一章 歪む国
01
「申し訳、ありません」
目の前にいる息を呑むほどに美しい四人の銀の髪をもつ白い衣を身にまとう少女達のうち、金の瞳を持つ一人の少女は言った。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
いつも通りの朝だった。
いつもの様に起きて、寝ぼけながら朝ごはんを用意して食べて、顔洗って歯磨きして着替えたりして。そして借りている小さいオンボロアパートの一室から出勤するのがいつも通りの
歳は二十一歳とまだまだこれからという歳であるが、静の今の恰好といえば、下から履きなれたスニーカー、色あせた紺色のジーンズ、襟口がちょっと伸びたTシャツ、適当にはおったパーカー、切りに行くタイミングを見失って肩よりも伸びてしまった黒髪を適当に一つに結っただけの髪型、極めつけに化粧は無し。何年も使っているリュックサックを担げば残念な女性の完成である。さらに静は他に比べてさらに童顔の部類にあるせいか、この恰好で夜を歩くと補導されること数度。
せめて大人のような、そう、例えばいつもバス停で一緒になる女性のような顔立ちであればまた違ったのかもしれない。
いつものバス停についた静はちらりとすでにいる一人の女性と、二人の女子高生を横目で見た。
きっちりと黒髪を頭の後ろで丸めて結い上げ、横顔を見てもしっかりと化粧をしている女性である。服装はスキニージーンズ、淡い青のブラウス、濃紺のカーディガン、足元はまだまだ新しいような白のスニーカー、黒いショルダーバック。清潔感のある女性の姿に、静は少しばかり近寄りがたく、しかしほんの少しばかり憧れた。
続いて見たのは二番目に並んでいる女子高生。眩しい夏服の制服は確か私立の高校の制服だったはずだ。ちゃっかりスカートを短くしていて、暑いのか黒髪を可愛らしいリボンがついた髪ゴムでポニーテールに結んでいる。少し重そうな可愛らしい色のリュックには、大小カラフルな缶バッチがついており、高校生だなぁだなんて見るたびに静は思ってしまう。
残り一人、一番先頭で並んでいるもう一人の女子高生は公立の高校の制服を着ていた。一目見て分かるのは、この付近の公立高校の制服はなんと言ってもセーラー服だからだ。一度は憧れるセーラー服。今年から見かけるようになったから高校一年生なのだろう。まだ新しいクリーム色のリュックサックが眩しい。ボブショートの黒髪だか少し伸びてきたようで、首の後ろが少々暑そうに見えた。
時々顔ぶれは増えたり、減ったりもするが、この顔ぶれは気が付けば覚えてしまっていたというほどに変わりはしない。並ぶ順番も時折前後してしまうが、基本的にこれもまた変わらないものだから、何となく静はちょっとした縁というものを感じてしまっていた。
だからと言って、誰一人として声をかけたりしようとはしていない。
ほぼ毎日、同じバス停でバスが来るのを待っているだけというそれだけの関係だったが、この待ち時間を静は少しばかり楽しみにしていた。
今日も揃うだろうか、明日はどうだろうか。ちょっとした変質者になっているような気がするも、何となく知っている顔ぶれが揃うというのは悪い気がしなかった。更に面白いと言えば、全員座るところが同じということだろうか。わざわざ変える必要もないが、それもなんだか面白かった。
そろそろ夏が近づく。直射日光が差し込む側にいつも座っているセーラー服の女子高生は、毎日暑そうにしていたから場所をそろそろ変えるだろう。
バスが来るまで後少し。
いつも通りの朝だった。
そのはず、だった。
――コンッ、コン、コロン。
突如、何かが上から落ちたような音がした。
静含め、全員が無意識に上を見上げ、そして落ちてきた何かを見ようとした一瞬、眩い光が四人を飲み込んだ。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
そして冒頭の通りである。
気が付けば、白いんだか灰色なんだか、光っているんだか暗いんだか、よく分からない空間の中にいた。空間の中は何かしらの音はなく、声は僅かに反響しているように聞こえた。
まだ目の前がチカチカとするのを感じながら、静は目の前にいる少女達を見据えた。
申し訳ありません、と言ったのは金の瞳を持つ少女だった。少女達は同じような顔をして、背丈をして、同じ銀の髪をしていた。さらにまとっている衣服も白を基調とした、まるで物語に出てくる聖女のような服だった。
