14
静が紅星の間から去った後、ヴィンセントはわずかに手を動かした。
「お前ら、そいつらの拘束を解け」
「よろしいのですか?」
「今のやり取りを目の前にして、こいつらが俺達に剣を向けるとでも思うのか?」
「銀の聖女のみ、の可能性もありますが」
深紅の副隊長、リクハルドがゆるりと緑の瞳を細め、元16番のディックと名乗った男を見下ろす。
ディックはその視線に気づいたのか、僅かに肩を上下させた。
「さすがにしませんよ。銀の聖女様がそのように命じない限りの話ですが」
「ほら見ろ」
納得がいかないような顔を一瞬だけ見せたが、すぐにヴィンセントの言葉に従い、リクハルドが手枷を外す。それを見て他の騎士達もしぶしぶと言った様子で解放していった。
「よし、お前らは下がれ」
「大神官様。さすがに数名は残しておくべきかと。それと私も含まれますでしょうか?」
「……殿下は好きにしろ。後は各隊長、副隊長ぐらいか」
「私の護衛も残させますが、よろしいですか?」
「だから好きにしろ」
ランスロットか胸元に手を当てて感謝の意を込めてか僅かに頭を下げる動作をした後、視線を騎士達に向けた。
隊長達二名、ロビン、そしてディックを抑えていた副隊長達二名を残し、順番に騎士達を下がらせる。何人か不服そうに顔をしかめているが、さすがに誰も反論を口にする者はおらず、紅星の間の扉を閉じた。
「……やっぱり、俺に付いていたのは副隊長だったか」
漆黒ならともかく、ディックは深紅の副隊長の顔を知らなかったようだった。が、何かしらの実力は感じていたのだろう、妙に納得した顔を見せていた。
漆黒の副隊長、ジグルドはディックとよく似た赤茶色の落ちてきた前髪を耳にかけ直しながら、何か面白いものを見つけたような笑みを浮かべた。
「おや、知らなかったのかい? 私はともかく、彼のことは知っていてもおかしくはないだろうに」
「あの深紅の隊長の方が目立つだろ」
「うん、深紅の隊長は比べて目立つからね。ああでも、気づいても影が薄いなんて言わないようにね」
「一言多いぞ……!」
これだけで二人の力関係がよく分かる。だが深紅の隊長であるレナートの見目は誰もが目を惹いた。もちろん、女性ではなく、男性に。それほどに良く目立つのだ。鋭い赤い瞳、右目に刻まれた傷痕、分厚い筋肉に覆われた大柄な体躯、そこに立っているだけで十分に威圧を与えられるほどの空気を纏い、その体躯に見合う長剣を二本も腰に佩いている。
壮年も半ば、銀に白さが増してきた年であるがまだまだ現役である。
そんな深紅の隊長がいるのだ、周りはどうやったって霞むわけだが、それにしたって何故だろうか副隊長のリクハルドの影の薄さというか気配の無さは、漆黒のジグルドといい勝負だった。
ヴィンセントは思わず憐れんだ視線を向けそうになり、誤魔化すように大きく息をついた。
「にしても……、深紅の他、漆黒までも使ってこいつらを連れてくるとはな。しかも隊長達までも動員するとは」
「良い機会かと思いまして」
「何のだ」
「聖女様方に護衛を付けるとのお話でしたので。その候補らを使いました。静様に関しては、もうすでにいますので今回は控えております。が、どうやら不必要のようですね」
「ああ、これらが変わりになるからな」
深紅と漆黒の両方を付けるのだ。聖女達の相性はもちろん、その二つの相性、連携もまた重要になってくる。だからこそ深紅と漆黒をわざと組ませたのだろう。
深紅に関しては、いつもの見知った三名であるので、見ていたのはおそらく漆黒との相性だったのだろう。副隊長達、隊長達の様子を見る限りではまずまずと言ったところか。特に問題はなかったらしく、おそらく彼らにはこのまま正式に聖女達の護衛として任を与えられるのを予想出来た。
