09
この大神殿の静達がいる離れの一角に、入浴が出来る場所がある。主に使うのは静達四人で、それぞれ使う時間帯を決めている。ちなみに四人一緒に入浴しても問題がない程度の広さなのは、この前に開催したお泊り会の時に実証済みだ。
魔術やら魔具やらの技術の末に出来たものらしく、水温は常に適温且つ、湯は常に清潔と何とも衛生的だ。しかも時間帯関係なく入れるようにとなっているのだから魔術様々である。そのおかげということもり、すぐに手足の汚れを温かな湯で流すことが出来た。
とは言っても服から見える箇所のみ。リーリアがいれば問答無用で服は向かれて体中確認されつつ汚れを綺麗に洗い流そうとするだろうが、今目の前にいるのはルイスだ。簡易的な丸椅子に座る静のワンピースの下からのぞく足を優しく湯で流し、そして袖はさすがにめくられて一つ一つ傷痕を丁寧に治癒していく。くすぐったく、どうしようもなく気恥ずかしいと思えてならないのは、いつも身に着けているグローブをはずしているからだろう。さすがに汚れたグローブを付けたままというのはいささか宜しくはないし、その行動については文句はない。が、妙に触れる箇所がくすぐったくて仕方がなかった。
「申し訳、ありません」
足、そして腕が終わり、続いて顔周りを濡れた布で拭われた後、ルイスがそう口を開いた。
突然の謝罪に静は首を傾げようとしたが、顔周りが終わった後、ルイスの手が髪へと伸びたのを見て、動くのを止めた。
あれほど動いたのだ、髪だっておそらくとんでもないことになっていたのだろう。ブラシがあればすぐに梳かして整えられるだろうが、今はもちろんそんなものは無い。だからルイスは控えめな手つきで、ゆっくりと静の髪を引っ張ってしまわないように手櫛で数度だけ梳かしてくれた。
もしや今の謝罪はこのことか、とは思ったがすぐに静は自分で違うなと否定した。
「……何のこと?」
「私は、静様の護衛です。ですが……」
ルイスの視線は今はとくにこれと言って目立つ傷痕がない静の腕へと向けられていた。
「言ったでしょ。守られるばかりは性分じゃないって」
「しかし」
「謝るのはわたしの方だよ。ちゃんと逃げなかったわけだし。しかも途中で転ぶとか」
「それは」
「わたしが情けないっていう話」
目の前で片膝をつき、ルイスは静を見上げている。
所々あれほど鮮やかな赤に染まっていた衣服は、今はもうずいぶんと黒ずんでいたから血はもう止まっているのだろう。だが、その姿になっているのはルイスが自分の護衛であるということを差し引いても、やはり自分の責であると静は思わざるえなかった。
「わたしは、ユフィアータの力を与えられている。彼女の力は剣と盾。それなら、戦うのが筋ってものじゃない?」
「……盾で、防ぐというのは」
「それがね、うまく出来ないから剣のみ。もちろん剣なんて持っていないから拳なわけだけどさ」
想像するに、盾というのはルイスが使っていた結界のようなものなのだろうと予測している。とはいえ、攻撃は最大の防御という言葉がある通り、静はおそらく盾が使えても早々うまく使いこなせそうにない。むしろ喜んで剣ばかりを振るう姿を容易に想像できてしまった。
静はルイスに視線を向けながら話している途中、その整った顔に汚れがついているのに気づいた。だから静は無邪気に手を伸ばし、その頬に触れ、親指で汚れをぬぐい取った。先ほどまでルイスが自分にしてきたようなことを真似てみただけのことだ。だというのに、ルイスは慌てて顔を後ろに引いてしまった。
「あ、ごめん。その、汚れてたから」
「……そう、ですか」
ルイスは静が触れた箇所を上から再度、上書きするように自身でぬぐう。もし次同じようなことがあったら、今度は言葉だけでここが汚れていると言うだけに留めておこうと決めた。
ちなみに決してちょっとショックだったというわけではない。決して。
