13
見上げた先に、天井の頂点には紅い星を模したステンドグラスがあった。
話では聞いたことがある。大神殿の奥に、特別な祈りの間があると。名は確か、紅星の間、だっただろうか。
なるほど、だから紅星の間。あの赤い星を模したステンドグラスは天の神、アルカポルスを表すものかと16番は目を細めた。
そして視線を目の前のその神の象付近へと向ける。そのお膝元に並ぶのは、件の聖女達と大神官。その他壁際に複数の姿があるが、後ろにいる騎士達が力づくでその場に両ひざを付かせ、頭を下げさせられた為よく見ることは出来なかった。それは16番はもちろん、19番、20番、27番も同様に。
押さえつけている騎士達は深紅、漆黒が一人ずつついている。27番についている漆黒の騎士だけ女だったが、それなりの実力者であるのはすぐに見て取れた。そして16番についているこの二人は、おそらく並みの騎士達ではないのはすぐに分かった。加えてすぐそばには絵で見たことはあったが、深紅、漆黒の隊長までいるほどにしっかりと警戒がされている。
「大神官殿。お連れ致しました」
「ああ、ご苦労」
そしてまるで物見遊山のようについてきているこの国の王子が一歩前に出て恭しく頭を下げた、気配がした。気配がしたのは頭を押さえつけられ、先ほどから床ばかりを見ているからだ。
何かの隙に狙うことは可能だろうが、王子のすぐそばに漆黒が付いているのは先ほど確認したし、そのような依頼は受けていない。16番は粛々と、されるがままに受け入れていた。
「お前ら、顔を上げさせろ」
大神官の言葉一つで頭の重みは一切なくなった為、頭を上げて見やる。
中央には大神官が随分と豪華な椅子に座り、その両脇に二人ずつ、聖女達が並んで同じような椅子に座っている。向かって左が銀と紫。右が金と空。膝の上や首、肩にそれぞれ話を聞いた通りに小動物を乗せて、こちらを見降ろしている。
「貴様らが件の襲撃者か」
片方のひじ掛けに僅かに体を傾かせた大神官の動きに合わせ、黄金の髪が金糸の如く流れている。横目で王子の姿を確認すれば、なるほど話の通り、血のつながった兄弟であるのは確かなほどに見目はほぼほぼ同じように見えた。
「……これは、何か見世物か何かですかい? 大神官様よぉ」
この状況、まさしく見世物とさして変わらない。だからこそ少々言い方をわざとらしく16番は脚色しつつ言えば、大神官の側に控えている騎士が提げている剣をならし、自分の側にいる深紅と漆黒の二人の騎士もそれぞれ僅かに身を動かしたようだった。
一瞬にして広がる緊張感の中、大神官はふてぶてしく鼻で笑い飛ばした。
「はっ……見世物か。なるほどなぁ。確かに見世物と揶揄されても仕方がないな」
何が面白いのか、クツクツと大神官は笑い、琥珀の瞳を細めた。
「さて。貴様らをこの場に召喚させた理由だが、思い当たることはあるか?」
「……大神官様は意外と意地の悪いお方だったようで」
「意地が悪いか。面白いことを言うなぁ、うん?」
不敬にも取られないことではあるが、この言動すら面白がる程度にはずいぶんと肝が据わっている様子であった。
「ヴィンセント様、お戯れは」
「ああ、そうだったな」
大神官の後ろに控えている神殿の騎士が嗜める。大神官は少しばかりつまらなそうに姿勢を崩した。
「さて、貴様ら。何か申し開き等はあるか? こうして聖女も同席しているんだ、早々にないぞ?」
「あるとでも? どの道、俺達はこうして捕まっているわけですし、順当に考えりゃあ良くて牢獄で一生を終えるのが妥当ってところでしょうよ」
「ほぉ?」
何が面白いのか、大神官はゆるりと琥珀を細めて見下ろしてくる。
「聞いているぞ? お前達、ユフィアータの信徒達らしいじゃないか」