扉の向こうに控えているであろう彼らの働きに期待しつつ、改めて床に跪いている四人にヴィンセントは目を向けた。
「で、だ。お前らは、銀の聖女、静の……そうだなぁ、私兵のようなものになるわけだが」
「もちろん、あんたらの話もある程度は聞かないといけないのは理解してますよ。やるかは置いといて」
「話が早くて助かる。あれが欲しがらなければ、俺が欲しいところだったな」
半分以上本心であるそれを口にすれば、ディックの視線はずいぶんと鋭いものへと変化した。
静以外には従う気がない姿を見て、ヴィンセントはゆるく笑みを浮かべた。
「冗談だ」
「冗談には聞こえなかったんですがね。それで何をやれ、と?」
「何、お前らも耳にしているあの噂の根源を叩き潰すだけだ」
ディックは何度か赤茶色の瞳を瞬かせた。
「……たかが噂、ですよね」
「ああ、たかが噂だが、こちらにとっては死活問題でな」
静もたかが噂と言っていた。けれども、その噂すらもおそらくは静にとっては鋭い刃と同等のものだろうと、伊織から聞いた。
何もできないということの歯がゆさからか、歪む顔と揺れる黄金がヴィンセントの頭の中からこびりついてどうしてか離れない。しかし今は静についての話だと、頭の中でそれらを無理やりに払いのけた。
「静のあれは病ではない」
「病、ではない……? じゃあ、あれは……?」
「ユフィアータの力が弱まっているから、だそうだ」
これについては事前にランスロット達には話をまだしてはいない。せいぜいこれらを静へとつけさせるつもりだという所までだ。
ランスロットは珍しく動揺したのか自身によく似た琥珀の瞳を見開き、ヴィンセントを見据えた。
珍しいものを見た、と内心愉快に思いながら、それ以上に動揺を見せる彼らへと話を続ける。
「……銀の聖女様は、一言も」
「これを言えば、すぐにお前達が飛びつくのは目に見えていたが、あいつは言わんさ。何せお前達に拳骨を落とし、ましてや自ら名乗らせたのちに生き続けろという罰を与えるような奴だぞ? 言うはずがない」
妙に自尊心が高く、己が是と思えば全てを受け入れ、非であれば全力をもって真正面から受けて立とうとする馬鹿正直な聖女だ。そして思いつきで罰を与えるようなものが、どうしてそこまで計算して話せるだろうか。
というよりも、元よりそれを利用しようという頭は無かったはずだ。何せ怒りのままに拳骨を落とす聖女だ。
ヴィンセントはあの時の光景を思い出し、僅かに口元を緩めたがすぐに引き締めた。
「静だけではない。この世界は、聖女達にとっての毒が満ちていると言う。だからこそ愛娘達は聖女達を守る為に力を与えた。その力さえあれば、聖女達は病からも、毒からも守られ、こうして生きている。見たのだろう? 静に毒がほとんど効いていないところを」
彼女達四人にとって魔力こそが毒であることは伏せておくべきと判断した。どの道、この世界には生きとし生ける全てに魔力が含まれているのだから、世界規模で毒だと告げても問題はないだろう。
愛娘達の力によって守られている彼女達ではあるが、その体内に直接魔力を流し込まれた場合どうなるか、想像さえしたくない。何も作用が無ければよいが、万が一ということもある。だからこそ手を尽くすことが出来ないと言うように告げた方が分かりやすく、変に工作はしにくいとヴィンセントは考えていた。
ディックはあの時の襲撃の事を思い出しているのだろう、視線を左右に動かしながらもわずかに頭を上下したのが見えた。
「では力が弱まっている、ということは……銀の聖女様は」
「静を守っていた力が弱まり、この世界の毒の影響が出始めた」
「何故!?」
「だから言っただろう。今、流れている噂の根源を叩き潰せと」
察しが悪い、とつい思いながらもヴィンセントは最初の話へと戻した。