その中で唯一違う箇所と言えば、瞳の色と、髪型ぐらいだろう。
「本当に、申し訳ありません」
もう一度、金の瞳の少女が言った。床についてしまいそうなほどに長い銀髪を揺らし、一歩、静達に歩み寄った。
「私の名は、リディアータ。貴方方をここへ呼んだ者です」
「呼んだってどういう事よ」
最初に声を上げたのはポニーテールの女子高生だった。少し強気な言葉にビクリと肩を震わせた金の瞳の少女、リディアータの横から、腰ほどまでの長さに空色の瞳を持つ少女が前に出てきた。
「ええ、呼んだわ。あのままだと、そのままあたし達の世界へと落ちてしまうから、その前に何とかここへ引っ張ったのよ」
「引っ張った……?」
「あたしはラウディアータ。後ろにいるのが、メルヴェアータ、こっちがユフィアータ。あたし達は母たる天の神、アルカポルスの愛娘と呼ばれる存在よ」
メルヴェアータと指された少女は肩ほどの長さの髪で、紫の瞳を持つ少女。ユフィアータは少年と一瞬間違うほどに短い髪に銀の瞳の少女だった。
状況がいまいち把握できないでいると、隣にいた女性が愕然としたように呟いた。
「え、なにこれ、夢? まさかのトリップしちゃう系のあれ?」
静だって貧乏ながら比較的本を読む方だ。しかし書籍は高いからと、ついつい無料のネット小説ばかり読んでしまうか、図書館へ行くのだが。それにしてもこの状況、まさしく女性が呟いた異世界トリップしちゃう系と同じような状況ではないだろうか。
「その、お話、しても……本当にすみません。私が防いでいれば……」
「リディ姉さん謝ってばっかりじゃ駄目よ。ほら、しゃきっとして」
「けれど、異世界の皆さんに被害が……。私達の世界のことなのに、巻き込んでしまうなんて」
「もう! ねぇ、黙ってないで二人も何か言って!」
泣き出してしまいそうなリディアータを何とか宥めようとするラウディアータが、後ろで未だ口を開いていない二人に向かって吠えた。
すると片方、メルヴェアータはふんにゃりという音が聞こえてしまいそうなほど柔らかく笑った。
「姉様、そんな風に悲しくなさらないで。姉様のせいではないもの」
続けてユフィアータが口を開いた。
「リディ姉上だけの責任ではない。私の力が至らなかったのも含め、私達の責任であり、我々の世界の責任だ」
「ああ、貴方達……!」
おいおいとついに泣き出した少女を目の前に、静達は何とも気まずくなった。少女達の見た目は十二歳とかそのあたりで、とても美しく、そして可愛らしい。そんな子達が集まって、泣き出した子をなだめようとしているのだ。
巻き込まれた云々を聞き出したいが、とにもかくにも、そんなことを出来ような状況では一切なかった。
「あの」
女性が四人に向けて言った。
「飴、いりませんか……! 後、一緒に座ってお話、しませんか……!」
女性は鞄の中に手をつっこみんだかと思うと、大量の飴を出してきた。
勢いが良すぎて、女性の手からこぼれ落ちた飴の一つが軽い音を立てて転がっていった。
未だくすんくすんと鼻を鳴らす、リディアータは小さな笑みを浮かべてイチゴ味の飴玉を堪能していた。
「ああ、大変美味しいです」
「とろけてしまいそう」
「ちょっとすっぱいわね」
「美味だな」
メルヴェアータはメロン味、ラウディアータはレモン味、ユフィアータはオレンジ味とそれぞれ頬を薔薇色に染めながら堪能していた。
少女達四人と、静達四人は円になるように座り直し、さて、というように口火を切ったのは飴玉を配った女性である。
「あ、好きな味があれば、どうぞ。私、
女性、奈緒は飴玉を配りながらようやく自己紹介をし、順番に飴玉を取りながら静達も自己紹介をした。
「
セーラー服の女子高生、伊織は小さくぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。
ポニーテールの女子高生、真咲は少し迷いながら飴を取る。
「遠野静です。ありがとうございます」
静は少し迷いながらオレンジ味を選び、ぴりっと袋を破って飴玉を口に放り込んだ。
ころりころりと静は甘くてさわやかなオレンジ味を堪能していると、奈緒は小さく意気込むように両手をぎゅっと握り、四人に目を向けた。
「えっと……、それで、巻き込んだとか、そういうの聞いても良かったりします?」
恐る恐ると言ったように奈緒が声をかければリディアータは慌てて姿勢を正し、急いで飴玉をなめようと必死に頬を膨らませた。