ああ、それについては何かしら言われるであろうとは予想はしていた。しかし、銀の聖女がいる目の前でとはさすがに思わなかったが、聖女の様子を見る限り、事前に知っているようで何一つ表情は変わることはなった。
「それだと言うのに、銀の聖女を狙うとはなぁ。なんと悲劇か」
「……金さえ貰えりゃあ何だってやるからな」
「その割には、ずいぶんと手心を加えていたらしいじゃないか」
手心を加えた。とはつまり、手を抜いていたことをしっかりと見抜かれていたということだ。
神殿の騎士達が結界を破りなだれ込んでくる前まで、銀の聖女と侍従の皮を被っている異国の男を相手にしていたわけだが、やはりそれが分かる程度に実力を有していたようだ。
目的が違っていれば、きっともっと本気でやれば楽しかったに違いない。
16番が物思いにふけり、黙ったままでいれば大神官はわずかに顔に苛立ちを浮かべた、
「まどろっこしいのは嫌いでな。さっさと吐いてもらえれば助かるんだがな?」
「大神官様はずいぶんと口が悪いんですね」
「言い方を変える。この馬鹿がこの場にいるうちに、さっさと吐け」
馬鹿と指されたのは銀の聖女だった。
一体どういうことか、意味を図りかねていると銀の聖女は眉間に皺をよせ、緩慢な動きで大神官を見やった。
「いや、最後までいるけど」
「微熱だけだったなら、多少は聞き入れるつもりだったんだがな?」
「……や、ちょっと、頭が痛いだけだから」
「今朝はそれに加えて眩暈で伏せておりました」
「あ、ちょっと!」
「用件が終わったらすぐに下がらせろ」
異国の男だけ、妙に銀の聖女に近い場所に控えていると思えば、なるほど体調はあまり優れていないのが理由だったらしい。
ばらされて慌てる銀の聖女に、大神官は自身の額を抑えていた。
この薄暗い空間のせいではっきりとは見えないが、よくよく見やれば他聖女に比べて顔色は妙に青白い。さらにあの日、こちらに応戦した姿とはまるで異なり、ずいぶんと緩慢な動きで、声の張りもどこか弱弱しい。少しの動きでも頭が痛むのか、眉間の皺がより深くなっていた。
「な、なぁ……」
「黙っとけ」
「けどよぉ……」
20番が不安げに声を漏らしたのを16番はすかさずに黙らせた。19番、27番もわずかに動揺してか、16番に視線を向けてくるが、それらを全て無視して口を開く。
「……確かに、体調を崩されていたとか。にしては、俺達にずいぶんと立ち回っておいでだったと記憶しておりますけどね」
「あの時は、体調が良くなった時だったからね。今はまた具合が悪くなったというか、元に戻ったというか。そういう感じかな」
あれのせいで体調をまた崩したのだろう。
16番は目的の為であったとはいえ、本意ではないその事実を知り、顔をわずかに俯かせた。
「……あの時は結構、いっぱいいっぱいになっていたから気づかなかったけど。そこそこ手を抜いてたよね?」
「まさか。しかし毒が一切効かないとは思いもよりませんで」
「うん。これが動ける程度の、即効性の強いものではない毒だったと聞いている」
これ、と控える異国の男を指しながら銀の聖女は続ける。
が、おそらく異国のその男は侍従の皮を被った戦闘訓練をしっかりと受けている騎士か何かであろうし、相当の実力を持っている為比べてはならない。と16番は内心、自分のことを棚に上げながらも無言で銀の聖女の言葉に反論した。
「殺すのであれば夜が最適だった。そして、あの場ではなく、お庭の奥で狙うべきだった。毒も、それなりのもの。そして何より、人質なり、彼女達を狙うように動けばより簡単だったと推察する」
気だるげにひじ掛けに寄りかかり、銀の聖女はさらに言葉を重ねた。
