#042 「おいぃっ!? 今良い雰囲気だったろうがっ!?」
「やぁ、旦那。来てくれたか」
ライラの兄であるバルトロとタウリシアンの娘達を引き取る件の詳細を詰めた俺は、その足でスピカ達の元を訪れていた。
彼女達に貸し出した宿舎は五つずつの寝室で大きめのリビングダイニングを挟み込むような構造となっており、寝起きして寛ぐには十分な構造となっていた。キッチンやトイレ、シャワーなどは別なので、生活をする家屋としては足りないものがあるが……まぁ短期滞在用の宿泊施設としては十分な作りだろう。
「座ってくれ。と言っても、この家の主は旦那なんだけどね」
「金を払ってここを借りている間はお前達がここの主だ。それで、相談というのは?」
「まぁ、そう急くなよ。ザヴィヤ」
「はい、姉さん」
スピカに声をかけられたフォルミカンの少女が俺の前にグラスと何かの液体が入ったボトルを運んで来て、グラスにボトルの中身を注ぐ。そしてスピカの前にも同じくグラスを置き、中身を注ぐ。
「今回の仕事先で買ってきた蒸留酒だ。味も香りもなかなかだよ」
「なるほど?」
酒を飲みながらゆっくりと話そうというわけか? 俺はこんな身体だから、全く酔えなくなったんだが……酔う前に強化された人工臓器がアルコールを分解してしまうからな。度数の高い酒を大量に飲めば少しの間だけは酔えるが、それにはあのボトルを三本ほどラッパ飲みして人工臓器のアルコール分解能力をオーバーフローさせる必要がある。
「それで相談なんだけどね……あー、その、旦那のところで私達を雇ってくれないかな?」
「お前達を? この農場で?」
「うん」
スピカがじっと俺の顔を見つめてくる。こんな文字通りのっぺりとしった真っ黒の顔を見つめてもどこが目なのかもわからないだろうに。
「タウリシアンの娘達の件を聞いていたんだな?」
「うん、タウリシアンの入植地でね。ライラ達と一緒に旅をしていた時にも色々聞いていたし、前にここに来た時にライラが嫁ぐって話になっただろう? あの時にはもうこうなるんじゃないかと思ってたよ」
そう言って微かな笑みを浮かべながらスピカがグラスの中の琥珀色の液体をチビリと飲む。飲み方からするとあまりアルコールには強くないのかもしれんな。身体も小さいしな、スピカは。
「タウリシアンの娘達の護衛として、それとうちの戦闘要員としてグレン農場に定住したい、ということだよな?」
「うん。自分達で言うのもなんだけど、私達には実績があるからね。もっとも、グレンの旦那には失態を見せたけど」
「あの戦力差で向かっていくのはただの自殺だ。しっかり安全圏までライラ達を逃がしたんだから、及第点だろ」
実際のところ、俺の目から見てもスピカ達の練度はそう悪くないように見える。キャラバンを行うタウリシアンの娘達の護衛をさせるなら、スピカ達を雇うというか、うちの農場の住人として迎え入れるというのは最適な選択肢の一つと言えるだろう。
それに、俺が取引やその他の用事でコロニーを空ける際にもこのコロニーを防衛する戦力を確保できるというのは大きい。タレットと戦闘ボットだけでも防衛はできると思うが、やはり生身の戦闘要員が居るのと居ないのとでは安心感が違う。
「旦那にそう言って貰えるのは嬉しいね」
もう酒に酔い始めているのか、スピカは顔を少し赤くしてはにかんだような笑みを浮かべた。
「で、それだけなのか?」
「え? それだけって?」
「自分で言ったことも忘れたのか? お前が言っていたことだろう。ここが立派で安全な農場になったら、ここでコロニーを作っても良いって」
俺がそう言うと、スピカは一気に顔を真っ赤にして固まってしまった。他のフォルミカンの娘達も落ち着かない様子で俺とスピカの様子を窺っている。
「さ、流石にちょっと立派過ぎて気後れするというか……その、旦那も私達みたいなちんちくりんは好みじゃないみたいだし」
そう言ってスピカは俯き、両手で抱えるように持ったグラスを静かに揺らして揺れ動く琥珀色の液体を眺め始める。
「思ったより繊細なんだな、スピカは。乙女か?」
「乙女だよ!? 逆に旦那は私のことを何だと思ってんだよ!?」
スピカが半ギレで俺に食って掛かってくる。しおらしいスピカよりもこっちのスピカの方が面白いな。
「だいたいさぁ!? 旦那はなんか最初から私に対する当たりが強くないか!?」
「そうか?」
「そうだよ! 私の乙女心はずたずただよ! 謝罪と賠償を要求するよ!」
そう言ってスピカはグラスの中身を一気に飲み干すと、席を立ってずんずんと歩き、テーブルを迂回して俺の元へと歩いてきた。
「んっ!」
そして俺の腕を持ち上げ、勝手に俺の膝の上に座り、べったりとくっついてくる。頭の上にある触角が俺の胸元をペタペタと触ってくるんだが、何なんだこれは。
「あやまって」
「えぇ?」
「あやまって!!」
「わかったわかった。ちょっとぞんざいに扱ってたかもしれん。謝る」
「うん」
俺の謝罪を聞いたスピカはにこりと笑みを浮かべた。やれやれ、酔っぱらいには敵わんな。こんな小さいグラス一杯でここまで酔えるとは、なんて安上がりな奴だ。
「で、お姉様や。お前重要な相談とやらをまったく纏めないで酔っ払ってるんだが、良いのか?」
「よくない」
「なのにヤケクソになって酔っ払ったのかよ……」
どうしたもんかな、こいつ。冷水シャワーにでもぶちこんで酔いを覚まさせるか?
