第12話 告白と約束





 リゼルはその言葉に目を見開いた。


「ま、また、そんな冗談……」

「姫。俺は一度もあなたに嘘や冗談を言ったことはありません」


 アレスの真剣な顔を見れば、それが真実であることは伝わってくる。

 次に湧き出してきたのは疑問だった。


「アレス、どうして……?」


 どうして離宮に火を放つなんて恐ろしいことをしたのか。

 アレスはリゼルの前に跪いて手を取り、深い青い瞳でリゼルを見つめた。


「あなたをあんな恐ろしい場所においておくわけにはいきませんから。あなたの守るためには、どんな手段も厭いません」

「私のため……?」

「ええ、そうです。ですが……あなたを傷つけ、苦しめてしまったのは俺の失態です……騎士失格ですね」


 悲しそうな顔で言う。

 その顔を見ると、何も言えなくなってしまう。


 だが、たとえリゼルのためだったとしても。

 彼のやったことは許されることではない。


(そのせいで、アレスだって火傷を――あれ……?)


 ――そうだ。確かにアレスは顔に酷い火傷を負っていた。

 だが、いまの彼にはそんな傷痕はまったくない。


 リゼルは混乱した。

 夢と現実が頭の中で混ざり合って、何が真実かわからなくなってくる。


 しかし、火事は本当だ。リゼルが離宮ではなくこの場所にいるのが何よりの証拠だ。

 そして、アレスが火を放ったということも、きっと本当だ。


(何か、理由があるはずよ……)


 リゼルを離宮から連れ出すためだけに火を放つわけがない。

 そんなこと、普通はしない。

 普通は――……


「――姫、俺を断罪してください」

「えっ……?」

「俺はあなたを苦しませ、怯えさせてしまった」

「…………」

「放火は大罪です。しかも皇宮への放火など、一族もろとも火炙りにされて当然でしょう」

「……あ、あなただけの問題じゃないわ……あなたの家族も……」


 リゼルの身体が震える。

 涙が出てくる。

 すべて夢ならどれだけよかっただろう。


 アレスは困ったように微笑んだ。


「それは仕方のないことです。ヴァルガード家に関わったことを呪ってもらいましょう」


 リゼルは理解できなかった。

 どうしてそんな恐ろしいことを笑顔で言えるのか。


「あなたの意志で死ねるのなら、こんな幸福はありません」


 どうして命をそんなに簡単に諦められるのか。


「い、一歩間違えれば大惨事だったわ……離宮だけではなく他にも燃え広がっていれば、どれだけの被害が出たか……」

「ええ、そうですね」


 そしてリゼルの行動ひとつでヴァルガード家が一族ごと処刑されるのに、どうして微笑んでいられるのか。

 その瞳は真摯で、ずっとリゼルだけを映している。

 彼はずっとリゼルのために行動してくれていた。


(私を救い出すためだけに……? これが、騎士というものなの……?)


 忠誠を誓った主のためならばどんなこともするのが、彼という騎士なのだろう。

 とても頼もしく、とても恐ろしい存在。


「……他に誰か、あなたの罪を知っている人はいるの……?」

「いません。すべて俺の独断です。何か勘づいているものはいるかもしれませんが、証拠が残るようなことはしていませんから」

「そう……」


 戦に長ける彼にとって、火の扱いなど簡単なことなのだろう。

 そして黒騎士を断罪しようとする皇国の人間はいないだろう。

 彼の罪をつまびらかにできるのは、リゼルだけ。


「――命令よ、アレス」


 リゼルは、心を決めた。


「今後は勝手なことをしないで。私のためと言っても限度があるわ。火を放つなんてもってのほかよ……いいわね?」


 リゼルが命令すると、アレスはそれを至福の響きのように受け取っていた。

 とても幸せそうに微笑んでいた。


「もちろんです、我が姫」


 ――リゼルはアレスを失いたくない。

 皇国のためにも。

 そしてリゼル自身のためにも。


(これで、私はアレスと共犯ね……)


 彼の罪を知りながら、己の内だけに留める。

 皇帝に対するひどい裏切りだ。この事実が明らかになれば、リゼルも罰を受けるだろう。

 それでも、アレスを守りたい。


 アレスは優しくリゼルの手を握りしめた。


「安心してください。地獄に堕ちるのは俺だけです」

「……そんなことはさせないわ。アレスは、私の騎士なのだから。ずっと、一緒よ」


 死ぬときも。地獄に堕ちるときも。


「リゼル皇女……」


 アレスは感極まったようにリゼルを見つめる。


「なんてお優しい……ですが、あなたが地獄に堕ちることはありません。リゼル皇女、あなたには聖女の素質がありますから」

「――聖女……?」


 聖女とは、神に愛され、精霊王に愛され、竜に愛される――人々を守り導く存在だ。

 その存在は希少で、長年皇国にも現れていない。


 そして聖女は他人を治癒できる奇跡の力を持っている。


「姫がいままで毒で死ななかったのは、聖女の治癒力で癒していたからです。しかし毒を盛られることがなくなり、自分を治癒する必要がなくなり、その分の治癒力が溢れ出すようになった。その力でキュイの怪我を治し、俺の火傷を治してくださったのです」


