08
今日も心地の良い晴れ空を見上げ、静は銀の瞳を眩しげに細めた。
「静、ちゃんと足元見ないと転ぶわよ」
「だから手繋いでるんでしょ」
「もちろん」
静は隣で手を結び、並んで歩く奈緒を見上げて頷いた。
通算しておおよそ五日間ほどベッドの住人になっていた静の熱はようやく下がり、食欲も元に戻った。とはいえ長引いた熱のせいもあってか、すぐに元の量の食事を食べることが出来たというわけでもないうえ、その付近を歩き回るにしてもすぐに疲れを見せてしまうほどだった。
だからこそ静は何を思ったか、庭をとりあえず歩き回ることにしたのだった。
失った体力はとにかく運動をして取り戻そうと。
「本当に大丈夫なの? 昨日の夜とか、頭痛いとか言っていたじゃない」
「たぶん寝すぎたからだと思う。ねー」
きゃう。
そうだと言うように一つ答えたネーヴェに、奈緒とその腕にいるメルから呆れた視線が向けられた。
「ほら、だから。今日は頭痛くないし」
「……本当なのよね?」
「伊織に見てもらっても良いよ?」
「そこまで言うなら信用するけども」
伊織の黄金の瞳に偽りは通用しない。それを持ち出されては奈緒も信用せざる得ないようだったが、それでも心配が強いのか不服と言わんばかりに静の手を強く握り直した。
「疲れたら早く言うのよ?」
「分かっているよ」
ゆっくりとした足取りで、時折庭園に置いてあるベンチで休みながら、奈緒とゆっくりと静は庭園を散策した。
静がベッドに伏している間、一体何をしていたのか。どんなことが起きたのか。今日、伊織と真咲は何をしているのか。二人は今日、孤児院に持っていく玩具を探しているとかなんとか。
そんなことをぽつりぽつりと話をしながら、ふっと静は足を止めた。
「静、どうしたの? 急に立ち止まって。もしかして疲れたの?」
奈緒の呼びかけに答えず、静はぐるり、と周囲を見渡した。同時に腕に抱えているネーヴェも鼻さきを高く上げ、奈緒の腕の中にいたメルがそこから飛び降り、ぐるりと一つ回りながら尾の毛を少し膨らませた。
「ルイス」
「はい」
静は周囲を見据えながらルイスを呼ぶ。ルイスもそれが分かったらしく、せわしなく視線を動かしながら一歩前に出る。
「……リーリア殿、レオナ殿。お二人を連れ、すぐ中へ」
一体何が起きているのか、と奈緒が問う前に侍女達が奈緒と静の手を手を取った。
「早く!」
ルイスが声を荒げた直後、四つの影が何もなかったはずの空間から姿を現した。一体どこから、とよく確認しようとする前、強くリーリアに手を引かれ、静は足をもつれさせそうになりながらも急ぎその場から駆けた。
背中から金属音と、ルイスの荒げた声が聞こえる。静が反射的に振り返りそうになるも、腕の中にいるネーヴェが前を向けと小さく鳴いた。
「誰か! 敵襲が!」
奈緒の手を引き、庭園の中を駆けながらレオナが叫ぶ。神殿内を巡回している騎士達の姿が見えるが、気づいていないのか通り過ぎるだけだった。
あれらが姿を現す前、何かが取り囲んだことを静は肌感覚で分かっていた。とは言えそれがどの範囲で、どういったものかまでは今の静には知ることが出来なかった。もし、この場に伊織がいればきっとすぐに状況を理解し、迷わずに動けたのだろうと思うと静は少しばかりふがいなさを覚えてしまった。
しかし分かったところで出来ることは何もないと理解していた。最も最適解は、素早くここから離れ、人を呼ぶことだ。でなければルイスが残り、静達を逃がそうとした意味がなかった。
だからこそ随分と久しい膝の痛みには構っていられなかった。だと言うのに、静の足は思っているほどに素直に言うことを聞かずに動きが数瞬遅れた。
「静様っ」
転ぶ、と理解した瞬間、静は迷わずリーリアの手を払い、腕の中にいるネーヴェが潰されないように無理やり体を捻り落ちた。
