02
暗闇に飲まれ、気が付けばどこか分からない山の中で静は目覚めた。心地よい陽射しに、聞こえてくるのは風で木々のこすれる音、鳥達の声に虫の声。寝ていた場所は小さな花畑となっていて、視界には小さな花弁の青い花々が視界いっぱいにひろがって、もう一度寝ようとしたが上に何かが乗っていることに気付いた。あまりにも軽いそれは、少しでも意識を逸らせばそこにないのと等しいほどだった。
一体何が乗っているのかと思い、手を伸ばしかけてふと静は気づいた。他の三人はどこだ、と。
胃がきゅっとなるような感覚を覚えながら慌てて上半身を起こすと、それはころころと後ろ向きで転がってしまった。見ればそれは小さな犬、というよりも本当に生まれたばかりではないかというような可愛らしい銀色のおそらくは子狼が静を見上げていた。
「え、かわいい」
『驚いたぞ』
可愛いなぁと手を伸ばして触れようとした手を止めた。
今の声は一体どこから聞こえたのだろうか、と。しかも一度聞いたことがある声だった。さりげなく周囲を見渡してみれば、木、木、草、花。
あ、この花かわいい。
『私とお前だけだ。残念だが、皆とは別に落ちたようだ』
「え、その、まさか……ユフィアータ?」
『ああ、そうだ』
きゃん、と可愛らしい声で鳴くように言い切った子狼のまあるい瞳の銀が美しく瞬いてた。
「どうしてこうなった……っ」
まさか自分がこの言葉を使うとは思わなかった。
この状況にすでに許容量を超えた頭がパンクした静は、無意識にその場で頭を抱えた。
何故、ここに一人でいるのか。何故、森の中なのか。何故、とても美しく可愛らしかった少女が子狼の姿になっているのか。
「……説明を、説明をください」
『敬語はいらん、これから長くなるだろう仲だ』
「うん、説明をください」
それでもわずかに落ち着けているのは、あの空間で多少なりとも話す時間があったからだろう。そうでなければ今頃パニックになって、絶対に泣き出す自信があった。
静はなんとなく姿勢を正し、無くしてなかった自身のリュックを引き寄せて子狼をその上に乗せた。少しバランスが悪そうにしていたが、少しでも目線を合わせるように子狼も背筋を伸ばして静を見上げた。
何とか顔には出さなかったが、大変可愛らしかった。
『ここが我らが世界、国、ロトアロフだ。落ちる寸前、さらに歪みが大きくなり、皆別々に落ちてしまったようだ』
「ああ、それで一人……」
他の三人は無事だろうか。そればかりが気がかりになってくる。大きくなる鼓動に気付かないふりをして、黙って続きに耳を傾けた。
『それで何故、私がお前と共にいるかと言えば、チカラを貸す為でもある。所謂、加護というものだ。加えて……こればかりは我らの都合だが、我らという存在が後少しというところで消えてしまいかけているのだ。どうにか力を回復しなければいけないがお前達を見捨てるわけにもいかず、お前自身を依り代とし、共にいる事となった』
「……うん? それって……力貸す為に、一緒にいるよ。的な?」
『そういうことだな。偶然お前の……いや、静と言ったな。静の手をとり、落ちたらこの姿となっていたが、好きな動物か?』
犬でも猫でも、動物が好きな静だ。不思議そうに首を傾げる姿に愛らしさを噛み締めつつ、何故子狼の姿になってしまったのかと今朝までの行動を思い返し、すぐに思い当たった。
「たぶん最近、狼の動画見てたからかなぁ。かっこよかった……けど、こんなに小さいなんて」
『おそらく力が弱り切っているせいだろう。中でも私は四番目且つ、人間が嫌うものだ。一番早くに力が弱るのもまた道理』
「人間が嫌うって……?」
『そうだな、では移動しながら話をしよう。動けるか?』
「あ、うん」
ユフィアータに促され静は立ち上がり、子狼を胸に抱えてた。リュックサックを忘れず背負い、そのまま道なき森へと足を踏み入れた。
森の中は思ったよりも木々の葉の間からたくさんの光が降り注いでいるせいか、とても明るくみえた。だが、見上げれば空を覆うほどの葉が風揺れているのを視界にいれた静は、この時点で自分の知る世界ではないのだと知った。
よぉく目を凝らし見ると、木々の根元に薄らとわずかながらに発光をしている何かがいるのだ。それが揺れるたびに胞子のような、綿毛のような光をまとう何かが森の中に漂っている。一つ二つどころの話ではない、森全体を内側からうすらと照らすほどの量がここに満ちていた。
『気になるか』
「えっと……少し」
抱えられたままのユフィアータが足を止めかける静を腕の中から見上げた。