「たかが噂だ。しかし、ユフィアータにとってその噂ですら強く影響が出るほどに、もうすでに弱まっていた……と言う。十年、五十年、百年以上前から、とくにユフィアータに対しての祈り、そして願いが本来の形から遠のいていたのが、この時になり鮮明に姿を現した」
つきり、と傷む腹を誤魔化すようにヴィンセントは目元を抑え、深く背もたれに寄りかかった。
「情けない話だ。大神官としてこうして座しているが、我らが神にどうやって顔向けが出来ようか」
「……しかし、それなら、天の神であるアルカポルスのお力ならば」
「そして我らが神、アルカポルスはもうすでに眠られていると聞いている」
息をのむ音が聞こえた。
ヴィンセントは目元を抑えていた手を下ろし、驚愕と、そして絶望の色に近い表情を見せる彼らを目にし、ぐっと奥歯をかみしめた。
「……時間はもうすでに僅かしか残されていないだろう。だからこそ、使えるお前らを静が欲しがった。だが、この事実を理由には使わず、己の言葉のみでお前らを欲しいと言って生かそうとした。そしてお前らはその生かすという罰を受け入れた。この、紅星の間で」
僅かでも、何かしら抗えることは可能だろうか。それとも、それすら出来ないほどに時間は残されていないのだとすれば。
ヴィンセントは不要な思考が沸き上がりそうになるのを押しとどめ、ひたすらに目の前の光景から視線をそらしたがる己を奮い立たせるように拳を強く握った。
「誓うが良い。我らが銀の聖女を、気高き白銀を、情深き銀花を、決して裏切らぬことを」
紅星の間を選んだのは、人払いがしやすく、そして不必要に人間が足りよらない場所ということもあった。
それ以上に、決意と、そして誓いを立たせるのに相応しい場所はこの国、この大神殿において、他にはないとヴィンセントは確信をしている。
誓え、祈れ、願え。全ては銀の聖女、そしてユフィアータの為に。
ディック達が緩慢な動きで揃いの祈りの姿勢をとり、深く頭を下げた。
祈りを捧げるのに、あの手枷は邪魔であった。
思惑通りに動いた彼らを目の前に、ヴィンセントは一つ頷いた。
「――よろしい」
これで、この話は完全に片付いた。
さて、とヴィンセントは控えているエドヴィンに視線を向ける。
エドヴィンは分かっているように無音で移動し始める。それに続いてアルベルト、ジグルドもそろって動き出し、扉へと向かっていた。視界の端で見えたロビンは頭を抱えているが、それに対してランスロットは面白そうに小さく肩を震わせていた。レナート、リクハルドもロビンと似た反応を見せている。
さすがに聖女達も気づいたのだろう、扉の向こう側が妙に騒がしいことに。
真ん中にエドヴィンが立ち、両脇にアルベルトとジグルドが控える。そしてエドヴィンは勢いよく扉を開いた。扉は室内側から室外側へと開かれる。その為、勢いよく開けばその目の前にいた者は扉に直撃するわけで。
扉の向こうで、ぐぇ、とまるで蛙でも潰れたような音が聞こえたような、聞こえなかったような。
深紅の隊長、副隊長はそろって頭を抱えていた。
ヴィンセントはたまらず、大きく肩を揺らして笑いだした。
大きな図体を小さく縮こませようとするカルロスを中心に、待機していたはずの騎士達がずらりと並んでいた。
が、漆黒の面々はどこ吹く風か。自分関係ありません、と言わんばかりの態度を見せている。
「漆黒が盗み聞きが得意なのは知っていたが、まさか深紅もそうだとはなぁ?」
ヴィンセントがわざとらしく問いかければ、ぐっと先ほど顔面に打撃を受けていたカルロスが口を開いた。
「俺は止めました!」
「けど一緒になって聞いてたじゃねぇか」
すかさず茶色の短髪の漆黒が反論した。
ぐっと言葉を詰まらせたカルロスに、ギルバートは苦笑を漏らし、クラウスは居心地が悪そうに顔を歪めていた。ちなみにエドヴィンは何とか無表情を取り繕うとしているが、ばつが悪そうに視線を無理やり外そうとしていた。