「何故、ユフィアータの信徒である貴方方がわたしを狙ったか。依頼とはいえ、それほどの実力があれば断ることも容易であったはず。しかし貴方方はその依頼を受けた」
ゆるり、と銀の瞳が動く。
「金の為。これは分かりやすい。けど、失敗をしている……というより、失敗したがっていた可能性が大きい為、これは該当しない」
一つずつ、抜けが無いように銀の聖女は目的だと思われるものを確実に潰していく。
「人質か何かが依頼主の手の中にあった。けども先ほど言ったのと同様に、失敗しているし、見たところ焦りの一つすら見えないからこれも該当しない」
銀の瞳がまっすぐに見下ろす。決して視線を逸らすな、と言わんばかりに。
「ユフィアータに会いたかった。とはいえ、彼女達は祈ればすぐそこにいるのだから、これも同じく。そして最後」
銀の聖女はそして自分達の目的を言い当てる。
「死にたかった」
たった一言。
貫く視線から逃げないよう、必死に自分を律した。少しの動揺も見せないように。
けれどもそれは無駄な足掻きであった。
「最後の方、当たりだよ」
「……そう」
一切口を開かなかった金の聖女が、そう断言をした。
ああ、確か、あの目は全てを見通すと耳にしたことがあったことを16番は思い出す。
銀の聖女は両手で顔を覆い、顔を伏せた。
知られたくは無かった。間違いなく自分達が望んだ事実ではあるが、知られれば銀の聖女にとって大きな負担になることぐらいすぐに予想が出来た。
16番はだから何かを言って、誤魔化そうと無駄な足掻きであろうと必死に頭を回した。
そして次の言葉が浮かんでくる前に、銀の聖女が顔を上げた。
「――クソが」
舌打ち交じりに、銀の聖女がぞっとしてしまうような凡そ想像つかないほどに低い声を吐き捨てた。
その瞬間、三人の聖女達は顔を一気に背け、大神官は頭を抱えていた。
「んな、戯言吐きやがって……。とりあえず後でぶん殴るか」
「お待ちください。そのご体調で行うつもりで?」
「やれる」
「止めはしませんが」
異国の男は潔く、銀の聖女の言葉を受け入れていた。すぐに王子のすぐ近くあたりから、止めろよ、と漆黒の隊長が呟いたのが聞こえた。
それは内心同意した。強く。
「おい、クソ共。まさかとは思うが、ユフィアータに対して死を見ているのか? 死、そのものだと思っているのか?」
聖女とは思えぬ口の悪さだが、あの時も相当口が悪かったなぁと地面に頭を叩きつけられた時のことを16番は思い出した。
少々苛立ちか怒りを覚えるとそうなるのだろうか。なんともはや、人間らしい聖女である。
「……まさか。揺り籠の凍土たるユフィアータは眠る魂を守る愛娘。死、そのものだという愚かしいことは一切、誓って、行ってはおりません」
「そう。それなら何故、わざわざ死を選ぶ必要があった?」
「それ以外、何も無いからですとも。銀の聖女様」
「だから死後、守ってくれるユフィアータに対して祈ってきたわけ?」
苛立ちを抑えられないのか、銀の聖女は指先がひじ掛けを叩いた。
ここで弁明をしたところで、金の聖女の瞳には全て見抜かれてしまうだろう。そうすれば更なる怒りを抱かせかねない。
残されている方法は真実のみを告げることだった。
「……愚かしいことであると、自覚しております。しかし、俺達には、それしか残されていなかったのです」
「それしかなかった? それなら勝手に死ねば良かっただろう? 違う?」
「ええ、その通りです。銀の聖女様」
間違いなくその通りにすべきだった。けれども、どうしても、せめてもの、願いであった。
「惰性のまま、生きていました。いつ、死んでも良いように。しかしきっかけが無かった。そんな時に、貴方様への殺害依頼がありました」
「相手は」
