第30話


 オークエンペラーと『裁きの雷槌』の戦いによって生じた大津波と雷は、冒険者達をオーク共々押し流していた。


 森の奥へと流される者もいれば、森の手前にある平原に流された者もいる。


 けれど皆が現在では、かつては森だった、木々のなぎ倒されている場所を利用してオーク達と戦い続けていた。


 自分達の王の勝利を疑わないオーク達の戦意は萎えることはなく、相変わらずその数は多い。


 濁流によって生じた木々やオークの死体といった遮蔽物を上手く利用しながら、冒険者達は囲まれないよう連携しながらオーク達の討伐にあたっていた。


 フレディもそんな討伐組のうちの一人だ。

 彼はなるべく狙いをオーク達を隘路に誘い込む形で一対一に持ち込むことで優位な状況を作り続けることで、なんとかやられることなくオークの数を減らし続けていた。


 けれど騙し騙し戦うのにも、いい加減限界がき始めていた。

 用意していたポーションは既に底を尽き、切り傷の多さに全身は熱を発し始めていて、ただ何も考えず、冒険者として過ごしてきた経験値だけで無意識に剣を振るい続けている。


(しっかし……凄まじいな、Aランク同士の戦いってやつは)


 半ば反射的に身体を動かしているフレディには、自分達から少し離れたところで行われている英雄達の戦いに思いを馳せるだけの余裕もあった。


 彼がオーク相手に必死に戦っている間にも、当然ながら今回の戦いの帰趨を決めることになる激闘が行われている。


 相手の足を斬り、機動力を削いで、そのまま首の動脈を切りつける。

 そんなちまちまとした攻撃をしている自分とは、文字通り次元の違う戦いだ。


 迸る雷、荒れ狂う嵐、思わずふらつきそうになるほどの地響き。

 行われているのが本当に戦闘なのかも怪しくほどだ。

 真面目に戦っているこっちが馬鹿らしくなるような戦いが行われているに違いない。


 鼓膜を破るほどに巨大な音が高頻度で聞こえてくる中で、そんな風に考えていたフレディ。


 けれど無我の境地に達しかけていた彼であっても、流石に突如として現れたソレ・・を見逃すことはなかった。


「な……なんだありゃあ……」


 倒れているとはいえ、巨大な樹木の宿す枝葉は広範囲に広がっている。

 そんな良好とは言えない視界の中でもよく見える、巨大な一本の柱。


「うおっ!?」


 天から裁きでも下されたのかと思うほどの白さと光度の強さ。

 それが地面に突き立った瞬間の衝撃は、フレディと彼と相対しているオークが共に地面に倒れ込んでしまうほどに強烈だった。


 思わず地面を転がるフレディ。

 我に返り彼が戦闘態勢を取ろうとすると……相対しているオークの様子が急変した。


 先ほどまであれほど猛り狂っていたはずのオークの顔から、覇気が完全に消えていたのだ。

 それを見たフレディは、自陣営の勝利を悟った。


 プギィと豚に似た声を上げながら、こちらを気にする余裕もなく森の奥へ逃げ出そうとするオーク達。

 目の前で背中を見てた一体はなんとか切り伏せたが、それが今のフレディにできる限界であった。


「おっとっとっ……痛たたたたたっ!!」


 思わずたたらを踏んだ彼は、突如として発した全身の痛みに思わず身もだえしてしまう。


 ――当たり前だが、彼の身体は既に限界を超えていた。

 今までは脳内物質の過剰分泌でなんとかなっていただけで、既に今の彼は満身創痍を飛び越えて全身重傷だらけという有様だ。


 痛みに必死に耐えながら、彼はなんとかオークエンペラーと『裁きの雷槌』が戦っていた、かつて森の入り口だったところへと向かっていく。


 戦闘の痕跡はあまりにも大きく、もはや爆心地のようになっており、見る影もない。

 なぜかその場に、『裁きの雷槌』の姿はなかった。


 オーク達の掃討のために森の奥へ入っていったのだろうか……?

 それだと勝ち鬨を上げることも派手な戦闘音が鳴ることもない今の状況はおかしな気もするが……。


「まあなんにせよ、オークエンペラーは倒せたわけだ」


 彼の目の前で倒れている巨体は、間違いなくオークエンペラーであった。

 これほど特徴的なものを見間違うはずもない。


 ただ、いくつか気になったことがある。

 オークエンペラーの腹には、巨大な穴が空いていた。


 ただ穴が空いていただけなら戦闘の結果と納得もできるが、巨大な穴から見えるオークエンペラーの肉体は、内側から食い破られでもしたかのようにえぐり取られていた。


 そして一番気になったのはやはり、その隣にある見たことのない真っ黒な人型の魔物だ。

 既に息がないのは見ればわかったが、その身体から発されているオーラは死体を見ているだけで怖気を催すほどに強烈であった。

 立ったまま死んでいるこいつは、一体……?