「何はともあれ、ルイスがいてくれて助かったのは事実。だから、ありがとね。たすけてくれて」
「……私は……」
「護衛だから?」
言葉に詰まったルイスに、静はふっと笑みをこぼした。
「それでも助かったのは事実だし、だから奈緒も無事に逃げることが出来た」
「……しかし、静様にお怪我を負わせてしまいました。加えて、お手を煩わせることも」
「わたしがぶん殴りたかったからそこは抜きにしてよ」
「それでも、私が納得をしていません」
兼任とは言え、ルイスは護衛だ。さらに言ってしまえば、ルイスは騎士だ。それなりの覚悟はとうに持っているであろうし、当然のことながらプライドだってあるはずだ。
片膝をついた姿勢のまま、ルイスは頭を下げた。
「なんなりと、処罰を」
「じゃあ、やらない」
間を置かずに静から告げられた言葉に、ルイスは動揺を隠しきれずに頭を上げて静を凝視してきた。
確かにそんな反応をするだろうなと静は想像通りのそれを見て、数度頷いた。
「怒られないっていうのが、一番きついものだと思うんだよね。だからね、ルイスには怒らないことにしようと思った」
「……私が、使えないから、ですか」
「いやいや、違うって。とても信頼しているからだよ」
意味が分からないと言わんばかりに見上げる深緑は困惑に揺れていた。
確かに言葉が足らなすぎるなぁ、と静は困ったように笑った。
「呆れてものが言えない相手にも同じような事をするけれど、そういう相手にはそもそも関わろうとすら思わない。けど、ルイスは……なんていうかさ、侍従っていうこともあるけれど。それを差し引いても、わたしのやらかしとかで世話をたくさんしてもらっているし、わたしが好みそうな紅茶をいれてくれて、手を引いて外に連れ出してくれている」
今朝だって、未だに一人で部屋から出ることが叶わずにルイスに手を引いてもらった。
落ちた瞬間、未遂の乱暴にさらされ、そして助けられたかと思えば監禁されていた。けれども、外にいるよりかは安全だったのは確かだった。外に一刻も出て、三人を見つけ出さなければならなったのに、ゆっくりと過ごしていたのは無意識に外が怖いものだと思っていたからかもしれない。
だからあの時、静はいつまでもあの部屋にいた。隙をついて外に出ようという行動にすら移さなかった。外が怖いとそう認識してしまっていたから。
側にユフィアータがいる。だけれども、その姿は小さな子狼でしかなかったから、やはり結局のところ自分一人が頑張らなくてはならない状況を静はずっと視線を逸らし続けてきていた。今、この時まで。
「怖いんだよ、ずっと。怖くてたまらない。奈緒も、伊織も、真咲もいる。ユフィアータだって側にいる。けれどもさ、純粋にこうして戦える力をもっているのってわたしだけ、だと思っているから、なんと言うか……そう。わたしが守らないと、と思っていたんだ。事実、今のような状態に陥って、それが確信に変わった。わたしが、戦わないとって」
怖い。何もかもが怖くてたまらない。だから拳を握って、震えるのを誤魔化して、暴力を振るう。喧嘩に持ち込みさえすれば、怖さよりも本能的に倒さなければ、排除しなければという思考に陥る事が出来たから。
けども、確実に勝てるなんて保証はない。負ければより怖いものが待っていることなんて百も承知だった。
「もちろん暴力に頼らない戦い方があるのも分かる。言葉等々での舌戦というやり方もある。人とのつながりにより、得る力もある。けど、それは同じく言葉が通じ、理解がある相手にのみ。問答無用で暴力に持ち込まれたら、下手をすれば何もできやしない。だから、わたしが戦わないと」
それでも戦わなければならない。けども身に染みている怖さが静を襲い掛かり、手足は震えて、腰は引けてしまっていた。だってあれは喧嘩ではなく、本当に生き死にに関わるものだったから。
