第31話


「ふぅ……」


 冒険者ギルドマサラダ支部のギルドマスターであるバリスは、マサラダの街の中をゆっくりと歩き回っていた。

 あまりの忙しさから逃れるするための、現実逃避のための散歩だ。


 そんなことをしても事態が好転しないことなど、長い人生経験をしてきたバリスには痛いほどよくわかっている。

 けどそれでも逃げたくなるような時が、大人にはあるのだ。


「……」


 バリスがこの街のギルドマスターという仕事を引き受けたのは、楽な余生を過ごそうと考えたが故のこと。

 ドルジの近くに存在しているという、衛星都市としての価値しか存在していなかったマサラダの街。


 自然豊かなこの街で危険から離れ、事務仕事でもしながら過ごし、かわいい娘が産んだ孫の顔を見て大往生がしたい。

 そんな考えから冒険者を引退し、よりにもよってこのマサラダのギルドマスターになってしまったことを、彼はここ数ヶ月の間、両手両足の指では数えきれぬほどに後悔していた。


「はぁ……」


 再びため息をこぼしながら顔を上げて街を見る。

 そこにはここ数ヶ月の間で見慣れてしまった、それまでとは一線を画すほどに活気にあふれたマサラダの町並みが広がっていた。


「ほら、今朝取り立ての混沌迷宮産のポーションだ!」


「ガイナックス火山街で鍛え上げたトラスト工房の鉄の剣だよ、こいつを使えば第三階層のヘルコンドルを相手にしても楽勝さ!」


 大して客がやってこなかったせいで寂れ潰れていたはずの商店や薬屋の跡地には、今やめざとくやってきた商人達が店を構えている。


 かつて空き地だった場所には猛烈な勢いで家が建てられ始めており、至る所からトンカチが釘を叩く硬質な音が聞こえてきていた。


 現在のマサラダの街では建築ラッシュが始まっており、それに伴って街の地価もものすごい勢いで上昇している。


 そのおかげでやってきたばかりの時に捨て値同然で買った複数の土地を持っているバリスの総資産額は、なかなかにすごいことになっている。


 今この瞬間に土地を手放しさえすれば、ギルドマスターを辞めて死ぬまで豪遊をしても使い切れないだけの金が手に入るだろう。

 まあそんなこと、できるはずがないのだが。


「ほら、こっちにあるのは混沌迷宮から出た不思議なアイテム群だ! 今はまだ効果がわかってないけど、中には絶対に掘り出し物もあるはずだよ!」


「さあ、冒険者には必需品のカンテラを今ならたったの銀貨一枚! 大安売りだ、後にも先にもこれっきりだ!」


 店に使う確保できなかった者達は露天を開き、好き勝手に物を売っている。


 領主に無許可での営業なので本当なら規制をしなければならないのだが、いかんせん混沌迷宮の評判を聞きつけて入ってくる人間が多すぎるため、いちいち取り締まっている時間がないのだ。


 なので彼らは違法な物品の売買や詐欺などをしていない限りは、実質野放し状態だ。

 まあ俺は領主じゃないからと、バリスは見てみないふりをしながらその横を通り過ぎてゆく。


 ――マサラダの街は現在、空前の好景気に沸いていた。


 まず最初にやってきたのは、混沌迷宮の情報を聞きつけ、一攫千金を狙う冒険者達だった。

 そして次に彼らに対して物を売りつけ、代わりに出土するアイテムを買い漁る商人達がやってきた。


 更に彼らが高値で買い取りをしてくれるとわかった冒険者達が更にやってきて……気付けばみるみるうちに人数が膨れ上がっていったのだ。


 商人がやってくる場所には、人と金の流れができてゆく。

 大量の人が居る場所にはそれだけの需要が生まれ、商人にとってそれは更なる商機を生み出す呼び水となる。


 最初は武具やダンジョン探索に有用な薬品類だけだったが、食料品に生活用品と取り扱われる商品はどんどんと増えていき、気付けば店として使えるような家屋にはほぼ全てテナントが入った。


 そうしたらないなら作ればいいとばかりに家の建築が始まり、それに釣られて木材を取り扱う商人がやってくるようになった。

 男性比率が高すぎることに目をつけた経営者は娼婦達を呼び込み娼館経営を始めた。


 今やマサラダの街で手に入らないものはない。

 都会の洗練された化粧品から遠く離れたところに産地のある特産物まで、あらゆるものがマサラダに集中していた。


 あらゆるものが手に入るこの街には、その匂いに引かれてやってくる者達も多い。

 混沌迷宮と手を組んだマサラダの街は、正しく混沌によって支配されているのだ。


(時折、以前の頃のように何もなかった頃が懐かしくなる時もある。けれどそれはきっと感傷でしかないんだろうな)


 片田舎で物を買うのにも苦労していた以前と、混沌迷宮によって混沌の坩堝となっている現在。

 どちらにもいいところはあるが、現状を見ればまず間違いなく今の方がいいだろう。


 マサラダにいる者達の顔は皆明るい。


 好景気に沸く今のマサラダなら誰でも仕事にありつくことができる。

 もし仕事にありつけないとしても、混沌迷宮に潜る冒険者になればいい。


 それがわかっているからこそ、彼らの顔にはまったく悲壮感がないのだ。

 皆の笑顔を作る、その一助になることができている。


「そう思うとギルマスになったのも、悪いことばかりではなかったのかもな」


 バリスは一人ひっそりと笑うと、散歩を再開する。

 その足取りは先ほどまでよりもずっと軽くなっていた。


 彼が休憩を終えギルドへ戻ろうかと踵を返すと、向かい側からものすごい勢いで駆けてくるマリーの姿を見かけた。

 彼女はバリスを発見すると、血相を変えて彼の方へと駆け寄ってくる。


 彼女が焦って急いでいるのは、大抵の場合ろくでもないことが起こった時だ。

 そして残念なことに、それは今回も例外ではなかった。


「ギルマス、大変です! キルゴア伯爵がリンドバーグ子爵に対して宣戦布告しました! 勇者率いる伯爵軍が混沌迷宮を実行支配すべく、このマサラダの街に向かっているとのことです!」


「……」


 言葉を失ったバリスは、何も言わずに天を仰いだ。

 潤んだ両目をその大きな手で覆いながら、唇を噛みしめる。


(……前言撤回だ。やっぱりギルドマスターになんて、なるんじゃなかった)


 彼はマリーを置き去りにして、額に汗を掻き急いでギルドへと駆け出した。


 今すぐにでも、彼にこのことを伝えなければならないだろう。

 このマサラダの街を良くも悪くも一変させた彼――ダンジョンマスターのミツルへと。

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