第4話 あたたかい料理





「ですが姫、これは決して看過してはならない状況です」


 アレスは真剣な眼差しでリゼルを見つめて言う。

 その視線のあまりの強さに、リゼルは思わず目をそらしてしまう。


「いままでは大丈夫だったとしても、今夜は、明日は、違うかもしれない。姫の御身に何かあれば、俺は生きていけません」


 訴えを聞きながら、リゼルは思う。


(私の身に何かあるより、アレスの身に何かあった方がよっぽど大変だわ……)


 それは全員が思っていることだろうから、毒を盛られれることは減るかもしれない。間違っても黒騎士を毒殺してはならないと。


 リゼルは毒で死ぬことはないが、毒の苦しみからは逃れられない。毒が盛られることが減り、苦しむ頻度が減るとしたら、嬉しい。


 だがそのわずかな喜びのために、彼を危険に晒していいはずがない。絶対。


(どうすればわかってもらえるのかしら)


 思い悩んでいると、アレスは離宮内部を見渡しながら言う。


「どうです、姫。俺の屋敷に住まいを移すというのは」

「そんなことはできないわ」


 リゼルは即座に断った。

 アレスの提案は騎士らしく合理的なものだったが、住む場所があるのに護衛騎士の家に身を寄せるなんて、認められるはずがない。


「……そうですね。いささか性急すぎたようです」


 アレスは微笑みながらも少し残念そうに頷いた。


「それに私、ここでの暮らしは気に入っているの」


 リゼルの言葉に、アレスは再び微笑んだ。しかし、リゼルは彼の瞳の奥に、まだどこか不安げな光を見つけた。


 じっとりと暗い離宮の中で、アレスの存在だけが眩い光を放っている。


 やはり、彼はここに相応しくないとリゼルは感じた。

 なんとかして早く解放してあげないとと、ひそかに決意する。


「――それでは姫、今日からは俺が料理をしますので、食事を任せていただけますか?」

「料理ができるの?」

「戦場料理になりますが。騎士は一人ですべてが出来なければ話になりませんからね」


 リゼルは尊敬の眼差しでアレスを見つめた。

 まさかアレスが料理までできるなんて。


 しかも、戦場料理なんて食べるのは初めてだ。

 どんなものが食べられるのか、胸がわくわくとしてしまう。


「ご安心ください。材料も安全なものを用意しますので」


 そう言ってアレスは華麗に腕を伸ばし、短い呪文を唱える。

 次の瞬間、彼の指先に青い羽の美しい鳥がちょこんと止まっていた。


「わあ、かわいい。キツツキ?」

「よくご存じで。我が使魔です」


 使い魔はアレスから命令を受け取ると、翼を広げ力強く羽ばたき始める。そのままぱっと飛び立ち、空を飛んで行った。


 ――一時間後。

 侯爵家から離宮に山ほどの荷物が届く。その中身は新鮮な野菜や肉と調理器具、食器、そしてきれいな水だった。


「台所をお借りします」


 荷物が届くのを待っている間に掃除されていた台所で、アレスは手際よく調理を始めた。鍋に水を張り、野菜を切り、火を起こす。アレスの動きは滑らかで、何一つ無駄がない。


 そうして出来上がったのは、新鮮な卵とハーブを使ったふわふわのオムレツと、軽く焼き直したパン。そして野菜入りのミルクスープだった。

 美味しそうな香りに、リゼルのお腹が自然と鳴ってしまう。


「簡単なものばかりで恐縮ですが、どうぞ召し上がってください」


 アレスは味見後に微笑んで食事をテーブルに並べていく。

 リゼルはどきどきしながら料理を見つめた。


(こんな新鮮であたたかい料理なんて、いつぶりかしら)