今後、きっとそういったものに巻き込まれるのだろう。そう思うと、また手が震えてきそうで誤魔化すように両手を組むように強く握りしめた。
「……わたしが知る喧嘩なんて可愛いものだったの、初めて知ったよ。本当は、あんなにも怖いものだなんて思わなかった」
「だから、私がいるのですが」
「そうだねぇ。けど、わたしが黙って従う性格していると思う?」
「欠片も思えないのが、本当に不思議でならないのですが」
この短い間にルイスは静をよく理解していた。ほぼ、最初から傍にいて続けてくれたわけだが、それにしてもこの理解度はどことなく恐ろしいと思うも、まぁ彼だし良いかと思ってしまう程度に、静はルイスに対して特別なものを抱いていた。
ただの信頼ならばリーリアにも同等のものを抱いている。しかしルイスにはそれ以上に、それ以外に、静自身、扱いに困っている正体不明の何かを抱いていた。
ルイスは知らないだろう。静があちらにいた時、友達と話をしてもある一定の距離を置いていたことを。様々な人達と話はしても、自分の柔らかいところまで触れさせようとしなかったこと。だから、たすけてという言葉すら躊躇してしまうし、人に触れることや触れられることすら正直言えば苦手であった。もちろん喧嘩は除く。とはいえ、その片鱗は奈緒達と接している時に見えているかもしれないが。
分かってほしいとか、理解してほしいとか、そういうものではない。こういう人間だから、深いところまで触れないでほしいと思っていた。
簡単に言葉に出すことが出来ないほどの不器用さを暴力で発散してしまうほどの屑なのだと自覚している。それでも何故か人は集まるし、この性分のせいか、困り顔を見ていたくないという自分勝手な理由からか可能な限りであったが一方的に手を貸した。誰も彼も、静を優しいと言うが、静自身から言わせてみれば、自分の周りの環境を整えているような感覚に過ぎなかった。
自分が生きやすいように、過ごしやすいように無理やりにまっ平にした環境にして、一人でのんびりと過ごしたいだけだった。
だから、まさか常に誰かがいるような環境というのを実は苦手であるだなんてルイスは欠片も思わないだろう。
もちろんリーリアもだが、ルイスほどに傍にいるわけではないし、不要であれば極力触れることはしない。が、ルイスはもはや遠慮無く静の手を引き、そして面倒になったら問答無用で抱え上げて移動する始末だ。しかも嫌がる姿勢を見せても、言い伏せてくるか無視のどちらかをしてくる始末。けどもそれを受け入れている自分がいるのを、静ははっきりと自覚していた。
彼ならば、ルイスならば仕方がない。隠したところで意味なんてなさないどころか、逆に不貞腐れられるだろう。だから遠慮なくさらけ出し、多少の反抗はするだろうがおおよそは好きなようにさせよう。信頼と、そしてこの正体不明の何かをもってして、自分が出来る全てをやろう。そして彼から向けられる全てを受け止め、受け入れ、大事に抱きしめようと、ある種独占欲にも似たようなものを抱きながら、見上げる深緑を銀に映し、微笑んだ。
「ルイスがいなかったら戦えなかった。たぶん、きっと、これからもそうだと思う」
ルイスがはくり、と口をわずかに動かし、無音を発した。
困らせるだろうと思いながらも言った言葉は、やはりルイスを困らせるには十分なものだった。
「ルイスがいてくれたから、戦えた。きっと、そう。じゃなかったら、怖くてそれどころじゃなかったかもしれない。ここに来てからずっと、そばにいてくれてたすけてくれているんだもの。それだと言うのに、ルイスを信頼していないなんて言えるはずがないよ」
相当、酷いことを伝えていると静は自覚している。信頼という名のもと、貴方がいなければ何もできない、何もしないと言っているようなものだ。言葉の檻の中にルイスを閉じ込めようとするように、静はさらに心の底からの言葉を重ねた。
