18

 静は今、危機に直面していた。

「え、こんなのあるの? なんで着ないのよ」

「わぁ! これ静に似合いそう!」

「あら、それもいいわね。私としてはこれを着てほしいのだけど」

 クローゼットを漁る真咲、伊織、奈緒の三人。そして控える侍女達が四人は、誰もが静が着替えるのに必要なあれこれを持っていた。静は一人離れた場所にいるルイスに助けを求めようとした。

「それでは静様、私はこれで失礼します」

「ルイス……?!」

 助けを求める前に、ルイスはすっと視線を合わせずに一人部屋を出て行こうとしていた。

 いや、今から強制的に着替えさせられるのだ。いてもらっては困るわけだが、その前にこの状況からどうにか逃がしてほしかった。

 何故こうなっているかと言えば、あの後、夕食を取った後、三人は有言実行の元、静の部屋に集まりお泊り会を開催するに至ったのだ。全員、可愛らしい恰好をして。

 真咲は当然として、奈緒や伊織も大変乗りが良く、それぞれが可愛らしい服とネグリジェを携えてくるとは決して思わなかったわけである。そして今、静に着せる為の可愛いらしい服を三人が厳選しているわけだ。

 ああ、逃げたい。

 子狼をモフり倒して気を紛らわせたいが、彼女達と言えばもうすでベッドの上に集まってなぜかどうしてもう眠っていた。泣いてしまいたい。

 意識が飛びそうになる中、部屋の外へと出て、最後に一礼をするルイスの姿を見た静は慌てて口を開いた。

「ルイス、また明日!」

 毎夜、ルイスやリーリアが部屋を出ていく時、静は必ず言っている言葉だ。ルイスはそして毎度、とくにこれと言った反応を見せず、綺麗に一礼をして静かに扉を閉めるだけだ。リーリアも同様である。だが静もとくに反応をしてほしいわけではなく、ただの自己満足的なもので伝えているだけである。

 そして今も、無慈悲に扉は閉められた。

 ああ、覚悟を決めよう。静はぐっと両手を握った。


 静は力なくソファーに座り、ひじ掛けに寄りかかった。

「なんでそういう恰好苦手なのよ。似合うわよ? あ、伊織、待って」

「もう、何回待ってって言っているのー?」

「伊織が強すぎるのよ。ほら静、何でなの?」

 静の隣にいる真咲がテーブルの中央に置かれている遊戯盤の駒を動かし、向かいにいる伊織が息つく暇なく駒を動かしていく。全くどういう遊戯盤なのかは知らないが、駒の動かし方等々で伊織が異様に強いのは明白だった。

 先ほど負かされた奈緒が温かな紅茶を飲みながら問いかけてくる。静はのそり、と顔を上げ、苦々し気に顔を歪めた。

「苦手なものは苦手なの」

「その苦手な理由を聞きたいのよ。別に嫌いってわけじゃないんでしょ?」

「見るのが好きなだけ」

「似合うのに」

「……知ってる」

 静はそれはもう、嫌なほどに知っていた。けれども、だ。どうしたって苦手なのだ。奈緒が器用に片方の眉を上げた。そんな仕草が良く似合うなぁ、なんて思いつつ、静は少しだけ体勢を戻した。

「……わたし、童顔でしょ」

「そうね」

「大人に見られたいですっ……!」

「諦めなさいよ」

 全て奈緒に即答され、静はまたひじ掛けに舞い戻った。

 そして隣にいる真咲がああっ、と声を漏らした。

「また負けたっ……! こうなったら静、ほら静、次よ!」

「……わたし、そんな元気ない」

「元気なくても出来るでしょ! あの時は、あんなにかっこいい事言ってたのに!」

「それはそれ、これはこれ」

 あの時、とはおそらく紅星の間での出来事のことだろう。

 静はのそり、と顔をあげつつ手をふりふりと振った。

「というか、なんかあれ。空気悪くしてごめんね、今更だけど」

「は? 何が」

「だって、だいぶ不安にさせたというかさぁ」

 ほんの少し和やかな空気になっていた時、静が余計とまではいかないが、それでもはっきりと敵となりえる者達の目的に触れた。そしてそれにより、自分達がこの先どのような最悪な未来が待ち受けているかというものを想像させた。

