第18話
交易都市ドルジは、ラテラント王国の西と中央を繋ぐ役割を果たしている大都市だ。
王国全体で見てもその経済規模は五指に入っており、そこには王国中の人とものが集まってくる。
人が集まるところには噂が集まる。
そして生き馬の目を抜く大都市に生きる者達は、何か新しい儲け話はないかと、常にアンテナを張り巡らせている。
故に隣の都市であるマサラダに新たに生まれた金のなる木――混沌迷宮の話がドルジ中の話題をかっさらっていくのに、時間はかからなかった。
ドルジの一等地に建っている、少し堅苦しい感じの石造建築。
周囲に立ち並ぶ豪奢な家々と比べると少し地味にも思えるその店舗こそ、ポーションの大家であるバルジボア商店の本店であった。
バルジボア商店ドルジの街でも上から数えた方が早い大商店にまで成り上がることができた秘訣は、常に安定したポーションを供給することができていたことにある。
彼らは商店としては珍しく、店員として錬金術師を抱え込むことでポーションの安定した生産を可能とし、販路を地道に獲得していく中で着実に店を大きくしていった。
店舗が地味な見た目をしているのも、創業当初の経営理念を忘れないようにという初代店主の言い伝えを守っているが故のことだった。
彼らのポーションに対する嗅覚は鋭い。
どのくらいかと言えば――混沌迷宮から産出したポーションを検分したマサラダの支店長が、自身で馬を走らせて大慌てで本店までやってくるほどに。
「ほぉ……これが今噂の混沌迷宮から出たというポーションか」
そう言ってガラス製の器に目をやるのは、鷹のような鋭い視線と蛇のような狡猾さを窺わせる男だった。
バルジボア商店三代目店主であるサルド・バルジボア。
初代と二代目が作り上げた信頼と販路を使い、法律的にきわどい禁制品すれすれの物品も扱うようになったことで、ドルジの中でも極めて強い影響力を持つようになった男である。
自分に慌てて面談を申し込んできた支店長へとその三白眼を向ける。
取り扱う品物の都合上マフィアや貴族達ともやりとりをするサルドの視線は、射殺すかのように鋭い。
支店長はその視線の圧に自分が丸呑みされる想像を幻視しながらも、目を見てしっかりと頷いた。
「一舐めされれば、全てが理解できるかと」
「俺をわざわざ呼び出したんだ、大したことがなかったらその時は……わかってるだろうな?」
「はい、もちろんです」
当然ながらサルドも、ここ最近現れたという新しいダンジョン――混沌迷宮に関する情報は掴んでいる。
けれど情報はかなり錯綜しており、サルド自身どれを信じたものかわかっていない状態だった。
ただその中でも確度の高い情報として、ダンジョンから産出するアイテムの質が高いということについては聞き及んでいた。
ダンジョン産のポーションは、通常であればさほどの脅威ではない。
そもそも産出量が少なく、質も人が作るものと比べて安定しないからだ。
だがもしマサラダのダンジョンからポーションが産出するのなら、当然ながらそれと競合しなければいけなくなる。
サルドは手渡された器からコルクを抜き、中のポーションをペロリと舐め……
「――なんだ、これは!?」
驚きのあまり、目を剥いた。
ポーションを商う商店の店主として、サルド自身当然ながら古今東西あらゆるポーションを飲んできた経験がある。
彼は血の滲むような努力の末に、どんなポーションであっても使われている材料を全て当てることができる特技を身につけている(ちなみにそれはダンジョン産のポーションであっても変わらない。というよりむしろダンジョン産のポーションを解析しその成分を解明して作ったものが、錬金術師製のポーションだったりする)。
けれど今含んだポーションはサルドが何度も口に含んでも、その材料が一切わからなかった。
口の中にやってくる柑橘系のさわやかな酸味と、その奥にわずかにある甘み。
苦みはまったくなく、飲みやすさで言えば今まで飲んできたポーションの中でも五指に入る。
だがポーションにおいて味よりも大切なのは効用だ。
サルドは一舐めすればそのポーションがどの程度の効果があるのかを判断することができる。
目の前のポーションの効用は――ありえないことに極めて高い。
サルドは腰に据え付けていたナイフを使い、自分の腕を浅く切る。
そしてポーションをそこにかけると、みるみるうちに傷が塞がっていった。
「なんだ、これは……」
先ほどともう一度同じ言葉を繰り返すサルドの表情筋は、完全に硬まっていた。
今目の前にあるこれと比べれば、自分達が商っているポーションなど粗悪品もいいところだ。
中毒症状の副作用と引き換えに高い効果を持たせることに成功したレッドポーションでさえ、目の前にあるこれに回復量では及ばないだろう。
味と効用を両立させたポーション。
サルドが作り上げようとして一度も成功しなかった、彼が追い求めていたものの完成形が、今彼の目の前にあった。
だというのにその製法の糸口すら掴むことができない。
まるでポーションに捧げてきた自分の半生を否定するかのような逸品に、思わず衝動的に身体が動く。
