第6話
市村くんは私に麦茶を入れて出してくれた。
それを飲み終えて落ち着いた私は謝った。
「ごめんね、いきなり泣いちゃって。本当に、なんでなのか自分でもあんまりよくわからないんだけど」
「いや、大丈夫ならいいんだ。でも、そうか……」
私と向かい合って座る市村くんは腕組みをしてしばらく考えてから「あのさ、よかったら写真撮ってみる? ちょうどあと何枚かで撮り終えるフィルムがカメラに入ってるんだ」と申し出てくれた。
私は特に断る理由もなく、頷いた。
市村くんのアパートから外に出ると、春先の暖かな日差しが少し眩しかった。
首から下げた市村くんのカメラは10年前のものと全く変わっていないようだった。
私たちは近所を散策しながら、被写体を探した。
「佐伯さん、このカメラ、使い方覚えてる?」
県道沿いの道を歩きながら彼はMINOLTA X-700 と刻まれたカメラを私に渡してきた。
「ごめん全然覚えてない」
そう私が正直に言うと「そりゃそうだよね」と彼は笑った。
そして、ここがシャッターで、ここのファインダーを覗いてシャッターを切る。ピントはここで合わせる。ということを専門用語は使わずにてきぱきと教えてくれた。
残りの撮影可能枚数は4枚だそうで、私は撮りたい物を一生懸命考えたけれど、これだというものは浮かばなかった。
結局町を1周して、撮ったものは私たちが通っていた中学校の校舎、首輪をつけて道端で寝ていた犬、小さい頃によく遊んだ公園のブランコだった。
しかしそのどれもが、やっぱり自分が撮りたい物とは少し違うような気がしていた。
最後の1枚は迷いに迷い、どうしても決めきれずに市川くんの家の前に戻ってきてしまった。
私はふと「そうだ、市川くんを撮るよ」と言った。
彼は「えー、もっといい被写体があると思うけどな」と照れながらも、写真に写ってくれた。
市村くんの家に入ると「これからフィルムをネガにする工程で、暗室に道具が置いてあるんだけど、どうする?」と尋ねられた。私は一緒に作業をすると告げた。
アパートの1室が暗室になっているようで、市村くんがふすまをあけると仏壇のある部屋があり、そこを通ってさらに奥に暗室になっている部屋があった。
私はその仏壇の上に市川くんのお母さんの遺影があるのを見て立ち止まってしまった。
市村くんは私の様子に気づいて「その遺影、僕が撮った写真なんだ」とだけ言った。
そっか、それでお母さん”仲良かった”って言ってたのか。
暗室に入って、カメラからフィルムを取り出すと、市村くんはいろんな薬品を使って作業を進めていった。
一緒に作業するとは言ったものの、私には特にできることはない。
「あのさ」
私は思い切って市村くんに話しかけた。
「覚えてないかもしれないけど、私が中学生の頃、市村くんに写真を撮る理由を訊いたことがあるんだけど、覚えてる?」
「あぁ、覚えてるよ。たぶんだけど『生きてる証拠を残したい』って答えた気がする。今でもそう思って写真撮ってるし」
私の脳内に、先日見た夢の映像がフラッシュバックのように蘇った。
そうだ、中学生の彼は「死んだらどうなるとか考えたことある? 天国とか地獄とか、まぁあるかもしれないけど、ないかもしれない。でも少なくともこの世界では何にもなくなる。骨だけが残るだけだ。だから、僕は写真を撮るんだ。その人や僕が、今日を、その時間を、その一瞬を生きていたという証を何か残したいんだよ。写真なんて、ただ光をフィルムに焼きつけるだけだけどさ」と、言ったんだ。
私は、仕事を辞めたあの日どうしてあの写真に見入ったのか、さっき昔の自分の写真を見て涙が出たのはなぜかわかった気がした。
そこにあの生きた証を見たからだ。
介護の仕事で亡くなっていく人達を何人も見て、死がとても身近なものになっていて、私はきっとこの”生きた証を残したい”という気持ちがどこかで膨らんでいたのだろうと思う。
藤岡さんが言っていた「とっても羨ましいわ」と言っていた言葉の意味も、今ようやくわかった気がした。
手際よくネガを作った市村くんは、その流れで私の撮った写真を現像してくれた。
そこには、撮り慣れているのに撮られなれていないぎこちない市村くんの笑顔が光の記録として現れていた。
光の記録 園長 @entyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます