9.
9.
暗闇から、僅かに差し込む光のある世界へと意識を戻した。
眠れたような、眠れていないような。
曖昧な感覚のまま目を擦り、慣れない背中の柔らかい感覚を感じながら。
見知らぬ
(……慣れる日が来るんだろうか)
ザンカとの話の後、自室として与えられた部屋。
《領主》を守る盾として与えられたこの場所は、半ば伝統的に近くの部屋を指定されるらしい。
最初に案内された客室よりは狭く。
けれど、今までの大半以上を過ごしてきたあの家……小屋とは比べるまでもない広さ。
自分の意思で並べた家具ではないそれぞれが置かれた一室。
どうにも自分の部屋ではない、という思いが張り付いてしまっている気がする。
(今、は……)
それなりの高さ、丁度この屋敷の上下左右を含めた中心辺り。
窓に掛けられた視線を遮る布は、それだけでも俺達が着ていた服のものより上等に見える。
その合間から感じる光の強さからして、普段起きる頃より僅かに早いか同じくらい。
(……領都でずっと過ごしてたら、この感覚も鈍りそうだな)
来る道中受けた説明にあった、生活を楽にする道具の一つ。
遥か昔、それに長けた天恵を受けた職人が作ったらしい”時を示す鐘”。
今ではそれを真似、こうした領都や大きな土地には置かれているらしい復元遺物の一つ。
それが時間を示してくれるから、陽光の位置で大雑把な一日を等分などする人は少ないという。
つまりそれは、このまま何もせずに過ごしていれば。
当初恐れていた通り、感覚が鈍る事を意味している。
普段よりも長く時間を掛けながら目を覚まし、動き出す準備を始める。
少なくとも隊長は、《騎士》としての鍛錬とは別で。
自分で意識して感覚を研ぎ澄ませるようにしているような気がしていた。
だから、それを自分で真似して模倣する。
便利な道具に頼りすぎないよう。
けれど、余りに掛け離れ過ぎないように街の時間と自分の感覚とを合わせて理解し。
それに飲み込まれないように自分を律し、普段と変わらない行動を心掛ける。
ぱきり、と音を立てる肩を回し。
与えられていた寝具、服装を一つの籠に纏めて部屋の入口傍に置き。
唯一の私物と言い換えても良い、紋章と宝石を隠す形で手元に置いた刃を懐に飲んで。
今まで着込んでいたものと比べるのが恥とも思える服装に身を包む。
着慣れている、というのは間違いなく大きく。
そして何より、これから動こうとする場合に向けた服を一着も持っていないから。
都に着いたら手配する……とは聞いているものの。
どれだけ掛かるか分からないし、それまで待機するなど以ての外と考える俺自身がいる。
(それに、何より……)
初めて着る時は、多分ミモザも同日になる。
着飾るのか、動きやすい衣装になるのかは分からないとしても。
それを見るのは、もしくは見せるのは。
出来るなら――――。
そんなどうでもいいことを思いながら。
微かに軋む扉を開け、未だ寒さが残る廊下へと滑り出る。
山中とはまた違う、石造り故の肌寒さ。
直接的な風ではなく、雰囲気とその在り方と。
周りに自分以外の生命が存在しないんじゃないか、と。
そう思ってしまう、静けさからなのか。
館の上――或いは奥――に進むのは、どうにも躊躇われる。
脳裏に浮かんだのは昨日の浄化樹、そしてあの霧。
不可思議にも、幾人もの声が重なったようなあの言葉。
その理由を知ってしまえば、大事なものであるのは分かるが二の足を踏む。
(もしかすれば……いや、しなくとも。
あの部屋に入るのを嫌がる《騎士》は多いんだろうな)
至極当然の事を、過ぎ去った他人事のように自覚する自分を理解しながら。
未だに眠っているだろう、幼馴染……或いは姫様を起こさないように気をつけて。
直ぐ隣の部屋の前を抜き足で通り過ぎ。
未だ通った経験のない場所のほうが多い、静けさが強い館の中を通り抜ける。
部屋の中が分かるわけでもなく。
外から見えるものが殆ど無く。
似たりよったりな構造をする廊下ではあるけれど、それなりに気付く違いは存在している。
壁に掛けられた灯火の象る違いであったり。
分かれ道の途中までにあった部屋の数だったり。
時折存在する、窓から見える光景であったり。
