第16話

 冒険者ギルドマサラダ支部は、ギルドの中でも下から数えた方が早いくらいには、忙しさとは無縁な場所だった。


 だが普段であれば閑散とし始めるはずの昼下がりにもかかわらず、ギルドの中はいまだかつてないほどの熱気に包まれている。

 のんびりとした空気感に慣れてきていたギルド職員達は現在、未だかつてないほどの忙しさに目を回している最中であった。


「押さないでください! 詳細についてはこちらの小冊子を読んで……」


「字が読めない!? それなら代読か何かでも雇ってください! こっちはそれどころじゃないんですから!」


「地図が売っていた!? それは偽物です、続けたら罰金等の処置を行うと注意喚起をお願いします!」


 職員も冒険者達もてんやわんやになっている理由は当然ながら、今日の朝突如としてギルドが開示した新たなダンジョンにある。


 なんとマサラダの街からほど近いところに、新たなダンジョンが見つかったのだ。

 その名は、混沌迷宮。

 詳細の一切が不明な、謎に包まれたダンジョンだ。


 まったく事前情報がない突如として発表されたこともあり、職員達と同様冒険者もかなりのパニックに陥っている者達が少なくなかった。


 一切が不明なダンジョン。

 けれど皆で情報をかき集めているうちに、ある程度信憑性のあるものも耳に入ってくる。


「どうやらゴルブル兄弟が、混沌迷宮に挑んでやられたらしい」


「あのゴルブル兄弟が!? じゃあ俺達が潜れるわけが……」


「そう焦るなよ。あいつらが深くまで潜りすぎてやられただけで、浅い層なら活動できる可能性だってあるだろ」


 冒険者達はどう動くべきかを真剣に吟味した結果、動けずにいた。


 マサラダの時間の流れは、隣の交易都市のドルジと比べればかなりゆっくりとしている。

 そのため冒険者達の中にも、前のめりで命知らずな人間はほとんどいない。

 というかそういった人間は、もっと危険と実入りの多いドルジの街へと行っているからだ。


 ここにいる冒険者達は良くも悪くも二線級の人間達ばかり。

 彼らは現実と折り合いをつけて堅実に稼いでいる者達がほとんどで、自分の命をベットしてまで未知のダンジョンに挑もうという気概のある人間はいなかった。


「安心してくれ皆、攻略の第一陣には俺達が向かう!」


 少しでも情報を集めようとしている冒険者達の視線が一箇所に集まる。

 何時だってどこにだって、無謀にも思えるチャレンジを行う者達がいる。

 皆の視線を一身に受けるその男達は、白い歯をキラリと輝かせながら拳を掲げた。


 誰も手を上げなかった混沌迷宮攻略へ向かうのは、Dランク冒険者パーティー『白翼の天剣』。 

 夢見がちだがそこそこ実力もある期待の新人ダグが率いる、マサラダではちょっぴり名の知れたパーティーだった。




 Dランク冒険者のダグはダンジョンへ続く道をるんるん気分で歩いていた。

 ダンジョンへ続く道は雑木林が広がっているのだが、まるで侵入者達を待ち受けるように綺麗に一本の道ができあがっていた。


 草木や小石が取り除かれ整地までされているその道は、下手をしなくても街道よりも綺麗に舗装がされている。


「いやぁ、新しいダンジョンか……楽しみだなぁ! もし俺達が踏破でもしようものなら、間違いなく演劇化決定だぞ!」


 期待に胸を膨らませるダグは、くるりと後ろを振り返る。

 自分達を待ち受けるであろうスリルに満ちあふれた冒険にキラキラと輝かせている彼の目に入ったのは――明らかに気落ちした様子の、三人のパーティーメンバーの姿だった。


「ねぇねぇダグ、やっぱりやめとこうよぉ。新しいダンジョンに事前情報無しでつっこっむなんて無謀、勇者だってやらないに決まってるよぉ……」


 そう言ってぷるぷると小動物のように震えているのは、魔法使いのナルコ。

 トンガリハットに紫のローブに宝玉のはめ込まれた杖といういかにも魔法使いな格好をしている彼女は、魔法は好きだが戦うこと自体は別に好きではない、研究者タイプの魔法使いだった。