「不明です。魔術による連絡方法を用いていましたから」
「そう。にしても、わたし相手だとずいぶんと素直だね」
「貴方様に隠す必要性がありません」
「必要性、ねぇ? で、それを受けた、と。死ぬために」
「死ぬならば、どうせならばユフィアータの聖女である、貴方様のお近くで死にたかったのです」
「せめてわたしの知らないところで死ね」
「はい。直前で自害なりを行えば、貴方様の負担にはなりませんでした」
「本当だよ、全く」
銀の聖女はもう一度強くひじ掛けを指先で叩き、短く息を吐きだすと同時に立ち上がった。
足取りは力強く迷いなく、16番に向かっている。
「銀の聖女様、危険です」
「邪魔、下がって」
「しかし」
「二度は言わない。下がれ」
16番を抑えていた深紅と漆黒の騎士達が前に出ようとするが、銀の聖女がそれらを睨みつける。
そしてその後ろ、大神官が下がれと言うように手を振ったのが見え、騎士達はそっと下がり、銀の聖女がすぐそばまで歩み寄ってきた。
目の前に立つ銀の聖女は、揺らぐ銀の瞳を向け、見下ろす。
一体、何をしようと言うのか。ああ、そう言えば噂で罰をあたえたと言う噂があった。
そうか、罰をあたえてくださるのか。16番がそう思った時だった。
「歯ぁ、食いしばれよ」
聞こえてきた言葉と同時、頭の頂点にこれまでに経験したことがない強い衝撃が落とされた。
一体何が起きたのか分からなかった。反射的に手で頭を抑えたかったが、両手は背中の後ろで繋がれている為背中を丸めて耐える他なかった。
そして頭上から、無情な言葉が聞こえてきた。
「よし。次、お前な」
「え、ちょ、ぎ、銀の聖女様、待ちましょうよっ……!」
「何あれ。え、何あれ?」
「顔面よりマシ。顔面よりマシ……!」
次の標的は20番らしい。27番が声を震わせ、19番に至っては軽く現実逃避をしている。確か19番は銀の聖女に顔面を殴られていた。あれは本当に痛かっただろう。
そして続いて聞こえてくるのは、他の聖女達の声だ。
「わぁ、あれ絶対に痛い奴」
「見てるだけで頭が痛くなってくるわ」
「ああ、もう……」
思ったよりも冷静で焦りは無いように聞こえるあたり、なるほどこれが本来の銀の聖女の姿らしい。
この人生が終わる前に知れた事実に、16番はそこはかとない優越感を感じた。
鈍い音と共に、三人の悲鳴に近い声が聞こえた後、16番はようやく顔を上げて見やれば銀の聖女はちょうど椅子に座るところだった。
「後でお話があります」
「止めないって言った」
「はい。止めはしませんが、後でお話があります」
「卑怯っ……!」
止めなかった異国の男は無慈悲にも、銀の聖女に対し何やら話をするらしい。あの雰囲気から察するに、銀の聖女に対して注意なり説教なりをするつもりだろう。
銀の聖女は不満を口にしつつも、不敬だなんだと騒がない上に聖女達や大神官に至っては呆れた顔を見せているだけだった。
それに気づいた銀の聖女が何かを言おうと口を開こうとして、口元を手で覆った。
「けふっ……」
銀の聖女が小さく咳をこぼした。
その瞬間、聖女達はもちろん大神官も動きをぴたりと止め、銀の聖女へと視線を向けた。
「お前、もう大人しくしろ。それから、さっさと部屋に戻れ」
「咳一つで大げさだな。けど用が終わったら戻るよ、ちゃんと」
底冷えするほどの視線を向けていた銀が、瞬時に柔らかな銀の月の光のようなものへと変化した。
困ったように眉尻を下げながら笑みを浮かべてながら、大神官達の厳しい視線を甘んじて受けている。
そしてまたこちらに向けられた瞬間、器用にもまた底冷えを感じる銀へと変わったが、どこか凪いでいるようにも見えた。
「それで、クソ共。名前は?」
