第14話

(一体、何がどうなっているんだ……?)


 先ほどまでより更に重くなった気がする肩を下げながら、ギルドマスターのバリスは執務室の隣にある応接室に腰掛けていた。


 やってくる来客を待つその後ろ姿は、死刑宣告を待つ罪人の用にも見える。

 机に高速で指を叩きつけている彼の顔は、中間管理職が持つ独特の悲哀に満ちていた。


 一体このマサラダの街の近くで何が起こっているのか。

 バリスはその全容を、まったく理解できてはいない。


 しかしおよそ自分にできる裁量を大きく逸脱した何かに巻き込まれかけている……そんな嬉しくない確信だけはあった。


「ええい、今更あたふたしても仕方がないってのはわかってるんだ、こんちくしょう!」


 後先を考えない人間だけが使える必殺技、開き直りを発動させると、今までの緊張が嘘だったようにじっくりとソファーに腰を下ろすことができた。


 軽く一服して気分を整え終えると、タイミングを計ったかのように、ドアがノックされる。

 ドアの向こうから現れた二人の人物を視界に入れたその刹那――バリスの仮初めの心の安寧は、あっさりと崩壊した。


(この俺の今までの人生経験が言っている! これは――今すぐにでも手を引くべきだと!)


 内心で絶叫しながら、バリスはやってきた二人を観察する。

 その風采は、事前に受付嬢のマリーから聞いていた通りだ。


 先に入ってきたのは、黒髪黒目の中背の男。

 着ている服は、一張羅に見える漆黒の軍服。金のボタンがあしらわれており、首元には金の糸でモンスターの意匠が縫い込まれている。


 その生地は何で作られたものかはわからないが、その表面は一目見てわかるほどになめらかであった。

 間違いなく、超がつくほどの一級品だ。


 バリスは仕事柄様々な軍人と接する機会があるが、以前一度だけ拝謁したラテラント王国の総大将であるツヴァイト公爵も、これほど絢爛なものを着てはいなかった。


 だが彼の方はまだいい。

 いや、正直言うとまったく良くはないのだが……それより問題は、彼の後ろに控えているエルフだ。


 陽光を凝縮したかのような美しい金の髪と、空を閉じ込めたようなスカイブルーの瞳、そして長い笹穂の耳を特徴とする亜人である。


 ラテラント王国において、エルフを目にする機会自体は少ない。

 排他的で多種族と関わりを持たぬエルフの民は、めったなことで人里に下りてくることがないからだ。


 だが中には好奇心が旺盛で冒険者となるようなエルフもいるため、当然ながらバリスにもエルフの顔見知りはいる。

 なので彼も、エルフが皆美男美女揃いであることは、実体験として知っていた。


 しかし――目の前にいるエルフの美しさは、半ば人知を超えていた。


 既に男としての盛りを過ぎているはずのバリスをして、思わず生唾を飲み込んでしまうほどの圧倒的なまでの美貌。


 『傾国の美姫』や『傾城の魔性』……逸話で語り継がれている美女達ですら、彼女を前にすれば己が顔を恥じ、隠さずにはいられないだろう。


 人外じみた美しさを持つ彼女に放心しつつも、そこは流石ギルドマスターというべきか、身体は自然と動き、黒服の男と握手を交わしていた。


「ギルドマスターのバリスだ」


「俺は――ミツル・サンジョウだ」


 男の名前を聞き、バリスの意識が夢の世界から帰ってきた。

 やはり貴族だったか……考えれば当然のことだ。


 宝飾にも匹敵する服を着込み、本来であればもてはやされる容姿を持つエルフ達を鼻で笑えるような圧倒的な美を持つエルフを持つ彼が、ただの平民であるはずがない。


 だがだとすると、彼はなぜこんなへんぴな街へやってきたのだろうか。

 そもそもまず話をすべきは自分ではなく、この町を治めているリングバード子爵なのではあるまいか。


 当たり障りのない挨拶に続いてシンディを送ってくれたことへの礼を述べながらも、バリスは未だかつてないほどの早さで、ぐるぐると思考を回していた。


 けれど残念ながら答えは彼の灰色の脳細胞からではなく、相手の方からやってきた。


「この国で、罪人に対する処罰を教えてほしいのだが。この国では婦女子への暴行が許されているような国なのか?」


「まさか! 基本的に暴行罪に関してはむち打ちか、悪質であれば死罪も十分に考えられますが……」


「ほう、それを聞いて安心したよ。あの子――シンディから話を聞けば、見知らぬ男達から暴行を加えられていたというではないか。そんな無体がまかり通る場所であれば、流石に取引などできそうもないと思ってな」


「彼ら――ゴルブル兄弟には我らもほとほと困っておりましてな。けれど勇者として任命されている以上、あまりおおっぴらに非難を浴びせることもできず……」


 苦い顔をしながら呟くバリス。

 シンディを助けたのであれば、彼女から事情を聞いているのは当然のこと。


 自分の国の人間がしでかしたこととはいえ、やはり恥部を晒すのは良い気分はしない。

 バリスは顔を俯かせながら謝ることしかできなかった。

 彼とて、ゴルブル兄弟に対しては忸怩たる気持ちを抱いている。


 勇者だから何をしてもいいわけではない。 

 むしろ勇者だからこそ、その行動には規範があるべきだ。

 バリスは形骸化してしまっている現状の勇者制度を憂いている人間の一人だった。


 そういえば、目の前の彼――ミツルはゴルブル兄弟の所在を知っているのだろうか。


 であればわざわざ調査依頼を出す手間が省けるのだが……と思っていたバリスだったが、続くミツルの一言で、彼の思考は完全にフリーズする。


「そうか。あのゴルブル兄弟は魔物の餌にしたんだが……それなら問題はなさそうだな」


(問題がないわけないだろ!)