 リゼルはどぎまぎしながら一口食べて、その美味しさに目を見開いた。


「おいしい……」


 素材の旨味と甘味と、スパイスの香り、そして絶妙な塩加減。口の中が、そして全身が喜んでいる。


「明日からはもっと豪華な料理を用意しますよ」

「もっと?」

「ええ。今日は急ごしらえでしたので、簡単なものばかりで申し訳ございません」

「そんな。とっても美味しいわ! こんな豪華な食事は初めてよ」


 アレスの顔が一瞬わずかに強張る。


「……普段はどんな食事を?」

「そうね。いつも冷め切っていて、傷んだ料理ばかりだったわ。カビが生えていることも珍しくないし。だから、本当は食事は少し苦手だったの……アレス?」


 なんだか雰囲気がおかしい。

 沈黙が鉄の塊のように重い。


「リゼル皇女、毒ももちろん大問題ですが、それ以前の問題です。皇女殿下に粗末どころか、傷んだ料理を長年に渡ってお出しするなんて。関係者全員首を刎ねられて然るべき事態です」

「でもそれは、私が役立たずだから……」


 役立たずだから、食事があるだけ喜ばなくてはならないと思っていた。

 たとえそれがどんなものであっても。


「リゼル皇女。あなたは断じて役立たずなどではない」


 アレスは、リゼルの目を見つめて強く言う。


「存在するだけで尊いのです。あなたが存在するだけで、世界は光に満ちて花々は咲きほころび、色彩に満ちるのです」

「おおげさすぎるわ」

「俺にとってはそうです。あなたの存在があってこそ、俺は騎士でいられるのです」

「アレス……」

「そして――それとこれとは話が別です!」


 剣を握りしめ、部屋を出ていこうとする。

 リゼルは思わず立ち上がった。


「待って! どこへ行く気?!」

「然るべきことを為しに行くだけです」


 ――それはつまり、関係者全員の首を刎ねようと?


「やめて!」


 リゼルが叫ぶも、アレスは不思議そうな顔をしている。

 どうして止めるのか、と。


「お願いアレス、やめて。他の人たちを傷つけようとしないで」


 必死で懇願する。

 リゼルは誰かを責めたいわけでも、傷つけたいわけでもない。


「……今回限りです」


 アレスは静かに言い、剣を置いた。


「俺の方から注意を入れておきます。もしそれでまた同じようなことが起きるようなら、容赦はしません」

「ええ……わかったわ。ね、ねえ、それよりアレス、一緒に食事をしてくれる?」

「いえ、俺ごときが同席するわけにはいきません」

「お願い」

「……承知しました」


 アレスはそう言って、自らの分の食事も用意して座った。


 リゼルはその光景に心を弾ませる。

 誰かを食事を共にすることなんていままでなかった。胸にあたたかいものを感じながら、食事を再開する。


「ねえ、アレス。どうしてこんなに美味しいの?」

「愛情を込めていますからね」


 リゼルはそれを冗談だと思った。

 アレスは口元に微笑を浮かべながら続ける。


「リゼル皇女が食べやすいように大きさをそろえ、しっかりと火を通し、味付けをしています。見栄えも出来るだけ美しくしました。少しでもあなたに美味しいと思っていただけるように」

「そ、そうなのね……」


 そう聞けば、この料理は確かに愛情が込められている。

 お腹だけではなく胸まであたたかくなってくる。


「ねえ、今度私にも料理を教えてくれる?」

「姫のお望みなら喜んで」


 その言葉に喜びがあふれる。


「姫は普段、何をして過ごされているのですか?」

「掃除とか庭の手入れとか……放っておくと大変なことになるから。いまでもなっているけれど」


 リゼルは微笑んで答えた。いくら手入れしても離宮はどんどん古びていくし、庭はどんどん荒れていって追い付かない。それでも放置しておけば、草が伸び放題に伸びて、出入りすらできなくなってしまう。

 だから出来るだけ手入れはしている。


「あとは、図書室の本を何度も読んだり。他は……そうね。リュートを奏でるのが好きだったわ」

「それはそれは。是非聞かせていただきたいですね」

「いまは楽器がないの。いつの間にかなくしてしまって……私、すぐにものを壊したりなくしてしまうの……」


 丁寧にしているつもりでも、扱いが粗雑なのだろう。

 物持ちが悪いことを恥じるリゼルの前で、アレスは穏やかに微笑んでいた。

 穏やかなのに――なんだか怖いと思ってしまう。


「姫は何も悪くありませんよ」


 その言葉はリゼルの強張った身体を解きほぐし、優しく部屋に響いていった。





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