「あら、生きてたのね」


 思考を中断したのは、背後からかかってきたのが聞き慣れた声だったからだ。

 くるりと後ろを振り返れば、そこには森からこちらへ近づいてくるベルの姿があった。


 傷一つ負ってない状態な事にも驚いたが、それよりフレディを仰天させたのは、彼女が両肩と脇に抱えている三人の人間の方だった。

 目を閉じたまま意識を失っている彼らは、間違いなく『裁きの雷槌』の三人。

 どうやら彼女は森の方から彼らを回収してきたらしい。


 となると、一体誰がオークエンペラーとこの謎の魔物を倒したのかということになる。

 この場で立っているのは、ベル一人。

 そこから導き出される答えは――


「ベル、君が倒したのか?」


「そうよ。オークエンペラーじゃなくてこの始祖オークだけだけどね」


「――始祖オークだって!?」


 思わず反応したのも、無理なからぬ事だろう。


 女性を攫うという意味で人類の敵であるオークと冒険者とは、切っても切れない関係にある。

 故に無論フレディも、オークの生態については詳しかった。


 だがそんな彼をして、始祖オークというのは、おとぎ話の中にしか出てこないような存在だ。


 とんでもない強さを誇る化け物だったはずだ。

 『裁きの雷槌』ですら倒せなかったという始祖オークを、ベルが倒した……。


 それを聞いて湧き出てくるのは、自分でも意外なことに、恐怖ではなかった。

 彼の脳裏を、昨日別れ際にベルに言われた言葉がよぎる。


『それと最後にもう一つ……諦める必要なんて、ないんじゃないかしら?』


 気付けば言葉が、口から飛び出していた。


「俺は本当に……諦めなくてもいいのか?」


 フレディの年齢は、既に三十を超えている。

 冒険者になってから得たものは多くこうしていっぱしの冒険者として活動はできているが、既に肉体としての盛りは過ぎていると言っていい。


 ここまでしかできないと諦めていた。

 ここが自分の限界だと、見て見ぬふりをし続けた。

 彼は誰かを見て羨ましいと思う自分から、目を背けてきた。


 ――現実は何時だって、彼に厳しかったから。


 最盛期の自分ですら、Bランクに至るまでの強さの壁を超えることができなかったのだ。

 それでどうして、今の自分に自信が持てる?


 だが彼の胸の奥の奥には、いつだって炎がくすぶっていた。

 いつか抱いた憧憬。

 自分だって英雄になれると思っていた、若い頃のきらめき……。


 彼の瞳に宿った輝きを見て、ベルは笑った。

 彼女は『裁きの雷槌』の三人を地面に横たえると、いつかのように手にしたポーションをフレディへ投げつける。


「――ええ、もちろん」


 彼女の足下に、突如として魔法陣が浮かび上がる。

 複雑な幾何学模様を描いたその魔法陣は、淡く紫色の光を発している。

 それは今までフレディが見たことがないほどに、精緻で、複雑で、そして美しかった。


 魔法陣の宿す光が強くなる。

 ベルがゆっくりと目を開けた。


 二人の視線が、ほんの一瞬重なった。けれどそのあまりのまばゆさに、フレディはすぐに目を閉じてしまう。


「混沌迷宮にいらっしゃい。そうすればきっと……あなたはもっともっと強くなれる」


 バシュンッという音が聞こえたかと思うと、次の瞬間には光は収まっていた。

 そこに、ベルの姿はなかった。

 先ほどまであれほど自己主張をしていたはずの魔法陣も、跡形もなく消えていた。


 ひょっとして自分は、夢を見ていたのかもしれない。

 狐につままれたような気分になった彼は目を擦ろうとして、そして己の右手の感触に気付いた。

 そこには先ほど渡されたポーションが握られていた。

 夢でも幻覚でもない、あれは現実だったのだ。


「混沌迷宮、か……」


 フレディは空を見上げる。

 未だ照りつける太陽は、まぶしいほどに輝いている。


 きっと自分が求めているものは、混沌迷宮にある。

 なぜかフレディには、そんな予感があった。


 オークの掃討が終われば、すぐにでも混沌迷宮に行こう。

 彼がそう決意を固めるまでに、時間はかからない。


 一度は諦めた夢だったが、今からだって遅くはないかもしれない。

 英雄が倒せなかった魔物を倒せたベルの言葉を、信じてみよう。


 きっと……いや絶対に俺は、強くなれる。

 あれほどくたびれていたはずのフレディは前を向いていた。

 いつかノニムの街に来たばかりの頃のような、熱い思いをその胸に秘めて――。

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