10
太陽が山から姿を現す少し前くらいから、王城から広がる城下町は目覚め始める。
店を持つ平民達が開店の為に準備を始めたり、早起きが習慣になっているだけの平民が外へ出て散歩を始める。城下町の警邏を担当している深紅の騎士達が欠伸をこらえきれずに一つこぼしている横を、馬車が通り過ぎ去った。
穏やかな、いつも通りの朝。だが、人々が口をそろえてする話は日夜変化する大神殿に住まう四人の聖女についての話だった。
ある日突然、天の神、アルカポルスから四人の聖女がやってくると告げられて迎えた朝。その言葉の通り、この国にはどこからかやってきた異国の聖女が降り立った。
四人の聖女の姿は同じ人間の姿をされていたが、ここではほとんど見慣れぬ顔立ちをしているとの話だった。
この国の人間に比べて、うっすら黄色味がかったような肌を持ち、誰もが漆黒の髪を持っており、その顔立ちからかどこか神秘的にも見えるとのことだ。その中で異なる箇所を上げるならば、その瞳の色と、側にいる小さな動物達だった。
一の愛娘、リディアータが聖女は、金の瞳を持つ少女。彼女の首元には、いつも白い金目の蛇が巻き付いている。
降りられた場所はそれこそ大神殿だったとのことだった。そして、その金の目を前にすれば、全てを見抜かれてしまうと言う。だが、本当に見えているのか、どこまで見えているのかは誰も分かってはいない。なんせ、彼女は何も語らないからだ。
どうやら蛇を大変好んでいるらしいが、加えて蜥蜴や蛙、虫なんてものも好んでいるという大変奇特な趣味を持っているようだった。
二の愛娘、メルヴェアータが聖女は、紫の瞳を持つ女性。四人の中でも一番年上で、こちらは黒い毛と、そして紫の瞳を持つ猫をいつも連れている。
持ちえる力を誰も見たことは無いが、降りられた開発局内でいきなり清掃を始められ、さらに大神殿に移ってからも常に清掃をしていると聞き、誰もが耳を疑った。さらに聞くところによれば、綺麗好きで且つ、勤労を好み、物腰が柔らかいということもあって人あたりも良いと言う。
偶然祈りを捧げる為に大神殿に赴いた男達の大半は、また彼女に会えるのではと足しげく、大神殿へと向かう姿が見受けられた。
三の愛娘、ラウディアータが聖女は、空色の瞳を持つ少女。肩にはいつも空色の羽毛に包まれた色鮮やかな鳥を乗せている。
彼女はこの城下町のとある食堂近くに降りられた。彼女はその時、食堂にいたぐずる赤子を前にあやすためにと子守歌を歌われたが、あまりにも強すぎたが為に聞いた誰もが眠ってしまうほどだった。正直光栄な出来事だが、彼女は誠心誠意謝罪し、そして手をさしのべてくれた者達へ感謝の言葉を重ねたと言う。
明るく、真っすぐ、元気に笑う姿はそれだけで周囲を明るくするには十分であり、孤児院へと赴かれたこともあってか、子供達には特に好まれていた。
四の愛娘、ユフィアータが聖女は、銀の瞳を持つ少女。連れているのは白銀の毛と瞳を持つ小さな狼だ。
だが、他三人に比べて神殿に住まう者以外、ほとんど姿を見た事がなく、聞こえてくる噂だけでしか知られていなかった。降りられた場所は深い森の中であったらしいが、不運なことにとある貴族に捕らえらてしまっていたとのことだ。無事に助けられ、今は大神殿に住んでいる。少し前にその貴族に罰を与えたという噂が流れたが、即座に他の聖女が否定し、完全に噂であったということでそれも消え去った。
代わりに流れている噂というのはおそらく病弱ではないかという話である。彼女以外の三人は既に信徒に出会われたが、彼女のみ体調をくずし、誰も会う事は叶わなかった。それゆえに信徒達は彼女に対して思うと悲しくなり、どうかお元気になられますようにと祈りを捧げていた。
人々は、その瞳の色から、それぞれを金の聖女。紫の聖女。空の聖女。銀の聖女と呼ぶようになっていた。
そして今、昨日に大神殿で起きたという話を人々はせわしなく、しかし声を潜めて話をしていた。
昨日、大神殿にて銀の聖女を狙う者達が襲撃してきた、と。
結果としてその者達は無事に捕縛されたと知り、誰もが安堵する。だが次に耳を疑ったのは、銀の聖女自身が前に出て、その一役をかって出たと言うことだった。
病弱という話が聞こえる中でのそれに、誰もが驚愕した。もしや病弱というのは嘘だったのではないか、とも。
よくよく詳しく話を聞こうと、誰もが周囲に問い返し続ける。その中で聞いたのは、銀の聖女はまた床に伏しているという事。そしてそれこそがユフィアータから授けられた力のではないか、と。
人々は声を潜めて話す。
「他の聖女様方が否定なさった噂は本当だったんじゃないか」
「いやいや、けどお体が弱いのは本当じゃないのか? 聞けば銀の聖女だけ、侍女の他にもう一人付いているらいしぞ」
「抱えられているのをよく見かけるとか」
「それ本当に大丈夫なのか?」
「それならどうやってその襲撃者を捕まえたんだ?」
「それは……」
「ねぇ、ちょっと聞いてよ」
一人、また一人と話の輪に入り込もうとする。しかし誰もが周囲を見渡して、声を潜める姿のなんとも滑稽に見えた。
それでも人々は集まってくる。
どれは嘘で、どれが本当で、というものはそこには関係がなかった。ある種の娯楽に近いようなものだった。
そんな人だかりから一人、二人がそっと抜ける。代わりに二人、三人と新たに人が集まっていく。
だから誰もがその影が瞬きの間に姿を消したのには気付かない。
二人の影は音もなく路地を通り過ぎる。のんびりと昼寝をしている猫も風が通り過ぎたかと思ったのか、ゆるりと尾をゆらしているだけだ。
路地を抜ければ、一台の馬車が停まっていた。カーテンは閉め切られている為、誰が乗っているのか分かるはずがない。
だか二人は迷うことなくそこに近づき、馬車の扉を四度軽く叩いた。
「――早かったな」
「お待たせするわけにはいかないので」
「はっ、よく言う」
厚いカーテンの向こう側にいる年老いた男の声が言葉を吐き捨てた。
「全く……、何故このような手のかかることを」
「失敗に終わりましたからね」
「使えん奴らだ」
苛立っているのか、言葉と共に数度、床を叩く音が聞こえた。
その音に驚いて繋がれている馬が頭を大きく振るう。一人が慌てて馬を宥め始める横で、男は続けた。
「とは言え、これも重要な手の一つでございますとも」
「こんなものが、か」
「はい」
カーテンの向こうから重い息を吐きだした音がした。
「……もう良い。さっさと移動しろ」
「はい、旦那様」
いつの間にか、街の人々と同じような恰好をしていた男は瞬きの間に御者の姿へと変わっていた。
そしてもう一人は先ほどまで馬をなだめていたというのに、残ったのは落ち着いた馬達の姿の他、何も無かった。
男は馬車の御者台に乗り込み、素早く鞭をしならせる。
静かな通りに響く音と、馬の嘶きと共に、馬車がゆっくりと動き始めた。
「……まだか。まだなのか。我らが神よ」
馬車の中から、祈りの声が聞こえてきた。
我らが神よ、と。
男は口元に薄い笑みを浮かべながら、もう一度鞭をしならせた。
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