第11話 来訪者




「なっ……」


 リゼルは驚きと困惑で言葉を失った。

 どうしてロザリアがこんなことを言い出したのか、まったく理解できない。離宮に火を放って何の利点があるというのだろう。


 リゼルは反論しようとしたが、声が出ない。

 ロザリアに見つめられると、いつも息が詰まってしまう。


「ああ、なんて恐ろしいことを……これは立派な叛逆よ。処刑されてしかるべきよ。皇帝陛下に裁可を仰ぐまでもないわ。この者を捕らえ、火炙りに処しなさい」


 ロザリアの命令で護衛騎士たちがリゼルを取り囲もうとする。

 ――その瞬間、リゼルの影が大きく揺らいだ。

 竜の子キュイが、リゼルを守るように影から飛び出してきた。


「キューー!!」


 威嚇する小さな背中に、リゼルは胸が熱くなった。


「キュイ……」


 竜の登場に護衛騎士たちが一瞬動揺し、すぐさまロザリアを守るように動いた。

 ロザリアは後ろに下がりながら、驚いたように目を見開いていた。


「どうしてこれがここに……ああ、なるほど。化け物は化け物と仲が良いのね」


 納得したように頷き、嘲笑を浮かべる。


 ――化け物。強い侮蔑の言葉に、リゼルは思わず口を開いた。


「わ、私のことは何と言ってくださっても構いません。でも、キュイにひどいことを言わないでください――!」


 口から飛び出した声の大きさに、自分でも驚く。


 だが、自分はキュイを守らないといけない。

 キュイが小さな身体でリゼルを守ってくれているように。


 リゼルは心を決め、勇気を振り絞ってロザリアと向き合った。


「キュイは、私の友達です……!」


 ロザリアは憐れむような目と、冷酷な口元をリゼルに見せる。


「――リゼル、この竜は皇宮の魔導師を殺して逃げた化け物よ? それとオトモダチだなんて……」


 その言葉に、リゼルは頭が真っ白になった。


(魔導師を、殺した――?)


 ――人は竜を傷つけず。

 ――竜は人を傷つけない。

 そして、庇護が必要な相手を互いに助け合うという盟約。


 キュイが皇国の人間を殺したのなら、盟約に抵触する。


(戦になるかもしれない……?)


 キュイが人を殺してしまったことには胸が痛む。

 だがリゼルは、どうしてもキュイが恐ろしい存在だとは思えない。


「で、でも、キュイも、傷だらけでした……きっと何か理由があったはずです……お願いします、ちゃんと調べてください……!」


 リゼルは必死に訴えた。キュイを信じたかった。


「あら……皇国の臣民より竜の肩を持つのね。なんて嘆かわしい。やはりこの子は化け物よ。人の心を持たない魔物なのよ! これを使って次はどんな恐ろしいことをするつもり?! この、皇国に巣食う猛毒め――!」