 ダグとは幼なじみの関係であり、彼の奔放な言動に振り回されるせいで色々な騒動に巻き込まれることが多い。

 彼女は今回も正直まったく気乗りしていないが、どれだけ反対してもダグが行くのがわかっているので、全てを諦めてついてきている。

 正しく腐れ縁と呼べる関係であった。

 

「ダグの言動にももう慣れたつもりでしたが……今回ばかりは流石に驚きましたよ」


 少し後ろで苦笑をしているのは、法衣を身に纏った男だ。

 苦労性なのか頬のあたりにしわのできている男は、その名をガジルスという。


 法衣は聖教の教えに帰依し一定の修練を積んだ人間が着けることのできる、一種の身分証である。


 その胸元に銀の糸であしらわれている意匠は、彼の立場を示していた。


 銀の十字架は彼が助祭級の僧侶であることを、そして十字架に交差するように縫い込まれている槌のマークは、彼が闘僧侶(モンク)のジョブについている武装僧侶であることを戦の言葉より雄弁に語っているる。


 彼が背に背負っているメイスは、青みがかった鉄で出来ていた。

 素材として使われているのは聖別の行われた青魔鉄であり、その強度は鍛えられた鉄に勝る。


「……ん、でもダグらしい」


 僧侶のガジルスの隣にいるのは、小柄な弓使いであるターシャ。

 わずかに尖った耳を持つ彼女は、いわゆるエルフのクォーターであった。


 エルフの里でも人里でも居場所がなく狩人として生計を立てていた彼女を、その弓の才を見込んでスカウトしたダグと共に行動するようになった。


 種族や血ではなくターシャ本人を見てくれるダグに深い恩義を感じており、彼女は基本的にダグの行くところにはどこにでもついていくことが多い。


 この三人にダグを加えた四人がマサラダをホームにして活動するDランク冒険者パーティーである『白翼の天剣』である。


 ダグは軽く自分の鼻をこすりながら、じっと前を見つめる。

 その視線の先にあるものを――いや、更にその先にあるであろう未来を、彼はじっと見つめていた。


「皆知ってると思うけどさ、俺……マサラダの街が好きなんだ」


 ダグの言葉に、三人がこくりと頷く。

 ナルコもガジルスもターシャも、ダグの人柄に惹かれて彼と行動を共にしている。


 ダグは己の生まれ故郷であるマサラダという街を愛していた。


 彼の実力は高い。

 にもかかわらず未だDランク冒険者の地位に留まっているのは、彼が基本的にこの街を離れたがらず、強力な魔物と戦う機会がないからだ。


 ただ金を稼ぎたいのなら、ただランクを上げたいのなら、仕事のあるドルジへ行くのが正解だろう。

 だがダグもその仲間達も、その選択はしなかった。


 自分達を受け入れてくれた、マサラダという街で生きていく。

 彼らはそう、心に決めていたのだ。


「マサラダはドルジほどせかせかしてないし、飯は安くて美味いし、ぼったくりの宿屋だってない。俺はマサラダを、ドルジのやつらに好き勝手荒らされたくないんだ」


 正体不明のダンジョンは、まだ誰も見たことがない宝の山に似ている。

 いつだって未知というものは人を引き寄せ、その虜にして離さない。


 恐らく今後、マサラダの街にはたくさんの冒険者達がやってくることになるだろう。


 だが現れては金を稼ぎどこかへ消えていく彼らに好き勝手にダンジョンを荒らされるということが、ダグには我慢ならなかった。


「マサラダの近くにできたダンジョンなら、それがどんなものであるにせよ、その利益はマサラダの皆に行くべきだと思うんだ」


「……同感。ドルジの商店が儲けて終わりみたいなのは、悲しい」


「皆僕達にも優しくしてくれますものね。危険を確認するためにも、一番手に名乗りを上げたのは正解だと思います」


 今後余所の街の紐付き冒険者が来てしまえば、その利益のかなりの部分をおそちらに持って行かれてしまうことになる。