「ありがとう、ルイス。隣にいてくれて」
深緑が大きく揺れたかと思えば、顔を大きく伏せられてしまい見えなくなった。
「……もっと、強くなります。静様の、お手を煩わせないように」
「別に良いのに」
「貴方は、私に甘すぎます」
「うん、そうだね」
「そっ……?!」
ばっと勢いよく顔を上げたルイスは、目を大きく丸くしていた。いつになく感情を表に出しているものだから、静はつい笑い声を響かせてしまった。
「あははっ」
「何を笑って……! 信頼と言うにもほどがっ……!」
「ね、困ったねぇ」
自分のことであるのに、静はまるで他人事のように言うものだからルイスはついに何も言えずに片手で顔を覆ってしまった。
その様子がまた珍しくて、静はクスクスと小さく肩を震わせながらひとしきり笑い続けた。
「はー……おっかし。ちょっと喉が渇いたな。申し訳ないんだけど、水と……それとリーリアを呼んできてくれるかな。さすがに着替えたいし」
「……はい」
明らかに不貞腐れたような低い声で返事が応えられ、静は喉の奥で小さく笑ってしまった。それでさらにルイスの視線が鋭くなったのを感じ、静は視線を大きくそらした。
「もう、そのまま戻っていい……というか、今更かもしれないけれど早く治療してね。わたしもこの後、部屋に戻って休むから」
「……承知しました」
ようやく立ち上がったルイスは、その場で一礼をしようとし、動きを止めた。
どうしたのかと思い静はルイスを見上げていると、何かを飲み込んだのか喉がわずかに動いたように見えた。がそれは一瞬の出来事で、すぐにルイスは自身が着ていたジャケットを手早く脱ぎ、静の小さな肩にかけた。
「汚れたもので申し訳ありませんが」
「え、ルイス?」
「念のためです」
何が念のためなのか。静は分からずにただ見上げる他なかったが、これ以上何か言うとさらに不貞腐れられそうだからと思い、静は無言で一つ頷いた。
それにルイスは満足したのか、姿勢を正していつものように一礼をし、半ば急ぎ足にこの場を後にした。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
探索の魔術を用いてリーリアを探せば、リーリアは静の自室で奈緒とレオナと共に、ネーヴェを腕の中で抱えながら待っていた。
その姿を見て、即座に呼ぶなりすればよかったとルイスは内心芽生えそうになる罪悪感を押さえつけながら、静がいる場所、そして用意するもの等を伝えれば、リーリアはすぐに立ち上がり動き出した。
奈緒から静の様子を問われたので、怪我はあらかた表面上は治したが、再度治癒を受けた方が良いことと、後は普段と変わらない様子であること。それらを伝えれば奈緒は呆れ交じりに、しかし安堵したような表情を見せた後、静の元へ向かうと言って足早に向かおうとする。その前にこの中で一番力があるレオナを呼び止め、右膝を痛めているから手を貸してくれるように頼めば、レオナは大きく頷いた。
手早く端的に申し送りをしたルイスは、なるべく人目から避けつつ自室へと向かった。
後は戻り、休むだけということもあったせいか、足取りはだんたんと遅くなり、妙に身体がふらついてくる。静やリーリア達の前で無様な姿を見せたくはないと気を張っていたが、やらなければならないことを最低限全てやりおえたこと言うこともあり、どうも気が緩み始めたようだった。
ルイスが使っている部屋は大神殿の奥の方だ。そこまでまだ道のりが遠く、このままでは途中で力尽きてしまうのではと何とも無様としか言いようがない姿が頭によぎった。だがおかげで緩みかけた気を引き締められたが、一度緩んでしまったせいか、歪む視界と重い足のせいでルイスの身体は大きく傾いた。
「おっと」
