第29話


 固有スキルには、大きく分けて二つの種類がある。

 一つは特定の種族のみが使用することのできる、種族の持つ固有スキル。

 そしてもう一つは世界でただ一つの個体だけが使うことのできる、純粋な意味での固有スキルだ。


 今回ラーゲ大森林で誕生したオークエンペラーが持っていた固有スキルは、この場合後者であった。

 固有スキル『覇者の胎動』。

 己が胎内に宿した子を己より強力な存在として昇華させるというただそれだけの能力で在る。

 

 これがただの雌のオークに生じたものであれば、何も問題は起こらなかった。

 ただ強力なオークの個体が生まれただけで終わっただろう。


 けれどこのスキルを宿したのは、Aランク中位であるオークエンペラーであった。

 ただでさえ誕生しないオークエンペラーが運良くメスに生まれ、更にその個体が『覇者の胎動』という特殊な固有スキルを持つというのは、なんという運命の皮肉であろうか。


『俺を出せ! 俺をここから! 早く!』


 オークエンペラーは腹に己が子を宿した段階で、脳に直接声が届くようになっていた。

 普通ではありえないことだが、それがまだ生まれても居ない自分の子の声であることを、その個体は疑っていなかった。


『産まなければ……この子を、一刻も早く!』


 オークエンペラーは森を平定し、彼女が内に宿す鬼子は大きく育った。

 その声は日々ますます大きくなっていく。

 オークエンペラーは次の対象に、人里を狙うことにした。

 人の中でも強力な個体からは、特に活き活きとしたエネルギーをもらうことができることを知っていたからだ。


 そしてオーク軍と街の討伐組は戦い……オークエンペラーはその命を落とす。

 けれどそれまで母体が溜め込んだエネルギーは、既に腹に宿した鬼子が単体で活動するに十分なほどに蓄積されていた。


 故にオークエンペラーが子――『覇者の胎動』によりオークエンペラーの上位個体として進化の最中にあった個体は己が母を食らった。


 ぐちゃり、ぐちゃり、ぐちゃり。


 母を食らうことに対する忌避などというものはない。

 肉を食らうことで己の身体に血肉が巡る、その充足感が彼を満たしていた。


 通常オークエンペラーは、オーク種における最上位個体である。

 ではオークエンペラーより上のオークがいないのかと言われると、そうではない。

 現存こそしていないものの、今よりもはるか昔、未だオークという種族が存在していなかった頃、世界には一体の魔物がいた。


 現在のオークの全ての父であり、この世にオークという種族を作り出した存在。

 人によく似た姿形をしたその個体は、こう呼ばれていた。

 全てのオークの父――始祖オークと。


 Aランク上位モンスター、始祖オーク。

 成長途中で顕界することになった故、始祖オークという種本来の力を完全に取り戻しているわけではないが……それでもその実力は母胎となったAランク中位モンスター、オークエンペラーを容易く凌駕する。