「ち、違います。私はただ、ちゃんと公正に――」

「火炙りなんて悠長なことは言っていられないわ! 誰か、いますぐこの悪魔たちの首を刎ねなさい!!」


 護衛騎士たちが剣を手にする。鋭い刃が光を反射し、リゼルの心臓が凍りつく。

 騎士たちは本気だ。このままでは殺される。


「キュイ、逃げて!」

「キューー!!」


 キュイは逃げない。

 騎士たちが、じりっと近づいてくる。


「――そこまでだ」


 その声で、周囲の温度が下がる。

 張り詰めていた空気が一変する。


「それ以上リゼル皇女に近づく者には容赦はしない」


 低く響く声。

 外から戻ってきたアレスの姿は、光の中から浮かび上がるかのようだった。

 彼は悠然とリゼルの元にやってくる。


「アレス――」

「リゼル皇女、ご安心ください。俺がお守りします」


 アレスは微笑みながらリゼルの前に立つ。

 彼の背中は広く、頼もしく。

 リゼルは思わず泣きそうになった。


「――さて、第五皇女殿下。まさか我が邸宅にいらしていましたとは。探しましたよ」


 ロザリアは毅然とした態度で微笑んだ。まるで女帝のように。


「黒騎士、命令よ。そのネズミを殺しなさい。その者は皇宮に火を放ったのよ」

「ネズミ……? 何のことをおっしゃられているのですか?」

「そこの! 役立たずの、皇族の面汚しのことよ!」

「さて……どなたのことやら」


 アレスは苦笑しながら首を振る。

 ロザリアはアレスのその態度が気に入らなかったらしく、眉を顰めた。


「この竜は我が国の魔導師を殺したのよ。それをリゼルは庇っている。これは立派な反逆行為よ」

「魔導師は自業自得です」


 はっきりと言い切る。


「彼は己の身の程もわきまえず、竜を傷つけ無理やり契約をしようとした――抵抗されて当然でしょう。むしろ最初に竜を傷つけた魔導師の罪の方がよほど重い」


 ――キュイが傷だらけだった理由を、リゼルもようやく知ることができた。

 使い魔契約を嫌がって抵抗しただなんて――


 そもそも、魔導士はどうして無理やり契約しようとしたのだろう。


「順番なんてどうでもいいわ! いいから早くリゼルと竜を殺しなさい!!」

「――第五皇女殿下は随分と荒ぶっておられるようだ。訳のわからないことを叫んで、穏やかではありませんね」


 ロザリアは激昂で顔を赤くするが、アレスはまったく動じない。


「皇帝陛下の声を聞くこともなく皇族を処刑されようとするとは――何か隠しておきたい不都合なことでもあるのでしょうか」


 アレスの青い瞳が冷たく光る。


「これではまるで、あなたが火を放ったかのようだ」

「な――」


 ロザリアは衝撃を受けたように一瞬黙り込み、すぐに怒りを爆発させた。


「無礼者!! わたくしがそんなことをするわけがないわ!」

「そうですね。第五皇女殿下が火を放つ理由などひとつもない。もちろんリゼル皇女にも」

「そんなの、みすぼらしい生活に嫌気が差して、あなたに保護してもらうために決まっているじゃない! ああ、いやらしい!」

「…………」


 アレスの沈黙が、何故かひどく恐ろしく感じられた。

 ロザリアは気づいていないように言葉を続ける。


「早くわたくしの命令に従いなさい。わたくしは皇女――アーカーシャの薔薇なのよ」

「――では、皇国が保護している幼竜に傷をつけたのは、その棘ですか?」

「……何の話かしら? たしかに薔薇には棘があるものだけれど?」

「竜は、リゼル皇女の元に来た時には既に傷だらけでした。私がこの目で確認しています。ではいったい誰が竜を傷つけたのか――」

「…………」

「あなたですよ、第五皇女殿下」


 ロザリアはつまらなさそうに顔を背けた。


「わたくしではないわ」

「ええ。正確にはあなたではなく、あなたの命令に従った魔導師です。彼は命令で竜と使い魔契約を結ぼうとした。痛めつけて言うことを聞かせようとする最悪な手段を用いて。反撃されるのは当然のことです」