 内心そう突っ込みたいバリスだったが、思っていることを口にしないくらいの分別は今もまだ残っていた。

 けれど限界を超える瞬間は、実にあっけなく訪れる。


「実は俺はダンジョンを経営している、いわゆるダンジョンマスターというやつでな」


「ダ、ダンジョンマスター!?」


 ゴルブル兄弟の一件に関してはなんとか口を噤んでいたが、流石に今回は我慢しきることができなかった。


 ダンジョンというものと関わりの深いバリスにとっても、ダンジョンマスターというのはおとぎ話の中の存在であった。


 この世界において、ダンジョンという存在は未だその原理が解明されていない。

 故にダンジョンに関しては、様々な噂や学説が存在している。


 ダンジョンはダンジョンマスターが操作している、というのもその中の一説だ。


 巷で人気はあるが、あまりにも現実味がないということでどちらかといえば物語の中でしか語られることのないような扱いを受けている説だ。


 これに関しては、流石のバリスも軽々に信じることはできなかった。

 けれど現実は残酷だ。


 自分の理解できないものが、自分の来てほしいと思ったタイミングまで待ってくれるとは限らない。


「いきなり言われても信じられないだろう。ということで証拠を見せようか」


 ミツルは手を上に掲げると、パチリと軽く指を鳴らした。

 一見するとただのキザな動きなだけのそれを見た瞬間、バリスの背筋に怖気が走る。


 昔取った杵柄か、かつて冒険者をしていた頃の感覚が一瞬のうちに蘇る。

 自分では到底敵わない敵と遭遇した時の、興奮と絶望の入り交じったあの感覚だ。


 彼は突如として感じた新たな視線に対応すべく、臨戦態勢を取る。

 正体を探るべくスキルを発動させようとすると……それは音もなく、ミツルの影の中から現れた。


「どうも、ギルドマスターのバリス。私、公爵級悪魔のティアマトと申します」


「……」


 バリスは、言葉を失っていた。

 冗談でも誇張でもなく――その悪魔を一目見た瞬間、彼は失語症のように言葉が意味をなさない記号の群れとしてしか認識することができなくなったのだ。


 彼とて、悪魔と相対したことはある。

 けれど彼が戦ったことのある悪魔は最高でもB級下位――悪魔達が自称するところの子爵級に相当する個体までだ。


 それより強力な個体は人里にめったに出ることはない。

 だがひとたび出ればその魔物は街を、都市を、国を蹂躙し、世界に大災害を与える。


 公爵級悪魔――Aランク上位に相当する悪魔など、当時の文献にしか出てこないような正真正銘の化け物だ。

 どれだけ強力な勇者であっても、倒すことなどできはしないだろう。


 バリスの心は、目の前の悪魔――ティアマトに屈した。屈してしまった。


 たとえ全力を出して戦おうが、勝ち目などない。

 いやそれどころかこのマサラダの街の総力を挙げて戦ったところで、この悪魔一体に全滅させられて終わってしまうに違いないと。


 そして悲しいことに、それは過小評価でもなんでもなく、ただの事実でしかなかった。


 ――バリスのレジスト系のスキルを貫通するほどのティアマトの存在感は、一瞬にしてバリスの抵抗を奪っていた。


 悪魔の頂点に君臨するティアマト。

 その存在は目にした人を発狂させ、視線で人を殺し、息をするように人の心を狂わせる。


 彼を前にしてこれで済んでいるという時点で、それはバリスがひとかどの人物であるという証明であった。


「さて、信じていただけただろうか?」


「ああ、これほどの悪魔を見せられては、信じないわけにはいかない……」


 多少論理は通っていなくとも、今のバリスにはミツルの言葉を信ずる以外の選択肢が頭から消える。


 今後ミツル達と話をする時には戻っているだろうが、少なくとも今ティアマトを見た彼の心から抵抗心は完全に奪われていた。


 こんなものに関わるのではなかった。

 どうして自分は先代のギルドマスターの申し出を受けてしまったのか。


 なぜ自分がギルドマスターになった時だけ、こんなに処理できない問題がやってくるのだ。

 己の不運を嘆きながらうなだれるバリスの背中は煤けていた。


 けれどそんな彼を見て、ミツルはゆっくりと笑みを浮かべる。


 今後も良き隣人でいるためには、相手の性根は善性であることが望ましい。

 少なくとも冒険者側の最高責任者であるバリスは、彼のお眼鏡に適う人間であった。


「俺はこのマサラダの街を滅ぼそうとなど思っていない。いやむしろ、このマサラダの住民達とは仲良くしたいと思っている。俺達によって良き友人で居てくれるのなら……ダンジョンを解放し、その恵みを分け与えよう。冒険者の質を上げ、資源を産出し、この街の発展にだって寄与してみせようではないか」


 それは正しく、悪魔のささやきだった。

 悪魔の中の悪魔を従えるダンジョンマスター。

 彼こそ正しく――


(悪魔の王――魔王だ)


 がっくりとうなだれるバリスは、実利を伴うミツルの甘い言葉に、首を縦に振る以外の選択肢を持たなかった……。


 こうしてミツルはギルドマスターとの折衝を終え、無事平和裡にことを収めることに成功する。

 混沌迷宮は冒険者ギルドマサラダ支部の認可を受け、ダンジョンとして認められることになった。


 悪魔が笑い竜が鳴き、全てが渾然一体となり冒険者を待ち受ける混沌迷宮。

 その存在が冒険者達にお披露目される瞬間は、刻一刻と近づいていた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る