そういえばこの二人、実の親子で聖女達の護衛として駆り出されるようになったはいいが、表だって話をしているところは見たことがなかった。悪いような話は聞いたことがないが、この様子を見る限り、良いとは言えないのかもしれないようだった。
「カルロス!」
「申し訳ありません!」
リクハルドの鋭い声に、反射的にカルロスが姿勢をびしりと正す。
「ダサいわ」
無慈悲に真咲はカルロスに言い捨てたのが聞こえた。
カルロスまでには運よく届いていないようだが、はっきりとヴィンセントの耳には届いてしまっていたし、内心同意しかけた。
「さてお前達、話を聞いた以上は分かっているな? ん?」
くつりくつりとヴィンセントが笑いながら告げて見れば、関係ないという顔をみせていた漆黒も姿勢を正し、顔を引き締めた。
ただならぬ緊張感が紅星の間に走る中、ヴィンセントは伊織に琥珀を向けた。
「伊織、問題はないな」
「うん、大丈夫だよ」
伊織は目を使われていることに嫌悪感を抱いてはいない。だからヴィンセントは遠慮なく、伊織のその力を存分に使っている。
黄金はただ真っすぐ、目の前をみてヴィンセントを見てはいない。
見られていないからこそ、はびこる罪悪感を甘んじて受けながらすぐに胸の内の押し込んだ。
「何、沈黙を守ってくれれば問題はない。それにお前らが聖女の護衛の候補らしいからな? それを考えれば話が早まったということだ。そうだろう、隊長殿?」
「……大神官様。これ以上の秘匿がおありなので?」
「え、それはちょっとさすがに」
「拒否権があるとでも?」
ランスロットはヴィンセントが何を話そうとしているのか気付いたのだろう。強面の顔をより険しくさせるレナートと、明らかに面倒と言わんばかりに顔を歪めるアルベルト二人の反応を面白がって見ていた。
そして他の騎士達はもちろん、件の四人も一体何がどうなるのかと互いに顔を見合わせている。
中々にそれぞれの反応が面白く、しばらく放置して眺めたい衝動を駆られながらもヴィンセントは笑みをこぼしながら、まずは彼ら四人に向けて口を開いた。
「そういえば静が出る前、小さな白銀の狼がお前達に駆け寄ったな」
「え、ああ、はい」
「良かったな。ユフィアータに会えたぞ?」
今度こそ伊織へと顔を向ければ、伊織は笑ってヴィンセントを見返し、首に巻き付く白蛇の頭を指先でなでた。
『あまりに嬉しかったみたいで、ついはしゃいでしまったようなのです』
『可愛かったわぁ』
『ユフィのあんな喜ぶところを見たの、いつぶりかしら?』
順番に、悪戯が成功したようにそれぞれ弾んだ声を発した。ヨルはしゅるりと伊織の首元で身体を巻きなおし、メルは機嫌が良いのか黒く長い尾をゆったりと揺らす。ディーヴァは尾羽と片方の翼を大きく動かした。
誰もが唖然とした表情で、その小さな動物達を凝視する。
そしてヴィンセントは追い打ちをかけるようにこれらが誰か、を説明した。
「伊織の首に巻き付いている白蛇のヨルはリディアータだ。奈緒と共にいる黒猫のメルは、メルヴェアータ。名前適当につけただろ」
「分かりやすいじゃない」
「そのままだろ。真咲の肩にいる空色の鳥、ディーヴァがデウディアータ。そして、あの銀の子狼のネーヴェこそ、ユフィアータだ」
男達はヴィンセントが告げた言葉を頭の中で反芻しているのか、ぴたりと動きが止まった。
なんだ、つまらないなとヴィンセントがのんびりと次の反応を待っていると、大の男四人が一斉に涙した。
「……泣くほどのものか?」
お互いの顔を見合わせて、手振り身振り、何かを話しているように見えるが、全く言葉を交わしてはいない。
「そうよね、そうなるわよね」
「あー……分かるわぁ」