 いずれ知ることにはなった。だがそれでも、あれは今日ではなかったかもしれないと静は少しだけ罪悪感を覚えていた。

「えいっ」

「ぅえっ……え?」

 後ろから掛け声と共に真咲の手刀が頭に落ちてきた。

 あわてて起き上がり振り返れば、真咲のだいぶ不機嫌と言わんばかりの顔が目の前にあった。

「ま、真咲?」

「明日」

「……明日?」

「あたしが選ぶ服着てくれたら許してあげる」

「何それ止めて。それ以外」

「駄目に決まっているでしょ。明後日は伊織、最後は奈緒ね。はい決定!」

 なんたる罰か。勝手に真咲が決めていくが、静以外の誰もが乗り気であるのは見なくても分かった。静はうぅ、と小さく声を漏らし、無言で頷くしかなかった。

 途端三人含めて侍女達がキャッキャと騒ぎ出すのをそのままに、静はそのまま不貞寝を決め込むことにした。

 とは言え、真咲の素直ではない優しさに少しばかりだけ感謝したのは内緒である。

「とりあえずあれよね。あの無愛想男の好みが分からないのよね……。伊織、分からない?」

「うーん、さすがにそれは……」

「男はね、かわいければなんだっていいのよ」

「ねぇちよっと、何の話してるの……!」

 思わず飛び起きたのは仕方がないと思いたい。


 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-


 一人、ルイスは明かりなんてものが一つもない廊下を音もなく歩いていた。

 頭の中では、今日あったことをまとめることと、そして明日必要な準備その他諸々についての思考を回していた。

「よぅ、ルイス」

 声がルイスを呼んだ。

 が、ルイスは足を止めず、驚くこともなく完全に無視を決め込んでいた。

「おーい、無視すんなって。おい、待てって。ルイス・エヴァンハイン」

 声がもう一度、ルイスの名を呼んだ。そこでようやく足を止めたルイスは振り返り、暗闇しか見えないそこを睨みつけた。

「何の用だ」

「何の用って、冷たいなぁ。同じ漆黒だろ? でさ、ずいぶんと長く話していたみたいじゃねぇの」

 暗闇が軽快に笑いながら、遠回しに紅星の間でのことを問うてきた。雑談のそれに近いような空気感だ。もちろんのこと、答える義理はない。

 むすりと口を閉ざすルイスに、暗闇は深いため息をついた。

「おいおい。今は一時的に神殿にいるだけで、漆黒でいることには変わらないわけだろう? それなら多少は情報共有したって問題ねぇはずだ。そうだろ?」

「隊長からは、ここでの情報についての報告は不要と言われている。それに今は、この神殿側にいる。王族の、しかも王太子付きのお前に話すことはない。ロビン・クノール」

 暗闇の向こうから音もなく漆黒の騎士服に身を包んだ一人の青年がようやく姿を現した。

 ルイスと同じ褐色の肌を持つ青年は、青の瞳をこれまた愉快と言わんばかりに細めている。いつも整えられている紺の髪は、この暗闇のせいかずいぶんと色が濃いように見えた。

「大神官付きの時もそうだったけどよぉ、ちったぁうまいことやろうぜ? 結局お前から情報を得られねぇから、あのお方すっげぇ無茶言うしよ」

「俺のせいにするな」

「いーや、お前のせいだね。そのせいで俺がどんだけ大変な目にあっているか」

 音もなく大股でロビンがルイスに歩み寄り、長い腕をルイスの肩に回した。ここで抵抗をすればさらに面倒なことになることをルイスはとうに身をもって知っているためされるがままだ。だが少しの抵抗と言わんばかりに顔を背け、隠すことなく堂々と舌打ちをこぼしたが、それがまた何が面白いのか、ロビンはケラケラと笑っていた。

「離せ」

「いいじゃねぇの、ちっとくらいよぉ。んで、ルイス。どうよ、聖女様は」

「……何が聞きたい」

「違うって。ただの雑談。ほら、あの銀の聖女様。名前は静様って言うんだろう? お体が弱いだとか、そんな話がこっちに流れてるぜ?」

「……そう思っておけば良いんじゃないか」

「違うってのは分かったわ」

 倒られた時の話だろう。周囲に神官達がいたのだ、それなりに噂にもなるのは当然だった。

 表向きには疲労によるものとしていたが、いつの間にか少々病弱となっていたらしい。全く持って似合わない噂に、つい感情が顔に出ていたらしく、いや、声にも乗っていたせいで、すぐにロビンには違うのだと知られる結果となった。とはいえ、この程度で困ることは何もないのであるが。

