あの子はわたしの彼女だった
水面あお
第1話
わたしのクラスには、一際目立つ容貌の少女がいる。
ダークブラウンの髪。大きな瞳。鼻筋は通っていて、体型はモデルのよう。
スタイルだけでなく、性格も良い。
クラスのまとめ役で、中心にはいつも彼女がいた。
誰もが羨む完璧美人。
それが、臼井波瑠花。
かつての、わたしの彼女だった。
付き合い始めたのは、去年。
高校二年の頃。
わたしたちには、共通の趣味もなければ、部活が一緒というわけでもなく、ただのクラスメイトだった。
休日、出先でばったり会った。
それが始まり。
連絡先を交換して、たまに会うようになり、気がつけば打ち解けていた。
心の内に秘めたことすら話せるほどに。
そして想いを告げあって、付き合うことになった。
でも表向きには単なるクラスメイト同士だと装った。
わたしはクラスでは影のような存在だった。
そんなわたしが太陽のような波瑠花と仲が良いことを公言すれば、あまり良くない目で見られることはわかっていた。
波風は立てないほうがいい。
それがわたしたち二人で出した結論だった。
休日、買い物に行くときのこと。
二人で歩道を歩いていた。
「ねえ、手繋いでいい?」
「美弥は甘えんぼうだね」
美弥というのはわたしの名前。
波瑠花は二人きりの時だけわたしを親しげに呼ぶ。
だから呼ばれるたびに胸がじんわりして、熱を持つ。
「波瑠花も甘えたいくせに。我慢しなくていいんだよ?」
「うぐぐ……」
波瑠花はみんなの前だと見せない顔をわたしにだけ見せてくれた。
彼女の本当の姿は、甘えんぼうで、欲張りで、わがままで。
でもそんなところがあるから、わたしは波瑠花のことが好きになった。
二年の終わりに、わたしたちの関係は解消された。
別れたのは、波瑠花の心が限界だったからだ。
波瑠花の両親は昔ながらの思考を持った人だった。
一人っ子の彼女はそれはそれは大切に育てられてきたようであった。
ある時、波瑠花の両親にわたしと付き合っていることが露見してしまった。
両親は初めて娘に手をあげた。
女であるにもかかわらず女を好きになるのは何事だと、否定の言葉を吐き続けた。
それ以来、波瑠花には覇気がなくなった。
わたしたちの関係にも亀裂が入った。
波瑠花はわたしとの付き合いを続けることに自責の念を抱くようになった。罪悪感を覚えるようになった。
そして、わたしから波瑠花に別れを切り出した。
彼女をこれ以上苦しめたくなかった。
もっと楽しく生きて欲しかったから。
別れてからは、わたしたちの間に何も無くなった。
会話も。手を繋ぐことも。キスすることも。全部ぜんぶ無くなった。
わたしにはあの子がすべてだった。
それまで、人生なんてつまらなかったのに、波瑠花と付き合い始めてから景色が色鮮やかなになっていった。
だから、波瑠花と別れてからのわたしの景色は仄暗い。
時折変な道に足を踏み込んでしまいそうほど。
でも、彼女は平然としていた。
友達と普通に喋って、笑って。
心底楽しそうだった。
そりゃそうか。
しがらみから解放されたのだし、嬉しくもなるか。
好きな人が楽しそうにしているのにわたしの心は鬱屈としていた。
わたしだけこんなに落ち込んで、馬鹿みたいだと思ってしまった。
そんな自分に嫌気が差した。
自分はどうしてこんな性格なのだと恨む日々が続いた。
ある日の放課後、気分転換に屋上に行くと人がいた。
波瑠花だった。
気まずく思ったわたしは踵を返そうとするも、すぐさま呼び止められる。
ぎこちない空気のなか、わたしは近づいて波瑠花の顔を見た。
泣いていた。それも、真っ赤になるほど。
ぐしゃぐしゃで、とても完璧美人と呼ばれている人だとは思えないくらいに。
波瑠花は無言でわたしとの距離を詰めてきた。
キスをされた。
柔らかい唇に、忘れかけていた感覚が蘇ってくる。
こんなにも満たされるものなのだと。
波瑠花はわたしの背中に腕を回してきた。
わたしも無我夢中で彼女のことを抱きしめる。
あたたかい。
このぬくもりに、熱に、もっと浸っていたい。
けれど、そんな思いとは裏腹に唇が離れていく。
「ごめん、我慢できなかった」
波瑠花は斜め下に視線を向けながら言った。
わたしは突然のことで返す言葉が見つからなかった。
「別れるのがこんなにもつらいものだなんて、思わなかった」
波瑠花も苦しんでいた。
それをわたしは今、初めて知った。
「波瑠花もそうだったの……?」
わたしは信じられなくて問い返す。
教室での波瑠花は、いつも幸せそうだったから。
「うん。心がぐちゃぐちゃになって、夜も眠れなくて……」
わたしと一緒だった。
眠れない。眠れたとしても寝付きが悪い。
そのせいで気分も不安定になった。
「何を今更って感じだよね。わたしのためを想って別れてくれたのに。その好意を無駄にして」
波瑠花は自嘲するように笑う。
「そんなことない」
わたしは振り絞るように口にする。
「波瑠花が辛いなら、わたしはそのためになんだってするから」
波瑠花が楽しく過ごす姿に苛立ちを覚えたのに、彼女が苦しんでいる姿は見ていられなかった。
「ありがとう」
そして、波瑠花は続ける。
「両親からの期待に応えるか、美弥との関係を優先するか、どっちかしかとれない。ならわたしは美弥との関係をとりたいと思った。美弥が隣にいないことに耐えられなかった」
波瑠花はそう感情を吐露した。
付き合えば、また波瑠花は両親のことで苦しむことになる。それでも、わたしとの関係性を選んでくれた。
波瑠花も裏では相当溜め込んでいたのだろう。
それをわたしは見抜けなかった。
表面だけの笑顔にまんまと騙されていた。
波瑠花と別れて、落ち込んで、どうかしていたようだ。
「大丈夫。誰がこの関係を否定しても、わたしは波瑠花が好きだから。波瑠花のことを認めるから、否定しないから、守るから」
波瑠花を救いたい。その一心で彼女を肯定する。
「うん」
波瑠花は先ほどよりも涙を流した。
「人だし、間違えたり悩んだりすることだってあると思う。わたしだってそう……。波瑠花だけ楽しそうにしていて、責めたくなった」
波瑠花の真意を理解できないほどにわたしは不安定になっていた。それどころか、彼女に暗い感情を抱いていた。
「一緒に幸せじゃなきゃ嫌なんだね?」
「そうかも」
波瑠花は優しい。
普通の人だったら嫌になるような言葉をぶつけても、笑って受け止めてくれる。
優しさに触れて、想いは強くなる。
波瑠花のそばにいたい。いつまでも。
「波瑠花さえよければ……もう一度、付き合おう?」
「うん」
そうしてわたしたちは固く抱きしめあった。
「高校卒業したら、一緒に暮らそうよ」
わたしの提案に、波瑠花はしきりに頷いていた。
あの子はわたしの彼女だった 水面あお @axtuoi
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