その瞬間、すぐ横から手が伸び、ルイスの二の腕を掴み寄せた。
一体誰かとルイスに緊張が走るが、その声と感じる気配に、ルイスはすぐに緊張を解いた。
「……ロビン」
「ボロボロだな、ルイス。このまま医務室に連れて行ってやるよ」
「……必要、ない」
「お前なぁ……」
医務室はここから反対方向だ。呆れた声を出すロビンは大きく息を付き、ルイスの腕を自身の肩へと回した後、ルイスが進んでいた方向へと歩き始めた。
「まぁ、よくやったんじゃねぇの? 聖女様の前で倒れなかったわけだしな」
「……だが」
「聞いたぜ? 静様が素手で見事に立ち回っていたとか。それとちょっとばかり口が悪かったとか」
あれはちょっとに値するのだろうかと、ルイスは少しばかり疑問に思う。それに発してた内容は聖女としては、そこそこ良くはないものだったはずだとルイスは記憶している。
後で大神殿内でどのような話が広がっているのか確認する必要がありそうだった。
「しかもあの厄介な毒を受けたってのにピンピンしてるらしいな、静様」
「……どういうもの、だった?」
「神経毒。だが、多量に受ければ命も危うくなるようなものだ。静様はもしかして訓練なさっていたのか?」
「いや……、経験はない、と」
「聖女だから、っていうことか? にしてもだ、俺達はある程度の対処は出来るけどな、限度ってのがあるんだぜ? それで今、こうしてまともに立てなくなってるのはさすがにだろ。どれだけ受けたんだ、毒」
「うる、さい」
正直それどころではなかったが、言い訳じみたことを言いそうになるし、正直そこまで言える体力がルイスには残ってはいなかった。
ルイスのその状態を見て、ロビンはまた一つ息を吐きだした。
「仕方がねぇから医務室は今回だけ勘弁してやる。けど他の奴らがどう言うかなぁ?」
「……他の?」
「オリヴィア達が話を聞いて、それはもうすげぇ勢いで飛んで来たんだよ。だから覚悟しておけよ?」
「オリヴィア、達……?」
「副隊長もいるからな?」
「は?」
予想だにしていなかった展開に、ルイスが意味が分からないとロビンを見やる。ロビンはそれはもう楽しそうに、愉快と言わんばかりに大きく笑みを浮かべていた。
「そりゃあ、しばらく顔を見せないからってここぞとばかりに来たらしいぜ? ああ、そうだ。お前の部屋、勝手に変えたから」
「いや、待て。なんで」
オリヴィア達が来ることもそうだが、唐突に使っていた部屋が勝手に変えられたと告げられれば誰だって焦る。
大きく表情を崩すルイスにロビンはいたずらが成功した子供のようにさらに笑みを深くした。
「なんでって、聖女様付きの護衛も兼任しているってのに、なんであんなせめぇ部屋使ってんだよ。ほぼ物置じゃねぇか」
「ほぼって……元は物置だからな。あそこ」
「おまっ、馬鹿だろ! あ、だから大神官様が即許可出したのか……。その怪我であそこに居させるとかありえねぇからな?」
この僅かな時間でそこまでやっているとは流石は漆黒と言えるだろうが、無駄に動きが良すぎるとルイスは自身のあれこれを棚に上げて思った。おそらくこの動きの良さは副隊長の指示の元動いているに違いない。なんと面倒なことだろうか。
「おら、面倒そうな顔すんな」
「……医務室に行く」
「そんで逃げようとすんな。俺が怒られる」
「怒られろ」
「そんな悪い子にはこうしてやろう……っと。暴れんなよ」
「おいっ……」
ロビンは軽々とルイスを肩に担ぎ上げた。振りほどこうとしても、魔術で身体能力を上げたのだろう、腰に回っている腕はどうにも解けそうにもなかった。
「静様にも似たようなことしてんだろ? 良いじゃねぇか」
「……状況が違うし、あの方は常日頃から無茶をなさろうとするから」
「はいはい。そういや、ジャケットはどうしたんだよ? そんなに激しい戦闘だとは聞いてねぇけど」