「しっかし、ずいぶんと気に入られたんだな。愛想をどっか忘れてきたような奴だったのに。もしかしてあれか? 見目か? お前、すげぇ整ってるもんな」

「黙れ」

「おっと違ったか? そりゃ悪いな。別の理由でもあるのか?」

 見目というなら、この男もなかなかに整っていると同性でありながらもルイスは思っている。事実、城下町でふらふらと遊んでいるらしい話を時折聞く。さらに言えばこの男はルイスを何度か誘ってくるのだが、それに関しては正直、心底、ルイスは一切関わらないと決意している。

 ルイスはもう一度舌打ちをこぼした。いい加減に早く解放されたい気持ちが強く、だからこれから明日の為に準備をしようとしていたそのことをつい、口に出した。

「俺がいれる紅茶を好んでいる、らしい。おかげで静様付きの侍女殿に勝負を仕掛けられている」

「え、なにそれ。俺も飲みたい」

「誰がいれるか」

 ほらみろ、こうなる。自分でも分かっていたが、これは後で面倒になるだろうというのが目に見えた。

「これ以上話すことはない。いい加減に離せ」

「待てって。良いことを聞かせてもらったからな、特別に教えてやるよ」

「何をだ」

「王城内での話」

「……お前、漆黒だよな?」

「見ての通り」

 片手を翻しながらロビンはお道化て見せる。その際、掌に僅かに浮かんだ光を見て、簡易的ではあるが防諜の魔術を展開したのだと気づけた。

 つまりはそういう話ということだ。

「一部、貴族共の動きが活発になっている。それに合わせてか、王城内でも見慣れない奴が出入りし始めている」

「素性は」

「まだ不明。ただ神殿に近いかもしれねぇから、あのお方もなるべく早く、そちらと連携を取りたがっている。ああ、ちなみにあのお方個人の判断だ。他はいねぇし、陛下のご判断でもない」

「そこまで言っていいのか」

「こっちから言わねえと、お前話さねぇだろ」

 さぁ、話せ。と青が深緑を覗き込んでくる。

 これに乗らない方法もあるし、ロビンは何かとルイスに少々ながら甘いところあるのを、ルイス自身も知っている。だからこそ、ロビンを相手にしたくはないのだ。いつまでも弟分と言わんばかりに扱うこの男が、本当に腹立たしくてたまらない。

 苛立ち交じりに肩に回された腕を払おうと、ルイスは拳を握り、そして少しして握った拳を緩めた。

「……お? どした?」

 いつも、こうなったらルイスは毎度、ロビンの腕を振り払い、その場を無言で立ち去った。というのに今回ばかりは耐えたルイスに、ロビンは酷く驚いたような声を上げた。

 ルイスはそれを全て無視し、端的に情報を開示した。

「一部、書庫の本が紛失していた」

「え、それマジ?」

「それで先ほどまで話をしていた」

「……なるほどな」

 これを話すにあたり、周囲の同意は一切得ていない。完全にルイス個人による独断だ。後で相当きつく言われるだろうが、ルイスがこの場で思いつく最善の手がこれしかなかった。

「隊長達の手を借りたい」

「だろうな。分かった、早急に対処する。が、紛失ってどの本だ?」

「神話に関する本だ。まだ規模は不明。頁が抜かれている本があれば、塗りつぶされたものもある。その他、紛失していることを隠すように、ご丁寧に幻術を使ってまで棚に本があるように見せていた」

「そりゃあひどいな。それ、誰が見つけたんだ?」

「静様だ」

「……聖女様の様子はどうだったんだ?」

「気を動転させていた侍女殿を落ち着かせるくらいには冷静だった」

 おそらく、とルイスは考える。

 何も知らないのだと、言っていた。そしてその通りにこの国そのもの全て、何も知らない状態だったからこそ、あれほどまでに冷静でいられたのかもしれない。だが、あの紅星の間での静かな問答を目の当たりにしたルイスは、半分はその通りで、しかしもう半分はあのお方自身の本質なのだろうと勝手ながらに想像をしていた。

