11

 病み上がりだった状態ということもあってか、昨日の襲撃から一夜明けての今日、静はせっかく引いた熱を少しぶり返してしまっていた。

 それでも高熱ではなく微熱程度で収まっているおかげもあり、静はそこそこ元気ではあった。

「はい、終わりましたよ。静様」

「ありがと、オリヴィア」

 ベッドの傍らに座っていたオリヴィアが、肌を露わにしていた静の服を整える。その手付きは繊細なものを触れているかのようにあまりにも優しすぎて、静はくすぐったさに小さく身じろいだ。

 オリヴィアはその様子を見せた静に小さく笑みを浮かべ、しかしすぐに美麗な顔を歪めてしまった。

「ルイスが可能な範囲の治癒をしてくれたので、傷痕は残っていませんよ。けど、膝の痛みまでは……」

「大丈夫、慣れてるから」

 静がなんてことなく言うと、オリヴィアは少し納得をしていないような顔を見せてきた。が、何か言うわけでもなく見てくるだけだった。

 静はそれに苦笑しつつ、オリヴィアの隣に視線を移した。

「ほら、奈緒。大丈夫だよ」

「……そう、ね」

 オリヴィアからの治癒を受けている間、じっと待っていた奈緒はきつく握っていた手をようやく少し解いた。

 あの時、静を置いて行ったその負い目か何かか。静は気にしなくて良いとは思っているが、やはり奈緒はどうもそのあたりを気にしてしまっているようだった。

 なんと声をかけてよいのか分からずにいると、オリヴィアはわざとらしく大きく息を吐きだした。

「それにしても静様、あまり無茶するのは控えて下さいよ? いつもルイスが側にいるとは限りませんし……それに、もしものこともあるので」

「そうだね。気を付けるよ」

 オリヴィアのお小言を受け、静は数度分かっていると頷きながら扉の近くにいたリーリアに目くばせをする。

 リーリアは小さく頷き、扉を小さく開けて外へ声をかける。と、すぐに外で待機をしていたルイスが音もなく室内に戻って来た。

 そして心無しか、妙に足早に静がいるベッドの傍らに歩み寄り、静を見やった。

 問題ないと言うように笑みを浮かべてやれば、ふい、と深緑の瞳はわずかに下へと向けられ、そしてオリヴィアへと向けた。

「すまない、オリヴィア」

「別に良いわよ。それにしても、いつ治癒なんて覚えたの?」

 そう言えば最初、あの監禁されていた屋敷での時、治癒をしてくれたのはオリヴィアだったと静様は思い出した。近くにルイスがいたのに、だ。

 つまり言えば、ルイスは以前まで治癒を使えなかったのだろうとオリヴィアの言葉からも簡単に予想が出来た。

「……別に、使えた方が何かと便利だろ」

「ふぅん……?」

 あからさまに顔を背けたルイスの態度に、オリヴィアはわずかに面白いものを見たかのように笑みを深めた。

「あ、静様。ちょっと聞いてくださいよ」

「何?」

 そしてオリヴィアはわざとらしく、今思い出し方のように静へと話を向けた。何かと思えば、オリヴィアはルイスを指しながら続けた。

「このお馬鹿、物置を部屋として使っていたんですよ?」

「……戻れば寝るだけなので」

 一切問題がないと言わんばかりのルイスだが、さすがに物置は無いと静は信じられない物を見るかのようにルイスを見上げた。

「物置は駄目だよ、ルイス」

「やっぱり無いですよね! それであの怪我なんかもあったから、実は昨日、無理やり部屋を移動させたんですよー。漆黒で」

「そっか、お疲れだろうに来てくれてありがとね。オリヴィア」

「いえ!」

 昨日の今日。物置で寝起きをしていたくらいだ、荷物はそれほどないだろう。とはいえ、慌ただしく部屋を移動していたと聞けば、それなりに大変であろうとことはすぐ分かった。

 静はオリヴィアを労いの言葉を言えば、嬉し気にオリヴィアは笑った。

「というかさ、ルイス。怪我とかいろいろ、本当に大丈夫?」

「問題ありません」

「大丈夫ですって、静様。じゃなかったら今頃、ベッドに縛り付けていますから!」

 確かに無理やり部屋を移動させたと言うからには確実に実行しそうな勢いではあった。加えてげんなりと顔をわずかに歪めたルイスの表情を見る限り、ルイスでも逃げられないようなものだというのを物語っていた。