ルイスを肩に担いだまま、ロビンは軽快な足取りで移動させられた部屋へと向かっている。そこで何が腹立たしいかと言えば、その振動がルイスになるべく伝わらないようにしている点だ。ルイスは無意識に内心舌打ちをこぼしつながら、この朦朧とし始める意識のせいもあってか口から言葉がするりとこぼれてしまった。
「静様に渡した」
「なんで」
「……浴場で汚れを落として、治癒で怪我を治していた。簡易だが」
「そこにいたのか。どこにいるのか結構探したんだぜ? というか、いつの間に治癒が使えるようになったんだよ」
「うるさい」
「はいはい。それで?」
「……静様の、素肌を見てしまって……。それに、服が……」
「あー……、まぁ、そうだな。そうするよな。一応聞くけど、服を脱がしては」
「ないに決まっているだろ……」
最後までルイスは言わなかったが、ロビンはその後に続く言葉を察したようだった。
ルイスは先ほど目にしてしまった光景を忘れることは出来そうになかった。
静はどうも他の聖女に比べて肌を露出させる衣服を好んではいないようだった。だから普段から素肌を見ることはほとんど無かったし、ルイス自身別にそれについては特に何か思う所でもなかった。しかし、ほとんど見ることが無かったが故に、ルイスは素肌を露わにした手足から視線を外すことが出来なかった。
静の足と腕を湯で汚れを落としたわけだが、ふき取るものがなかったから肌につく雫は流れ落ちるがまま。薄く筋肉がついた細い手足が、先ほどまで拳を遠慮なく振るっていたとは誰も想像が出来ないだろう。
それに加えて、下からルイスを見上げる静は、銀に濡れる瞳は戦闘の疲れか何かかで普段よりもずいぶんとぼんやりとしているようだった。ルイスはこれ以上見てしまうのはよろしくないと視線をそらすために下へと向けて、はっきりとやらかしたと知った。
肌の露出は好まないとはいえ、厚着も好んでいない静は動きやすいものを好んでいた。それゆえに薄手に衣服を常に身にまとっていた、この時も。
浴場に満ちる湯気もあり、且つ汚れを落とすことばかりに集中をしていたせいもあってか湯が衣服まで濡らしていたことをルイスは全くもって気づかなかったのだ。だから改めて静の姿を見下ろした時にようやく、衣服が濡れて透けていたことに気づけたのだ。
無意識に喉が飲み込んだのを気づくや否や、ルイスはすぐさま自身のジャケットを静の肩にかけた。本来であれば清潔な布なりがあれば良かったが、手元にちょうどあるのかこれ以上の物がなかったのが悔やまれる。
静は全く気付いている様子が無かったことだけは良かった、と思いたい。否、これからの事を考えれば気づくなりしてほしいところではあった。
本当にあの警戒心の無さときたら、考えるだけで頭が痛くなってきそうである。
何とか先ほど見てしまったその光景を薄くしようと、別の事を考えようとしても浮かぶのは静の事ばかり。そのせいかすぐに先ほどの光景が浮かんでくるのだから、もう寝た方が良いのではと思い至った。
「ロビン」
「なんだ?」
「寝る」
「おー、寝ろ寝ろ。ってか寝れるのか?」
「……何が」
「だって見ちまったんだろ? 静様の肌」
ルイスは無言でロビンの背中に思い切り拳を入れた。もちろん身体強化されているロビンには一切効かないのは分かっているし、力だって普段の半分も入れられないのだからほとんど痛くないのは分かっている。ロビンは楽しそうに肩を上下に揺らしたが、ほんの僅かの振動しか伝わらず、その足はさらに速度が上がっていた。
そんな些細なことを気づいてしまったルイスはさらにロビンに対しての苛立ちが膨れ上がり、体調が回復次第、後でロビンをいかに叩きのめせるかと算段することにしたのだった。
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