急ぎ駆け寄ってきたリーリアの手を借りながら急いで起き上がろうとするも、久しぶりに感じる膝の痛みと転んだ衝撃に手間がかかってしまう。
と、その時にルイスの声が響いた。
「そちらに行くな!」
ルイスの怒声が背中から聞こえ、静はつい振り返り、目を見開いた。
首元まできっちりと閉め、毎日皺ひとつない侍従の服を身にまとっていたというのに、今やところどころ赤く染まり、その下の肌の色さえ見えていた。ヴィンセント付だった時もあるほどの実力者というのは本当なのだろう。しかしそれは一人や二人相手での話だとすれば、まさかその相手が四人もいるとは誰が思おうか。
一人が隙をついてルイスの猛攻をすり抜けたところであった。
ルイスが振り返り、魔術によるものか鈍く光る縄のようなものを伸ばす。その後ろ、ルイスの背後で銀が翻った。
「ルイス!」
この美しい庭園に、なんとも全く持って似合わない鮮やかな赤色が散じた光景が、銀の視界に広がった。
世界が凍りついてしまったかのようだった。
その瞬間が切り取られたかのように、静の目には止まって見えたような感覚に陥った。
この目の前の光景を受け入れたくはなかったから、だろうか。おそらくはそうなのあろう。
静は、ルイスが地に膝をつく姿なんて、全く想像していたかったのだから。
「静様!」
リーリアの呼びかけで、静ははっと、目の前の状況を嫌でも理解させられた。
そして静は一切の思考を捨て、転んだ時になんとか抱えていたネーヴェを地面に下ろした。
「リーリア、ネーヴェをよろしく」
「静様?!」
「行って」
リーリアにネーヴェを押し付けながら静はようやく立ち上がり、半ば無理やりにリーリアの背を早く行けと言わんばかりに押した。
何かリーリアが言葉を発しようとするも、きゃんと素直に返事をした子狼に静はふっと笑みをこぼした。
「行って!」
再度、静はもう一度それを言い捨てた後、そこに仁王立ちし、前を見やる。まさか逃げるでもなく、そこにただ立って見やるとは思わなかったのだろう。一人が動きを止め、もう一人が構わずに静にまっすぐ向かってくる。
静はその一人に向かって、自ら足を数歩進めつつ、振りかぶられる銀のナイフを寸で顔をわずかに動かし避ける。予想していなったであろう、驚きからかそれの動きが一瞬鈍くなるのを感じ、静は戸惑うことなくその顔面目掛けて拳を叩きつけた。
後ろにたたらを踏んだのを見た静は、続けてその者の胸倉を遠慮なく掴み寄せ、もう一度その顔面にもう一度拳を続けざまに入れながら静は吠えた。
「ぶっ殺すぞ、てめぇら!」
のんびりとしていて、ほわほわとしているような口調は一切消えさり、完全に威圧目的の為の怒声は誰しもが初めて聞いたものだった。小さな体、幼い見目からは想像も出来ないほどに威圧するには十分なほどの声量が響き渡り、そして続けて声はまだ近くにいた奈緒達に向けられた。
「黙って走れ!」
向こうへ、とまっすぐ大神殿へと静が指を指した。
そして奈緒達が制しをしようとする前よりも早く、静は地面にうずくまるその者をそのままに、前に駆けだした。
目の前にはすぐ別の者が迫ってきていたのだから。
静は鈍く光る小さなナイフ達が迫ってくるのが分かった。
だから右に一歩踏み込み、最初のナイフを避け、そして姿が見えないいくつかが通り過ぎるのをやり過ごした後に思い切り石畳を蹴り、前に出る。
分かる。魔術が敵意を持ってこちらに向かってくるのが。
分かる。それらが持つ得物がこちらに向かってくるのが。
動ける。先ほどまで傷んでいたはずの膝が、後遺症を負う前のように自由に。
これか。これだ。これがユフィアータの力か。
剣と盾があると言う。ならば剣はこの拳だ。だとすれば盾は何かと問うが、今は何もない。ならば拳を、剣を振るうのみだ。