凪いだ銀に、ほんの少しだけ温かみを感じる声色は静かに天上から降る綿雪のようであった。
16番はまだその声を耳にしたい欲が出てきたが、その問にふっと笑みをついこぼしてしまった。銀の聖女がわずかに首をかしげるのが視界に見え、16番は視線を落とした。
「……ありませんよ」
「……ない?」
「あっても、16番、なんて呼ばれていましたけどね。なぁ?」
「あ、オレ、20番っす」
「僕は27番」
「そんで俺が19番です」
銀の聖女はまさしく凍り付いたように動かなくなった。だが動かなくなったのは銀の聖女だけではなく、この場にいる全員だった。
そして、銀の聖女はずいぶんと時間をかけて動き出し、深く背もたれに寄りかかった。
「……この国で、人に対し、こういうことをするのは許されるわけ?」
「いや、全くもって許されざる行為だな」
「それは良かった」
大神官の言葉の通り、このロトアロフでは奴隷制度というのは元より存在しない。だからこそ、このような反応をされるのは当然であった。
銀の聖女はしばらく瞼を閉じ、開き、瞬く銀を向けてきた。
「名乗りたい名前は?」
「は?」
16番は思ってもみなかった言葉を投げかけられ、思わず素の声が漏れた。
「無いの、名乗りたい名前。墓石に刻む名前ぐらい、好きに名乗れば良いんじゃないの?」
銀の聖女はそれに一切気にせず、畳みかけるように続ける。
別の今更、名の必要性というものを考えたことは無かった。この四人の間に名がなくとも話は出来るし、ましては仕事を請け負っている時なんかはむしろ不必要だった。
とはいえ、もし名前があったならば、と考えたことが一度もなかったというと嘘になる。
夜の星々のようなものだった。触れれば消える、雪のようなものだった。憧れであった。
その憧れが今、銀の聖女が与えてくださろうとしていた。
16番は三人の顔を見やる。20番は他を見ながらも、視線をまっすぐに向けていた。27番はこの中で一番最年少だというのに、一番肝が据わっているのか、それとも少々図々しいのか、早くしろを視線で訴えてきている。19番は困惑しながらも、好きにしろと言うように眉をひそめながら器用に笑みを浮かべていた。
ああ、そうだ。お前らも同じなのだと、16番は憧れに手を伸ばした。
「ディック、と」
「うん。他は」
銀の聖女が一つ頷き、三人へと問う。
「オレ? そうだなぁ……」
「20番はヘクターで良いだろ。僕、ノーマンが良い」
「ああ、あの犬っころ。じゃ、俺はフィルにするか」
「あー、いたなぁ、あの犬。まぁ、いいや。オレ、ヘクターで」
20番のヘクターはともかく、27番のノーマンと、19番のフィルという名前については少しばかり思い至るところがあった。
とはいえ、その名もすぐに役目を終えるだろう。そう思っていた。
「ディック。ヘクター。ノーマン。フィル。ね」
舌の上で転がすように、四つの名前をなぞる。
そうして、銀の聖女はゆるく微笑みを浮かべた。
「まぁ、墓石に刻むのはもう少し先にしてもらうけども」
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
四人はぽかんとした顔をそろって浮かべていた。
静はそんな四人の顔を順番に見て、僅かに首をかしげてた。
「せっかく名乗りたい名があったわけだし。それなら、もう少しばかり生きていても問題は無いと思うのだけど?」
「いや、けど……そうでなくても」
16番、もといディックが焦りの声を出す。
それはそうだ。彼らは自分を狙い、目的は何であれ殺害の計画を建て、実行をした罪人なのだ。決して許されることではない。下手をすれば死罪にもなりえる恐れもあるだろう。