『あれはキノコの一種らしい。詳しいことまでは分からないが、澄んだ森にのみ群生をしている』
「へぇ」
『胞子自体は無害だが、胞子を出すキノコ本体は毒を有しているから食わないことを推奨する』
「似ても焼いても?」
『似ても焼いても』
「……そっかぁ」
毒なら食べることができない。もしおいしいものだったら最悪今日の食糧になっていたかもしれないというのにだ。
『いいか、話をして』
「あ、ごめん。お願いします」
光を放つキノコにばかり気を取られていた静は慌ててユフィアータの話に耳を傾けた。
『我ら愛娘は、それぞれ役割がある。一番目のリディアータは、生命の真実を解く天秤。二番目のメルヴェアータは生命を芽吹かせる慈雨。三番目のラウディアータは生命の導となる星々。そして私、四番目であるユフィアータは生命が眠る凍土。何ものでもない生命が自身の姿を知り、そしてこの世に産まれ、己が道に迷いながらも進み、そして永劫の眠りにつく。それを見守るのが我ら愛娘の役目だ』
「末っ子だったんだね」
『そうなるな。それでだ、人間は自ら願い、祈ったと言うのに、死というものが恐ろしいのか、私を恐れているらしい」
「人間だねぇ」
なんて酷い、なんてことは言えなかった。
静は神がいるとかいないとか、そういったものにほとんど頓着しなかった。神社や寺でお参りはするし、クリスマスでケーキを食べたりと宗教がごちゃごちゃと混ざった生活をしても、さして気にせず、そしてそこに神がいる、見ているとは欠片ほどに思いもせず、生きてきた。
神がいると言う人がいれば、いるのだろうと思った。同時に、いないと言えば、いないのだろうと思った
ただ死ぬことは怖いと思う。その象徴である代表的な存在といえば死神だろうか。神が生を狩り、死を与えるてくる。だから怖い。そう人間は思ったのかもしれない。
『人間は生きようとする、少しでも長く。それは良い。だが、しかし、返してほしいと泣く者が多く、つらい』
「ユフィアータのせいじゃないのにね」
『始まりがあれば、終わりがある。それが道理で、自然の摂理だ。しかし人間は認めない。おかげで私の力は随分と小さく、弱いものになってしまった。これでは何も守れないほどに』
「わたしは助かっているけど」
『……優しいな、静は』
「そう見えるだけだよ」
『いいや、静は優しい。私を受け入れてくれているだろう?』
依り代にしている、という事はきっと静の考えていることはある程度把握をしているのだろう。親愛のキスのように銀の子狼はペロリと静の口の横をなめた。
少しくすぐったくて、つい静は笑みをこぼした。
『だから精一杯、静の為に力を貸そう』
「それで消えてしまわないでね」
『静が私を見てくれている限り、それはないな』
それならば安心だ。
こんな、所謂いう所のファンタジーな世界に放り出されたのだ。こんな時に一人投げ出されるのはとにかく避けたいことだった。だって――こんな。と、思考を止める。
無意識に浮かんだ思考に、静は慌てて隅に追いやった。だと言うのに、次から次に考えることは自分のことばかりだった。
他人の事を考えている余裕は一欠片も無かった。むしろ今の状況は好都合でしかなかった。もし誰かと一緒であれば、気にかけて励ましながらどうするべきかと考える必要があるのだろう。けれども静はきっと励ましなんてしないだろう。無言か、こうしてユフィアータから必要な情報を聞いて、そして考えることにしか意識を向けることが出来ず、一緒にいる誰かに視線を向けはしなかった。
どこまでも自分本位でしかない。しかしそうやって生きてきた。だからこれを曲げるつもりは毛頭ない。
『待て、静』
突然ユフィアータが鼻先を高く上げ、周囲を窺うように瞳を忙しく動かし、耳を震わせる。
静は言われた通り、その場で立ち止まった。周囲を見渡せば視界いっぱいに広がる森の景色。とくにおかしなところはない、ように見えた。
『走れ! とにかく前に走れ!』
突如響くユフィアータの鋭い声に、静は一瞬戸惑ってしまったが前に走れと言われ、その通りに静は駆けだした。それと同時、背後から何やら金属のこすれる音と、よく聞き取れなかったが男達の声が聞こえた。
「ユフィ、アータっ!」
『賊だ! 走れ、走れ!』
足をもつれさせながら慣れない森の中を走る。けれども静の足は森の中という状況に慣れないが故に到底早いものではなかった。
