04

 ぼんやりと出窓から外をのぞき、どうするべきかと考える。変わらない景色、変わらない顔ぶれ。厳重な見張りが扉の向こうに待ち構えている。純粋な力では何一つ叶わないし、だからといって狡猾に策を練れるかと言えば練れるほどの頭も知識もない。

 沈みそうな心を膝に乗せたネーヴェの柔らかい毛並みをなでて焦る気持ちをどうにか誤魔化す。

 早く、いち早くここからでなければ。焦りばかりが募っているのを静は自覚していた。

 考えても考えても何一つ思いつかない体たらく。何一つ思いつかないから、とりあえずこのまま一度仮眠を取ろう。それとあまりにも動かなすぎて腹部付近が若干気になってきたから、筋トレでもすれば何かしら思いつく、かもしれない。

 そうと決まれば静はそのまま瞼を閉じ、眠る体制に入った。ちょうど良い柔らかく温かな日差しがいい具合に眠気を誘ってくる。

 後一歩、というところで扉からノックの音が無慈悲にも部屋に響いた。すぐに目を開けさせられた静はぐっと眉間を寄せた。

 いつもと違い、ずいぶんと強い音だった。何かあったのかと考える暇なく、鍵が二か所開く音が続いて扉が開かれた。

 横目でそちらを見やれば侍従に侍女の姿はもちろん、随分久しぶりに見るあの男が入ってきた。今回は屈強そうな男達は連れていないようで静は安堵しかけたが、部屋の外に大きな影が見え、無意識に体を固くした。

「聖女様。ご機嫌はいかがでしょうか」

「……まぁまぁ、です」

 正直を言えば良いはずがない。それを素直に言ったところで何か変わるわけでもないから、適当に曖昧に答えるだけに留めた。

 静は薄く息を吐き出し、出窓から子狼を抱えながら降りる。そして一定の距離を保って近くまで歩みよれば、すかさず侍従が椅子を用意してくれた為、そこにありがたく座った。遠くのままでは話しにくいし、声を張りたくないのもある。かといって腕を伸ばせば届くような距離だ。

 それにしても少し不思議に思ったのは、椅子を持ってきてくれた侍従がすぐに男の傍らに戻らずに静の近くにいることだ。別に嫌な気分にならないどころか安心感さえ覚えてしまうのは、きっと命令とは言え、身の回りのあれこれを世話してくれていたからだろう。おそらく。

