05
出窓から外を覗き込めば、月明りがずいぶんと眩しく感じるほどに静まり返った夜だった。
静はいつものなんちゃって男装のまま、いつもの場所に座り、ネーヴェを抱きしめた。
「ネーヴェ、何か分かる?」
『……ああ、少しな。結界のせいで感覚が鈍くなっているが、揺れているのが分かる』
「揺れている?」
『魔力の揺れと言えば分かりやすいか? そうだな、この外に出た後に私の力の使い方を練習した方がよさそうだな』
「そうだけど、このユフィアータの力って戦う力なんだよね。どうするの?」
『その辺りの者と手合わせするのが手っ取り早い』
「あ、はい。そうだと思いました」
考えていることが似ているからこそあまり驚かずにいたが、やはりそうなるかと思うと少しの面倒さを覚えた。
静はぎゅっと少しだけ力を入れると、きゅーんと子狼が小さく鳴いた。
『だが、まずはどちらかを選ぶ方がいいな。盾か、剣か』
「どちらもは?」
『両方か、なかなか難しいところだな。何かしらの心得はあるのか?』
「棒持って喧嘩したり、素手で喧嘩したりしたけど、心得ってなると違うか。それにどちらかというなら剣のほうになるかも」
三人のいる前ではあまり言えない内容だが、相手は子狼だ。隠す必要は一切なかった。
学生の時、静はこの見た目とは裏腹に少々、というよりはしっかりとやんちゃなことをしていた。おかげであくまで喧嘩ではの話になるが腕っぷしはある程度の自信はあるし、それなりに度胸もある。
しかしそれは昔の話。今は全く縁遠く、むしろ正反対に近い日々を送っていた為、不安が無いと言えば嘘ではあった。
「けど、今はもう何もしていないから、正直ちゃんと戦えるか分からないけど」
『ふむ、そうか。だが、静の気質からみても十分だと思うぞ』
「……そっかぁ。うん、それなら剣かな。剣から頑張ろう」
『ああ、それが良いだろうな。しかしあの時、静の手を取って本当に良かったと思うよ。おそらく他の三人よりも、迷いなく力を使えるだろうからな』
ネーヴェからお墨付きの言葉に静は内心嬉しくなって、静は小さく笑い声を漏らした。
『だが、静。私の力はまだそこまで戻っていないのが現状だ。だから申し訳ないんだが、あまり期待はしないでほしい』
「うん。後は自分でどうにかするよ」
『頼もしいな』
ネーヴェは申し訳なさげに自身の額を静の顔に押し当ててくる。静は甘んじてそれを受け入れながら、僅かに遠くの方から何かの音が響いたのに気づいた。
「……ネーヴェ」
『ああ、始まったな』
続いたネーヴェの言葉と共に、今度こそはっきりと何かが砕ける音の他、大きな轟音が響き、屋敷が僅かに揺れた。
出窓の窓硝子に額をくっつけるように近づき、外をなるべく見ようとするが場所が違うのか、いつもの景色とそう変わらないように見える。
『静、少し離れたほうが良い』
「窓から?」
『来るぞ』
何が、とネーヴェを抱えて出窓から離れながら問おうとしたとき、窓硝子に黒い影が覆った。
「ひぇっ!」
きゃんっ!