 誰も手つかずの状態で先行者利益を取れるタイミングは、今をおいて他にない。


「マサラダの冒険者も決して捨てたものじゃないって、余所の奴らに教えてやる! 頑張るぞ、皆!」


「「「――おーっ!!」」」


 最初は嫌がっていても、最終的には三人とも乗り気になっていた。

 危なっかしくて放っておけず、気付けば手を貸してしまう。

 そういう意味ではダグは、ある種のカリスマ性を持っているのかもしれなかった。




「どんな魔物が出てくるかわからない。最大限警戒しながら先に進もう」


 ダグの言葉にこくりと頷く四人。

 後ろに控えていたガジルスは目を閉じながら意識を集中させ、ゆっくりと手をかざし始める。


「フィジカルブースト、コンサスブースト」


 ガジルスが就いている闘僧侶のジョブは、純粋な戦闘能力だけではなく僧侶としての補助の役割も補うことができる。


 彼が使ったのは身体能力を向上させるフィジカルブーストと、魔法の威力を上げるコンセスブーストの二つだ。

 補助魔法を使い準備を整えてから、『白翼の天剣』の四人は混沌迷宮へ挑んでゆく。


 ごくりと、生唾を飲み込む音すらも聞こえるほどの静寂の中、緊張から手に汗を掻くダグが先行する。


「――しっ!」


 突如襲いかかってくる影に対し、身体は咄嗟に反応した。

 ダグがその手に持つ鉄の剣を振ると――そこには真っ二つに斬られ息絶えた様子のスライムの姿があった。


「なんだ、スライムか……」


 角を曲がると、またスライムが出てきた。

 そして岩場の影からまたスライムが。

 スライム、スライム、スライム……どれだけ警戒をしていても、出てくる魔物はスライムばかりだ。


「どうやら第一階層は、スライムしか出てこないようですね」


「うん、これならマサラダの冒険者だけでも問題なく対処はできそう……ダグ、あれを見てっ!」


「あれは……宝箱か!」


 視界に入ってきたのは、真っ赤な宝箱だった。

 赤い布の表面を金属で補強する形になっていて、いかにも高級そうな見た目をしている。


 冒険者達が一攫千金でダンジョンに入る理由は二つある。

 一つはそこに現れる魔物達から採れる素材。

 そしてもう一つが、宝箱である。


 宝箱という名からもわかるように、その箱からは様々な宝が現れる。

 ガラクタ同然のゴミが出ることも多いが、中にはそれ一つを献上するだけで国王から爵位を授かることができるほどのお宝が眠っていることもある。


 一切の情報が出回っていないダンジョンの宝箱。

 そんなもの、期待しない方が無理という話。


 ダグは期待に鼻の穴を大きく膨らませながらゆっくりと宝箱を開き……


「おおっ、鉄の剣だ!」


 ダグが仲間に見えるように掲げてみせたのは、言葉通りの鉄の剣だった。

 刀身に映る揺らめくような刃紋は美しいが、基本的に飾り気もない、非常にシンプルな逸品だった。

 柄にしっかりと模様が彫られ持ち手にも当て布がされている今のダグの剣と比べると、実用一辺倒という感じは否めない。


 ダグは楽しそうにしているが、彼よりも大きな反応をしたのは剣を見たガジルスだった。


「ダグさん、これ……かなりの業物ですよ。多分ですけど、今ダグさんが使ってるものより数段上です」


「ええっ!? このアイサーベルク、結構高かったんだぜ」


「ダグ、剣に名前をつけるのはやめろっていつも言ってるじゃない」


 こうして最初の宝箱を発見した四人は、意気揚々と探索へと出かけていった。

 試し斬りをしてみると、ガジルスが言っていた通り、宝箱から出てきた剣はダグが使っていた剣より鋭い切れ味と高い威力を持っていた。


 道中スライムと遭遇しながら使い心地を試しながら、ダグ達はほくほく顔でダンジョンを進んでいく。

 まだ人が来たことがないからか宝箱が手に入れる量も多く、中からは大量のポーション類も出てきた。