敢えて迷わせるような形でありながらも、気付く所にさえ気付けば何となくは理解でき。
そして同時に、モノで自分の位置を確認することへの恐怖も心の内側に浮かぶ。
入れ替えてしまえば、正しく理解していなければ何処かで迷い混乱する。
(する意味も……無い、よな)
何の気無しに思ったそれを、忘れるように首を振り。
かつんかつんと音を立てて階段を降りていく。
足音だけが響く空間。
少なくとも、慣れるまでに時間は掛かるか……或いは一生慣れないんだろう。
そう思う自分の本心を抱え、曲がりくねった道を降り立った先。
「ぉ」
「あ」
丁度廊下を此方へ向かってくる隊長とばったり遭遇した。
お互いに意識しない、偶然の遭遇。
変な言葉が互いに漏れ落ち、一瞬間が開いて。
口元だけを歪めて、お互いに笑い合うのが視界に入る。
旅支度の時よりも軽装。
けれど腰には短剣を差し、街の外に出ようと思えば出られる格好。
着慣れているのだろう雰囲気が彼方此方から感じられる。
《魔》が現れる可能性を排除するのなら、山で過ごす必要最低限の服装、と言い換えて良い気がする見た目。
焚き染めたつもりもないのだろうが、僅かに香草の香りが漂う。
「早いな」
「余り寝付けないのも有りましたけど……」
「ああ、分かる分かる」
最初は寝具が立派過ぎるとそうなるんだよな。
実体験、実感情を大いに秘めた言葉と共に幾度かの頷き。
自然と廊下の端へと移動し、邪魔にならないようにしながらの雑談へと移行していく。
「ザンカから聞きはしていたが、無事に帰ってこれたか」
ただ、その内容が少しだけ過激なだけ。
そう思いつつも、昨日知ってしまった事を忘れる訳にもいかず。
そして受け入れきるにもまだ時間が必要だったようで。
額に皺が寄り、内心が漏れてしまったのが自分でも分かる。
「怒るな怒るな。 まー、そうなる気持ちも分かるけどよ」
直接、それに付いて語ることはない。
というよりは語ってはいけない。
だからこそ、どうにもぼやけたような……霧のような会話の手触りになってしまい。
多分それ自体も、俺にとっては余り好まない種類のモノに近い……のだと思う。
もっと直接的な。
殆ど隠す必要もない会話にばかり慣れ切ってしまっていたから。
「決まりとは言え……」
「ずーっと昔は事前に教えてたらしいぜ?」
愚痴のような、非難のような言葉。
それを言い切る前に掛けられた言葉に、視線を持ち上げれば。
面白いモノを見るように、皮肉げに口元を僅かに緩める隊長の顔が目前に映る。
「ただ、その頃は帰って来る数もそう多く無かったって話だ」
「数が、少ない……?」
「事前に身構えちまって、自分の感情を偽っちまったんだろうな」
何処までが許される範疇なのか、それさえもはっきりとしない問い掛け。
その人自体を計る試練、と呼ぶべきモノ。
だからこそその結果を取り纏める事もできず、結局は一発勝負に落ち着いたという歴史。
そんな事を噂に聞く吟遊詩人のように語る口調には、常に皮肉が混じっているように思えた。
いや――――違う。
皮肉が混じっているのではなく。
多分、戻ってこなかった相手への悪感情。
「隊長は……」
だから。
言うつもりもなかった言葉を、思わず漏らしていた。
「うん?」
「俺と同じことを思わなかったんですか?」
それだけの犠牲を飲み込んだ試験。
対応策を求めてしまうのは、それだけ甘えを含んだことなのか。
或いは試練を乗り越えたからこそ言えることのような。
当たり前に乗り越えられるものだと感じるからこその言葉と、自分でも思いながら。
朝方にするには重みを含んだ質問へと返る言葉は。
「俺は、自分のことで手一杯だったかんなぁ」
年月を経た苦さと。
軽口を思わせる、飄々とした口調。
相反するような色合いを秘めた言葉。
嗜める意味合いを秘めた、俺が此処暫くで聞いた事のない類の言葉。
「スイがそう考えちまうのも分からなくはない。 って言うより、そんな病を患う奴は少なくねえ」
「病気、ですか」
「まあ、大抵は領主の方々の方がそう感じちまうって話なんだけどな?」
一拍の合間。
ふぅ、と胸の内から吐息が漏れた。
「ただ、そう思ったところで。 《騎士》って立場を求めるやつが減るわけじゃねぇのは分かるよな」
立場の違い。