 椅子に座った静はにこりともせず男を見上げる。男はそれについて何も言わず、やはり人の良さそうな笑顔を浮かべたままだった。

「そうですか。何か不足分があるようなら遠慮なく申してください」

「ならば、外に出たいのですが」

「それはなりません。外は貴方にとって危険ですので」

 即座に却下されたが予想通りのものだったので、何も驚くことはなかった。

「貴方様は聖女であらせられる。その為に、皆、貴方を我がものにしようとしているのです。ですから、今はこのまま」

「……そうですか」

 男は繰り返し、静を聖女と呼ぶ。物語のような出来事に巻き込まれたと思えば異世界に落ちて、そして聖女と呼ばれるとは思わなかった。

 なんだか背筋が痒くなってきそうで、少し眉間に皺を寄せる。そういえば何故聖女なのか、ネーヴェに聞くのをうっかり忘れていたのに今更ながら気づいた。

 忘れないようこの話が終わったらすくにでも聞こうと静は心の隅に留めた。

「……それで、何か?」

 様子見で来たというだけならばそれだけで良い。とにかくこの茶番のような会話を今すぐにでも終わらせたかった。

 男はそんな静の思いを知ってか知らずか、恭しく静に一歩近づき、片膝をついた。

「聖女様、あなたはユフィアータの聖女様であらせられると拝見いたします」

「そうですね」

 間違ってはいない。そういえば、あの時後で聖女云々について聞こうとしていたのをすっかり忘れていたことを静は思い出した。

 膝の上にい子狼を見下ろせば、そこそこ機嫌が良くないのか、尾をパシリと一度大きく揺らした。

 それはそうなるだろう、と静は内心頷きながら男を再度見上げれば、静が肯定をしたからだろう、男はなんとも嬉しそうに笑みを深めた。

「ああ、聖女様。どうか、神の愛娘ユフィアータに私の願いをお伝えください」

「はぁ、何でしょうか」

 こんな茶番、相手にしていられない。静は視線を男から窓の外へと向けながら答えた。

 だから、いきなり手を取られたことに静は気づくのが遅れた。

 男は静の手の甲を懇願するかのよう自身の額をあてがった。いきなりの事で驚き、振り払う前に手はきつく握られ逃れることが出来ない。

 触れられている部分から妙に血の気がなくなるような感覚がし、背筋がゾクリと冷たくなった。

「お願いいたします。私の、愛おしい私の娘をお返しください」

 男はそんな静の様子を一切気づかず、そのままの態勢で静に強く懇願をした。

 どこから、誰から。なんて言葉がなくても、その意味はすぐに理解した。理解してしまった。

 ユフィアータが守る、魂の揺り籠たる凍土から、すでに返った魂を返せと言ったのだ、この男は。

 静は最大限の力を籠め、男の手をようやく払いのけた。

 まさかというような顔をして丸くした目を向けている男の様子を銀の瞳に映すが、静自身が一番驚いていた。

 まさか。その願いに対し、こんなにも薄気味悪く、そしてふつふつと腹の底からなんとも言えぬ何かが湧き上がってくるとは思わなかったのだ。

「……何故です、聖女様。何故、拒まわれるのですか。私は献身な貴方の信徒でございます。それだというのに、何故」

 男は何故、何故、とうわ言のように繰り返す。その目は静を映していた。しかし静を見てはいなかった。

 静を掴もうと伸びた手に恐怖を感じ、今度こそ捕まる前に払いのけようと手をあげる。

 と、その手を横から細い手が包みこみ、また全身に柔らかいものが包みこんだ。そして、目の前には見慣れた侍従の大きな背中が視界を覆い隠した。

「主様、聖女様が怯えております」

 はっきりと言い放った侍従は、一体どんな顔をしているのか。そして今、男がどんな顔をしているのか分からず覗き込もうとしたが、この柔らかいものの正体である侍女にきつく抱きしめられていて身動きが出来なかった。

 とくに頭の横あたりがとっても柔らかかった、悲しいほどに。

「そこを除け」

「なりません」

「除けと言っている! 魔術すら使えないお前を拾ってやったのは誰だ!」

 男は怒声をまき散らし、苛立ちを隠さず手に持っていた杖を侍従にふるったのが見えた。にぶい嫌な音がしたかと思えば、侍従の身体が僅かにふらついた。だが倒れることなく、しっかりと静を守る様に自身の主たる男の目の前で立ちふさがったまま、その場からは一歩も動かなかった。