が、そんなもの静の知ったところではない。
「そんなに死にたいなら、その命、わたしが貰うけど文句は無いよね」
もはや意思を聞くような言葉を使わない静に、ディックが慌てて口を開いた。
「お、俺達は、けど、貴方様に刃を向けたんですよ」
「そうだね。けど、些細だよ」
「さっ……?!」
「正直、楽しかった。それにだいたいの被害というか、怪我したのはわたしと、あと後ろの彼ぐらいだし。であれば、わたしの方である程度決めても文句は無いと思うんだよね」
ねぇ、と視線でヴィンセントに問いかける。ヴィンセントはわざとらしく肩を竦めるだけで答えないあたり、文句は無いと言うことだ。
無論、これは事前に話が付いているからこそ、できるやり取りであるのだが。
「後はあれだ。ねぇ、ルイス。あれと本気でやり合ってみたい?」
「そうですね。可能であれば、ですが」
何せ手を抜かれたのだ。今は護衛と、そして侍従として静の傍にいるわけだが、彼は元は騎士の一人だ。その上、少々負けん気の気質があるように見受けられる。だからこそその事実は静と同様に屈辱的なものとして受け取っているはずだ。
「そういうことだからさ。最低、それまでは生きてもらわないと、わたしが困る」
理不尽にもほどがあると自覚はしている。とはいえ、自ら命を絶つ方法は正直いくらでも見つかるのだ。これが一体どれほどに有効なのかは静は分からないが、彼らがせわしなく視線を動かしたり、仲間達の顔をうかがっている所を見るに、だいぶ良い手の一つであったのは間違いないだろう。
「……もし、俺が本気でそれとやりあったとして、ですよ」
「別にそれだけじゃないよ? 最低はそれって言う話だから」
「何故、そうまでして、俺達を生かそうとするのですか。あのお噂の通り、罰するだけで終わりますよ」
「……噂?」
はて、噂とは何のことか。
ヴィンセント達の顔を横目で見れば、明らかにばつの悪そうな表情を見せるのが幾人か見受けられた。とくに真咲に至っては片手で顔を覆っているし、ついでにディーヴァが何とか隠そうと翼を広げているので、完全に丸わかりだ。大変お茶目である。
「ルイス」
「はい。件の独房にて殺害された男について。城下町の方では、静様が罰を与えたがゆえに命を落とした、というような話になっております。また、この者らの襲撃についても、もうすでに城下町の方では話が広まり、また罰せられるのでは、と言う話になってます」
何もかも承知していたらしいルイスは、名を呼ぶだけで静の聞きたいことを答えてくれた。
静はその有能さを関心しながら、その内容を聞いて、ふむ、と銀の瞳をくるりと動かした、だけだった。
「そっかぁ」
「……お前のことだ。絶対に怒るか、何か言うと思ったが」
「ああ、だから黙ってたの」
ヴィンセントのばつの悪そうな声色に、静は小さく喉の奥で笑った。
「噂は噂だしねぇ……。命奪うような真似はしないというか、したくないし。正直、そこまで責任なんか背負えないよ。命のそれがなければ、法の下で裁いてもらう方がわたしとしては一番気が楽ではあるのだけど」
「それならこれらは?」
「わたしが欲しいだけ。だから死なれたら困る」
それ以外の答えなんて何もない。静が言い切れば、声をわずかに震わせるディックの声が響いた。
「……俺達は、赦されるのですか?」
死ぬな。生きろ。
確かに聞こえ方によっては赦されたと思われてもおかしいことではなかった。もちろん、そんな考えで言っているつもりは静には欠片もなかった。
「そこまで考えてなかったな」
「静様……」
「呆れないでよ。罰っていうか、ほら。今、拳骨落としたから、わたしとしてはかなり満足したというか」
「静様」
「はぁい」