 ――火傷。

 火事の時の記憶がよみがえる。やはり夢ではなかった。アレスはあの時、顔に酷い火傷を負っていた。だがいまは傷一つない。

 リゼルが癒したのだ。


 出会ったばかりの時、傷だらけだったキュイも。

 己の自然治癒力で癒したのではなく、リゼルがそれを手伝っていた。


「私に……聖女の素質が……」


 だからいままで毒を飲んでも死ななかった。

 無意識のうちに自分で自分を治癒していたから。


 そう考えるとすべてが繋がる。


「よかった……聖女になれたら、国の役に立てるわよね?」

「…………」


 アレスは何も言わない。何か言いたそうだが、口を噤んでいる。


「ねえ、アレスはもしかして、私が聖女かもしれないってわかっていたの? だから、私の騎士になってくれたの?」

「いいえ、まったく気づいていませんでした。キュイの怪我を治すところを見るまでは」

「な、ならどうして私に求婚したり、専属騎士になろうとしたりしたの?」

「あなたを愛しているからです」


 はっきりと言い切る。

 リゼルは思わず顔を背けた。


「そ、そんなの……信じられないわ……私とあなたは、ずっと、何の関わりもなかったじゃない」


 時折式典で同じ空間にいるだけで、言葉を交わしたことも、目を合わせたこともなかった。

 リゼルはそういう場ではずっと下を向いて、誰の顔も見ずに過ごしてきた。


 それで愛していると言われて、どうして信じられるだろう。


「……姫は覚えていらっしゃらないでしょうが――俺は昔、ひ弱で病弱で、とても騎士になれるような身体ではありませんでした」


 リゼルはびっくりしてアレスの姿を見つめた。

 皇国最強の黒騎士は、昔から完璧な黒騎士だと頭のどこかで考えていた。

 その彼に少年の頃があったこと、そしてひ弱だったと言われても、すぐには信じられなかった。


「――父に見限られ、もう死んでしまおうと思った時、皇宮で偶然あなたに出会いました」


 アレスは、いまのリゼルと、幼いリゼルを重ねているような、遠い目でリゼルを見つめる。

 青い瞳は空を映した湖のように美しく、リゼルもその瞳に引き込まれていった。


「姫は、傷だらけの俺に、髪に挿していた花を渡してくれました。――あなたは立派な騎士になれる。いつか私の騎士になってほしいとおっしゃってくださいました」


 胸がきゅっと締め付けられる。


 ぼんやりと思い出してくる。

 自信を無くして落ち込んでいた、騎士見習いの少年の姿を。

 金髪の、とても綺麗な少年の姿を。

 傷だらけで、とても寂しそうな顔をしていた姿を。


 ――そしてリゼルは彼に花を渡した。


 姫が騎士に花を渡すのは、専属騎士に命を預ける誓いの意味という話を聞いたばかりで、その話に憧れて真似をしたかったのかもしれない。

 もしくはただ、目の前の年上の少年を元気づけたかったのかもしれない。


「俺はその約束を果たすためにここにいます」


 小さな子どもの戯れが、少年の運命を変えたのかもしれない。


「わ、私は……」

「もちろん、単なる同情だったとわかっています。お優しい姫はきっと、誰に対しても同じことをしたでしょう。ですが俺には、唯一の生きる希望となりました」


 そうしてアレスは騎士になった。

 皇国最強の騎士に。


「――姫。遅くなって申し訳ありません。これからは、あなたに降りかかるすべての苦難からお守りいたします。俺のすべてをかけて。この命は、あなたのものです」


 ――重い。


 その命が、忠誠が、重い。


「どうして、そこまで……」

「騎士というものは、唯一の恋のためにすべてを懸けられるのです」


 アレスは微笑みながら、リゼルの手を取った。


「愛しています、リゼル皇女」


 手の甲にそっと口づけをする。

 騎士の誓いの口づけを。


「――アレス。私は、あなたのことを好きになるかはわからないわ……」


 どれだけ愛していると言われても、リゼルにはまだ人を愛するということがどういうことかわからない。

 アレスに対する気持ちが、恋なのか感謝なのか恐れなのかもわからない。


「でも、ずっと一緒にいて。死ぬ瞬間も、死んだ後も」


 地獄に堕ちても。

 アレスと一緒になら怖くない。

 彼と離れる方が怖い。


「私は優しくなんてない……臆病で、きっと誰よりわがままよ。それでも一緒にいてくれる?」

「ええ、もちろんです」

「私は、あなたのすべてを受け止めるから」

「姫……?」


 リゼルはアレスの頬に手を添える。

 その青い瞳をじっと見つめ、そっと近づき、その額に唇で触れた。


「約束よ」


 そっと唇を離すと、アレスの耳が赤くなっていた。

 己の内側から湧き上がるものに必死に耐えているかのように、眉間に皺をよせていた。


 その姿が、なんだか可愛いと思ってしまった。





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役立たず猛毒皇女には、次期侯爵となる黒騎士の溺愛は重すぎる 朝月アサ @asazuki

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