奈緒と真咲が妙にその反応に何故か共感をしている。伊織はよく分からずに首をかしげているが、自分なりに理解したのか何度か頷いていた。
ヴィンセントは頭を抱えそうになりながらも、涙する四人にしっかりと声が届くようにわずかに声を張り上げた。
「つまり、静を守ることはユフィアータを守る事と同義だ。あの姿でいる間はネーヴェと呼べとのことだ。分かったな?」
まるで子供に言い聞かせる大人だ。だが名前がなかった彼らはある意味、それに近いのかもしれない。
そう見れば、なるほど子供達が驚いてどうすれば良いのか分からずに集まっているようにも見て取れる。
ヴィンセントの声はしっかりと聞こえたらしく、そろって何度も頷いている姿はまさしく子供のそれだった。
「……どうしましょ。こう、頭を撫でまわしたくなるわ」
『代わりに私を撫でる? 奈緒』
「そうするわ」
母性本能をくすぐられているらしい奈緒は、膝にいるメルを優しく両手で遠慮なく撫で始めている。さすがに彼らの元へ行って慰めに行かないあたりはまだマシだろう。
だが落ち着くのはしばらく先になるだろう。こうなるのが分かっていたならば、静がいるときに話をしてしまえば良かったと内心後悔をした。
さて、これからどうしたものか。とヴィンセントは肘掛に寄りかかった時、一人の漆黒が手を小さく上げた。
「発言をしても」
「ああ、良いぞ。お前は……」
許しを得た為、一歩前に出てくる。揺れる肩ほどの長い銀髪に、涼やかな青の瞳が印象に残る騎士は、一見すれば女と見間違いそうになるほどに体の線は細い。だがオリヴィアが隣にいたことで、いや男だとすぐに見間違いということに気付けた。
「漆黒に所属しております、アイヴィと申します。正直、なかなか受け止めきれない状態ではございますし、護衛の候補というのは……」
「なんだ、最初の方は聞いていなかったのか」
説明をする手間が省けたと思ったが、どうやら違ったらしい。
「こいつらが起こした一件で、聖女達に護衛をつけるつもりでな。深紅の方は、慣れている奴らをそのままつけさせるつもりだったが、漆黒に関してはそちらに完全に任せていたところ、こうしてお前らがおそらく試しだろうが候補としてきたわけだ」
「隊長! 僕、それ聞いてませんよ!?」
「うっかり伝え忘れ……なんてありませんよね?」
「やった! 私も聖女様方の護衛に付けるんですね! どなたに付くとかって決まっているんですか?」
三者三様。男達二人の反応はともかく、オリヴィアの反応から見るにむしろ願っても無かったことのように見えた。
「言ったらお前ら来ねぇだろうが。オリヴィアはともかく」
「オリヴィアはルイスを羨ましがっていたからね。これは護衛として選ばなければと思ったよ」
アルベルトの言葉の通り、銀髪と茶髪の漆黒の騎士はそれぞれ護衛という任に対し、後ろ向きであるのはその言動からもすぐに分かった。
だがもうすでに逃げられないところまで来ているとすぐに理解したのか、茶髪は大げさに肩を落とし、銀髪はすぐに姿勢を正し、またヴィンセントへと身体を向けた。
「拒否しても良いんだぞ?」
「いえ。聞いてしまいましたから、これ以上の事は何も申し上げませんし、名誉あることと思えば光栄でございます。しかし、私達漆黒だけでもその噂の根源を探るのは動作も無いことでは? それに銀の聖女のお側についているルイスが動くのが早いのではないかと思われるのですが」
「そうしたいのは山々なんだが。あいつは侍従も兼任しているし、銀の聖女様は……大変勇ましいんだが、ルイス以外の男に対して恐怖心を抱いていらっしゃってだな……」
アルベルトは話す合間、何度もヴィンセントに視線を送っていた。おそらくはどこまで話をしてよいかの確認の為だろうが、こうして愛娘達の存在を公にした以上、その他の情報なんぞは些細に過ぎなかった。