「あ、落ち着いて! そ、そうね、先に私達で少し話すから、その後でお願いしても良い?」
「もちろんです!」
リディアータ達はとにかく口の中にある飴玉を無くすこと専念させ、先に巻き込まれた静達四人で話すことになった。
さて、一体何を話そうかと思っていると先に口を開いたのはやはり奈緒だった。
「えぇっと、いつも同じバスに乗っていたのに、こうして話すことってなかったですよね」
「あー、確かに。いっつも同じ時間で同じバスなのに。けどまさか、話すきっかけがこれってもう、ありえなさ過ぎですよ」
「そうですよね。事実は小説よりも奇なり、とも言いますけど……。あ、楠本さんと藤村さんは高校生、ですよね? それで遠野さん、は……?」
「フリーターです。伊藤さんは」
「書店の店員です。その、勝手ながら学生と思ってました」
「歳は二十一歳なんで、大学行ってれば学生ですね」
「え、嘘。もっと下かと思った……、思ってました」
飴玉を口の中でころころと転がしながら言うと、三人から少し驚きの表情が窺えた。実年齢よりも若く思われていたらしいが、残念ながら静にとってみれば予想通りの反応で、分かっていたことだがちょっぴり悲しくなった。
一応年上という事で真咲が慌てて敬語に直したが、静はとくにその辺りは気にはしなかった。しかし、だからといって、敬語がなくても良いとは初めて話す相手に言うつもりは毛頭なかった。
「あっ、高三なんで、今年大学受験です。藤村さんの制服可愛いですよね! あたし頭が良くなかったから受験諦めたんですよ。たぶん、一年生、ですよね?」
「はい、一年です。その諦めたんですか……」
「そう! だから私立に入ったんですよ」
笑いながら話す真咲に、伊織は少しだけ引きつりながらも釣られるようにようやく笑みを見せた。それを見て奈緒は少し安心したように一息ついたようで、女子高生二人が互いの学校について話を始める横で、奈緒の視線が静に向けられた。
「遠野さんがとても落ち着ているので、少し助かりました」
「内心焦っていますよ。飴で気を紛らわしているだけです」
「そんなことないです。もし私一人とか、遠野さんがいなかったら、もっと焦っていたと思うんで」
お世辞ではないのは見て取れたが、全くもって大人の女性という印象が強い奈緒がまさか焦るのか、と静はつい、意外そうに見てしまった。
「にしても、遠野さんとはもっと歳が離れているとずっと思っていたんで。だから何というか私が頑張らないと、って感じでつい、飴を渡しちゃって……」
「大阪のおばちゃんみたいでしたよ、見た事ありませんけど。失礼ですけど、おいくつですか?」
「二十四です。大学院に行ってればまだ学生ですね」
三歳違っただけで、この差とは。静は内心愕然とした。もしかしたら女の部分を一部捨ててしまったせいで、この差が出来てしまったのだろうか。そうかもしれない。
静に似たように返した奈緒は少し照れた様子ではにかむ姿は、ちょっとかわいかった。
と、少女達の方から飴玉をかみ砕いた音がし、見ればラウディアータが口を開こうとしている所だった。
「待たせたわ。話しても良いかしら」
ラウディアータ曰く、本当に静達は巻き込まれただけであった。
まず、前提となるところで、彼女達は愛娘と呼ばれる存在であるということ。そして母である天の神の名は、アルカポルス。彼女達は、人々の願いと祈りによって産み出された存在であり、産み出した人々というのは世界、ではなく国であるという事。
さて、それで何が起きたのか。
彼女達を産み出したロトアロフという国は、彼女達を産み出すほど信心深い国なのだと言う。それをもって人々はある程度の平穏と時折の喧騒の中を暮らしていた。だが、そんなあくる日、人々の願いや祈りが少しずつ歪んでいることに気付いた。
天の神として存在しているアルカポルスはすぐにそれに気づき、しかし直接人と話せない存在であるが為、愛娘達を通じて国を見ているしか出来なかった。愛娘達は、どうにか持てる力で歪みを直そうとした。だが、それ以上にいつの間にか人々の願いや祈りが大きな力となって、直せないほどにまで膨らんでしまったのだった。
それは時空さえも歪める、巨大すぎる力だった。人々はそれを用いて、神を召喚しようとしていたのだ。烏滸がましくも。
