第11話
ダンジョンマスターであるミツルによって生み出されたダンジョンは、造物主である彼本人によって『混沌迷宮』と名付けられている。
その名前の由来は、このダンジョンの在り方に由来を持っている。
通常ダンジョンの名付けには、ある程度のパターンが存在している。
たとえば火山や岩窟を中心に構成されている場所であれば、『火』や『穴』と言った単語を使ったり、湖沼地帯や海のエリアを持つダンジョンには水を想起させるダンジョン名をつけたりといった具合に、ダンジョンの特徴や特色などがわかるような名付けがされることが多い。
けれどこの混沌迷宮は、それらコンセプト型の迷宮とは一線を画している。
混沌迷宮にはスライム達が大量に配置されているスライム階層があれば、天使達が暮らす天上の階層があり、その下には悪魔達が闊歩する万魔殿が存在している。
妖精達が暮らす夢の国があり、エルフ達が暮らす深緑の大森林があり、ドラゴン達にとって心地の良いマグマ地帯があり、水棲の魔物達にとって不可欠な海エリアも存在している。
砂漠地帯や湿原地帯に寒冷地帯……まだまだ挙げればきりがないほどに大量のエリアが、ある種無秩序に思えるほどバラバラに配置されている。
ミツルはダンジョンマスターの権能を使い、生み出せる全てのエリアを完全に網羅していた。
有り余るDPをつぎ込んで多彩な領域を作り出したミツルの目的は、単純明快である。
――やってくる人間達を、殺し尽くすこと。
彼にとってダンジョンとは自己実現の手段ではなく、己の命を守るための防波堤である。
いずれやってくる勇者、それに連鎖してやってくる次の勇者、そして正義の御旗を標榜しやってくる人間達の大群……それら全てを殺し尽くすためには、エリアやコンセプトなどにこだわっているだけの余裕はなかったのである。
通常同じタイプのエリアを使うことで各階層間に互換性やシナジーを持たせたりすることもあるが、ミツルはその方法を採らなかった。
その理由は単純。
――勇者のような圧倒的な個に対しては、ダンジョンマスターである彼もまた、それに並びうるだけの個を用意する必要があったからだ。
最強の個、そして彼らに率いられた最強の軍勢。
節操も自重もなく、ただやってくる勇者達を倒すことだけを求め続けた結果、ダンジョンの魔物達は強さというただ一つの秩序によって統一されている。
強さという絶対の秩序。
そしてそれ故の――混沌。
現在第百階層まで拡張がなされている混沌迷宮では、今日も凶悪なモンスターがエリアを闊歩し、やってくる勇者達を手ぐすね引いてを待ち受けている。
魔物達は己の支配者であるミツルの言葉を除けば、強き者にしか従わない。
故に彼らを統率する個体は、当然ながら種の中で最も強い者達だ。
各種族を取り纏める軍団長達は皆が、凶悪な性能を誇る勇者を個で打倒しうるだけの戦闘能力を持っている。
ミツルが手ずから育て上げ、無尽蔵にも思えるDPを注ぎ込み強化を繰り返してきた彼らはその全てが――災厄と呼ばれ忌避される、Aランク上位の魔物である。
混沌迷宮の最深部にある第百階層は、それまでのエリアとは異なった趣となっている。
階段を下り第百階層に下れば、そこに広がっているのは荘厳な城そのもの。
第百階層はそれ自体が城の内部となっており、他のエリアと比べると広さもいささか狭くなっている。
このエリアは、有事の際に各種族の代表者が集まるためのスペースであり、同時にダンジョンマスターであるミツルが総力を挙げて最後の勇者を迎え撃つために用意した場所でもあった。
そして今度の場合、彼らが集められた目的は前者であった。
ダンジョンマスターであるミツルの号令によって、軍団長達へ招集がかかったのである。
当然ながらそれを反故にする者など一人も居ない。
結果として赤い天鵞絨(ビロード)の敷かれた円卓には、現在混沌迷宮において各種族ごとの最強を誇る軍団長達が、一人を除いて勢揃いしていた。
「ベルだけ一緒だなんてずるいよ、私も一緒に行きたかったのに!」
上座の位置でテーブルに頬を当てているのは、赤い髪をした一人の少女だ。
背と尻の間からはギザギザとした尻尾が飛び出してはいるものの、それ以外の見た目は人と変わらない。尻尾さえ隠してしまえば、ただの人間にしか見えないだろう。
「やんなっちゃうよ……はぁ……」
しかし見た目が人に酷似していても、その性質は魔に寄っている。
彼女――第一軍団長『竜王』タマキがため息を吐くと、その口元から勢いよく炎が噴き出した。
タマキは全てのモンスターの中で最も平均値の高い、竜種の頂点に君臨する個体である。
最下級である亜竜でもBランク下位ほどの実力があり、タマキ以外にも複数体のAランク上位を抱えている竜種は、この混沌迷宮において純粋な戦闘能力は最も高い。
また飛翔による高い運動性能を持っており各階層への援軍としても有用であることを考慮に入れられ、竜種には第一軍団を与えられている。