カッとなったサルドはポーションを思い切り地面に叩きつけようとし……すんでのところで思いとどまった。
今はものに当たってかんしゃくを起こしていられるような時間はないのだ。
自分と同じ危機意識を共有しているであろう支店長と目配せをし、今後について思いをはせる。
「混沌迷宮ではこれが第一階層から出ます。出てくる魔物はスライムのみで、冒険者達が続々とこのポーションを持ち帰っている状態です」
「それはマズいな……他のダンジョン産のアイテムについての情報はあるか?」
「ええ、こちらに」
支店長から伝えられた混沌迷宮の実態は、実に信じられないものだった。
さほど強くない魔物しか出ないにもかかわらず、産出するアイテムは一級品ばかり。
混沌迷宮にこのまま冒険者が潜り続ければ、間違いなくドルジの街の産業は大打撃を食らうことになるだろう。
そのあおりを一番受けることになるのは、間違いなくバルジボア商店だ。
安価で性能の良い迷宮産のポーションが大量に流通してしまえば一体どうなるか……考えるだに恐ろしい。
「だがこれは同時にチャンスでもある。もし混沌迷宮の利権に食い込むことができれば……」
マサラダの街の規模はさほど大きいとは言えず、冒険者達の質もドルジより低い。
彼らでも潜ることができるというのなら、ドルジの冒険者にできない道理はない。
ドルジとマサラダは、経済的に半ば従属的な関係にある。
産業や人材の質等、あらゆるものにおいてドルジはマサラダを上回っている。
ドルジを治める貴族が伯爵であるのに対し、マサラダの領主はそれより下の爵位である子爵ということもあり、ドルジにいる人間はマサラダのことを下に見る癖があった。
そしてサルドもまた、その考えを持つ人間の一人だ。
「混沌迷宮はマサラダのやつらにくれてやるにはもったいない。ダンジョンだってもっと広い商圏を持っている俺達に利用される方が嬉しいに決まっている」
何十年もの間ドルジの街で商いを続けてきたバルジボア商店には、王国の貴族相手に強いコネがある。
貴族との関わりがあるということはすなわち――彼らが持つ最大戦力である勇者を利用することもできる、ということだ。
「伯爵に連絡をして勇者を派遣してもらうぞ。他のやつらも焚きつけて、混沌迷宮をまるごと乗っ取ってやる」
商いが脅かされることへの恐怖で完全に視野が狭くなっているサルドは知るよしもない。
彼が血眼になって奪おうとしているものは混沌迷宮のごくごく浅い部分に過ぎず。
その下には深淵が横たわっているということを。
自分達がやろうとしていることの愚かさを理解せず、欲にまみれた人間達は動き出す。
一体何に喧嘩を売っているのか、その真の意味を知らぬまま……。
「ふぅん……新しくできたダンジョンの占拠? へぇ、そんなすごいポーションが出んのか……」
ペラリと羊皮紙をめくりながらそう呟くのは、金色の髪をした美青年だった。
吸い込まれるような青の瞳に、勇ましさを感じさせる喉仏。
整った目鼻立ちは十人中十人が振り向くほどに美しい。
けれど今の彼はその美貌を大きく歪めながら、嗜虐心に満ちた顔をしている。
羊皮紙を持つ右手の逆、その左手は長い糸のようなものを掴み、握りしめている。
よく見るとそれは糸ではなかった。
そこにあるのは、人の毛だった。
「うぅ……」
鼻から血を流しながらうめき声を上げるのは、一人の女性だった。
笹穂の耳を揺らしている彼女はエルフだった。
けれど耳以外に彼女の種族を断定できるものはなかった。
美しかったのであろう顔は腫れ上がり、その髪は垢と血にまみれて黒に変色してしまっている。
見るも無惨な姿になっている女性を、男は無造作に引っ張った。
握っている髪はブチブチと音を立てながら抜けていき、その痛みにエルフの女性は声にならない声を上げる。
男はぐっとエルフを持ち上げると、おもちゃに飽きた子供のように無造作にぶん投げる。
するとエルフは冗談のように、数メートルごとにバウンドをしながらものすごい勢いで吹っ飛んでいき、そのまま巨大な岩へと叩きつけられた。
エルフは痛みに耐えながらも、何も言わず歯を食いしばっている。
下手に泣き叫べば目の前の男を喜ばせるだけということを、彼女は理解していたからだ。
「伯爵の命令なら、従わないわけにもいかない。占拠すれば後は何してもいいらしいし……とりあえず連れてけるやつは全員連れてくか」
羊皮紙に視線を固定させている彼は、自分が痛めつけたエルフを見ることすらしていなかった。
彼にとって弱者を虐げることは、三食の食事を摂るように、ごくごく自然に行われる当たり前のものでしかないからだ。
強い自分が行う全ての行為は正しい。
彼はそう心の底から信じている。
そんな無体を貫くことができるのは――ひとえに彼がそれだけの実力を持っているからに他ならない。
「さて、それじゃあ――勇者のお仕事と行きますかね」
伯爵選定勇者、『鮮血』のブラッド。
Bランク冒険者である彼は――単独でBランク上位の魔物を狩ることのできる、人の領域を超えた超越者である。
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