視界の端で翻る銀色に気付いたが避けきれないと分かった静は、反射的に腕で迫りくるナイフを防ぐ。と、それは深く腕に突き立てられた。
途端広がる熱さに歯を食いしばりながら、突き立ててきたその者の手を掴み、腹につま先を抉るよう深く入れ込む。
耳障りな音が聞こえたが、入れられたその者はすぐさまに距離を取るために後ろに大きく飛んだ。
僅かな間が出来た瞬間、静は一気にルイスに駆け寄った。
「静様っ、毒が……!」
「毒?」
片膝を地面につき、大きく肩で息をするルイスが、静の腕にあるナイフに触れようとした。が、抜けば血が一気に溢れることを理解し、歯がゆそうに顔を歪めていた。
ルイスの背からまだ赤い雫がぽたりと落ち続けている。だと言うのに、静の身の安全を心配する姿を見て、静はこの場には似つかないだろうに小さく笑みをこぼしてしまった。
「ボロボロだねぇ」
「っ……お見苦しい、姿を」
「良いよ。多勢に無勢、手練れであろう相手にこの大健闘。拍手喝采ものだね」
わざとらしくお道化つつ、周囲を取り囲うように構える四人に目配せをする。静は薄く息を吐き出しながら拳を構え、そしてようやくそれに気づいた。
「なぁんか腕、痺れてる感じするけど、これが毒?」
「……毒に慣れて」
「まさか。毒なんて初めてだよ」
学生の時に喧嘩が日常にあったが、そこでは毒なんてものは一切使われなかった。というより、毒を使うなんて発想はもちろんなかったし、実際どうやって手に入れ、どうやって使えば良いのかなんて分かるはずもないのだから、初めてに決まっていた。
ゆっくりと立ち上がるルイスだが、その動きはどこかぎこちない。毒が仕込まれているということはつまり、ルイスもすでにその毒を受けていると言うことだ。一体どんなものか不明だが、ルイスはそれに慣れているからまだ動けるのだろうと静はそう判断をした。
「ユフィアータのおかげかな」
「……なるほど」
「にしても、楽しいな。久しぶりの喧嘩だ」
「一歩間違えれば死にますよ」
「ははっ、最高。燃えるな」
「……手が、震えていらっしゃいますよ」
「そりゃあ怖いもの」
意識的に静はルイスに身体を寄せれば、腕に当たるルイスの硬い腕の感覚が伝わった。するとルイスの方もより近くに身を寄せてくれ、緩みそうになる口元を誤魔化すように静は先ほどから震える拳を強く握りしめた。
「けど、ルイスがいるからね。これほど心強いものはない」
「……貴方を守るのが私の役目なのですが」
「守られるばかりは性分じゃなくってね」
先程までは逃げる一択しか、選べなかった。
ただの喧嘩ならば周囲が止めようと喜んで参加をしたが、これは喧嘩の類ではない。ルイスが言ったように、これは一歩間違えれば死が待っている。
手足の震えは止まらない。首元に冷たい刃が突きつけられている感覚が忍び寄ってくる。けれども、隣には満身創痍とは言え、ルイスが立ってくれている。
先程は頭に血がのぼり、激情のままに拳を振るってしまったが闘えるという事実を知ることが出来た。
恐ろしさは変わらずにそこにある。しかし戦える。そして隣にルイスがいる。
ならば戦うべきだ。立ち向かうべきだ。やれると確信したのだ、逃げるなんて言語道断。このプライドが許さない。
「無理をなさらずにお願いします」
「ははっ、この状況でそれはないな」
「……でしょうね」
逃げる気なんてなく、むしろ立ち向かおうとする静にルイスはいつも様に呆れ混じりに言う。それに静もいつもの様に返して笑い、ほぼ同時に二人は前へと駆けた。
迫る何かを後ろからルイスが落とす。その合間に静が眼前まで攻め寄り、顎めがけて拳を突き上げる。たたら踏むその者を更に追撃しようとするが、横から静を捕らえようと手が伸びるのが見えた。
