have been dissappearing,
『自殺コンサル』のタイの言い分を要約すると、概ねこのようなものだった。
①自分は人間の言葉で翻訳すると地獄と呼ばれる現象に近い。
②自分は死後の人間の意識から苦痛を収穫する活動を行っている。
③ただし、まれに死後の苦痛より生の苦痛の総量の方が多い人間が存在する。
「死後の世界ってのは確かにある。ただし、人間が想像しているものよりずっと暗喩的かつ抽象的な世界だ。たまに俺たちに近付いた変わり者が宗教という形で記録を試みるが、結局誰も正しく認識できるやつはいなかった。今後もそうだろう」
「偉いんだね」
「まあ、ひとまずはそういう理解でいい。お前に説明しても仕方ないからな」
公園の木陰の下、古びたベンチにタイと都築は腰かけていた。
涼しい喫茶店に行く金もない。都築は自分のために散財することに強迫的な不安を抱いていて、体の弱い父親のためという言い訳で、わずかな賃金はほとんど貯蓄に回していた。
「話を戻そう。さっき説明したように、死んだ方がマシな人間が世の中にはいる。それがお前だ、
汗が垂れる。都築は朦朧とした頭でタイの説明を聞いていた。ろくな食生活を送っていない都築の汗腺から流れる体液は粘っこく、豚の尿のような匂いがした。
「死んだ方がマシってのはなにもお前のことを責めてるわけじゃないぜ。文字通り、生きているより死んだ方が安らかな人生を送れるってことだ。普通の人間は生きてれば何かしら幸福な目に遭うもんだが、たまに苦痛に満ちた人生しか送ることのできない奴がいる。環境が悪かったり、そもそも幸せの受容体がぶっ壊れてたりな。だが、お前のは一番予後が悪い」
タイはネクタイの窪みを深めて、笑ったように見えた。
「単純な能力不足。お前の不幸は、全部お前を中心に回っている」
「そうだね」
特に否定はしない。実際にタイの言う通りだった。確かに出生こそ多少不幸だったかも知れないが、自分より恵まれない境遇でも立派に生きている人は沢山いると都築は思う。
最初に喋るネクタイと遭遇したときはついに自分の脳味噌がやられたのかとも思ったが、口を開いてみれば案外まともなことを言う。地獄がどうこうというのは未だに半信半疑だが、それを除けばタイは都築一という人間のことをよく
そもそもの話、タイの存在が幻覚だとしても大した問題ではない。
どうせ何もかもを失い続けている人生だ。今更精神の平衡を崩していると言われたところで、都築にはもはやどうにもできない。
「それで、タイは僕の人生を笑いに来たの?」
「タワケ。笑い物にもならないよ、お前の人生は」
タイは咳ばらいをして続ける。ネクタイに呼吸器官があるのだろうか?
「だから俺たちはお前のような、『死んだ方がマシ』って人種を自死させる仕事をしている。死後の世界で安らぎを感じられると、俺たちの収穫できる苦痛の純度が下がるからな。せめてそいつが生に一番未練を感じてる時期に現れて、死後の安らぎを少しでも減らすんだよ。資源管理ってやつだ。迷惑なことこの上ない」
「言っている意味がわからない」
「じゃあお前のような阿呆でも分かるように言ってやる。お前を生の苦痛から解放しにきてやったんだ」
「ちょっと待って欲しい。一つ質問をしても良い?」
「少しは考える頭があるみたいだな。質問は受け付けてるぜ。最近の地獄はサービス精神旺盛だからな」
「じゃあ聞くけど、なんで地獄がネクタイの形をしてるんだ」
タイは少しだけ黙ってから、こう返した。
「人間はネクタイを見ると死にたくなるんじゃないのか?」
+
都築はひとまず職場に戻り、『喋るネクタイを追いかけていたら無断で外出することになった』と特に嘘をつかず上司へ報告した。
そして、都築は上司から休養を勧められた。厳密には自己都合退職を勧告された。とにかく適切な社会保障を受けずに都築は会社をやめることになった。誰も辞職する上で利用したほうがいい制度を都築に教えようとはしなかったし、退職の挨拶が行われることもなかった。
退職の準備は長くはかからなかった。都築は一週間をかけて受け取るべき報酬を受け取り、書くべき書類を事務員に舌打ちされながら書いた。
こうして都築はまず社会から切り離された。
都築は少ない私物をすべて引き取って会社を出た。駅へと向かう道では、鞄いっぱいに詰め込まれた私物とおにぎりの包装が擦れ合ってごきぶりの交尾のようなかすれた音を立てていた。
「お前、バカじゃないのか。何でカバンにゴミ入れてるんだ」とタイが訊いた。
タイは今都築の襟元に巻き付いている。
「自分のゴミを会社のゴミ箱に捨ててはいけない。だから、おにぎりのゴミは自分の鞄に入れることにしてる」
「上司からそうするよう指示されたのか」
「いや。僕が決めた。自分の出したゴミは自分で片付ける」