「……チッ」

 しばらくの沈黙の後、男は苛立ちを隠さずに舌打ちを溢した。大きな足音と杖をつく音、そして扉が強く閉じられた音が立て続けて部屋に鳴り響いた。

 あからさまに八つ当たりと分かるほどで、相当頭にきていることがうかがえた。

 完全に扉の向こうからの音が聞こえなったところで侍従がようやく静に振り返る。

 いつもながら綺麗な顔だ。だからこそ杖で殴られた彼の顔が痛々しく目立ち、静はきゅっと口を結び眉間に皺を寄せた。

「お見苦しいものをお見せし、申し訳ございません。静様」

「……その、謝らないでください。むしろ、謝るのはわたしの方ですし……。ありがとうございます、守っていただいて」

「当然のことです」

 表情が変わらない侍従に静はこれ以上何と言えばいいのか分からなかった。

「あの、ごめんなさい」

「何故貴方が謝るのですか。私が勝手に行った事です。一切、貴方のせいではありません」

 きっぱりと、すっぱりと言い切った侍従の言葉に、ようやく静を解放した侍女はその通りと言わんばかりに大きく頷いていた。

「そうです、悪いのはあの男です」

「……聞かれてはいないだろうが、一応は主だぞ」

「今は、よ」

 何かを含んだ侍女の言い方に、静は小さく首を傾げた。

 聞いてもいいのだろうか。ああ、そう言えば聞く前に大事なことを聞くのを忘れてしまいそうになっていたことに気付き、静は二人に向けて口を開いた。

「あの、今更なんですけど。お名前、窺っても……?」

 とにかく、名前を聞こうと思ったのだ。

 興味がなく、信用していなかったが為に聞いてはいなかったが、この二人は身を挺して静を守ってくれたのだ。ならば名前を聞かなければ。聞いて、それから話をしたかった。

 二人は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに侍従は胸元に手を置き、僅かに頭を下げる。

「失礼いたしました。ルイス、と申します」

 そして侍女も同じように胸元に手を置き、笑顔を向けた。

「オリヴィアと申します」

「ルイスさんに、オリヴィアさんですね」

「どうぞ、ルイス、と。敬称も敬語もいりません」

「静様、私もオリヴィアとお呼びください」

 相変わらず笑顔のないルイスと、満面の笑みを浮かべているオリヴィア。なんとも対照的でありながら美形という共通点を持つ二人の圧はそれなりのもので、つい、抱きかかえている子狼をきゅっと抱きしめてしまった。

「あ、はい」

 つい、敬語で返事を返せば、二人からの視線が少しばかり鋭くなった。怖かった。

「静様がこうして監禁されていることについてですが」

「はい、あ、うん」

 どうも敬語は使わない方が良いらしい。敬語は無い方が楽なので良いが、いきなり敬語なしというのも少々難しいなと静は少しだけ思考を他所に向けた。

「……少し、危機感を持っていただけると。後、我々に警戒心が全くないというのも」

 敵ではない、と分かった以上警戒心を向けることは少し難しい。かといって味方でもないのは分かるが、害さない存在であると分かった時点で静は、この二人に対して完全に無警戒状態になってしまっていた。

 ため息交じりに言われた言葉に、静は誤魔化すように笑みを向けるだけだったが、さらに何故かため息をつかれた。

「静様が愛娘の聖女であられるからです」

「はぁ……まぁ、それ、どうやって分かったんですか?」

「我らが神、アルカポルスよりお言葉があったとのことです。聖女達が降りてくる、と」

 どうやらちゃんとお膳立てされていたようである。ちらりと膝の上のいる子狼を見れば、目線は窓の外に向けていて尾はくるりと股の間に入っている。

 聞く手間が省けたが、それはそれとして詳細に聞く必要があるようだ。

「それが各地の神殿に伝わり捜索隊が結成された翌日、聖女である静様を見つけたあの者は、静様を愚かにも監禁を致しました」

「……や、でも、聖女ってなんですぐに?」

「静様の瞳の色がユフィアータと同じ、銀の瞳であるからです。また、お召しになられていた衣装も、この国では見かけないものでしたのですぐに分かりました」

 ネーヴェをもふもふの刑に処しながらルイスの話にしっかりと耳を傾けていた静は一つ頷いた。

 出会いこそ偶然だっただろうが、なるほど折角見つけた聖女だ。どうにかして我がものにしたいのだろう。しかも願いがあの願いだ。お目当ての聖女がいたのだ、歓喜していたに違いない。

「それで、あなた方は?」

 当然の様に静は二人に問いかけた。

「ただの侍従と侍女です、静様」

 表情を変えず、淀みなくルイスが答えた。

「そう」

 だから静は言葉の通りに受け取った。


「ユフィアータ?」

『うぅぬ、すまんかった』

「すごく、いろいろと聞きたいんだけど」

『分かった。分かったから、手を止めてくれ』

「うん、もうちょっとね」

 夜、もう数日経てば満月になるであろう月がずいぶんと高く上る頃。

 静はなんだかんだ気に入っている出窓に座りながら、ネーヴェの身体をもみくちゃにもふっていた。ネーヴェがもう勘弁してくれとか細い声が小さく漏れ始め、静はようやく手を止めた。