「ふぅ……まあお前が誰であろうと構わんか」


 ため息をつきながら、漆黒の肉体を有する始祖オークが軽く腕を振った。

 突如発生する、凄まじい強風。

 振った腕を中心に、竜巻にも似た暴風が巻き起こる。


 足下で倒れていた『裁きの雷槌』達はそれだけで吹き飛び、根元でへし折られている木の幹に激突した。


 始祖オークは何かのスキルを使ったわけではない。

 彼はただ、拳を軽く振っただけだ。

 純粋な拳圧が、ただの風魔法に勝るほどの風圧をもたらしているに過ぎない。


「俺は生まれながらにして王だった。母の腹に宿った時には自我があり、己が使命を理解していたのだ……」


 彼は地面にある石を握る。

 こぶし大の、何の変哲もない石だ。

 物憂げな表情を作り、彼はそれを握った。

 その握力のあまり石は砕け粉みじんになり、砂へなって大気へと散ってゆく。


「強すぎる力という者を持つのは、なかなかに虚しいものだ。そうは思わないか、そこの女?」


「そんなことないと思うけど。力を自らが使える至高の主のために使えることは、何よりの幸せだと思うわ」


「くっくっく、凡愚の考えそうなことよ」


 始祖オークは目の前にいるエルフを見やった。


 テレパシーによって母体のオークエンペラーからおよその一般知識を学んだ彼には、目の前の存在がエルフであることを理解している。

 今の彼は、当然ながら美醜の感覚も持ち合わせている。


 エルフの女は美しいと知識で知ってはいた。

 しかし頭で知っているのと目で見るのとでは大違いだ。

 王である彼は、ゆっくりと舌なめずりをした。


「喜べ、お前も俺のハーレムに加えてやる。死ぬまでかわいがって、両手両足で数えきれぬほどの子を産ませてやるぞ」


「うわ、気色悪っ! そんなこと本気で言うやつ、まだこの世に存在してたのね」


 始祖オークを見たベルが、うげーっと舌を出す。

 けれど彼はそれを見ても、眉一つ動かしはしなかった。


 強気の女を屈服させることもまた一興。

 彼は異種族にも性的興奮を覚えるオークとしての一面も、しっかりと受け継いでいる。


「だが……少しお仕置きが必要のようだ」


 その姿が消える。

 残像すら残さぬ、超高速の一撃。

 スキル手加減を使った、相手を殺さぬギリギリのところで生かすことのできる一撃だ。


 パァンッ!


 尾を引くほどに大きな打撃音。

 破裂音に似た甲高い音は、一撃がしっかりと命中していたことをたしかに示していた。


 手加減したとはいえ、Aランク上位モンスターである始祖オークの放った一撃。

 山を砕き海を割るその一撃を食らっても――しかしベルはその場で微動だにしていなかった。


 ダメージを受けた様子もなくその場に立ち、余裕そうな表情を崩していない。

 彼女は挑戦的な顔をしたまま、自分よりも小柄な始祖オークを見下ろす。


 王として生まれた始祖オークにとって、他者から向けられる侮りは、到底許容できるものではない。

 ぶちりと額の筋が切れ、その怒髪は天を衝いた。


「本気でかかってきなさいよ」


「――後悔するなよ、女ァ!」




「――シッ!」


 始祖オークの豪拳が唸る。

 放ったのはなんの捻りもない右ストレート。ただし先ほどとは異なり手加減をしていない、力を込めた全力の一撃だ。


 その拳圧に先ほどは防御姿勢を取らなかったベルも、今度は腕を前に構えてみせる。

 けれど始祖オークの一撃は腕ごと壊すぶち抜き、ベルへと激突した。


 拳を食らい、吹き飛ぶベル。

 遅れて風が流れた。

 ジェット気流のような激しい風が辺り一面にソニックムーブを引き起こし、周囲のものをを根こそぎ吹き飛ばしていく。


 暴風に倒れていた『裁きの雷槌』達の姿はどこかへと消えてゆく。

 周りにいたオーク達も逃げ惑い始め、冒険者達の姿も忽然と消えていた。


 ベルは地面を跳ね、樹木にぶつかり、ぶつかった木がへし折れてもその勢いは衰えることはない。

 ズガガガガッと連続する音は、ベルとぶち抜かれる数多の木々が奏でる不協和音であった。

「ふっ、他愛ない」


 生まれたてである始祖オークは、未だほとんど何もスキルを所有していない。

 けれどそれでもなんら問題はない。

 なぜなら始祖オーク自体、そのスキルの強力さ故に上位に格付けされている魔物ではないからだ。


 始祖オークがAランク上位とされる所以はただ一つ。

 ――純粋な意味での強さだ。


 他者を圧倒するスペックだけで最上位へと位置づけられるその始祖オークの肉弾戦は、他とは文字通り格が違う。

 その剛拳は全てを破壊し、その貫手はあらゆるものを刺し貫く。

 始祖オークは身体能力にその能力のリソースのほぼ全てを振っている特化型の魔物と言える。


「ただつい本気を出してしまったからな……あれでは生きてはいないだろう。せっかくの雌を一人殺してしまうとは……」


「痛たたた……流石の馬鹿力ね」


「――っ!?」


 突然の背後からの声に、始祖オークはすぐさま転身し後ろを振り返る。

 するとそこには、つい今し方吹き飛ばしたはずのベルの姿があった。

 全身には擦り傷がついているが、重傷を負っている様子はない。


「なぜ――」


 始祖オークの思考が停止する。

 ただのエルフごときが、自分の全力の一撃を食らって生きていられるはずがない。

 内側から弾け、木々のシミになっていなければおかしいのだ。

 始祖オークが学んだ知識の中に、該当するデータは存在しない。


 彼がフリーズする様子を見て、ベルは笑う。

 笑う彼女の全身は薄く光り、次の瞬間にはその傷は全て癒えていた。

 回復魔法、しかもその回復量は極めて高い。


 それを見た始祖オークは、侮りを消した。

 目の前にいる存在は、自身が知っているエルフではない。


 魔導に精通した一級のエルフ。

 全力で挑まなければ、その牙は自分の喉元へと届きうる。


「おおおおおおっっ!!」


 始祖オークは全身に力を込める。

 パンプアップした彼の二の腕が更に太くなり、太さと剛性を増した。


 更に拳速の上がった拳が、ベル目がけて放たれる。

 ベルはその一撃を食らい……今度は吹っ飛ばされることなく、その場に立ち続けていた。


 彼女に傷がついた様子はない。

 なんらかの魔法かスキルを使い、攻撃が無効化されているのは間違いない。

 ただ相手が何をしているのか、その原理が彼にはまったくわからなかった。


(だが――何の代償もなく無敵の防御を続けることができるはずがない。となれば狙うは――相手の魔力の枯渇か、スキルの発動時間の終了。それまで攻撃を続けることなど――この肉体ならば造作もない!)