静に手が届く直前、その手に深く光る小さな針のようなものが突き立てられていた。手が止まったの見て、裏拳で弾き、目の前のそれの両目の間に重い拳を深く入れる。
後ろにつんのめるその者の片腕を掴み、静は昔によくやっていた手法で肩の骨を外した。
その者から何か声が聞こえた気がするが、そんなものは無視だ。
「ルイス!」
伏せたその者の身体に、地面から伸びてきた岩の鞭のようなものが意思を持つように巻き付いていく。それを確認しつつ視界の端に迫る影を蹴り上げた。
迫っていたのは伸びた黒い縄のようなものだった。ただルイスが扱っているただの縄ではなく、切っ先が黒い刃がついているものだった。
全員の顔、黒い布で顔を覆い隠し、判断が出来ない。だが今落としたのは一番体躯が小さく、声からして若い男だった。そして次にやってきているその者も、静の動きを想定していなかったようで小さく声を漏らしていたのが聞こえた。その声からして、この者も男だろう。
そして残り二人もまた同じように男であることは間違いない上、実力は静が相手している二人よりも上であることはすぐに分かった。だからこそ、それらはルイスが自ら前に出て応戦をしていた。ルイスは鈍く光る縄のようなものを自身の周囲に展開し、攻守をせめぎ合いながら静への手助けも行っていた。
捕縛を得意としているのか、と一見して判断してしまいそうなほどに器用に手足のように操り動かしている。だがしかし、静は目に見える以上のものを肌で感じていた。
目に見えないもの。それらがすぐそばにあるような錯覚に似たものを覚えた。しかしそれらが錯覚ではないことを静は感じている。
先ほど触れていた所から、何かが繋がっていた。嫌なものではないし、これのおかげか静は手足の震えが多少なりとも抑えられている実感さえした。
これはルイスの魔力だと戦いながらに気付いた。目視出来ないほどの細い細い糸が静につなげられていた。ルイスは戦いながらも静の動きをある程度、この糸によって把握しているのだとしたら、とんだ化け物だと静は自然と笑みがこぼれそうになりながらも拳を振るい、避け、下がり、そしてまた前に出る。
それに合わせ、静の後ろから何かが通り過ぎた。それは先ほど見た光る針。それらが目の前の男をかすめた。
一体どうやっているのか、これは後で聞くほかないだろう。その為に、まずはここを切り抜けなければ。
静はまた強く地面を踏み込む。
その瞬間だった。
周囲から薄い硝子が割れるような音が広がった。まさか新手かと静は身構えかけたが、肌に感じていた違和感がすっかり消え、周囲を囲っていたものが消え去ったのだと理解した。
そしてこの場に雪崩込む紫紺の騎士達。その先頭にはエドヴィンがおり、静の姿をみとめると驚愕したように目を瞠っていた。
一先ず静は中途半端に振りかぶった拳を腹部に打ち込み、思い切り回し蹴りを繰り出した。
「遅い!」
急いで向かってくれたのは見て分かった。それでも静はつい、激情のままエドヴィン達に向けて吠える。
理不尽にも思えるような静からの叱責にエドヴィン達は、すぐさまに残りの三人をすぐに捕らえる為に俊敏に動きだした。
ほっと息を付けたのは本当にすぐだった。
エドヴィンは総勢にして約十名以上の騎士を連れていた。その結果。瞬く間に展開されるおそらくは魔術なのだろう、この穏やかな日差しには似つかない氷がどこからか現れたり、炎が散ったり、大地が隆起したりと何が起きたのか静が理解する前に男達は大地に伏せたり、片膝をつき、手に持っていた武器を投げ捨てて両手を上げていた。
やはり数は重要だと思いながら、ようやく終わったことに静はその場に腰を落とし、深く息を吐き出した。
「静様っ」
「あー……、ルイス。おつかれー」
