第5話 女王星

平木藩は、武田軍への奉仕を欠かさなかった。

河豚ふぐの子の粕漬、冷やし汁、鯨汁と軍にとっては宴会をせざるを得ないといった風情でもてなされた。

肝心の信玄は松本城にとどまっているが、兵士たちは美酒に酔いしれ、美食に舌鼓を打った。

軍の士気も上がり武田軍にとって平木藩の城は夢のお城となっていった。


「杉田様、武田様はこちらへお寄りになることは御座いましょうか?」


「宜塚 恒徳、そなた、もしや、我が主に取り入り、天下に打って出るつもりでは御座らんだろうな。」


「滅相もない、我が千万石の小所帯でなにが出来ましょうぞ。武田様の、お顔を一度でも拝見したい一心で御座います。」


「はっ、はっ、はっ、分かっておるわ、そちのような、小侍が、天下などとあるわけがなかろう、苦しゅうない、武田様には、よろしゅう申し上げておく。わしは殿の腹心じゃ、気持ちは、わしに言えば伝わるのじゃ。」


杉田 瀧之信すぎた たきのしん、武田軍の偵察部隊を率いる小兵である。

平木藩の城にいる武田軍は、あくまでも、捨て駒であり、上杉の手の内を知るための、信玄の仕掛けであった。


宜塚恒徳は、この時、杉田の「小侍」という言葉に心中余りあるものがあった。

そして、この日から平木藩の城では不穏な空気が立ち込めるのである。






琴音ことね、お前の名前は琴音じゃ。武田信玄様のお子であるのじゃ。」


「武田信玄・・・」


信濃川の河原には草いきれの中それぞれが正座をし、互いの眼を見つめ合う少女の出生の秘密を語る老婆とそれをしっかりと聞く少女の姿があった。


「お前が生まれた時、信玄様は出征中で、奥方様、つまりお前の母様の光津こうづ様は、お前を産む時、ひどい流行り病に掛かっていた。

薬師くすしも子供を亡き者にするよう申し付けたが、奥方様は命を懸けてお前を産んだ。その時、御側おそば付きとしてこの彌蔭みかげが光津様を看取ったのじゃ。奥方様は、君実きみざねではない。信玄様が戦の時、手籠めにした女でその後、気に入られた信玄様は人知れず光津様の元に通い詰めた。そしてお前が生まれた。」


「おばあさま、手籠めとは何です?」


「お前にもいつか分かる時が来ます、これを。」


彌蔭が懐刀に紐で結ってある小さなお守り袋を外し琴音に渡した。


「お祖母様、此れはお祖母様のお守り、外してはなりませぬ。」


琴音は、直ぐに彌蔭に返そうとする。


「いいのです。それはそちの物。信玄様からのそなたへの贈り物です。」


優しい顔を作り、役目を終えたかのように彌蔭は、琴音の手を握った。


「信玄様からの・・・」


琴音の心にも今此時が何を意味しているのか察するものがあった。


「お祖母様、私は…」


「みな迄申すな!」


剣術指導でもするかのように厳しく言い放つ彌蔭の眼に涙の雫が一筋、又一筋と流れ落ちる。


「会ってはならない方とお会いになられたのです、琴音様は…」


その人物が玄魁であることに琴音は気が付くしかなかった。

彌蔭と琴音は心を割って話が出来た。

琴音が守り袋を開くと、その中には石球が入っていた。

その石には「女王星」の刻印が記されていた。


あばら家には、深い悲しみのなさけが、漂う雲となり重く沈んだ時を刻んだ。







「えぇいっ!」


右信抜刀流うしんばっとうりゅう甲斐道場の師範、葉隠はがくれ 右信うしんは、来るべき、御前試合に向け。鍛錬に励んでいた。


右信抜刀流は、居合を基本に、一刀ではなく、両脇差しの刀を同時に引き抜き、二刀を交差させ相手を倒す。

居合の様に瞬間的な早い動きが必要で、両腕をいかに早く巧妙に動かすかが、重要になる。

大概の者は、一刀の居合に負けてしまうが、葉隠のそれは、一刀の動きの甘さがない分、隙がなくその速さは人間業とは思えないほど素早い。


「この右信抜刀流を世に知らしめるためには、なんとしてでも果し合いで勝ち残り天下にこれぞと思わせなければならない。」


葉隠の立つ道場の中央に、檜でできた六尺ほどの一本の棒が立つ。

両手を交差させ、目抜きに両手をあてがう。

静かな呼吸になるまで、集中を高める葉隠。


「・・・・・・・・。」


「えぇいっ!」


「シュッ!」


「カラン、カラン…」


二刀は、檜を真っ二つにし、その影さえも残さなかった。





大安吉日、御前試合の日がやってきた。

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