だから好きに話させていたが、どんどんとアルベルトの表情はこわばっている。それが何とも面白く、わざと視線を外して気づかぬふりをしてしまった。
「……後もう一つ。オリヴィアはすでに知っていることではあるんだが、これが一番の理由というかだな……」
止められないことにアルベルトは気づいたらしい。とはいえ、若干死んだような目になっているのはきっと気のせいだろう。
「ルイスがいなければ、静様は部屋の外へ出ることが出来ん」
男に対して恐怖心を抱いていることについてはさすが漆黒か、しかし深紅の方も知っていた当たり、伊織達が話をしたのだろう。とはいえ四人は驚愕していたが、すぐに妙に納得した顔を見せていた。
だが、続いての事実にはランスロットにさえも伏せていたことだ。だからランスロットからの妙に鋭い視線をヴィンセントは甘んじて受けていた。
「……お一人で、ではなく? 他の聖女様もいらっしゃいますが」
「それが出来ん。だからルイスを護衛兼侍従として付かせている。部屋の外へ出られれば、ルイスが傍にいなくとも良いようだが……、昔の事故で膝を痛めているとも聞いている。故に長く走れない上、転びやすく、階段の昇降時、ときおり足を踏み外しかけるという報告が上がってきている。そんなお方の傍からルイスが離れたらどうなるか……!」
アルベルトの悲痛にも聞こえる声に、ジグルドは肩に手を置いた。
ヴィンセントは無言で伊織に視線を向ければ、伊織は小さく頷いた。
「えっとねぇ……たぶん静は、誰も見てなかったら堂々と転ぶだろうし、膝痛くてもどこか行くだろうし、自分で何とかいろいろとやろうとすると思うよ? けど、だからってお部屋の外に出さないっていうのは駄目だけど」
目を離せば何をするか分からないのが静だ。しっかりと考えてはいるだろうが、その行動というのが本当に読めない。あの拳骨だって誰もが分からなかったが、ルイスは何となく予想をしていたからこそ落ち着いて対処していたのは流石と言うべきか。
「……ルイスが傍にいる理由は分かりました。が、何故、部屋の外へ出ることが出来ないのか、よろしければ理由を教えていただけても」
「怖いからだよ?」
分からなかったの? と、問うように伊織がアイヴィに小首をかしげた。
「全部、静にとって怖いものだから。だから最初からルイスが静を怖いものから守ってくれていたから、ルイスがいれば外に出られるの」
刷り込みか、と静が以前に言っていた。正直ヴィンセントはある意味そうなのだろうと納得はしている。
最初、ルイスが出会った。だから静は盲目的にルイスに対して絶対的な信頼を置いている。だからこそルイスがああも献身的に静の為に動けているのだから、何一つ咎めるところはない。
とはいえ、やはり刷り込みと言う言葉以外に表現する方法があったはずではないか、と静に問いただしたいところでああった。
「……理解いたしました。ということになりますと、こちらの四名については」
「うーん、静がどう考えているかまでは分からないけど。あんまり怖くなくなったのかも。だから欲しいって言ったんじゃないかな?」
「なるほど……」
無言で四人が喜んでいた。奈緒がそれを見て、さらにメルを撫でる手を速めていたのが視界の端で見えてしまった。
おそらくこれらは奈緒の気に入りになるのだろうなぁと、思うのと同時、ランスロットの面白そうなところが見れるのではと淡い期待をヴィンセントは抱いた。
と、わざとらしく小さく咳払いをしたランスロットが視線を集めさせた。早速面白いことが起き、ヴィンセントは無意識に口角を上げた。
「それで、先ほどの問いにあった漆黒を使わない理由だけども。城内に不穏な動きがあるのは、漆黒であれば分かることだと思う。それに深紅の方も、なんとなくだが感じているはずだ」