「それで? 確かに聞かなかったのはわたしなのだけども。それにしたってさぁ」

『すまない。いつ言おうか分からず』

 きゅんきゅん、と鼻を鳴らしてぴんとたっていた耳がいまやずいぶんと垂れ下がっている。少しばかりまた柔らかな毛並みに触れたい衝動に駆られつつも、指先で小さな額をなでるだけに抑えた。

「聖女っていうのは?」

『ああ、お前達を守る為だ。ある意味では相違ないだろう?』

「それは……そうかも、しれないけれども。けど、守る為だなんて」

『もし、聖女でなければ』

 ネーヴェの言葉が静の言葉を遮った。

 銀の美しい瞳が月明りによってか、冷たい光を放っていた。

『きっと、お前はこうして助からなかった』

「……それって」

『この国はそういう国だ。とくに余所者には厳しい』

 結果的には監禁されているに至っている。しかし、聖女でなければと静は考える。

 もし、あの時、誰も助けてくれなかったら。きっと、あの場で暴力により蹂躙され、そして売り飛ばされる。

 珍しいと言っていた。そして侍従、侍女、そしてあの男達の見目から察するに地球で言う所の西洋側の人種に近いように思えた。だからこそ、静のようなアジア。とくに日本人特有の平面かつ黄色い肌と言われる見目は珍しいということになる。

『静』

「何?」

『寒いな』

「……そうだねぇ」

 ネーヴェが前足を上げて、静の胸元に飛び込んできた。静はそれを受け止め、抱きしめる。

 たかが一瞬、あの時の事を思い出しただけ。それだけで指先の震えがどうしても止まらない。ネーヴェはだからそのたびに寒い寒いと立派な毛皮があるというのに言っては、静の胸元へと飛び込もうとする。ここにいると、安心してほしいと言うように。

「夜は冷えるねぇ」

『そうだな』

 月の青白い光が降り続く。窓硝子に頬をあてれば、あまりの冷たさに目が冷めそうになる。けれども心を落ち着かせるには必要な冷たさだった。

『なぁ静』

「ん?」

『あの二人に、協力を頼もう』

 協力。ここから脱出するための協力。

 昼間のあの一件から、どうやらあの侍従と侍女はどうやら秘密があるようだった。しかもだ、あの男に心から仕えているわけではないと見える。そして己を身を挺して静を守ったのだ。味方かどうかは不明ではあったが、敵ではないというのは明白だった。

「そうだね。けど、どうやって?」

『どうやるかは私もさっぱり思いつかん。だが、あの二人……とくに男の方の力は借りたい』

「えーっと……確か、ルイス、だっけ。何か分かったり?」

『ああ、面白いものが分かった』

 そしてネーヴェは続ける。静はそれに耳を傾けながら、さてどう動くかと思考を巡らせようとする。も、正直まどろっこしいことをしている場合ではないという結論にすぐに至った。

