにもシャープな輪郭をしている。
鎧部分には凹凸があり、頭部には触覚が生えている。
甲冑型の甲殻を着込んだ、昆虫種のモンスターなのだろう。
昆虫種のモンスターが人型になるなどという話は聞いたことがないが、今目の前で繰り広げられているとびきりの異常の前では、それすら些事に過ぎない。
「む……?」
「ひいっ!?」
手にしている剣を収めるその魔物の瞳が、伯爵の方へと向いた。
たったそれだけのことでベルクは腰が抜け、立てなくなってしまった。
恐れのあまり小水が漏れ、ズボンがビシャビシャに湿ってしまう。
騎士達が彼を立たせようとしたところで、突如として彼らへ接近する一団が現れた。
農民兵、従士、騎士達を鎧袖一触にしながら、彼らは一直線にベルクの下へとやってくる。
その先頭を行くのは、二足歩行をする獣の魔物であった。
獣の特徴を持つ人を獣人と言うが、目の前にやってきたそれは人の特徴を持った獣とでも呼ぶべき存在だった。
獅子の顔に、唇を突き刺すように伸びる犬歯。
全身が獣の皮膚に覆われ、その上から甲冑を着込んでいる。
「我こそは混沌迷宮第二軍団軍団長、『唯我』のアルフレッド! キルゴア伯爵、その首――もらい受けるっ!」
瞬間、ベルクの世界がぐるりと回転する。
最初のうちは理解が及ばなかったが、視界の下にある首のなくなった自身の肉体を見たことで、伯爵は今の自分の状態を悟った。
首だけになって宙を浮かぶ彼の目に、先ほど口上を述べたミツルが映る。
彼は魔物達が暴れ回る様子を見て、満足げに頷いていた。
(この――化け物が! せいぜいお山の大将としてふんぞり返っているがいい! いずれ必ず、勇者が英雄が聖教会が――世界が、お前を殺すだろう!!)
ベルクの意識が遠くなっていく。
地獄絵図と化した戦場では、魔物達が伯爵の領軍を蹴散らしていた。
阿鼻叫喚の叫び声をBGMにしながら……キルゴア伯爵はその命の炎を消す。
――この日、キルゴア伯爵軍は全滅の憂き目に遭った。
軍学上の判定ではなく、文字通りの全滅――商人も冒険者達も、一人も残らず死んでしまったのだ。
そしてその蹂躙の様子を、世界が見届けていた。
この日、混沌迷宮の名は世界中に知れ渡ることになる。
それは混沌迷宮がその産声を高らかにあげた、第二の誕生であった。
以後この世界は、ダンジョンマスターであるミツルを中心に動き出すことになる。
ミツルの統べる混沌迷宮が人類の敵となるのか、それとも良き隣人となるのか。
それは張本人であるミツルですら、あずかり知らぬことである――。
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