焦りがにじむ声で静を呼び駆け寄ったルイスに、静は対照的にゆったりとした、いつもの口調で応え、ひらりと手を挙げた。
拳以上に、その腕が痛むのは、未だに小さなナイフが突き立てられたままだからだ。だが、静は何てことがないような素振りを見せたのは、そのルイスの顔を見たからだ。
時折、ルイスに対して実のところ幼さを感じる時が静にはあった。いつもはあれほど無表情ではあるが、小言が多く、その言動や行動は実にまっすぐ過ぎる時もあるせいか、それが余計に幼さを感じる要因になっていた。そして今、ルイスは大きく感情を露わにしているように見えた。
深い森の、深緑の瞳はいつにもなく大きく揺らぎ、ぐっと眉間に皺を寄せていた。静を呼ぶ声だって、落ち着きをはらっているのが常であったのに、今はもうすでにそんなものは欠片も無くなってしまっていた。
だからこそ、静はいつものように笑って見せた。大丈夫、問題ないのだと言うように。
それが良い方向にとらえてくれたのか、ルイスはぐっとまたさらに顔を険しくし、しかし緩やかに静に伸ばした手はそのまま静の腕に触れた。
「……あまり、動かさないでください」
「ああ、ごめん」
逆の腕にしておけばよかったと思ったが、逆も逆でなんだかんだ血は滲んでいるしでなかなかにひどい状況ではあった。
静は側で片膝をつきて俯くルイスを見やり、銀の瞳をくるりと瞬かせてから、その柔らかい黒髪に手を伸ばした。
「……静様、何を」
「いや、なでやすそうな場所にあるなぁって」
痛みのせいで動きがぎこちないが、それでもゆっくりと、やさしく撫でてみた。
ルイスはその手を払うような真似はせず、ただ静の奇行が終わるのを黙って待つつもりのようだった。
「ね。ルイス」
「……なんですか。というより、いつまでやるんですか」
「ありがとね」
ほんのりと不満を漏らすルイスの言葉を全て無視し、静は思ったがままに伝えた。
深緑の瞳が真っすぐに静を見つめてくるものだが、静はさて、と首を傾げた。
「どうしたの?」
「……いえ」
ルイスはふるり、と一度首を横に振り、視線を静の腕に突き立てられているナイフへと向けた。
「ああ、これか。どうしよう」
撫でるのを止めて腕を下ろせば、ルイスはすかさずにその腕に触れた。
「抜きます」
「いっ……!」
ルイスが言い終わる前に腕に刺さったままのナイフを手早く抜き、上から強くどこからか取り出した布で押さえつけられた。瞬く間に布は赤い色が染み、また痛みが広がる中、その周囲をぼうっと淡い光が包み込んだ。
これを静は前に見たことがある。ずいぶんと前のことのように思えてしまいそうになるが、オリヴィアが静の手に治癒をかけてくれた時と同じものだと静は記憶を掘り返した。
「……せめてさぁ」
「怖がるでしょう、貴方は」
せめて予告が欲しいと言おうとしたが、ルイスはぴしゃりと言い返した。
いやいや、そんなまさか。そう思った静だが、すぐにルイスの言う通りにビビって待ってやらなにやらで騒いでしまうだろう自分の姿がすぐに思い浮かび、静は唇と尖らせながらも一つ頷いた。
そして静は何か話題を変えようと思い、その淡い光を銀に映した。
「治癒、出来たんだ」
「……最低限でしたら」
「それならさ、先に自分にやった方が良いと思うのだけど」
「静様が優先です。とは言え、出来るのは簡易的なものですから、後で再度治癒を受けて下さい」
人により回復できる程度というのは異なるのだろう。肌の表面当たりがむず痒くなってしばらくし、布がこれ以上赤く染まらなくなったのを見計らい、ルイスの手が離れた。そしてあれほど深く突き立てられていたとは分からないほどにほとんど傷痕が見えない箇所を見て、静は目を丸くしつつ、そっと上から軽くなぞってみる。と奥の方がじくり、と傷むのを感じた。なるほど表面だけでも塞いだのだとすぐに理解出来た。