 大変だなぁと他人事に思いながら、静はその縛り付けるという言葉を聞き、ルイスに問おうと思っていたそれを思い出した。

「……あ、そうだ。聞きたい事があったんだけど」

「何か」

「ルイスが使っていたあの縄というか、魔術のことだけど」

「……ああ、こちらのことですか」

 一瞬、ルイスは何のことかとわずかに深緑の瞳を左右に動かしたがすぐに分かったようで、手元に鈍く光る縄のようなものを瞬きの間に出現させた。

 派手さも何もなく、呼吸をするかのように当然に行われるそれが、他と比べるとどのレベルであるのかは静はもちろん分かるはずがない。

 オリヴィアや他の漆黒の騎士達もこれを当然として行うのだろうかとつい、オリヴィアに視線を向けた。が、オリヴィアは何故か呆れたように息を吐きだしていた。

「本当、いつ見ても思うけど。なんでそれ、簡単にやるのよ」

「副隊長から手解きをされただろう?」

「ちょっと静様、聞きました? 出来て当たり前って態度してくるんですよ、ルイスったら!」

「……これ、そんなにすごいの?」

「私も当然出来ますよ? ほら」

 そう言いながらオリヴィアは両手を胸の前まで上げて、ぼうっと光る球体のようなものを浮かばせるとゆるりと姿を変え、同じような鈍く光る縄へと姿を変えた。が、その太さはより細いもので、縄と言うよりも少し太めの紐に近かった。

「そういえばちらっとだけ見えたけど、そういう魔術ってあるのね。なんていうか……もっとこう派手なもの想像していたわ」

「これ、結構便利なんですよ。捕縛等々使えますし、何よりも私達は漆黒なので、目立たないっていうのが良いです。が!」

 奈緒も逃げる途中に見えたのであろう、その縄の魔術に少し興味を向けていた。

 オリヴィアの説明の通り、漆黒の役割から考えるに目立たない魔術である必要がある。だからこその魔術なのだろうが、オリヴィアはせっかく出現させた紐を消しながら、紫の鋭い視線をルイスに向けた。

「すっごくこれ、面倒なんですよ! 何が面倒って、これ、魔力そのものを練り上げて形作ったものがこれなんです。漆黒である以上は必ず使えるようにならないといけない魔術であるのと同時に、実力が目に見えて分かる魔術なんですよ!」