王城内で今、何が起きているのかまではヴィンセントも詳しいところまでは把握はしていない。
それでもこちらの神官達が顔を寄せ合い、王城内の雰囲気がよろしくないと話をしている程度に何かが起きているのは確かであった。
「そんな中、噂を絶とうと動けば真実味は増すというものだろう? だからこちらとしては噂は噂、関与は一切しない姿を見せる他ないんだよ。歯がゆいことではあるのだけど」
漆黒はあくまで王城の騎士。神殿とは何も関係のない立場だ。
それだというのに神殿のたかが噂で動くことになれば、それはまさしくランスロットの言葉通り、真実であると語っているものだった。例えそれが虚偽であれば尚更に動かないと言う選択以外に残されてはいなかった。
「より秘密裏に対処する必要がある。全く……、いつからこのようなことを行ってきたのか分からないけども、聖女様方が危険を冒してまでこうしていらっしゃらなければ誰も気づかなかっただろうね。それでヴィンセント、今後の方針はどうする?」
「静以外については、このまま信徒達と交流を深めてもらう。元よりその役割から祈られ、願われやすい。故に表に出てもらったほうが危険も少ないだろうと踏んでいる」
さりげなく名の方で呼ばれたが、おそらく今後こうして集まり話す機会も増えてくる上に、ここまで真実をつまびらかに話をしたのだ。もはや今更である。
ふと、奈緒が無言で手を挙げていたのが見えた。
「開発局に行きたいのだけど」
「奈緒に関してはその予定だ」
ランスロットがつまらなそうな顔をしたのが見え、内心愉快になりかけたところ、すぐ隣から大きく伊織が手を挙げた。
「はい!」
「……なんだ、伊織」
「最近、もっとよく見えるようになってきたよ!」
「つまり?」
『祈りと願いが強まってきているおかげで、私達だけですが力は今とても満ちています。とくに伊織に関してはより強い力となっています』
「だから、たぶん。良くないこと考えている人見たら、すぐに分かるよ?」
ヴィンセントは額を抑えながら、つきりとまた痛む腹を無意識にさすった。
「……言っている意味、分かっているのか?」
「うん。ヴィンセントが私が見ても大丈夫な時にだけ、こうして見させて聞いてくるのは分かるんだけど」
「おい、何故いつもは余計なことを言わないくせに今は言うんだ」
「わざとだよー」
にっこりと笑う伊織に、ヴィンセントは隠さずに舌打ちをこぼした。近頃いろいろと遠慮が無くなって来た金の聖女について、ヴィンセントは頭を悩ませ始めている。
それこそ最初に出会ったあの時に比べれば喜ばしいことではある。だが、それにしても下手をすれば静よりも一番たちが悪くなってきているのではと思わざるえない程度に手を焼く羽目になるとは誰が思おうか。
「だって全部見えてるから」
細められた揺れる黄金を、似た琥珀が見やる。先に反らしたのは琥珀だった。
「そのあたりは考える」
「やったー」
そも、聖女がそう望んでいるのであればこちらは従うのみだ。
控えているエドヴィンからの煩わしい視線を背中で受ける他、もう一つ面倒な視線が突き刺さり、ヴィンセントは顔を盛大にしかめた。
「……なんだ、兄上」
「いや。ヴィンセントがそうやって折れるところを初めて見たと思ってね」
「そうか。奈緒、兄上の面白い話を聞きたくないか?」
「恥ずかしい話?」
「あるぞ」
「うん、止めようか」
すかさず止めようとするランスロットに、奈緒は何か面白いものを見たように笑みを浮かべた。
「後で聞くわね」
「聞かないでくれるかい?」
「分かった」
「ヴィンセント……?!」