「なら、お前のやっていた仕事はなんだよ」
都築の仕事は、他人の出したゴミを纏めて所定の位置まで持っていくことだった。
「他人にしてやってることを自分にもしてやらないのか? お前、そんな器用な真似ができるほど余裕のある人間なのか? 随分傲慢なやつだな」
「急に色々畳みかけないでほしい。何を言われてるのかわからなくなるんだ」
「なるほどね。生え抜きの馬鹿だな」
タイはネクタイの長針を都築の首元に巻き付けた。
「やっぱりお前みたいな人間は、早く死なせてやるのが身のためだ」
「でもタイが僕を殺してくれるわけじゃないんでしょ」
「都築、お前はどこまで考えが足りないんだ? 自分の死に他人を巻き込める精神性のやつが、こんな惨めな人生を歩んでると思うか? 俺たちはそういう人間の所には現れない。お前は始まってから終わるまでずっと一人のままだ」
平日の昼に駅まで続く道を歩いているのは都築だけだった。誰もこの酷暑の中外に出ようとはしないし、出る必要もない。エアコンの効いた居場所が彼らにはある。都築は水が飲みたかったが、自動販売機やコンビニの飲み物は高く、公園の蛇口から出て来る水は沸騰するほどに熱かった。仕方がないので自分が水を飲まない理由を探しているうちに、都築は駅までたどり着いてしまっていた。
ホームを抜け階段を降りると、ちょうど目の前で電車の扉が閉まるところだった。
「繰り返すが、お前はこの先生きていても全く幸せにはなれない。全部初めから決まっていることで、お前がどれだけ努力してもどうにもならないんだよ。そう言う人間の前にしか俺たちは現れないんだ。だから、お前を早く自殺させる必要がある。そのために、お前の死なない理由を一つずつ解きほぐしてるんだ」
「それと仕事を辞めさせることと、どういう関係が?」
「時間と体力を引き換えに資本を得るという行為がお前の行動を縛り、死へ向かうはずの思考を麻痺させていた。精神の異常は、なにも全部が解りやすい形で現れるわけじゃない。固定された生活習慣に執着するようになるのもその作用だ」
だが、辛うじて人間としての営為を支えていた生活の基盤すら都築は失った。
今までは伴走者もなくトラックをひたすらに周回するような人生だったが、今はもう足を踏み出すべき路面が見つからない。
都築の能力では再就職など望むべくもなかった。
自殺防止用のホームドアのむこうに一本遅れの電車がやってきた。
都築は点字ブロックを踏まないよう大股で踏み出して電車に乗った。
「そういうわけでお前はめでたく仕事をやめた。次は医療機関へのアクセスを断て。残った薬も全て捨てろ」
「余計な心配だと思うけどな。薬を飲んで楽になったことはないし、医者の言葉に安心できたこともない。たぶん、僕に受け取る能力がないだけだと思うけど」
「安心しろ。俺たちはお前の人生のあらゆる時系列を観測できるが、お前のアクセスできる人的資源の中にはお前を救おうとする人間も救える人間も存在しない。これもさっき言った通り、固定された生活習慣を引き剥がすための作用だ」
都築は言われるがままにプリントの禿げた診察券を破り、会社を辞める前まで有効だった社会保険証を折った。タイの言葉からするに、どうも都築の自死を遮り続けているのは都築自身の人生に染みついた生活そのものらしい。
苦痛そのものだったはずの生活が、都築に命を与えている。
逆説的に、命が続く限りこの苦しみから逃れることはできない。
タイの言葉に従っていれば終止符を打つことができるのだろうか。
終わりが近付いているのが良いことか悪いことなのかもわからなかった。
車掌のアナウンスが響く。いつの間にか、自分の家の最寄り駅まで来ていた。
「人間の」
都築はぽつりと呟いた。
「人間の目的地について、少しだけ考えたことがある」
「やめとけよ。馬鹿なんだから。そんな難しいことを考えるのは」
そう悪態をつきつつも、タイは喋るのをやめろとは結局言わなかった。
だから都築も言葉をつづけた。
「みんなどこかを目指して、毎日こうやって電車に乗る。僕も医者とか会社に行くために電車に乗る。でも、毎日その往復を繰り返すだけなら、それは本当に目的地と呼べるのかなって思ったことがあるんだ。皆どこに行っても一緒じゃないかって」
都築は電車を出て家に帰ろうとしたが、首元を何かに引っ張られて電車の中で転んでしまった。見ると、タイが電車の手すりに絡みついて都築の動きを止めていた。首輪のようにも、絞首ロープのようにも見えた。
「目的地なら俺が教えてやるよ。行こうぜ、死ぬための最後の準備だ」
タイがぽつりと呟いた。
「どこに?」
「お前の両親に会うんだよ。全部そこから始まったんだから」
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