「ん、ありがと」
「いえ」
「ね、ルイス。あれらと話しても良いと思う?」
静はルイスに感謝を述べつつ、視線を捕縛されて騎士に囲まれている四人へと視線を移した。
「……静様」
「ちょっとだけだから」
「……手短にお願いします」
「はぁい」
ルイスは静が何をしようとしているのか感づいていたようだが、数舜の間を空けてから止めなかったのはおそらく、止めても無駄だと理解したからだろう。
本当に物分かりの良い侍従兼護衛だろうか。何度感謝を重ねても足らないくらいだ。
静は痛む膝をさすりながら立ち上がり、少しだけ騎士達から距離を取りつつも近づこうとすれば先にルイスが歩きだし、先導をしてくれた。
これ幸いと静はついでにルイスの服を軽く掴んで後に続いた。その時、ちらりとルイスが静を見て、そして掴む手を見て顔を何故か顔を盛大にしかめた。理由は不明だし、これについては聞いたところで聞き流されるから、静はおそらく呆れによるものだろうと勝手に結論づけた。
そうこうしているうちに静は無事にその者らの前へとたどり着いた。取り囲っていた騎士達は静の姿を見てすぐに両脇へと割れたおかげで別段とくに問題というものは起きなかった。
静は掴んでいたルイスの服を離して捕縛された者達の中から一人、大股で近づきすぐ目の前まで近寄る。その者は静を無言で見上げ、そして静は無言で見下ろしたかと思えば、一切の予備動作なくその者の頭を掴み、石畳に叩きつけた。
周囲が静の突然の行動にどよめく中、ルイスだけは頭を抱えていた。
「おいこら、てめぇ。ルイスを後ろから切りつけただろ。ドタマかち割られるのと、顔面すりおろされるのどっちが良い? 選ばせてやんよ」
「止めていただけませんか、静様。ただの私の失態ですので、後ほど私の方からお礼をさせていただきます」
「ああ、それならわたしがやったら駄目だね。ごめんねぇ」
確かに人の獲物を横取りするのはよろしくない。
素直に頷いた静はぱっと手を離し、きゅっと顔をしかめた。
「うへぇ、鉄臭い」
「急ぎ戻りますよ。治癒はもちろんですが、すぐに身を綺麗にされた方がよろしいですね」
「それはそうだけど。たぶんわたしよりルイスがそれ必要だと思うな?」
「鍛え方が違いますので問題ありません」
そういうものか。つまり鍛えればいけるということか、と静はそこまで思い至ったと同時くらいに、何とも自然に身体が持ち上げられた。もはや慣れてきてしまいかけている程度にごく自然なものだったからこそ、静は気づくのに大分時間を必要とした。
「……え、あれ。ルイス?」
「静様には不要です」
もちろん静を持ち上げたのはルイスだ。しかも静の思考をちゃんと読んでいるらしい。もしかしたら伊織と良い勝負になるのでは、と考えていれば、無言で細められた深緑を向けられた。
静はすぐに思考を止め、そっと視線を外した。
「……静様をお連れしてもよろしいでしょうか。エドヴィン殿」
「ああ、頼む。だが、その前にせめてこの場で治癒を施してもらった方が良い。先ほどから顔色が悪い。静様は……女性の神官を連れてくるべきだったか」
「何も問題ありません。失礼いたします」
いや、問題はあるだろうと静が口を開く前に、ルイスは踵をかえしてスタスタと歩き出してしまった。
そこで静は、はっと自分の状況を理解した。
「あ、いや、待って。ルイス。自分で歩くから」
「いけません」
「でも」
「いけません」
同じ返答をしてきたので、ルイスは絶対に譲る気がないのを静はすぐに理解した。
ああ、もうどうにでもなれ。と、痛む腕に、なんだかだんだんと鈍く痛くなってきた右膝に耐えるように、ぐっと顔をしかめた。
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