 なるようにしかならない。

 ならば、やることは一つしかない。

『……僅かな時間しか経っていないが、考えていることが分かるぞ』

「そう?」

『正々堂々、真正面から行くのは私も好ましく思う』

「だよね」

 さて、やることは決まった。

 静は月を見上げた。

「ネーヴェって遠吠えするの?」

『たぶんできるが?』

「今は良いけど、後で聞きたい」

『むぅ。静よ、私は確かに狼の姿をしているが、狼ではないぞ?』

「うん。けどきっとかっこいいよ」

『そうか』

 ネーヴェが機嫌よさげに尾を大きく左右に振り回した。ここから出たら一先ずネーヴェの遠吠えの姿を堪能しよう。

 よし、と静は小さく意気込んだ。


 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-


 監禁されてからもう五日が過ぎようとしていた。

 もはや定位置になっている出窓に座り、庭を眺める。大変暇で、置物のようになりそうだと静は何度目かの欠伸を溢した。

 窓の外の光景は変わらない。だがしかし、変わったことがあると言えば、二人があまり遠慮をしなくなったということだろうか。

「静様」

「着ません」

「可愛いのに……」

「着ません」

 このやり取りは何度目か、数えたくもない。

 その理由はオリヴィアの手にあるもののせいだった。今、オリヴィアの腕には大変可愛らしいドレスの数々を抱えるように持っていた。その中にはまさしくこれぞ聖女、というような真っ白い衣服も見えている。

 曰く、そんな男装しないで可愛い恰好しましょうよ! と、本人は至極真面目に言い切った。

 その時はルイスも共にいたが、その視線は諦めて下さいと語っており、助けてはくれないのだと悟った瞬間だった。

「着ません」

 静がもう一度言うと、とてもがっかりした様子でオリヴィアは肩を落とした。

「何故ですかぁ」

「まず、わたしの歳。もう二十一歳です」

「存じています」

 初めてこれらのドレスを持ってこられた時、静が実年齢を言ったのだ。すると二人は大変驚いた様子を見せたが、オリヴィアはすぐに元に戻り、しかし似合うからと押し付けようとしてきたのだ、今のように。

「動きにくい恰好は苦手です」

「けど、憧れはありますよね」

 仕方がないだろう、それは。

 静とて幼い頃、絵本を読んでお姫様にも憧れた時もあったうえに、その恰好だって多少なりともしてみたいという欲は確かにあった。

 だが年齢が上がるにつれて好みは可愛いものより、恰好良いものを好むようになってきた。おかげでそういったものは見るにとどめているが、幼い頃のそう言った気持ちは確かに薄れてしまっていたが完全には消えさってはいないのも事実だった。

 ぐっと静が言葉を詰まらせるのを見逃さなかったオリヴィアはうふふと楽しそうに笑っていた。

「さ、お着替えをしましょう? あの主様ったら、案外良い趣味をもっていたようで良かったですね」

 オリヴィアは大変生き生きとした笑顔で静に迫ってきた。

 大変恐ろしかった。


 少々はしたないかもしれないが、静はぐったりとソファーのひじ掛けによりかかりきつい腹回りにとにかく泣きたくなった。

 初めて絞められたコルセットという拷問器具を付けながら笑顔でうふふおほほとしているであろう世の中の女性にとにかく敬意を表したかった。

「ああ、可愛らしいです、静様」

「ひぇっ」

 満足げに頬を薄桃に染めてうっとりと呟いたオリヴィアの声に、情けない声が漏れてしまった。

 誰が見てもオリヴィアの浮かべる笑みは美しくて見惚れてしまうだろうが、今の静からすれば恐ろしい以外の言葉が浮かばなかった。

「オリヴィア、そこまでにしておけ。時間だ」

「あら、もう?」

 救いのように聞こえたルイスの声が聞こえ顔を上げれば、どうやらもう昼食の時間だったようでいつものように食事をワゴンで運んできていた。

 それらを手際よく食事をいつもとっているテーブルに並べ始め、オリヴィアはひどく残念そうに周囲に散らかしたドレスを片付け始める。

「では、続きは午後で」

「止めて下さい」

 即お断りをした。

 オリヴィアが酷く残念そうな顔をしたがそれを見なかったことにして、きつく締めつけられている感覚に顔を盛大に歪ませながら静はいつもの席につく。

 目の前に並べられる美味しい食事に、今日は全て食べられそうになかった。

 どうにかして気を紛らわせたくて、背もたれに深くよりかかったりするがやはりきつい。他にどうやって気を紛らわせようかと思った時、静はふと、それを聞こうと思い立ち、ルイスを見上げた。

