第23話


 最強の魔物、Aランクモンスター。

 魔物という凶悪な存在達が跋扈する領域において生態系の頂点に君臨する彼らは、他の魔物と隔絶するほどの圧倒的な力を持っている。


 一度暴れ回れば地形が変わり、戯れに周囲の生物が絶滅させることができるほどに凶悪なAランクモンスター。


 彼らはいわば歩く災害であり、特に凶悪なAランク中位以上のモンスターは災獣などと呼ばれ、人類から恐れの対象となっている。

 フォークロアや伝承の中に罰を与える象徴として現れる災獣の存在は、枚挙にいとまがないほどだ。


 その種類は多く、ギルドで確認しているだけで二十種類以上にも及ぶ災獣の存在が確認されている。

 けれどそんな化け物達が現存しているにもかかわらず、人類は未だ絶滅していない……。



 ラテラント王国は、決して王権の強い国家ではない。

 往時の勢いをなくしたラテラント王家によってゆるやかにまとめられているに過ぎず、各地にいる貴族達は皆好きなように自領を統治していた。


 ドルジを北に進んだ先にあるノニムの街は、ラインザッツ家と呼ばれる侯爵家が収める一大経済都市である。

 何かほしいものがあればノニムに行けなどと言われることも多いこの場所は、商人の街とも呼ばれている。


 商業に関する税を徹底的に抑えることで王国中の大商人達を呼び込み、彼らにお金を使い、稼がせることで結果的に街全体に多くの金が落ちていくようになり、それを商機とみた商人がやってきて……と経済が循環することでノニムの街では好景気が続いていた。


 夢と希望の街ノニムにも、当然ながら冒険者ギルドは存在している。

 ギルドの階段を下り、依頼の張られている掲示板へ急ぎ足でやってきたのは、この街の看板受付嬢であるマリカだった。


 彼女は依頼を張り出すと勢いよくくるりと振り返り、大きく息を吸う。

 そして日夜大量の冒険者達からのアプローチを袖にし続けている彼女の鈴の音に似た軽やかな声が、吹き抜け二階建てのギルドの中に響き渡った。


「緊急依頼を発布します! 対象になるのはノニムにいる全ての冒険者です! 繰り返します、今回の緊急依頼の対象になるのはノニムにいる全ての冒険者です!」


 受付嬢からもたらされた一言に、悲喜こもごもの叫び声を上げる冒険者達。


 緊急依頼とはその名の通り、緊急性の高い場合にのみ発布される準強制の依頼のことである。

 大抵の場合は危険極まりない魔物への対処の場合がほとんどである。

 今回の緊急依頼の内容は、Aランク中位魔物であるオークエンペラー率いるオーク軍からの街の防衛であった。


 本来であればオーク達をまとめ上げるオークキングすらも束ねる、オークの中の王。

 単体の純粋な戦闘能力で言えばAランクでも下から数えた方が早いとされているが、オークエンペラーその固有スキルによって配下のオーク達を強化する力を持っている。


 桁の違う数のオークとその上位種達を率いるオークエンペラーの脅威は、Aランク下位に留まるものではなかった。


 現在確認されているだけで六つの集落と五千を超えるオークが観測されており、既に進軍の用意を始めているという。

 オーク達が目指しているのは、このノニムの街。


 オークは異種族を妊娠させることができる特性を持っている。

 もし彼らにノニムの街への侵入を許せばどうなるかは……考えるまでもない。


「冒険者の方々は、直ちに緊急依頼を受注してください! 個人の素質を鑑みて討伐組・防衛組にギルドが振り分けさせていただきます!」


 誤解を恐れずに言えば、冒険者とは武力の携行を許されているならず者である。

 彼らが納税もせず街の恩恵に預かることができているのは、非常時にその武力を恃みにされているためだ。


 故に冒険者達に拒否権はほとんどない。

 形式上可能ではあるが、一度でも強制依頼を断ってしまえば、冒険者ランクの格下げと違約金という重いペナルティがある。


「マジかよ……おいどうする?」


「よし、俺達『青銅の杯』が成り上がるチャンスだ! 気張っていくぞ、皆!」


 自分達の名を上げるチャンスだと喜んでいるものもいれば、命の危険に晒されることに恐怖を覚えている者もいる。

 冒険者ごとに十人十色の動きを見せている。


(あそこですくんでる奴らは二流、気炎を上げてるやつらも見所はある……死にさえしなければだけどな)


 だがその中でも、どっしりと構えている者もいた。

 ギルドの二階に備え付けられている酒場から、全体を見渡しながらゆっくりと食事を平らげている男は、特に焦った様子もなくただただ食事に舌鼓を打っている。


 顎に生える無精ひげに、手入れはされているものの決して上等とは言えない装備類。

 若干薄くなり始めた頭髪とどこか幸の薄そうな顔が合わさることで、なんともいえない哀愁を漂わせている。


 彼の名はフレディという。

 この街でもかなりの古株の、Cランク冒険者だ。


(しかしオークエンペラーとは、かなりの大物だな……あいつらがいるタイミングで助かった)