 冷静、というよりも冷徹に近いように思えた。

「すげぇ頼もしいな。それならさ、なんでお前が表に出てんだよ。あれだけ嫌がっていたってのに。しっかも他の聖女様には護衛いねぇし。何でお前だけなんだ?」

 ロビンの疑問は当然だった。

 ルイスは確かに表に出ることを拒んでいた。理由は見ての通り、この見目によるものだ。ロビンもそれにより、表に出ること嫌って入る方ではあるがルイスほどではなかった。この見目でなければと何度思ったことか。そうすれば、しかし、きっとそうであったならば、出会うことはなかったのだろうと思うと、ルイスは今になってこれもそう悪いものではないのではないか、と思ってしまうほどだった。

 なんと単純なのかと思いながらも、ルイスはもっと単純すぎるような、ふざけているような理由を伝えた。

「刷り込み、だそうだ」

「……は?」

 意味が分からずに、理解が追いつけないように目を丸くしたロビンに、ルイスは構わずに続けた。

「静様がこちらに来た時の事は知っているな」

「ああ、そりゃあな。災難ではあるよなぁ、賊に加えて監禁とか」

「それの影響で男に触れることが出来ない。話すことは出来るが、ある程度の距離は必要だろう。それ以前に恐怖を抱いている」

「……そいつは……。あ、いや。じゃあ何でお前は平気なんだよ」

「だから刷り込みだと言っただろ」

 ロビンが無言で目元を抑えた。

「最初に俺が……助けた、に近いような状況ではあったからだろう。が、それにしたって刷り込みはない」

「なぁ、それさぁ。もし、他の奴だったら」

「……考えたくもない」

 この見目だからこそ。ああ、違うのだ。この見目でも、あのお方は迷わず手を取ってくれた。だからこそ良かったなんぞ、恥ずかしげもなく思ってしまっているのだ。なんと卑しいのかとルイスは思いながらも、それでもこの席を誰かに譲る気は毛頭に無かった。

「まぁ、そうだろうけどよ……。あ、いや。待て。聖女様って、確かあれだろ? ぶん殴ったって聞いたけど」

「良い拳だった」

「鼻へし折ったんだろ? だってのに、男が駄目なのか。いや、だから遠慮なく出来たのか?」

「かもしれないな」

「おお、怖い怖い」

 あの男に拳を入れた後、あの手は震えていた。

 恐怖よりも、殴りたいという思いでも強かったのだろうか。それに関してはルイスもよくは分かっていない。が、次そのような時があった場合に備え、治癒の魔術を極めている最中である。もちろん誰にも言ってはいないが。

「しっかし良かったのかよ。そこまで話をして」

「この程度ならどうせすぐに知れ渡る。それに俺が護衛としてついているから問題ない」

「へぇ、まぁ、そうだろうな」

「……なんだ、その顔。気色が悪い」

 ロビンがこれまた愉快と言わんばかりの笑顔を見せ、妙に生暖かい目線を向けてくる。ルイスは今度こそロビンの腕を払いのければ、展開されていた防諜がぱっと解かれたのを感じた。無理やり離されたロビンはわずかに肩を揺らしながら小さくクツクツと笑っている。

「いいねぇ、いいねぇ。そうこないとだ」

「何がだ」

「気にすんなって。よし、そろそろ戻るわ。本の件はあのお方の耳にも入れておくが良いな?」

「ああ」

「これから忙しくなりそうだな、お互い。じゃ、またなー」

 何が本当に面白いのか、ロビンは笑いながら踵を返しつつ手をわずかにあげ、瞬きの間にまた暗闇の中に姿を隠した。

 残されたルイスはその暗闇をしばらく見つめた後、強く瞼を閉じ、深く息を吐きだした。

 そして、軽く握った拳を自身の胸元にあてる。ちょうど、あの小さな拳が軽くあてがわれた位置だ。

 ルイスは。この抱く感情に対し、うまく言葉に出来ずにいる。あんなにも偉そうに言ってのけたというのにだ。そしてその様子を見て、あの方を困らせてしまったのだ。困らせたくはないというのに。

 たすけてほしい。

 頼りにする。

 冷徹さがうかがえる言動の中で向けられた言葉が胸の内で反芻する。

「……俺が、守れば良いだけの話だ」

 深く、決意に満ちた声と共にルイスは拳を固く握りしめ、瞼を開けた。

 近くの窓が視界に入る。

 月の位置からしてもうだいぶ夜は深くなっており、白銀の光が廊下の先を照らしている。

 ルイスはしばらくそれを無言で眺め、そしてまた音もなく足を進み始める。

 おそらく明日、かなり面倒なことになっていると予想した。少しでもあのお方の機嫌が良くなるようにと、ルイスは明日の為の紅茶を準備することにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る