「ルイス、ちょっと聞いても良い?」

「限りはありますが」

 一応は答えられる、と同義であるようなので静は遠慮なく問う事にした。

「いつまでこう大人しくしてればいいの」

 ルイスの手が一度止まったがすぐに昼食の準備を再開した。

「……少々、お待ちください」

「昼食の方? それとも、私の聞いたことに対して?」

 空気が張り詰める、そんな感覚を感じたが静はゆるりと銀の瞳を細めてゆったりとした笑みを浮かべた。

「あなた方が、あの男に本当に仕えているというわけではないのは、あの一件で分かったよ」

「どうしようもない糞ですからね」

「けどお金はたくさんもってそうだし、それで仕えている人も多そうだしね。えぇっと、そうじゃなくて、それ」

 静はルイスの腕に人差し指を向けた。

「服で隠しているけど腕につけているそれ、魔力を封じるものなんでしょう? 魔力封じをわざわざつけているっていうこと。あれは魔力を使えないと言っていたから、二人のそれについては知らない。つまりは、二人はあれに仕えているように見せかけて、何かしらの目的があって近づき、今に至っている」

 感情が読めない深緑が向けられた。静の出方をうかがうような、鋭い視線から静はまっすぐに受け止める。

 あの夜、ネーヴェから二人が魔力封じを身に着けていると教えてくれた。ネーヴェは人が作ったそういった道具、こちらでは魔具と呼ぶらしいそれらを鋭敏に察知することが出来るようだった。さらに近くにいると封じられている魔力さえもどの程度まで強いのかというのを感じ取れるらしく、比べてルイスの魔力はなかなかに強いものなのだと言う。だからこそ、ネーヴェはとくにルイスを味方につけたがっていたのだ。

 もちろん分かった理由を素直に話すつもりはない。ただ現状の分かっている事実だけをルイスと、そしてオリヴィアに真正面から話をしたのだ。

 隠しても無駄だから、というように。

 何かしらの反応がないか、黙って様子を見ていると、ルイスがこれでもかと大きく息を吐き出した。とても呆れられている様子を見せられる横で、オリヴィアが仕方ないと言わんばかりに肩を竦めていたのが見えた。

 何か申し訳ない気持ちが膨らみかけたところで、ルイスは改めて静に視線を向けた。

「……今、それについてお話出来ることはありません。が、我々は貴方に害を与えるつもりは欠片もございません」

「うん、分かった」

「だから簡単に信用しすぎてはないですか?」

 呆れられていることがすぐに分かった。静は困ったように笑い、小さく呻った。

「うぅん。害がなければいいかなぁと思っているだけなのだけど。実際、助けてくれたし。それで、いつまでこうしていれば良い?」

「ですから、少しお待ちください。想定以上に時間がかかってしまいましたが、今日……いえ、明日の夜更け頃には整いますので。その際、お迎えに上がります」

「あ、そうなんだ。動きやすい恰好しといたほうが良かったりする?」

「折角だから、そのままにしましょうよぉ」

 勿体ない、と言わんばかりにいうオリヴィアに、ルイスは即座に首を横に振った。

「駄目だろ。万が一もある」

「……全く、ルイスは真面目ね。後で準備致しますね」

「お願いします」

 いそいそとオリヴィアはドレスを全てクローゼットにしまい込み、いつもの服を用意してくれた。その背中はどこか小さく、何とも悲しげに見えた気がした。

 何と声をかけていいのか分からず、結局静は黙ってその様子を見つめるだけしか出来なかったわけであるが。

「こんなに可愛いのにっ」

「それはドレスのことだろう」

「可愛いドレスを身にまとった静様はそれは可愛らしいでしょ!」

「静様、どうぞ無視してください」

「あ、はい」

 それでも最後まであきらめてはくれず、ちゃっかり普段着ていた服の隣に可愛らしいドレスが置かれたが、迷わず普段のなんちゃって男装を選んだのだった。

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