見る目線の違い。
一方からのみの考えではなく、もう片側を示す意味での言葉。
口調は厳しく聞こえはするけれど。
その眼には、優しさが混じっているように見えた気がする。
「お前さんは特に求めてなかった、言っちまえば姫さんの近くに居続けるために必要だった事ではあるが……。
唯の農民やら兵士の子供から変わる機会、昔から教会で聞かされてた御伽噺の主役になる機会。
それを要らねえって捨てられる奴はそうそういねーのよ」
だから、少しでも情報を集めようとする。
愚痴のように呟き。
「まあ、子供の頃から努力してなる奴、なれる奴はまだ良い。
今。どういう試練なのか、上っ面だけでも教えなくなった理由……思い当たるか?」
更に一度、大きめに溜息を零し。
目の光に鋭さが宿った。
「……何とかなる、と簡単に考えるようになった?」
「まー……大体合ってんな。
本来は運動能力とか地頭だとか、そういった細かい資質を見た上で領主サマ方々が選ぶんだがよ。
ずーっと昔は、そういった役割を一般の兵士に任されてた頃があったらしーんだわ」
そうなれば何が起こるか。
少しだけ考え、浮かんだ答えは……結果の偽り。
自分を偽ってでも。
少しでも良く見られるように。
言い方を変え、見た目を変え、腕前を偽り。
そうなれれば変われると思い込むが故の行動。
変わる為の細い糸を掴み、その最後の試練をどう超えるのか。
それが前提となって、「成った」後のことを考えない思い込み。
そして。
そんな行動を、多分あの空間は許容せず。
呑まれた果ての先輩方もまた、後輩だけが許される事を許容しないだろう。
悪循環、と言い切ってしまうには苦しい連鎖。
昔に比べれば犠牲者は間違いなく減ったのだろう。
何方を取るか、という話なだけで。
嘗ての人々は、その秘密を風化させることを選んだ。
それだけの、歴史の話。
「何が言いたいかはもう分かるよな?」
多分今聞かされているのは、上から下への伝達ではなく。
初めての――――義父から義息子に対しての教えなんだろう、なんて。
眠気が残っているからか、そんな事が頭の片隅に浮かんでは消えていく。
反射的に頷いて返し。
口元の端だけを上へと持ち上げ、皮肉げに笑う。
「ま、俺も一般的な騎士サマとは掛け離れてっからよ。
姫サンのお兄様方の《騎士》からは恨まれて見られたりもしてんだけどな」
「えっ」
少しだけ。
少しだけ義父の事を分かり始められた、と思った矢先のそんな言葉。
話の主導権をずっと握られっぱなしだと思う自分もいつつ、思わず言葉にしてしまう。
「まー、多分他所から色々言われる前に教えとくが」
多分俺は、間抜けな顔……或いは何も考えていない顔を向けているんだろう。
そんな視線の先で。
先程までの真面目な話をしていた、皮肉げな表情は霧散し。
もっと飄々とした、この領都に着くまでに幾度も見た顔へと変貌している。
「名目上は《騎士》は家系で継げるもんじゃねえ、ってのは教えた通り。
ただ、幼い頃からの訓練や勉強。 ひょっとすれば最後の試練もかもしれねえけど。
子供をそれに向けた形に育てていける、ってのは暗黙のある種の特権みてーなもんだ」
俺はどうかと思うんだけどねえ、なんて。
窓の外、曇りながらも透明に透ける物質で塞がれた場所へと目を向け。
山間から昇り始めた陽光へと眼を細めながらに吐き出していく。
「だから、領主一族の中でも家を継ぐ立場……或いはそれに近い立場。
そんなお方々の周りは、ずっと昔からそんな子供達で埋め尽くされてるワケだ」
騎士、という立ち位置。
領主から与えられ、分け与えられる総量が決まった存在。
明確に立場が変わる、英雄譚の一助になれるかもしれない
「そんな、ある程度決まっていた立場とは違って。 俺はスイ、お前に近いんだよ」
「俺に、近い?」
だとすれば。
それを、他の誰かに分けようと思える子供がどれだけいるのか。
「成り上がりモノ。 そんな侮蔑混じりで囁かれる存在、ってことだ」
成り上がろうとする存在を蹴落とすのは当たり前。
昔からの友人達であっても、その全てが成れるとは限らない枠を奪い合うのだから。
分けてしまえば、自分が弱くなってしまうのだから。
少しでも多く、少しでも強く。