「……つまり、ルイスって」

「たぶんですけど。最年少で副隊長補佐ぐらいにはなっていたんじゃないかと思いますよ?」

 なるほど、それほどに腕の立つ者が傍についてくれているのか。と静は頷こうとして、ふいに、途中の言葉をオリヴィアに聞き返した。

「……最年少?」

「あら? 静様ってルイスの年、知らないんでしたっけ?」

「え、うん」

「十六ですよ。今年、成人迎えたばっかりです」

 静は無言で目元を抑えた。そして黙って聞いていた奈緒が興味深そうに目を丸くしていた。

「ここだと十六歳が成人なのね」

「そうですよ。奈緒様達が住んでいらっしゃったお国では違うのですか?」

「ええ、少し前だと二十歳からが成人だったけど、今は十八歳からね。にしても……伊織と同じ年だったのは驚いたわ。ねぇ、静」

「……そうだね」

 未だに今の衝撃から戻れない静に、オリヴィアの何やら弾ませた声がルイスに向けられているのが耳に届いた。

「ルイス、十六はまだ子供だそうよ?」

「……この国では成人を迎えている」

「そうね? けどほら、静様ったら困っているわよ?」

 いや困っては、と慌てて否定をしようと静は顔をあげればまっすぐにルイスと視線が合い、静はぴたりと動きを止めた。

 ルイスに至っては普段の無表情から、僅かばかりであったが眉をひそめた表情を見せている。

「静様」

「……や、あの。ね? まさか、その。年たぶんあまり変わらないくらいかなぁと思っていたから、ちょっと驚いて」

「私から言わせていただければ、静様の方がずいぶんとお若く見られると思いますが」

 見目もそうだが、立ち居振る舞いからしておそらくは年が近いか、一つ二つ上ぐらいじゃないかと静はルイスに対してその様に思っていたのだ。

 だからこその衝撃であった。だがルイスから、言葉は選んでくれたようだがだいぶ幼く見られる自覚のある静はまさしくその通り過ぎて、ぐうの音も出なかった。

「……よし、この話は終わり!」

「けど、静。ルイスの事、子供って思ったでしょ。今」

「……いや、確かに言われてみれば、それっぽいところはあった……気がしただけだから!」

「何も、言っていませんが?」

 奈緒の言葉通り、今もそうではあるが時折話をしていて、幼さがどこか残るような言動はあった気がしなくもない。

 とはいえ、ルイスからの寒々しいような視線を目の前にしている以上、静は全て気のせいということにしなければいけないと本能的に察知したのであった。

 しばらく無言の視線を向けてくるルイスだったが、面倒になったのか一つだけ小さく息を吐きだし、姿勢を正した。

「それで、これについて何をお聞きしたいのですか」

「あ、うん。えっと……それ、なんていうか……すっごく細い糸っぽい奴、わたしに繋いでた? っていうか、つけてた?」

 ルイスはわずかに深緑の瞳を丸くしつつ、手に持っていた縄を消して胸元に恭しく手を置き、僅かに頭を下げた。

「……無断を承知で、糸を結ばせていただきました。まさか気づいていたとは思わず。申し訳ございません」

「あ、いや。別に謝るようなことじゃないし、気にしていないけど。ただの確認ってだけで」

「しかし、防諜の結界の時は肌に違和感があるとおっしゃられていたので、不愉快だったと思ったのですか」

「いや、全く。むしろ助かったから、また次あったら同じようにやってねっていうだけで」

 確かに防諜のあの結界については肌がざわつく感じはあった。けれどもあの糸についてはまた別ものだったのは確かだった。

 静がそう伝えれば、ルイスは意味を図りかねているように眉をひそめた。

「助かった、とは?」

「あれでたぶん、わたしの動き、把握してた、よね?」

 もしや自分の思い違いか何かだっただろうか。と確信めいた言い方をした静は途端不安になるが、ルイスは一瞬呆気にとられるように口をわずかに開けたまま静を凝視していた。

「……して、おりましたが」

「良かった。だから次も同じようによろしく」

「次こそは大人しくしてください」

 間髪入れずにルイスが即座に言葉を返してくる。確かに今はこの体調の悪さだし、さすがにこの状態で相対しようとはほとんど思ってはいない、おそらく。

 無言で見下ろしてくるルイスに、静はむすりと顔をしかめて見上げた。全く持って引く気は無いようである。

 その二人をよそに、奈緒はオリヴィアの耳元に顔を寄せた。

「ねぇ、オリヴィアさん」

「敬称はいりませんって、奈緒様。ルイスにもそうですけども」

「ごめんなさいね、つい。それでさっきにあれって、そういうのも分かるものなの?」

「あれは魔力のそのものですから。多少なりともですけど。けど、ルイスぐらいになれば本当に手に取るように分かるらしいです」

「……すごいわね」

 一体どういった原理によるものか。そもそもとして魔力を持たないが故に、おそらく話を聞いたところで理解までは出来ないだろう。