そんな竜種の頂点である彼女は、吐き出す息すらも凶器となる。
彼女のため息は煉獄の業火にも等しく、鉄を一瞬で融解させてしまうほどの極めて高い熱を持っている。
けれどBランクのモンスターを一撃で炭に変えてしまうその息を受けても、この場にいるモンスター達は微動だにしていなかった。
パチリ、と一人の男性が指を鳴らす。
たったそれだけで、優に二千度を超えていたはずのファイアブレスは、一瞬にして霧散してしまう。
「ベルナデットは見た目がエルフそのものですし護衛としては適任でしょう。私やガブリエルが行けば怖がられてしまうかもしれませんからね」
切れ長の瞳に、幽鬼を想起させる青白い頬。
だが何より目に止まるのは、背中に生えたコウモリに似た皮膜の張った翼だ。
彼は、悪魔(デーモン)種やイビルアイを始めとした異形種を統括している第五軍団の軍団長、『魔公』ティアマトである。
物理攻撃の効かない悪魔種は、魔法に対する耐性も極めて高い。
『竜王』の吐息程度では何ら痛痒をもたらさない彼がそれでも魔法をディスペルしてみせたのは、彼が現時点でのこの場の責任者であるからだ。
ティアマトは第五軍団長であると同時に、有事の際の参謀総長の役目も兼任している。
ミツルがいない場所に置いては彼が全体を統括するリーダーであり、ミツルも彼に多くの裁量を与えていた。
当然ながら彼の絶対的な忠誠はミツルに捧げられている。
「ちょっと、どういう意味ですかぁ? ガブちゃんを見ればぁ、ニンゲン風情なんかイチコロだと思うんですけどぉ」
甘ったるげな調子で話すのは、背中に自分の背丈を超えるほどの巨大な三対の翼を持つ美女であった。
流れるような金糸の髪に、宝石がそのまま象眼されたかのように美しいサファイアの瞳。
身につけているのはゆったりとしたトーガで、あえて結び目を作って強調された胸元からは、わずかに色づいた真っ白な肌が覗いている。
異性が見れば思わず舌なめずりしながら飛びかかりそうなほどの魔性の美貌を持つ彼女は第四軍団長、『断罪者』のガブリエル。
有翼種という広い括りで鳥種や獣種など幾多の種族を統括する、第四軍団の長を務めている女傑である。
少し頭の足りないところがあり実務は副官任せなのだが、その戦闘能力は極めて高い。
純粋な戦闘能力だけで言えばだけで言えば『竜王』にも匹敵するガブリエルは、ダンジョン内でも唯一三対六枚の翼を持つ最高位のケルビムであり……
「あぁ、早くミツル様来てくれないかなぁ。こんなに待ちぼうけ食らってたら……ガブちゃん、疼いてきちゃうよ」
ミツルに偏執的な愛を捧げている、軍団長でも随一の変態でもあった。
頬を染めながらチロチロと舌を出し、明らかに発情している様子のガブリエル。
けれど彼女のそれはなんでもないただの平常運転なので、その痴態を見ても他の軍団長達はまったく気にしていなかった。
「……」
「……」
「……(あわあわ)」
黙って瞑目しながら腕を組んでいる、緑色の甲冑の騎士。
カタカタと歯を合わせながら笑っている、豪奢な衣服に身を包む骸骨。
大きな水の塊の中でどうしようと焦っている様子のマーメイド。
混沌迷宮の十ある軍団の軍団長のうち、今回護衛としてミツルに同行している第三軍団長『原種』のベルナデットを除いた九体の魔物が揃っていた。
その中には今回勇者を討伐した『無尽』のファスティアの姿もある。
ただ彼女は軍団長の中でも末席、部をわきまえて観客に徹しながら、時折カメオを開いては悦に浸っていた。
彼女が首に提げているカメオを開けば、そこには笑顔のミツルの写真が入っている。
ファスティアもまた、ガブリエル同様ミツルのことを恋慕的な意味合いで慕っている魔物のうちの一体であった。
各軍団長が一線級の魔物でなければ即死するような過激なじゃれ合いをしながら時間を潰していると、カツカツと硬質な軍靴の音が耳に入ってくる。
「「「……」」」
誰からともなく話すのを止め、全員が口を噤む。
先ほどまで大きな音で満ちていた城内が一瞬のうちに静まりかえり、全員の視線が階段に固定される。
ちり一つない深紅の絨毯の敷かれた大広間の奥に鎮座するのは、合わせて百段に及ぶ純白の階段だ。
そこを一つ一つ下りながら、やってくる。
彼らの主が、やってくる。
ゆっくりと下りてきたのは、第三軍団軍団長のベルナデットだった。
彼女が円卓に座ると、それにタイミングを合わせたかのように一人の男がその姿を現す。
「待たせたな、皆。それでは早速、軍議を始めよう」
「「「――はっ!」」」
現れた自らの造物主に、十の軍団長全てが頭を垂れる。
ダンジョンマスターのミツル。
彼は正しくこの混沌迷宮を生み出し全ての魔物を統べる――万魔の主、魔王であった。
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