前提条件が狂ってしまう――――天恵が戦闘に向かなければ。
恐らく余計に強く、そう思ってしまうのだろう。
「……なんというか」
早朝から肩を落とすような話ばかり。
思わず壁に寄り掛かりそうになりつつも、少しだけ思い出してしまったのは昔の話。
特権を譲ろうとしない、という行為にはとても覚えがある。
故郷、特に村中での話。
実際に室内を覗き込んだ鍛冶師のことでも有り。
村長という立場を頑なに護ろうとした村長のことでもある。
『自分にしか出来ない』という立場を守る為に、それこそ何でもする人達。
狩人、という役割を押し付け。
村から追い出し、自分達だけが利益を得る。
母から計算を習っていなければ、それこそ全てを奪われていたとさえ思えてしまう彼等。
そんな相手のことを恨んだり……或いは負の感情を抱こうとさえ思わなかったのは。
多分、そんな集団の中でも尚彼女が光り輝いているように思うことが出来ていたから。
(……やっぱり、ミモザがいたから生きてるような面大きいな。 俺)
当人に言えば、はにかみながら抱き着きでもしてくるのだろうけど。
少なくとも今の立場、今の場所でそんな態度を示すには流石に色々不味い事は今の俺にだって分かる。
小さく首を横に振りながら溜息を吐き出していれば。
何をどう勘違いしてくれたのか、首を縦に振りつつ。
懐かしいものでも見るような眼で、此方を見つめられているのに気付いた。
「……なんです?」
「いんやぁ。 青臭いっつーか、なんつーか」
手を伸ばされ、頭……髪の毛を撫で回される。
振り払おうかとも思ったが、
反応が遅れ、動き出そうとした時には既に手を引っ込められていた。
「考え込むんが悪い癖とは言わねーけど、抱え込みすぎるのも良くねえからな?」
「はぁ……因みに、それも実体験だったりしますか?」
「実体験も実体験よ。 あんまり思い出したくない若い頃の思い出、みてーな?」
自分のことには踏み込ませようとしない、そんな気配。
笑顔の裏に微かに見える影。
口にして良いものか、僅かに逡巡し。
ごぉん、ごぉん、ごぉん。
口を開こうとすると同時に、鈍い重厚な音が三度。
建物の外、同じくらいの高さの場所から耳へと突き刺さる物音が鳴り響く。
同時に足元や頭上、左右を含めて彼方此方から物音が響き始める。
扉を開ける音。
石畳を歩く、周囲へと自分を誇示するかのような過大な足音。
そして挨拶のような怒声に、やや甲高い女性達の声まで。
これは――――。
思わず周囲へと目を向け、そして反射的に隊長の方を見る。
何かが始まっている、と。
そう確信出来る程の変化に、未だ心が追いついていなかった。
「あー、もうこんな時間か」
「え、えっと……?」
頭をばりばりと掻き毟りながら、窓の外を横目で見つめ。
吐き出した言葉に、何も知らない俺は少しだけ戸惑うしかない。
「覚えとけ。 鐘三つから四つの間が朝食の時間帯。
ついでに言えば街が動き始める時間でもある」
もっと曖昧で、それでいて自由な世界に生きていたから。
何となくの天陽の角度でだけ把握し、それで済んでいた場所から出たばかりだから。
言い訳は幾つも思いつくけれど、変化に追いつけていないのは正しく事実。
何も知らない事を恥じつつも、当たり前のことを知ろうと更に問う。
「なら……ええと。 俺はどうすればいいですか?」
「先ずは姫サン起こしに行くかぁ。
ついでに、騎士団側の食堂の場所とかも案内しねーとだしよ」
確かに。
昨日はどこからか運ばれてきた食事を二人で取っただけで、そういった場所に関してなにも理解していない。
味もよく分からないくらいに疲弊し、緊張していたのもあるのかもしれないが。
今日からが《騎士》としての初めての一日、と言って良いのは間違いない、筈。
「で、四つの鐘の後は……お前さん達向けの武具を選定からだな」
楽しみにしとけよ、なんて。
子供のような笑みを浮かべながら、少しだけ先を歩き始めた隊長に。
遅れないように慌てて動き始めた。
変わり始めた世界に、少しだけ希望が見出だし始めたような。
そんな錯覚を、後ろの影に残しながら。
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