驚いて思わず腕に力を入れてしまい、ネーヴェを強く抱きしめてしまったがこれは仕方がないと言いたい。
影は静の姿を見ると、それはすぐに姿を消した。かと思えば、今度は隣の窓に人影が現れ、窓硝子をけたたましく割って侵入してきたのだ。
まるでアクション映画のワンシーンでも見ているかのような気分になるが、生憎これは現実だ。砕けた窓硝子は一瞬のうちに床に散らばり落ち、人影はその上に躊躇なく着地した。
「――静様、お迎えにあがりました」
人影から聞こえたのは聞いたことのある声で、よぉく見れば褐色の肌と黒髪が見えた。
「……びっくりしたよ、ルイス」
「申し訳ありません、まさかそこまで驚くとは思ってもおらず」
本当に思っていなかったようで、純粋にルイスが驚いていたのに静は何も言えなかった。
とは言え、確かにルイスは昼間の言葉の通りに静を迎えに来たことには変わりなかった。静は落ち着かせるために一つ息を吐き出し、ルイスに歩み寄った。
「ありがとう、ルイス。本当に迎えに来てくれて」
「疑っていたのですね」
「いや、ほら。もしもの時もあるだろうしなと」
「その時はどうされる予定でした?」
「自力で脱出」
「お迎えにあがれて本当に良かったと思います」
ちょっとした会話を交わしていると、部屋の外が何やら騒がしくなった。そして扉の鍵を慌てて開けようとしている音が響く。けれどもこの扉は分厚いから蹴破ろうにもそう簡単にはいかず、加えて鍵は二か所。開けるのにも一々一苦労してしまう扉だが、今回ばかりは味方になってくれたようだった。
「失礼いたします」
「うひゃっ」
すぐ横に移動してきたルイスが言うが否や、有無を言わせず静を姫抱っこをした。
またもや残念な声が漏れてしまった。ルイスからの視線も何やら残念なものを見るかのような目をしてくるものだから、静は誤魔化すようにきゅっと子狼を抱きしめた。
「しっかり掴まってください。降ります」
「あ、はい……はい?」
思わず聞き返したが、ルイスは迷わず先ほど割った窓へと近づき足をかけた。
あ、降りるってこれかと理解した時、静は迷わずルイスの首に片腕で抱き着き、子狼はもう片方の腕の中に抱きしめた。それを確かめたルイスは開かれる扉と同時、迷わず飛び降りた。
恐怖は一瞬だった。確かに静自身、自力脱出をしようかと考えていた時は、ここから飛び降りるしかないと思った。しかし実際その時になると怖いものは怖く、大丈夫だと分かっているとしても胃の中がひっくり返るような感覚が気持ち悪く、無事にルイスが地面に着地するまで生きた心地がしなかった。
「……静様、生きてますか?」
縋りついて離れようとしない静に深緑が見下ろしてくる。
「……生きてます」
「自力で脱出しようとしていたんですよね」
「忘れて下さい」
記憶から抹消したい。
ネーヴェが腕の中からひょっこりと顔を出し、まるで慰めるかのように静の顔に自身の頭を押し付けてくる。その優しさに感動していると、別の影が駆け寄ってきた。
「静様! 御無事ですか!」
「あ、オリヴィア」
この暗闇の中でもすぐに分かるほどの美しい金の髪と、明るい声にすぐに誰なのかが分かった。満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきたオリヴィアの顔は少し煤汚れていて、何やら赤いものがついていたが気にしないでおいた方が良いだろう。いや、そんなまさか。ちょっと赤い汚れがついているだけだ、きっと。
「オリヴィア、血がついてる」
「あらやだ、注意してたのに。どこ?」
「右頬」
オリヴィアは自身の頬についた血をさっとふき取り、困った顔をした。
もう何も言うまい。静はきゅっと口を真横に結んだ。
「無事制圧したわ。結界ばっかりに力入れてばっかりで見張の方がそこそこなんだもの。簡単ね」
「深紅の騎士達もいるからむしろ余剰だったんじゃないか。それより隊長は」
「あそこよ。あ、うちの隊長が静様とお話をしたいみたいです」
「あ、はい。えっと、ルイス、そろそろ下ろしてもらえると……」
明るい月明りと、金属がこすれる音のおかげで人影が集まっていることにすぐに気づけた。増える人影から感じる視線に恥ずかしさを覚えた静は、すぐさまに下ろしてもらうように懇願し見上げ、そこで静は固まった。
部屋から脱出するために抱えられ、すぐさま飛び降りたのだ。静は落とされないように、そして腕の中にいるネーヴェが落ちないように抱きしめていた。
つまり何が言いたいかと言うと、大変整っている顔が大変近かった。何この状況は。