 体力を回復するポーションだけではなく、魔力を回復させるマナポーションも含まれている。

 全員が持ってきていた背嚢は、持ち帰るためのポーションでずっしりと重たくなっていた。

 守護者の間を発見したダグは、そのままくるりと踵を返す。

 そして少し物足りなさそうにしている三人の方を向くと、なんでもないような顔をしながら、


「うーん……とりあえず今日はここで帰ろう」


「いいの? こんなチャンスもう二度とないかもしれないけど……」


 ナターシャの言葉に、ダグはかぶりを振る。

 彼はいつになく真面目な顔をしながら、どこか確信のあるような表情をしていた。


「守護者の間のボスが強いって可能性もあるし。ボスと戦うのは剣に慣れて、ついでにポーションの効果なんかも確かめて、万全の状態で挑みたいからさ」


「賢明な判断ですね」


「でも……」


 したり顔で頷いている様子のガジルスに対し、諦めきれない様子のナターシャ。

 基本的に聞き分けがいい彼女にしては珍しいが、それも当然。


 お宝を手に入れる千載一遇のチャンスを前にして、平常心を抱き続けることは極めて難しい。


 だがそんな時でも冒険者は冷静な判断力を要求される。

 そして今回、ダグは間違いなくプロの冒険者であった。


「忘れてるかもしれないけど、俺達の目的はこのダンジョンをいち早く攻略することじゃなくて、二の足踏んでるマサラダの冒険者の皆に情報を伝えることだ。それならもう達成したよ。この第一階層は間違いなくおいしい、俺達が教えれば今日のうちにでも冒険者達でごった返すことになるはずさ」


 そう言われるとその通りなので、ナターシャとしてもそれ以上反論しようとは思えなかった。

 彼女はこくりと頷き、お金に目がくらみかけていたことにわずかに赤面する。

 そしてそんな様子を見ながら、ダグとガジルスは笑っていた。

 こうして四人はそのままダンジョンを後にすることを決める。


「でもダグ君にしては珍しいですね。実は先に進もうとするダグ君をいさめるつもりだったのですが……」


「ああ、それなら簡単な話だよ」


 ダグは基本的に無鉄砲で、周囲からは後先考えずに行動をしているように見えていることが多い。

 けれど彼は、むやみやたらに動き回っているわけではない。


 ダグは常に己の直感を信じて生きている。

 そして彼は自分自身の感覚に、一度として裏切られたことはなかった。


「第一階層からこんなにおいしいダンジョンが、ただのダンジョンのはずがない。たとえ楽な階層が続いたとしても……決して気を抜いちゃいけない。何があっても対処できるように、慎重に慎重を重ねて進んでいくくらいでちょうどいいと思う」


 ダグのいつになく真剣な表情に、三人は何も言わずに頷き合う。

 彼女達もまた、いざという時のダグの感覚が絶対に外れないという確信を共有している、数少ない人間だったからだ。


 こうして混沌迷宮の情報は冒険者ギルドマサラダ支部へともたらされる。

 スライムしか出てこない第一階層で、ポーションだけじゃなく業物の装備が出現する。


 それを聞いた大量の冒険者達がダンジョンに殺到するようになったことは、もちろん言うまでもないである。


 混沌迷宮はいつでも、冒険者達が来るのを手ぐすね引いて待ち構えている。

 こうして混沌迷宮は浅い階層で大量のアイテムを手に入れることができる旨味のあるダンジョンとして、一躍その名を轟かせることになる。


 当然の流れとして第二階層以降が攻略され始めるまでに、時間はかからなかった。


 ダグ達がやってきた次の日には、ダンジョンマスターであるミツルが各軍団長に任せた階層がお披露目となるのだった。

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