たしなめてくるルイスに、静は気が緩んでいる返事をすれば、視線が鋭くなったのを感じた。
静は小さく口元に笑みを浮かべながら、ああ、と小さく声を漏らした。
「じゃあ、分かった。罰として、生きなさい」
深く背もたれに寄りかかっていた身体を起こし、静はまっすぐに姿勢をのばす。無意識に浮かべている微笑みを向けたまま口をゆるりと開く。
「惰性ではなく、精一杯生きなさい。よりよく生きなさい。善悪に振り回されるだそうし、迷うこともあるでしょう。それでもよりよく生きなさい。そして胸を張って死んできなさい。そしたら全てを赦すし、守ってあげる」
生きる続けることが罰である。
なんと理不尽且つ、傍若無人を極めたようなことであろうか。静はそう思いながらも、躊躇することなく彼らに罰を告げた。
「出来る?」
極めつけに念押しするように問いかければ、ディックは茫然としたように静を見上げていた。ほのかに照らす明かりが、ディックの赤茶に燃える瞳の奥で揺らめいていた、ような気がした。
「――はい、銀の聖女様」
ひたすらにまっすぐにディックは答えた。
「良い子だねぇ。ディック」
頭を撫でてやりたい衝動にかられ、変わりにというようにゆっくりと名を呼んでやれば、他三人が慌てたように我先にと口を開いた。
「は、はい! オレも出来ます!」
「あ、ずるっ! 僕だって出来るし!」
「俺も出来ます、銀の聖女様!」
もし、両手が縛られておらずに身が自由であれば、手を誰よりも高くあげつつ、押し合いへし合いの攻防をしていただろう。そんな光景が静の脳裏に浮かび、くすりとつい笑みをこぼしながら、先ほどと同様に名前を呼んでやった。
「ヘクターも、ノーマンも、フィルも。皆、良い子だねぇ」
たったそれだけだというのに、彼らはこれ以上ないと言わんばかりの笑顔を浮かべていた。
生きつづけろという罰を与えた側である静にしてみれば、何とも罪悪感が沸き立ってしまいそうな反応に、ほんの少しばかりどうすれば良いのかと顔をしかめそうになる。
と、膝にいたネーヴェがきゃん、と一つ鳴いた。
静はすぐにそれの意味を理解し、ネーヴェを床に下ろせば、一目散に彼らの元へと駆け、そして止まり切れずに頭からディックの足に激突していた。
大変可愛らしいし、なんと言うか気持ちは分からなくもない。静は緩みそうになる口元を抑えながら、大きく尾を振る銀の子狼の姿を微笑ましく見ていた。ちなみに奈緒達もその姿に若干悶えつつ、必死に耐えていた。
順番に駆け寄っては激突しを繰り返し、満足したのかとことこと戻って来たネーヴェを抱え上げた。
それを待っていたかのようにヴィンセントが口を開いた。
「よし。話は終えたな」
「え、いや。まだ細かいところとか」
「それはこちらでやる。さっさと戻って寝ろ」
急かしてくるヴィンセントに背中を押されるがままに静は返事をせずに立ち上がろうとすれば、ルイスの手が目の前に差し出された。
「歩けますか」
「さすがに歩けるって。リーリア、ネーヴェをお願い」
「はい」
ルイスの手に自身の手を重ねて立ち上がる。おそらくこのまま部屋に戻ることになるだろうとすぐに理解し、片腕で抱えていたネーヴェをリーリアへと渡した。
ほんの僅か、戻ることを急かそうとする比べて大きな手に引かれながら静は彼らに視線を向け、手を軽く振った。
「じゃ、またね」
おそらく明日になるだろうが、また間違いなく会えるのは分かっていたからこそ、静がその言葉を言えば、彼らは何故かひどく動揺していたのが見えた。
それらを見てしまった静はつい、あまりにも純粋過ぎる反応に声に出して笑ってしまった。
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