背負っていたリュックを後ろから掴まれ、ぐいっと引っ張られる。そのまま静は後ろに引きずられるように地面に転がされた。すぐに起き上がろうとしたが上から大きな男の手が静の首を掴み抑えた。
「珍しい服だと思えば、まさか当たりだとはなぁ」
苦しさに僅かに喘ぎながら、睨むように見ればこれぞ賊、と言わんばかりに髭面の男が目の前で下種な笑みを浮かべ見下ろしていた。
ユフィアータはどこだ。
地面に転がった時に、離れてしまった銀の子狼を探そうとするが、さらに首に力が増え、苦しさに涙が溢れそうになった。
「おい、珍しいのがいたぜ」
「売れそうだな、それ」
「暴れんなって!」
数人の男の声が聞こえる。キャンキャンと、ユフィアータの鳴き声が耳に刺さった。
姿が見えないが、ユフィアータもまた捕らえられてしまったようだった。
「さぁ、嬢ちゃん。ちょいと大人しくしてくれればこれ以上酷い事はしねぇよ。ただ歯向かおうって言うんなら」
男が言い切る前に、静は男の顔を殴りつけようとしたが届かず、しかも苦しくて力が入りきらずに随分と軽い拳が宙をきった。
「ははっ、それで抵抗しているつもりかよ! ああ?」
男の声が静を威圧させようとする。
悔しい、悔しいと、静は何度も男を殴りかかろうとするも男は笑い、静の服に手をかけた。
「頭ぁ、ちょっと何しようとしてんすか」
「ああ? 味見だよ、味見。まぁ、価値が落ちるだろうが、こんな機会ねぇだろ?」
「後で俺らにもまわしてくださいよ!」
これから何をしようとしているのか、すぐに分かった。
男から離れようと抵抗をするが、男女の力の差か、全く男の腕は離れず、服の破れる音がした。
悔しい、悔しい。なんで自分がこんな目に合うのだと、静は目から涙が溢れだした。
身体は無理に押さえつけられ、他人の大きな手が肌を強くこする。知らないその感覚に、悔しいという感情が恐怖に一瞬にして塗り替わった。なんて恐ろしいのか。今まで、全く持ってそんなこと思わなかったのに、この手がそら末恐ろしいなんぞ思わなかった。
静はただ無我夢中で藻掻く。しかし逆効果だったのだろう、手がさらに増え押さえつける。嫌だ、嫌だと叫ぼうとしても口を押さえつけられて自由はない。
ああそうだ。こんな世の中、なるようにしかならないのだ。静はただ涙が流れるがまま、ふっと抵抗を緩めた。
「お? ようやく大人しくなったな」
黒い大きな影が、にんまりと笑った。
その時だった。
突如として急に、苦しさが無くなり、視界が一気に開けた。
苦しさから解放され、静は反射的に思いっきり息を吸うと大きく咳き込んだ。身体を丸くし、押さえられていた首を抑えながらゆるりと目を開け見れば、また新しい男達がいたのだった。
男達はそれぞれ長剣を持ち、そろいの服を身に着け賊を相手に剣を振るっていた。
震える手足をなんとか使い、地面から起き上がった静は逃げなければ、と思いながらも理由がわからずに呆然とする他なかった。
「こちらをお使いください。汚れていますが」
すぐ横から声がし、一瞬驚いて肩をびくりを振るさせながら静はそちらを見ると、褐色の肌が目立つ、少年のようにも見えなくもない青年がすぐ横にいた。
目線を合わせるように片膝をつき、マントかストールか。生成り色のそれを差し出された。
静はそれと、彼を交互に視線を向けた。
彼だけは動きやすいような黒を基調とした衣服をまとっていて、剣を持ってはいない。真っすぐにこの森のような深緑の色の瞳を向ける。何よりも、その黒髪であったことが静にとっても少しだけ安心感を覚えるのに十分だった。
差し出されたそれにようやく手を伸ばして受取ろうとするが、未だに手が震えうまくつかめない。
「失礼」
彼は見かねてか、マントを静の肩にふわりと包み込むようにかけた。次いで、中途半端に伸ばされた静の手に比べて大きな彼の手が触れた。
驚きでその手から逃れようとしたが、近くで大きく響いた金属のぶつかる音に静は反射的に彼の手を強く掴んだ。
わずかに、深緑の瞳が揺れたような気がした。
「……立てますか?」
「あ、はい……あ、待って、あの子が」
銀の子狼を探そうと見渡すと土まみれになりながらも必死に駆け寄ってきた姿を見てすぐさま抱きかかえた。
きゅーんきゅーんと、鼻を鳴らしている様は可愛らしく、静は深く安堵の息を吐いた。
「よか、った……」
疲労のせいだろうか、それとも助かったという安堵のせいだろうか、一気に身体から力が抜けすぅっと、意識が遠のいた。
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