きゅっと口を結んだ静に、ルイスは何故だろうか深緑を細めてしばらくし、無言で腕から下ろした。
「あ、ありがとうございます」
「いえ。静様、こちらです。暗いので足元をお気を付けください」
「そうですよ。よろしければお手をどうぞ、静様」
「さすがに転ばないって」
オリヴィアが手を差し伸べてくれるが、この程度ならば転ぶことはないだろうと静は首を横に振った。
「静様。そいつは手をつなぎたいだけです」
「ちょっとルイスー?」
「え、あ、そうなの? 繋ぐ?」
「静様、もうちょっと考えましょう? もちろん繋ぎますけど!」
そうなのか、と静が戸惑うことなく差し出されていたオリヴィアの手に、自身の手を添えれば絶対に外さないと言わんばかりにしっかりと手をつないできた。
そこでようやくほっそりとした手は見た目と違って皮膚は硬いことに気づいた。身の回りのあれこれを世話してくれていたときにそこまで気には留めていなかったが、ああなるほど、これは騎士だからかとようやく理解した。細く、ほんの少しだけ指先の冷たく、痛くないようにけれどもしっかりとつないでくれた手。
静は迷うことなく握り返せば、オリヴィアは少しだけ目を丸くしていたが、すぐに柔らかく笑みを浮かべてくれた。
そのまま二人に連れられて行くと、何かの明かりが周辺の暗闇を照らし始めていた。
周囲を見渡してみれば、思っていたよりも多くの人影があることに静は今更ながらに知った。その誰も彼もが、ルイス、オリヴィアと似たような服装をしていた。
革のブーツ、黒いズボン、上の衣服は厚手の簡素な上着で、どれも型は同じだが黒を基調としたものと、赤を基調としたものの色違いが二種類。ルイスとオリヴィアは黒い衣服だった。また赤を基調とした者達は、それに加えて上半身を覆う鎧を身に着け、腰には剣をさげていて、その様はまさしく本の中にいるような騎士の様に見えた。
まさしくファンンタジーな世界に落ちてきたのだと改めて静は理解した。周囲を照らす明かりをよくよく見れば、それは火ではなく現代の日本でよく見る丸い照明に似ていたが、完全に球体の光だった。しかも宙に浮いている。
ようやく魔術らしい魔術を目にし、内心興奮気味にそれに目を奪われていると二人が歩みを止めた。静も少し遅れて止まり、ルイスの後ろから顔を覗かせると、目の前には同じような黒い衣服を身にまとった随分と大きな男がいた。光にあたって銀の短い髪がキラキラと輝いており、人を射殺さんばかりの鋭い青い瞳から僅かに威圧を感じる。
なるほど、この人が隊長らしいと眺めていると、視線がばちりと重なっり、静はきゅっと口を真横に結んだ。
「あー、もう。隊長、なぁに緊張なんてしているんですか。もっと堂々としてくださいって」
オリヴィアが開口一番、男に言い放った。すると男はむすりとした顔をして、自身の銀の前髪をかき乱した。
「緊張じゃなくて、驚いてんの! 女性っていう報告だったのに、子供じゃねぇか!」
「静様。この失礼なことを言っているのが、残念ながら我らが漆黒の隊長、アルベルトです。覚えなくても結構です」
「ルイス、酷くねぇか? って言うか、残念って言うなよ」
ルイスがさりげなく静の前から脇に移り、オリヴィアはつないでくれた手を離し、強制的に面と向かうような形になった。
一見すると強面で、とても厳しそうに見えるがすぐに素行を崩した男、アルベルトはなかなか情けない声でルイスに訴えるがルイスはそれらを無視した。ちなみに周囲もそれに無礼だとは何一つ言わず、むしろ呆れているようにも見える。おそらくはいつものことなのかもしれない。
「あー……、聖女様」
「あ、はい」
やはり聖女と呼ばれるとむず痒いが、あまり顔に出さずにアルベルトを見上げた。ルイスよりも背が高いので首が痛くなりそうだが、アルベルトはすぐにその場に片膝をつき、片手を胸にあてた。
「改めまして、このロトアロフの漆黒の隊長の勤めておりますアルベルトと申します。助けるのに時間を要し、大変申し訳ございません。そこにいるルイス、オリヴィアの両名は我が漆黒の騎士になります」
漆黒。先ほど聞いた深紅という色の名前は騎士隊の部隊の名前なのだろうと勝手に解釈をした。
黙って思考を巡らせていると、アルベルトはそのまま頭を深く下げた。
「危害等、加えるつもりはございません。しかしながら信用はされていないと承知の上でお願いがございます。貴方様をお守りする為に、大神殿へお連れさせて頂きたく。聖女様を監禁した男と同じようなことを申し上げているかもしれませんが、必ず自由、尊厳をお守りすることを誓います。我らが神、アルカポルスの名に誓って」