「わたくしは命令などしていないわ。それに、抵抗だとしても相手を殺すなんて。いずれにせよ竜は殺すべきよ」

「――竜族と皇国は同盟関係であることはご存じでしょう」

「だから何? あの竜は臣民を殺したのよ? 血祭りにあげるべきでしょう」


 ロザリアは冷たくリゼルとキュイを見る。


「そう、この化け物たちは皇国の敵よ。黒騎士、敵を殺しなさい」


 ロザリアは妖艶な笑みを浮かべる。すべてを虜にする美しい笑みを。


「アーカーシャの毒花。私に魔眼は効きませんよ」


 アレスの言葉にロザリアの笑みが凍りつく。


「何を――」

「おや、ご自覚がないとは」


 アレスはおどけたように言う。しかし、目が笑っていない。


「リゼル皇女への非道な仕打ちの数々……俺は決してあなたを許しません」


 その言葉は小さかったが、リゼルの胸に強く響いた。


「――お一人になった時にわかるでしょう。第五皇女殿下に人が集まるのは、母君の家の名前と魅了の魔眼のおかげだったと」


 ――その瞬間。


 アレスの使い魔のキツツキが、どこかからやってきてアレスの肩の停まる。

 それを合図にしたかのように、白服の騎士たちが外から入ってきた。


「――近衛騎士団?」


 ロザリアが戸惑ったように声を上げる。

 白い騎士服や鎧を身に着けていいのは、皇帝直属の近衛騎士団のみだ。


 つまり、近衛騎士たちは皇帝の命令によってこの場所に訪れたことになる。

 ロザリアの表情がぱあっと華やぐ。その美しさは黄金の薔薇のようだった。


「皇帝陛下もご存じのことだったのね。さすがお父様……さあ、そこの反逆者を捕らえなさい」


 近衛騎士は、リゼルではなくロザリアを取り囲んだ。


「な……何をしているの。わたくしに剣を向けるだなんて、どういうつもり?! わたくしはアーカーシャの薔薇なのよ!」


 ロザリアの叫びにも、近衛騎士たちは包囲を緩める気配はなかった。


「わたくしの騎士たち! この無礼者たちをどうにかしなさい!」


 ロザリアの護衛騎士たちは、主に命じられても動けずにいるようだった。


 騎士団にも序列がある。

 近衛騎士は皇帝直属だ。彼らに刃を向けることは――逆らうことは――皇帝に逆らうことに等しい。


「無礼者! 触れるな!! こんな暴挙、皇帝陛下が許すと思うの!」

「ご安心ください。陛下もご承知のことです。でなければ近衛騎士が動いているはずがないでしょう」


 アレスの言葉にロザリアの顔が蒼白になった。


「竜を無理やり服従させて、どこかで暴れさせて、それを口実に竜族との戦を起こすつもりだったのでしょう? 本当に血がお好きな方だ。ですがそれは陛下の御心に反します」

「ち、違う――わたくしは、そんなことは考えていない!」

「あなたの命令で幼竜が保護施設から魔導師の元に送られたことは判明しています。他にも証言が揃っている」

「な……な……」

「そろそろ、事の重大さが理解できてきましたか? あなたは、己の不始末の責任を取らなければならない」


 アレスの雰囲気が変わる。

 そこにいるのは優雅な貴公子ではなく、先頭に立って皇国の敵と戦う黒騎士だった。


「第五皇女殿下。あなたはこれより、幼き竜を傷つけたことに対する謝罪の使者として、竜族の元へ向かう手筈となっています」

「い、いやよ。誰がそんなことを――」

「これは、陛下の勅命です」

「――――ッ?!」


 アレスは口元に氷のような笑みを浮かべた。


「竜族にもあなたの魅了が効くことを願っていますよ」

「わ――わたくしを、このわたくしを、人身御供にするつもり?!」

「それは第五皇女殿下の交渉次第でしょう。ご安心ください。失敗しても、あなたの命ひとつで贖えるようになっていますから」


 近衛騎士たちがロザリアを両側から拘束する。


「いやあ! 離せ!! 離しなさい!」


 ロザリアは怒りで暴れるが、騎士たちに命令は通じなかった。

 力づくで引っ張られるように連れられて邸を出ていく。


「全部、この悪魔が悪いのよ!!」


 憎悪のこもった叫び声が、虚しく響いた。

 リゼルはその叫びを聞いて、安堵よりも胸の苦しみを感じた。






 ロザリアが去り、彼女の護衛騎士たちも、近衛騎士も去り。

 騒動が収束して侯爵邸には静けさが戻ってくる。


 しかしリゼルの心は嵐のように乱れていた。

 疲れ切ったリゼルを、アレスが抱き上げて部屋まで運んでくれた。


「少しお休みください」


 そう言って、リゼルをベッドに下ろす。


 二人きりの部屋はとても静かで、まるで世界から切り離されたかのように穏やかで。

 心地よい場所のはずなのに、いまは息がうまくできない。

 手は縋るようにアレスの服をつかんでいて、アレスはそれを離させようとはしなかった。

 リゼルの気持ちが落ち着くまで、ずっとそこにいてくれた。


 リゼルはベッドに座った格好で、アレスの服をつかんだままぽつりと呟いた。


「アレス、私は火をつけてなんて……」

「ええ。もちろんわかっています」


 力強く肯定されて、ほっと肩の力が抜ける。

 信じてくれる人がいる。

 それがこんなに喜ばしくて、安心できることだったなんて知らなかった。


「あなたは犯人ではありませんし、第五皇女も違います。キュイのせいでもありません。そして、偶然でもない――」

「え――?」


 顔を上げると、アレスと目が合う。

 彼は優しく微笑んでいた。


「火をつけたのは俺ですから」





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