 ベルを中心に、砂嵐が巻き起こる。

 始祖オークの超高速の移動によって巻き起こった強風が、砂煙を舞い上げたのだ。


 動くことなく、今度は防御スタイルを取ることもなく棒立ちになっているベル目がけて、拳が乱れ舞う。

 縦横無尽に三百六十度全方位から襲いかかってくる、容赦のない拳の嵐。


 それもただ闇雲に乱打をしているのではない。その一つ一つが当たればAランクモンスターでも爆散させることができるほどの圧倒的な破壊力を秘めている。


 放った拳撃の数が百を超え、五百に届き、千に達する。

 けれどどれだけ攻撃を続けても、ベルの顔から余裕が消えることはない。

 その様子を見て逆に焦り始めるのは、始祖オークの方だった。


「なぜ……なぜ俺の攻撃が効かない!?」


 アッパーがベルの顎下を打ち抜き、耳へ届いたフックが頭蓋を揺らし、ワンツーは見事に顔面の中心である鼻を捉える。

 けれどまったくダメージが与えられない。


「ふわあぁ~……そんなの、簡単なことよ」


 額に汗を掻いた始祖オークが再び一撃を放つ。

 放たれた一撃を、ベルは避けようともしない。

 そのことが、何より始祖オークの癪に触った。


「私があんたより強かった、ただそれだけの話じゃない」


「ふざ……ふざけるなっ! 俺は王! 生まれながらにして最強の、絶対の王なんだああああああああ!!」


 乱打、乱打、乱打。その全てをベルは受け続ける。

 自分に絶対の自信を持っていたはずの始祖オークの顔は、受け入れがたい真実とあくびをしながら攻撃を受け続けているベルを前にくしゃりとゆがむ。

 彼の滲む視界の中で、こちらにひらひらと手を振っている、悪魔にも似たエルフの姿を捉えた。


「それじゃあね~」


 ――全ての魔物には、初めにその祖となった始まりの一体が存在している。


 そしてそれはまた、エルフも例外ではない。

 その原初の一体のエルフは、始祖エルフと呼ばれる。


 エルフは亜人とみなされているため、魔物としてのランク付けがなされることはない。


 けれどもしこの世界に始祖エルフが存在し、そのエルフに格付けをするとすれば、そのランクは間違いなくAランク上位に匹敵するだろう。


 始祖エルフへの先祖返り、その中で最も始原の一体に近いとされている第三軍団軍団長『始原』のベルナデット。

 彼女が率いる精鋭部隊である、エルフ魔術師部隊。

 三十いる兵士達は――その全てが始祖エルフである。



 エルフ魔術師部隊、第一小隊の隊員であるベルウェイム。

 隊長であるベルナデットからその名の一部を譲り受けた彼女の実力も、当然ながらAランク上位に位置している。


「――全反射(リフレクセス)」


 始祖エルフ固有スキル、全反射。

 相手の攻撃の全てを吸収し、倍加させ跳ね返すスキルである。


 自分が絶えず放ち続けた攻撃、その全てが一撃に束ねられ、増幅される。

 彼が放った攻撃は光の柱となり、攻撃の主である始祖オークへと降り注いだ。


「俺が――王であるこの俺様があああああっっ!!」


 断末魔の苦しみにもだえる始祖オークを見るベルウェイム。

 彼女の意識は既に、ここではないどこかへと向けられていた。


「データ収集、及び戦闘試験の終了を宣言します」


 己の力に滅ぼされる始祖オーク。

 彼は今際の際まで、己を倒した敵からまともな敵性体とすら認識されていなかった。

 悔しさから涙を流すが、こぼれ落ちた雫は超高温の光によって瞬時に塩の粒へと変換されてしまう。

 彼は嘆くこともできぬまま光の柱に飲み込まれ……そのまま意識を失った。


 そして本来であれば国を飲み込む災獣であった始祖オークは、その実力を発揮させることもなく、混沌迷宮の戦力によって封殺されその命を散らすのであった……。

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