「とりあえず、やとって。たうりしあんのごえいするから」
「まぁ、それは構わんが……俺の下についてもらうからには、訓練は厳しくするぞ」
「かかってこい」
そう言い残してスピカはくぅくぅと寝息を立てて寝始めてしまった。おい、寝るな。おい。
☆★☆
「えー、というわけで。急な話だが住人が一気に十五人も増えることになった」
その夜、俺達は急遽拡張したキャラバンスペース――無料で使えるキャンプスポット――で祝宴を開いていた。祝宴が決まってから実行するまでに一時間もなかったので、急に音頭を取れと言われてしまった俺は大変苦労して言葉を紡ぐ羽目になっている。
「また、タウリシアンの共同体から同盟締結の打診があり、これを受けることにした。俺の農場とタウリシアンの共同体。双方のさらなる発展を期待して、乾杯」
そう言って俺が酒の入ったグラスを掲げると、エリーカ達やタウリシアンの戦士達が歓声を上げた。グラスの中の酒を一息で飲み干し、グラスをもう一度掲げると今度は歓声だけでなく拍手も加わった。そこそこアルコール度数の高い酒だったな。この程度じゃほろ酔いにもなれんが。
「うん? ザヴィヤ、スピカはどこへ行った?」
近くで宴料理に舌鼓を売っていたフォルミカンの少女――右目だけ前髪で隠れている――にそう聞くと、彼女は驚いたような目を俺に向けてきた。
「あの、え? 私の名前……」
「さっきスピカがそう呼んでたろ。間違えたか?」
俺がそう聞くと、彼女はふるふると首を横に振った。合っていたようだ。
「すまんがお前達のお姉様を連れてきてくれ。どっかでいじけてそうだから、姉妹を何人か連れてな」
「は、はい!」
ザヴィヤが元気よく返事をして何人かのフォルミカンを連れ、スピカを探しに行く。その様子を見たエリーカが話しかけてきた。
「フォルミカンの皆さんの名前をもう覚えたんですか?」
「スピカの他に知ってるのはあのザヴィヤだけだ。他は名前をまだ教えてもらってすらいない」
「そうでしたか」
そう言って頷き、エリーカは俺に身を寄せてきた。何か察してるな、エリーカは。相変わらず勘が良い。でも何も言わない辺り、容認するということなんだろうな。コルディア教会の理念にも合致することだろうし。
「なんだよぅ……私なんか隅っこで頭にきのこでも生やしてるからほっといてよ……」
どこからか姉妹達に引きずられてきたスピカがどんよりとした表情でぶつくさと言っている。俺はそんな彼女を抱き上げ、膝の上に乗せた。
「エリーカ、ライラ。今日からスピカも俺の嫁ということでよろしく頼む」
「はい、わかりました」
「はぁい」
「……えっ」
俺の唐突な宣言をエリーカとライラは即座に了承し、スピカは意味がわからないという顔をした。
「ここがお前の基準で立派で安全なコロニーになったから、ここで雇われる――つまりここに定住しようと思ったんだよな?」
「そ、そうだけど……」
「前に言ってたよな。フォルミカンは定住しても良いと思った場所を見つけたら、そこにコロニーを作るって。つまり、お前はここにコロニー……繁殖地を作ろうと考えたわけだ」
「言い方! 言い方がストレート過ぎるよ旦那っ!」
俺の腕の中で小さい体を更に小さく縮こまらせ、顔を真っ赤にしながらスピカが叫ぶ。
「このコロニーにいる男は俺だけだ。つまり、そういうことだな?」
「そ、そうだけどぉ……旦那は私みたいなちんちくりんには興味がないみたいだし……」
顔を赤くしたスピカが落ち着きなく視線と触角を動かし、両手の人差し指の先を触れ合わせてもじもじと恥ずかしがる。
「まぁ、どちらかといえばそれはそうなんだが」
「おいぃっ!? 今良い雰囲気だったろうがっ!?」
今まで恥ずかしがっていたスピカがキレ顔で俺の胸板に裏拳を見舞ってくる。うむ、いい打撃だが俺には効かんな。
「だが、俺はお前のことは嫌いじゃないし、身体のことは些細な問題だろう。それを言ったら俺の身体の殆どの部分は造り物なんだ」
何より大切なのは互いに互いを愛しく思えるかどうかなんだろう。現時点では俺とスピカの間にはギャップがあるが、それは追々埋めていけば良い話だ。
「お前が俺を選んで、俺はそれを受け入れた。ならこうするのがフェアだ。そうだろう?」
「……旦那の感性は独特過ぎるよ。もう私の心は滅茶苦茶だ。責任取れ」
「わかったわかった」
そう言って俺がスピカの頭を撫でると、彼女の頭に生えている触角がぺたりと俺の手に触れてきた。それは、ずっとそのまま手を離すなとでも言うかのようであるのだった。
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