そもそも彼女達は人々の願いや祈りそのもの。もしも会いたいと望むのであれば願えば良いのだ。そうすれば彼女達はいつだって側に寄り添うことは出来たのに、人々はいつの間にかそれすら忘れてしまっていた。
大きすぎる歪みは多くの時空をゆがませ、異物をいくつもすでに取り込んでしまっていた。アルカポルスは必死にそれを抑えていたが、ついぞ眠りについてしまった。
そして残された愛娘達が残された力で必死に止めようとしたが、一つ歪みを取りこぼし、静達を巻き込んでしまった、と言う。
「本当に悪いと思っているのよ。もっと力があれば貴方達をすぐに元の世界に戻せるのに、もう、そんな力がないの。かき集めた力で、何とかこの空間に引っ張ってこれたけれど、いつまでも保てないし……」
「けれども何も知らない貴方達が、私達の世界に落とされるなんて理不尽なこと、あって良いわけないでしょう? だから、こうしてお話をするためにここへ引っ張ったのよぉ」
ラウディアータの肩を抱き寄せるように引き寄せたメルヴェアータがゆったりとした口調で続ける。
「実は私達、天罰を落としてしまおうかと話をしていたのよぉ。けれどもねぇ、人間が私達や母様を産み出してくれたから同時に私達も消えるかもだけど。ただその前に、ちょうど貴方達を巻き込んでしまって……」
聞いている限り、壮絶な世界、国だった。
人の願い、祈りが創り上げた神。それらの信仰心が何かのきっかけで歪み、自ら創り上げた神によって天罰を食らわせられようしていたとは。
何とも人は身勝手か。しかも他所の、現に静達がそれによって被害を受けているのだから余計に質が悪い上、戻れないなんて。
「たった一つ、貴方方が戻れる方法がある。だが危険も伴い、絶対ではないが」
「けど、あるのよね!」
前のめりになる真咲にユフィアータは落ち着いた様子で頷いた。
「我らの世界に訪れ、そして我らが世界、国を導いてやって欲しい」
「みちびく……?」
「ああ、そうだ。時空を歪ませるほどの歪。これがなくなり、願い、祈りがまた母たるアルカポルスに向けられれば、母上が目覚められる。そうすれば母上と我らの力で戻れる可能性がある」
ユフィアータは絶対とは言い切らなかった。
戻れる可能性があるが、戻れない可能性だってある。しかし今の状態のままでは二度と戻れない。
だとすれば残されている選択肢なんて一つしかなかった。
「やる、しかないですよね」
困惑し、けれども頑張って笑顔を作ろうとしている奈緒に、静は一つ頷いた。
「ですね。一先ず、行ってどうするか、ですけど」
「遠野さんめっちゃ落ち着いてません? え、あたしだけですか、こんなに焦ってんの!」
「え、私も! 私もだから!」
真咲と伊織の焦っている様子を見て、逆に静は落ち着いていられた。何とも現金なことであるが、誰かが焦っている様子を見ていると落ち着けるとは本当のことだと実感した。加えて二人よりも年上である事実には変わりなく、だからこそしっかりとしようと静は自身を奮い立たせた。
「なるようにしかなりませんから」
「それ、諦めじゃ……」
「そうとも言います」
なるようにしかならない。本当に良い言葉だ。
茫然とする真咲に静はようやく口元を緩め、笑みを見せた。
「死ななきゃ、なんとでも出来ますよ。きっと」
「ポジティブに聞こえるネガティブな考え方ですよね」
「さ、頑張りましょう」
ポジティブに見せかけたネガティブ。それが静だ。何とか平常を取り戻し、いつものように愛想笑いに近い笑みを浮かべると、真咲は口をへの字に曲げ、小さく呻った。
「うぅ……仕方がないわ、やるわよ! 伊織!」
「はいっ、あ、うん!」
二人はどうやらいつの間にか仲良くなったようで敬語もなく、名前呼びだ。これはきっと真咲のコミュニケーション能力が高いおかげだろう。二人はがしりと手を握って何やら友情というものを確かめているようにも見える。
「……いいなぁ、若いって」
隣から奈緒が羨まし気に呟いた言葉を聞かないふりをして、黙って様子を見てくれていたユフィアータに視線を向けた。
「そういう事なので、行きます」
「ありがたい。実の所を言えば、そろそろこの空間を保つのも時間の問題だったんだ」
「あ、そうな――」
んですか。
と、続けようとしたが、空間がいきなり大きく歪み始め、一瞬にして今度は暗闇が彼女達を包み込んだ。
その中で、銀色の少女達はしっかりと彼女達の手を握りしめていた。
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