 この街には夢を追ってやってくる若者達が数多くいる。

 何者かになりたくて仕方がない彼らは、血気盛んに緊急依頼を受けるための列に並びながら何かを叫んでいた。


 それを見たフレディがこぼすのは、苦いため息だ。

 彼もかつては、あんな若者のうちの一人だった。


 未だ現実を知らない若者達は、フレディには非常に眩しく見える。

 自分は現実を知り、分をわきまえた側の人間だからだ。


 だが別段嫉妬もやっかみもない。

 できることならあのまま挫折を知らずに、頑張ってもらいたい。

 そんな大人びた感傷を抱きながら時間を潰し、人だかりが落ち着いてからゆっくりと列に並ぶ。


 どうせ緊急依頼は半強制で受けるのだ。

 どうやら既に振り分けは済んでいるらしく、フレディは討伐組に配属されるらしい。


 しっかりとした城壁があるため、防衛はそれほど戦闘経験がなくても行える。

 打ち漏らしを減らすことを考えて、使えそうな戦力は可能な限り外に出しておこうという考えなのだろう。


 間違いなくオークエンペラーを討伐できると思っているが故の布陣だ。

 だがそれも当然のこと。

 何せこの街には――彼らがいるのだから。





 討伐組に用意されていた部屋に入ってゆくフレディ。

 中に居る冒険者達の数は、合わせて五十ほどだろうか。

 この街で長いこと冒険者をやっているフレディからすると、知っている顔がほとんどだった。


 俺が最後だったらしいな、と向けられる視線を受け流していると、ドアが再び軋んだ。

 どうやら自分よりも後ろに並んだ、肝の太いやつがいたらしい。


 一体誰だと思いながら、候補を頭に浮かべて振り返れば……そこにいたのはまったく予想のつかない人物だった。

 現れたのは凜とした表情をして立っている、見たことのないエルフだったのだ。


 ラテラント王国に亜人の数は少ない。

 だが数多の商品が行き交うノニムの街には、エルフを始めとして数多くの亜人の奴隷が集まってくる。

 フレディも何度か見たことはあったが……目の前にいるエルフは、そのどれもが足下にも及ばぬほどの美貌を持っていた。


「あら、どうかした?」


「……いや、エルフを見るのがずいぶん久しぶりだったもんでな」


「最初に言っておくけど、私人間の男には興味ないから」


「さいですか……」


 対して話をする間もなく振られたフレディだったが、少し考えれば彼女がそういう態度になる理由はわかった。


 思わず触れたくなるほどに魅力的な、ピクピクと微細に動く笹穂の耳。

 比べることがおこがましいと思えるほどに整った顔立ちに、均整の取れた抜群のプロポーション。

 美という概念を切り取ってエルフの人型に流し込んだかのような絶世の美女だ。


 恐らく生活をするだけでも、数多の男の欲望に晒されてきたはず。

 とりあえず最初に拒絶をしておくというのが、彼女なりの処世術なのだろう。

 ただそれなら、自分に声をかけてきた理由が気になる。


 どうやら思っていたことが顔に出ていたらしく、エルフの美女はくすりと笑ってみせた。

 最初にフラれていなければ、一発で一目惚れしていたかもしれない。

 そう思ってしまうほどに魅力的な笑みだった。


「だってあなた、二階から若い子達を見下ろしてたじゃない。あの顔が面白かったから覚えてたのよ」


 エルフが手を差し出してくる。

 フレディはぐらつきそうな心に鞭を打ち、彼女と握手を交わした。


「俺はフレディ、君の名は?」


「私? 私は――ベル。親しい人は皆そう呼ぶわ」


 エルフという生き物は、基本的に自分達の里や氏族に強い誇りを持っている。


 故に彼らは里と氏族、父祖の名前を自身の名に入れるためフルネームが非常に長くなることが多く、またそれらを省略することを何より嫌がる。


 そんなエルフが、名前を省略している。

 それだけで明らかな訳ありなのはすぐにわかる。


 深入りはしないようにしよう、フレディはそう心に決める。

 冒険者として長いことやっていくために大事なのは、過度な冒険をしないことだ。

 ここは無謀と冒険をはき違える人間が長生きできるほど、甘い業界ではない。


「一つ聞いてもいいかしら?」


「ああ、なんだ?」


 ベルはフレディに近づくと、そのまま顔を上げて耳元にその口を近づけた。

 それだけの身体の芯がゾクゾクしそうになり、フレディは思い切り自分の太ももをつねる。

 マリカにいいように転がされる冒険者を笑っていたフレディだったが、彼らの気持ちが少しわかった気がした。


「オークエンペラーってAランク中位の魔物よね? それにしてはここにいる人達は弱すぎるし、そのくせまったく悲観もしてないように見えるんだけど……」


「ああ、そうか。ベルは知らないんだな。この街にいるあいつらのことを――」


 ベルのあまりにあけすけな物言いに苦笑しながらも、決して怒ったりはしないフレディ。

 フレディが説明を続けようとしたところで、それを遮るように扉が開かれる。


 最初に入ってきたのは、このノニムの冒険者ギルドを統括するギルドマスターのハイディ。 そして彼女の後をついてくるように入ってきたのは――


「安心してくれ、皆! オークエンペラーは――僕ら『裁きの雷槌』が倒す!」


 Aランク冒険者パーティー『裁きの雷槌』だった。

 認定勇者になることはなく世界中を駆け回っている彼らを見れば、ベルが疑問の答えを得るのは簡単なことだった。


 Aランクモンスターが跋扈するこの世界でも、人が営みを続けることができる理由は単純明快だ。

 モンスター達同様、人間の中にも存在しているのだ。

 歩く災害――災獣すらも討伐することのできる化け物達が。


 災害を倒すことができる存在。

 けれど人の身でそれをなす存在は、災害と同一視されることはない。

 その代わりに彼らはこう呼ばれる。

 ――英雄と。

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