第7話 ロザリア
第五皇女ロザリア・アーカーシャの部屋には、常に豪華な装飾品や贈り物が溢れていた。
純金の薔薇が美しく輝き、部屋全体が煌びやかに輝いている。
ロザリアは部屋の中で、全身が映る大きな鏡を見つめていた。
鏡の中にいるのは完璧で最高の存在だ。
美しい金髪と宝石のような瞳、誰もが憧れ、心奪われる華やかな姿。
アーカーシャの薔薇と称えられる最高の美貌。
――自分は完璧だ。
完璧なのに。どうして。
目に浮かぶのは、ここにはいないみすぼらしいネズミの姿。
リゼル・アーカーシャ。何の価値もない薄汚い役立たず皇女。存在するだけで腹立たしい。
ロザリアは奥歯をぎりっと噛みしめ――そしてにこりと微笑んだ。
煩わしさは今日まで。
最高傑作の毒が、ネズミを始末してくれているはずだ。
即効性はないもの、苦しんで確実に死ぬ毒を。きっと無様な死体が出来上がるだろう。それを見るのが楽しみだ。
「――第五皇女殿下、失礼いたします」
女官長が部屋にやってくる。
待ち侘びた報告の到来に、ロザリアは口元に笑みを浮かべた。
「――失敗したですって……?」
「……はい。黒騎士に見咎められました」
ロザリアの怒りは頂点に達した。
近くにあった燭台を手に取り、鏡を叩き割る。破片が床に散らばりながら眩い光を反射した。
「何をしているの、拾いなさい」
女官長に命じる。
「は――はい、いますぐ」
「拾って首を掻き切りなさい」
女官長は恐怖に目を見開き、怯えたように後ずさった。
「お――お許しを!」
破片が散らばる床に這いつくばる。鋭い破片が手や顔を傷つけるのも厭わずに。
「…………」
――つまらない。
女官長はロザリアの母の家の出身だ。ロザリアの忠実な手足となり、いままでリゼルに毒を盛ってきた。
その場に黒騎士がいなければ、無理やりにでもリゼルに毒を食べさせてきただろうが――
(使えない女。自害する気概もない)
だが、女官長という地位の手駒は何かと便利だ。次の女官長の人事を掌握するまでは生かしておくことにする。
元々、リゼルが死んだら罪を女官長たちに償ってもらうつもりだ。何十人と累が及ぶだろうが、ロザリアには関係ない。
「どうしてアレスはあんなものに……」
ロザリアはずっとリゼルが目障りだった。
気にかける価値もない石ころのような相手なのに、あまりにもその存在が卑しくて、気に障って、消し去りたくて仕方なかった。
目障りなネズミを始末したいと思うのは当然のことだ。
なのに黒騎士アレスがリゼルを守っているなんて、許せない。
――リゼルの母親は、皇帝が戦争で略奪してきた亡国の王女だ。神に仕える巫女姫だったという彼女を、皇帝は三十番目の妻にした。
皇帝は彼女の元に熱心に通っていたが、リゼルが生まれ、彼女が病で死んで以降は、新たな妻を娶っていない。
そして他の妻の元にも相変わらず通っていない。
皇帝には既に二十四人の子どもがいる。
十一人の男子と、十三人の女子。これ以上の子どもは不要ということだろうが。
一時期は、皇帝がリゼルを特別扱いするのではないかという危惧が皇妃たちの中にあったが、皇帝はリゼルをまったく特別扱いなどしなかった。
少しでも気にかけていれば、いまにも朽ち果てそうな離宮に放り込んで、世話をする人間もおらず、毒を盛られながらみじめに暮らしている状況になど置いておかないだろう。
だからいまでは、リゼルを気にかけている人間はいない。
皇帝も、皇妃たちも、異母兄弟たちも、臣下たちも。
――そもそも皇帝は、どの子どものことも特別扱いはしていない。第一皇子であっても、第十三皇女であっても、等しく無関心に扱う。
だから母親の実家の援助が重要になる。
後ろ盾のないリゼルは、粗末な生活に甘んじるしかない。這い上がるための美貌や才能もあの娘にはない。
たまたま生まれ、たまたま生き残っているだけのネズミ。
それがリゼルのはずなのに。
「どうして……」
黒騎士は――皇国で最も強く、最も美しい男は、どうしてあんなネズミを守っているのか。
あの特別な男は、ロザリアにこそ相応しいのに。
黒騎士が自分の前に傅く姿を見たいのに。愛を請う姿が見たいのに。
「どうしてあんなネズミなんかに……!」
いままで、欲しいものは全部手に入れてきた。
自分から動くまでもない。気まぐれに視線を向けるだけで、どんな男も自分のものになってきた。他の皇女の夫も婚約者も専属騎士も。
そしてすべて捨ててきた。
簡単に手に入るものなんて何の価値もない。
なのに、一番欲しい男だけ手に入らない。
そんなことがあっていいわけがない。
一刻も早くネズミを消してしまわなければ。
そして黒騎士を正気に戻してあげなければ。
これはロザリアの使命でもあるのだ。皇国のため、皇帝のためでもある。
しかし、毒は阻まれてしまった。
黒騎士が目を光らせている限り、毒を飲ませるのは不可能だろう。
暗殺者を差し向けてやろうか。いいや、黒騎士が暗殺者なんかに出し抜かれるはずがない。
「――そうだわ」
ロザリアは侍女に命じて、懇意にしている魔導師を呼ぶ。
黒いローブを着た冴えない男だ。卑しくみすぼらしい男だが、使い道は多い。
魔導師はにやにやと媚びるような目でロザリアを見上げた。
「――なるほど。皇女殿下は戦を起こさせたいと」
「ええ、そうよ。どこかにちょうどいい相手はいないの? できるだけ長く戦える相手がいいわ」
皇帝は黒騎士に、戦時以外は自由にしていいと言っていた。
だったら戦に行かせればいい。単純な話だ。
黒騎士アレスが傍にいないならネズミなんて簡単に殺せる。
自軍の消耗も他国の被害も知ったことではない。人間の命も竜族の命も、高貴なる皇族には関係ない。
「そうですね……周辺に攻め滅ぼせそうな国は既になく、魔族も前回の大敗北でしばらくはおとなしくしているでしょうが」
「戦争の口実の一つも作れないの?」
蔑む視線を向けると、魔導師は「とんでもない、とんでもない」と情けない声を上げる。
「――では、捕らえている竜の子に村をひとつ焼かせましょう」
「あら。そんな面白いものがあるの?」
「ええ。騎士団が保護という名目で連れ帰ったものです。竜族とは同盟関係ですが、傷つけて興奮させ村を襲わせれば、戦争は不可避でしょう」
その提案はとてもロザリア好みだった。
「今度は竜族との戦争をするのね。ふふっ……あはは……あーっはっはっは!」
目障りなネズミは、もういらない。
ロザリアの狂気に満ちた笑い声が部屋に響き渡った。
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