一先ず、しばらくはこれで遊べそうだとヴィンセントはツキリツキリと痛む腹部に気づかないふりをして、人の悪そうな笑みを深めたのだった。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
窓際に置かれた椅子。身体の大きな男が座っても余裕がある程の大きな一人用の椅子に、ルイスの腕の中にいた静がそっと降ろされた。
「ありがと」
「いえ。ご気分は」
「おかげさまで、楽にはなったよ」
部屋に戻る途中、静は強い目眩に襲われた。
床に倒れる前にルイスが身体を支えてくれた後、静の身体を抱え上げ、急ぎこうして部屋に戻ってきたのだ。
すぐにベッドへと下ろそうとするルイスに、静は無理言って窓際の椅子に下ろすように頼んだ。難色を見せたルイスだったが、こうして聞き入れてこうして椅子に下ろしてくれた。
優しさに甘んじている、と静は自身の体たらくさに内心呆れを覚えながら、リーリアが一歩遅れて歩み寄り、膝の上にネーヴェを下ろしてくれた。
『静……平気か?』
「うん、さっきよりはね」
きゅうきゅうと鼻を鳴らすネーヴェが頭を押し付ける。
静はその小さな体を持ち上げ、自身の頭を寄せた。
「……さむいねぇ、ネーヴェ」
『……ああ、静。とても、さむいなぁ』
本当は寒くなんてない。こんなもの、ただの理由だ。
ネーヴェが抱きしめて欲しそうに見えた。だから、監禁されていたあの時のように、今度は静が寒い、なんていう言い訳を使ってみた。
小さな身体を抱き寄せ、苦しくないように最大限に注意を払いながらもぎゅっと力を込めた。
「……明日、何をしようねぇ?」
『あの者達と話をしたい』
「……大丈夫かな」
『姉上達が楽しそうにしているから大丈夫だ』
「便利だねぇ」
繋がっているから、その感情が伝わってきているのだろう。その尾は楽し気にゆるりゆるりと揺れている。が、いつもよりもずいぶんとゆっくりで、だんだんと動きが鈍くなってきている。
「眠い? ネーヴェ」
『ああ、少しな』
「そっか」
ネーヴェを膝の上に下ろす。ネーヴェは膝の上で一度四つ足で立ち、すぐに身体を丸めて眠る体制に入る。と思えばその数秒後、すぐに寝息が聞こえてきた。
ゆっくりと上下する小さな身体を静は上からゆっくりと撫でながら、視線を窓の外へと向けた。
「……ごめん、一人にさせてほしい」
「それでは一時間後、お茶の用意をさせていただきます」
「……うん、そうして」
当たり前のようにルイスが時間を提示してくるあたり、それ以上は許さないらしい。リーリアが何も言わないあたり、同様の考えであるのが分かった静は大人しく頷く他なかった。
ルイスとリーリアが音をなるべく立てないように、静かに出ていき扉をしめる。
静はしばらく、ぼんやりと残された部屋の窓から見える景色を眺める。
眩しい光。広い庭。揺れる木々。なんて、穏やかな景色だろうか。
「……なんで、皆……ユフィアータを守ってくれないんだろうねぇ……」
独り言のように、語り掛けるように、膝の上で深く眠る子狼の銀の柔らかな毛並みを優しく撫でる。
「なんで、誰も気づかなかったんだろうねぇ……」
無意味だと分かっている。過ぎたことだと理解している。自分が部外者であることも、十分に理解している。
「……ねぇ、眠らないでよ。ユフィアータ」
無意味なことだと静は分かっていながらも願わずにはいられなかった。
「ねぇ、ユフィアータ」
美しい、なんて美しい景色だろうか。
けれども、なんてここはこんなにも恐ろしいと思ってしまうのだろうか。
「わたしを、一人にしないでよ」
こんな、恐ろしい場所に、一人残していかないで。
景色が滲むのは、瞳から溢れた雫のせいだろう。
静は銀の子狼を撫でていた手を止め、自身の顔を覆い、小さく嗚咽を漏らした。
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