 奈緒は感嘆をこぼすだけに留め、未だににらみ合っているのか分からない二人に視線を移した。

「静、諦めて大人しくしなさいよ」

「……善処する」

 これは懲りずにまたやるな、と奈緒は分かってしまうほどだった。オリヴィアも同じように肩をすくめて見せ、そして椅子から立ち上がった。

「それじゃ、私はそろそろ失礼しますね」

「もう戻るの?」

「私ももうちょっと静様とお話したいんですけど、そろそろ戻らないといけなくって」

「そっかぁ。忙しいのにありがとうね」

「いえいえ!」

 オリヴィアは姿勢を正した後、ルイスが時折見せる騎士の礼を一つ綺麗に行い、くるりと踵を返した。

 そして部屋から出る直前、静に振り返り見て大きく手を振った後、静かに扉が閉じられた。

「元気ね、オリヴィアって。最初に会った時もあんな感じだったの?」

「うん。あんな感じでね、髪いつも綺麗に結ってくれたよ」

「器用そうだものね」

「あ、でも、お茶はね、目が覚めるくらいの味だった」

 一度だけ。オリヴィアに紅茶を入れてもらった時があったのだ。もうその手付きというか、茶葉を入れる勢いというか。

 綺麗に二度見をしてしまったのは覚えている。

「……いえ、むしろだからこそ魅力的に見えるっていうものよね?」

「ねー」

「はっきりとおっしゃっても良いと思いますよ。結局一口だけお飲みになられていただけでしたし」

 ルイスもしっかりと覚えていたらしい。あの後、礼儀として一口だけは飲んだがあまりにも感じたことのない苦みで水をすぐに飲んでしまったのだ。

 あの時のオリヴィアの顔は覚えていない。何せ静はあまりの申し訳なさにオリヴィアを直視できなかったからだ。

 確かに欠点がある方が人間魅力的ではあるが、少しばかりあれについて静は何も擁護は出来なかった。

「それで静様、お加減の方は」

「んー……朝から変わんないかなぁ? リーリア、お水頂戴」

 ルイスもそのあたり一切擁護するつもりはないようで、それはそれと話題をすっと切り替えた。

 静はそれに答えながら、リーリアから水をもらおうと片手をあげた。リーリアはすぐに透明のグラスに水を注ぎ入れ、その手にそっとグラスを差し出す。水は冷えすぎていない丁度良い温度の水で喉を潤し、ほぅ、と少し熱がこもった息を吐きだした。

「熱がある以外は元気だよ」

「膝の方は」

「……ちょっと痛い、かなぁ? 歩けないほどじゃないんだけど」

「本日は安静にお願いします」

「分かっているって」

 本当か、というような疑いの視線を向けてくるルイスから逃れるように静は慌てて顔を背けた。

「ここに伊織がいれば一発で嘘バレるわよ?」

「嘘じゃないって」

 本当だ、たぶん。とは決して口には出さなかったが奈緒の言う通り、伊織を目の前にしたら誤魔化しなんて通用しないだろう。

 というか、ここ数日でずいぶんと肝が据わったことに静は少しばかり驚きを隠せないでいた。

 体調を崩している間に、奈緒や真咲、そして伊織は信徒達と出会い、そして真咲と伊織は孤児院の子供らと出会った。

 そこで何があったかは軽く話は聞いてはいた。それにしてもだ、瞬く間に伊織は開発局で見せたような何かから視線をそらし続けるために背中を丸めていた姿は一切消え去り、まっすぐに前を見つめてくるようになったのだ。

 一体どんなことがあったのか話を聞きたいし、欲を言えばその姿を見てみたいとさえ静は思っている。とはいえ、今はまだ難しいことを静はちゃんと理解していた。だから今度、時間があるときにじっくりと話を聞こうと決めていた。

「……二人は、今信徒達と会っているんだよね」

「ええ。ヴィンセントも一緒にいるから、きっと結構な騒ぎになっているはずね」

 襲撃から一夜明けた今日、被害等は小さいとは言え、狙われたのが聖女ともなれば耳が早いものがいればすぐに話が広まっているだろう。

 それを聞いた信徒達は間違いなく慌てふためき押し寄せるだろう。

 だからこそ、ヴィンセントが表に出て信徒達と言葉を交わし、何事もないのだと示す必要があった。さらに伊織と真咲も自ら行くと手を上げ、半ば無理やりに付いて行ったのだと奈緒が困ったように教えてくれた。

「……わたしも、行ければ良かったんだけど」

「目の前で倒れられた私の気持ち分かる?」

「そんなこともあったねぇ」

「あったねぇ、じゃないわ。全く……。あの時は本当に驚いたんだから。それに」

 静が目の前で倒れた時の事を皮切りに、奈緒はお小言を聞かせ始めた。

 ようやくいつもの調子に戻ったことに静は内心安堵しつつ、奈緒のお小言を右から左へと聞き流すに徹することにした。

 少しだけベッドの上でのんびりと身を寄せ合って昼寝をしている子狼と黒猫が羨ましくなったのは言うまでもなかった。

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