神の名を用いる誓いがこの国にとってどれほどのものなのかまでは分からない。が、今、深く思考を巡らせるときではないだろう。
静は腕の中にいる子狼を見つめ、上を見上げ、一つ息をついてアルベルトを見やった。
「一つ、質問があるのですが。あ、その、その立っていただいて」
「それでは顔だけあげさせていただきます」
話にくいが、見上げるよりは楽だと思い、静はそのまま質問を続けた。
「三名の女性、少女? を探しているんですけど。知ってたりしません?」
さすがに聖女、とは少し気恥ずかしくて言えなかった。顔を上げたアルベルトは少しだけ目を瞠っているような気がした。
「ええ、はい。すでに、聖女様方は我らが大神殿にて保護させていただいております」
「三人共?」
「はい」
すでに三人がそろってる。
それぞれ違う場所にいるのかもしれないということも考えたが、今の問いでそろっているという答えを静は確かに、間違いなく聞いた。
今の答えに虚偽だと、静は欠片も思わなかった。ただ今のやり取りにどこに驚く要素があるのか不思議で仕方がないが、それよりも現金なことにこれ以上になり安堵感が静の胸の内に広まり、深く息を吐き出した。
「分かりました。連れていってください」
「……よろしいのですか?」
「え、はい」
再度確認されるように問われ、小さく首を傾げつつ静は頷いた。
「隊長。このお方はこういう方です。諦めて下さい」
「もうちょっとだけ疑ってくれた方が良いと思いますよ、静様」
「え? 一応疑っているよ? たぶん? だからほら、三人いるかなって聞いたし」
ルイス、オリヴィアがそろって大きく息を吐し、ルイスの瞳がすっと細くなった。
「別の聞き方があるかと。というより、この状況でご自身のことよりも他の方を気になさるのも考え物ですが?」
「そうかなぁ? そうかぁ。難しいなぁ」
「加えて虚偽を言われた場合どうするつもりですか」
「おい、俺を嘘つき呼ばわりするんじゃねぇぞ」
「例えの話です」
ルイスの切れ味の良い言葉が容赦なくアルベルトに向けられた。オリヴィアは止めるどころか呆れている所を見るに、これもいつもの事何かもしれない。
「いや、それも一瞬……あ、ごめん。全く考えてなかった。いやだってさ、二人の隊長さんでしょ? ならまぁ、いいかなって。わたしの見る目がなかっただけの話だし。それにほら」
少し前のやりとり、そしてアルベルトが発した言葉を思い出す。
「神に誓っている手前、そんなくだらん嘘なんて言わないでしょう?」
揚げ足取りと、質の悪いやり方である自覚はある。だが静自身、真実本当にそう思っているのだ。
なんだかんだ守ってくれていた事実があり、そしてこうして救出をしてくれた。例え、この先に三人がいなかった場合があったとしても、それはそれだ。
無言だったルイスは何故だろう、深く息を吐いて目元を抑えた。
「……隊長。この方を馬車にご案内してもよろしいですか」
「あ、ああ。頼む」
「隊長、いつまでそうしているんですか。ほら、早く立って立って! ルイス、後はよろしくね!」
「は? おい、オリヴィア」
「それでは静様、後はルイスが案内しますので!」
呆れたような声色にさえ聞こえるルイスの言葉を皮切りに、あっと言う間に片膝をついていたアルベルトはオリヴィアに促されて立ち上がらせられ、人がひしめく集団へと連れていかれていった。
残された静は茫然と見えなくなった二人の影から次にルイスを見上げた。
「えっと、馬車って?」
「神殿側が静様の為にと用立てた馬車です」
ぐっと眉間に深いしわを寄せているのが見え、馬車に一体何がと少し静は気になった。それよりも馬車だ。ちょっとばかし乗ってみたい憧れがあった乗り物だ。一体どんなものなのか気になるところではあった。
「静様、こちらです。お手を」
「いや、転ばないです、よ?」
「つまずかれていましたよね、先ほど」
後ろに目がついていたのだろうか。確かに一回、オリヴィアと手を結んでいた時に一回だけつまずきかけていたがそれだけだ。
それでも目の前に差し出された手を取らない限り動かないと言わんばかりの威圧感に根負けし、静はおずおずと手を重ねた。
「こちらです」
重ねた手は、オリヴィアよりもずいぶんと大きな手をしていた。けれども対して添えるという表現近いほどに優しく包み、手を引いてくれた。
静は、今まで感じた事の無いくすぐったさを感じつつ、腕の中で利口に大人しくしてくれているネーヴェを抱え直した。
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